(2)
「まーたー負けた!」
ログアウトすると同時に非現実的な世界を構築していたテクスチャは一瞬にして消え去り、前の席の女の子が机に突っ伏すのが目に入った。
「これで今日の昼飯も奢りだな」
「……ねぇ久我山鈴夜くん? 可愛い女子に何かを奢らせるってあり得なくない?」
坂御崎咲良が顔をあげてこちらを振り向いた。
モデルのような小顔にクッキリとした大きな瞳。不満を表現するかのように突き出した唇はグロスを塗っているのか艶やかに光っており、金髪に近い茶色のショートポニーが勝ち気な性格に良く似合っている。
先程まで戦っていた秘札師と、全く同じ顔だ。
『学校でも三本の指に入る程可愛い』というのは別に俺の評価ではないのだが、去年の校内美少女コンテストで一年生トップになったのだから、それほど遠からずなのだろう。
とはいえ勝った方が昼飯を奢るという約束に、可愛いかどうかは何ら関係ないのだが。
「ドリンクくらいは奢ってやらないこともない」
一応何となく、後ろめたさを感じるくらいの甘さは持ち合わせているのだった。
「やったっ!」
「んじゃカレーでいいか?」
「カレーは飲み物! ……って違うし!」
「いやお前ならワンチャン……無いですね。あまり睨むな恐い」
「ていうかこのちょー暑いのにカレーってゆーチョイスはどうなの」
真夏の正午になろうかという時刻。教室はクーラーが効いて冷えているとはいえ、窓際にいれば夏独特の照りつけが直接窓越しに伝わってくる。
「……ていうかカレーって普通に食べればご飯じゃん?」
「それに気付くとは、お前天才か」
「もしかしなくてもバカにしてる? してるよね? してないと言いなさい」
「してないこともない、こともないこともない」
「ど、どっちっ」
と、ここまで言ってからふとある意味でカレーが昼飯の驕りになると気付いたらしい。坂御崎はニヤリと笑い、ぐっと小さくガッツポーズを取った。
「食堂は三年生の方が教室近いからさ。早めにいかないと席が無くなるよねっ!」
「だからって1年が座ってる席を追い出すのはやめてくれよ」
「えーあたしそんな酷い事したことないケドー?」
心外なんですけどーっと言いたそうな坂御崎だが、実際、彼女が食堂を歩いていたら1年がビビッて、席を慌てて譲ったのを見たことがある。
見た目はちょっとしたギャル風であり、制服も着崩しやたらときらきら光るアクセサリを着けている。ある生徒が黒ベンツに乗り込む坂御崎を見たと言う話が出回るや、ヤクザの娘なんていう噂が流れる始末だ。
彼女が比較的校則の厳しい進学校で、ちょっとした異色の存在であるのは間違いない。
今だって着崩した制服の襟をパタパタと仰いでいるのだが、時折見える白い肌を気にする様子もない。
「おい胸見えるぞ」
「……っ!」
坂御崎は赤くなり慌てて胸元を押さえた。彼女がそのまま顔をあげると自然と上目遣いになる。
「み、見えた?」
「見えてない。が、ピンクは趣味が悪いと思う」
「見えてんじゃん!!!!!!!」
猫パンチにも似たフックをスウェイで躱す。
「ていうかさ、お前可愛いんだからその微妙に緩々なところは直した方がいいと思うぞ」
「そ、そうかな。緩々とか女の子に酷い言葉使うのはどうかと思うけど……。と、とりあえずこれは、べ、別に見せてる訳じゃなくてえっと、敢えて特定の人になら、見られてもいいっていうか、み、見せてもいいっていうか……そう練習? みたいな?」
「え、もしかしてアホなの?」
何、最近の女の子はそういう仕草まで学ぶ必要があるの? 女子怖えな。
「……………………………………うん、あんたがね」
たっぷり数秒溜めてから坂御崎は苦笑した。
今のやりとりでツボに入る部分があったようだ。何が面白かったのか俺には分からないが。こういう爛漫な性格は相手をしていて楽な所である。
とはいえ話がそれなりに合うのが分ったのは最近の事だ。
元々俺と坂御崎咲良は1年の時も同じクラスだったのだが、2人ともどちらかといえばクラスでワイワイやるより個人で動く方が好みだったので会話は殆ど無かった。
とはいえ妙なシンパシーが合ったのか、今年の2月頃からよく話すようになり、ソウルクラウンを教えて欲しいと請われ今に至っている。
坂御崎は機嫌を直したのか俺の机に肘をつき、前屈みになって話しかけてくる。
「でもやっぱ鈴夜強いね。ソウルクラウン、まだ勝てる気がしないよ」
「始めて2週間であれだけ動ければ大したもんだよ」
「『元』世界ランカー様の言葉は重みがありますわ~。ってか何で辞めちゃったの?」
何気ない彼女の一言だったが、俺の脳裏には明るく朗らかな笑みを称えた女の子の顔が浮かんだ。机に乗せた右手を無意識に動かし、言葉を探す。
「……別に理由とか。単なる実力不足だって。限界、自分の才能の限界」
「ふぅん?」
「何だよ」
「べっつにー。ただ鈴夜って誤魔化したい時、右手の親指を握り込むんだよね」
それとなく視線を逸らしつつ、右手を机の下に潜り込ませる。こいつ意外と細かいとこに気付くんだよな。
「とにかく。坂御崎はセンスいいし、引退した俺なんかにはすぐ勝てるようになるよ」
「神器がランク3にランクアップできる終盤にすら行けてないんですけどー。それに終の聖剣強すぎるでしょ」
ジト目で睨んでくる。
「あれ複製だけどな。本物はまだゲーム内でも存在してないらしいけど……ていうかあれ、制限が強すぎて皆がいう程強くはないよ」
「ゆーても30人も持ってないA級レアじゃん? あたしが持ってても使い切れないとは思うけどさ。久我山とはやっぱプレイヤーの素質っていうか才能が違うと思う」
才能。その漠然とした定義を持つ言葉に俺は空しさを感じざるを得ない。そんなものは自分にはないと分かっているからだ。
例えば神器のランクアップのタイミング一つとってもプレイヤーで大きく異なる。そのままデュエルのセンスに直結する訳だが、先ほどの咲良の判断は初心者にしてはずば抜けていたと言える。鈴夜から見れば彼女は十分に才能があると言えるだろう。
もしそんなものがあったのなら、もっと人生は変わっていたのだろうか。
もしあの人を助けられていたのなら。
思い浮かべた女の子の輪郭が固まろうとした時、授業が始まるチャイムが鳴りハッと我に返った。坂御崎も慌てて自分の席へ座りなおす。
「あ、そういえばアイリンクとソウルクラウンVer4.0のアプデ来てたよ。混むから早めに落としておいた方がいいかも」
アイリンクとは粒子が指定に沿った形をとり、DNA登録された使用者の網膜に直接立体を映し出す技術で、簡単に言えば「どこでもAR」である。正式名称は『走査型可視粒子網膜連携機構』というややこしい名前なのだが、大人気アイドルが「目が映像とリンクする感じです」と言ったのが拡散し、広く使われるようになった。
元々、兵士が僻地でも連絡を密に取ることが出来る技術として軍事用に開発されたのだが、インターネット同様、便利なものは民間用にデチューンされ普及していくのは自然な流れである。今では98%を超える普及率で、クロノ粒子を散布する中継所も全世界で一万個所を超えている。
ウェアラブルすら必要ないアイリンクとオンラインゲームの相性は最高であり、TCGの要素を取り入れたソウルクラウンは世界中でブームを巻き起こした。
発売から4年でユーザー数は1000万とも言われており、各地でプレイされている。
ちなみに授業中にやっている奴は、プレイヤーなら見ればすぐにわかる。意識がゲーム内に跳んでいるので、微妙に固まっていたり反応が鈍かったりするからだ。
そんな事を考えていた時、隣の席の奴の消しゴムが席から転がり落ちたのに気が付いた。ちらと持ち主に視線を向けるが気が付いた様子はない。随分とボーっとしている所を見ると、こいつは今あっちの世界で対戦でもしているのだろう。
俺は落ちた消しゴムを一瞥したが、拾って戻してやるという選択肢は採らなかった。わざわざ拾ってやるほど仲が良い訳ではないし、何より面倒だ。
視界の右端に浮いたインストールバーが進むのを眺めていると、咲良から小さく折り畳んだ紙が回されてきた。
『そういえば転校生くるって職員室で言ってた』
アイリンクを使えばこんな面倒なことは必要ないのだが、彼女はこういったレトロな手間が好きらしく、ちょいちょい回してくる。
意外にも可愛らしい丸文字で書かれたその下に「興味ない」と書き殴り素っ気なく返す。
暫くするともう一度紙が回ってくる。
『インスト終わった? ちょっとやろうよ』
『授業が始まって5分も経たずに、その提案してくるのに俺は驚きなのですが』
『別に久我山頭いいんだし授業何て受けなくてもじゃん。あーもしかして意識が消えるのが怖いとか言うんじゃないでしょね』
何度目かのやり取りで、気になる単語が書かれていた。
意識が消えるとは、ソウルクラウンユーザーの間で言われている不可解な現象の事である。
対戦に負けたユーザーの意識が戻らないという事件が最初に起きたのは3年前。以降世界各地で発生し始め現在で30件ほど確認されている。少なくとも共通しているのは、全員が直前までソウルクラウンをプレイしていたという点であるが、意識を取り戻した当人たちは何も覚えておらず、今のところ因果関係はハッキリとしていない。
『そんな都市伝説信じてる訳ないだろ』
『じゃ決まりねー』
何だかうまく騙された気がしなくもないが、折角最新バージョンを落としたんだし1戦位ならいいか、と思ってしまうのは一種の依存症なのかもしれない。
『でも何か妙に軽いな。画像データとか落ちてこないし、全部サーバ管理ってことか?』
『何か大改革するって発表してたそれなんじゃない? それより何賭ける?』
さっき負けたばかりなのに、ナチュラルに賭けを提案してくる辺り結構な負けず嫌いな女である。
『また賭けかよ。負けても知らんぞ?』
『あたしはちょっとくらいスリルがあった方が伸びるタイプなの!』
『どっちかってと破滅するタイプなんじゃないのかと心配になるが』
『どこがよ。とにかくあたしが勝ったら夏休み最初の日に何処か遊びに連れてくこと。オッケー?』
『人の話を聞かない所とかな……。てか夏休みって明日からじゃないか。面倒だし却下だ、却下。休日の暇潰しの相手は他の男子をあたってくれ』
「ぶー」
最後は文字ではなくリアルな声として聴覚が認識した。
だがともあれ、新バージョンをプレイするというのは退屈な授業を聞くより刺激的な提案だ。アプリを起動しようとアイコンへ視線を移した時、突如目眩が襲った。
視界がぐらりと大きく揺れ、教室が一瞬で真っ白な景色に変わる。
何もない世界。慌てて腕を動かすも視界に見えないものは触れられない。
思わず口から声が漏れそうになったとき、何もなかった世界に粒子のような小さな欠片が収束し始めた。それは『俺の指先』を形成すると、腕、それから胴体へと繋がり、やがて全身を形作っていく。
『ログイン。ようこそ、リアルタイムカードアクション『ソウルクラウン』へ。世界はクロノ粒子によってその時を止めました。魂が求める真の世界に、今あなたたちは立っています』
聞き慣れたメッセージが目の前に表示された時には、使い慣れた秘札師の姿になっていた。
「……あれ俺ログインの操作したっけ?」
周りを見るとプレイヤーの分身である秘札師が10名ほど立っているが、誰もが対戦状態ではなく肩を竦めたりバグだバグと声高に叫んでいる。どうやら周囲の秘札師(恐らくクラスメイト)も同じく強制的にログインさせられた状況らしい。
今の目眩はこれまで感じた事のない感覚だったし、それにシステムメッセージも微妙に違っていた気がする。通常のログインではないのだとすると、アップデートによる不具合か?
俺は両手を見て次に服を見る。青と白を基調としたローブに幾つかの防御用の護符。普段プレイしている時と変わらない。……のだが何かがおかしい。
「あ、フィールドにテクスチャが張られていないからか」
ソウルクラウンはアクション性が高くその場の地形を利用して戦うのが大きな特徴だ。そのため地形はログインした時に現実の世界にテクスチャを張りそのままバトルフィールドとする設計になっている。
普段なら森林や湖畔、廃墟といったランダムに選択されたテーマの中からテクスチャが張られ、あたかもファンタジー空間に立っているかのような錯覚を起こさせてくれるのだが、今視界に入るのは壇上で教鞭を振るう教師であり、指名された生徒がちょうど立ち上がろうとしている瞬間であり、そして座っている自分自身という現実であった。
それらをゲーム内の自分が見ている。何とも不思議な光景。風景は一切動いておらず、色もない灰色一色の世界となっている。
「まるで時間が止まったみたいだな……」
「ちょっと久我山、これどうなってるの?」
赤い髪の秘札師が話しかけてきた。坂御崎だ。彼女も同じようにいきなりログインさせられたのだろうか。
「さあな。大方アプデの不具合だろ。今回は大型バージョンアップだったし」
「ふうん。ねね、いつもはファンタジーなマップになってて気が付かなかったけどさ。プレイ中ってあたし達こんな間抜けな感じだったんだね」
彼女はちょっと笑いながら『椅子に座り神妙な面持ちでいる女の子』を指さした。
特別変な顔をしている訳ではないのだが、微動だにしない自分を見て面白いと感じているようだ。
確かに動かない自分を見るなんてのは俺も初めての体験であり、興味を抱かない訳ではないが、それよりも現状がどうなっているかの方が気になっていた。
自分の右手の甲――――勿論秘札師のだ――――を2回つつくとインベントリが開く。操作系統が正しく動いている事実にはホッとする。
「取りあえずログアウトしてバグ報告だな」
「……ねえ久我山」
「何だよ。初日だからこういうこともあるよ」
「そうじゃなくて。これってさ、戻ったらあっちに行く……てか戻るんだよね?」
坂御崎はその『あっち』を指さす。座ったままの自分。本来なるべきバトルフィールドの一テクスチャが時折思い出したかのように張られるも、その時間は短くすぐに元の灰色の姿に戻ってしまう。
「……別にこっちからはそう見えるだけで、あっちは普通に動いてるはずだろ」
「そう、だと思うんだけど。でも実際見たことなんてないしさ」
彼女の不安は分かる。例えば今ログインしていない教壇にいる教師などは、一体どうなっているのだろうか? 動いていない生徒たちを見ているのだろうか? それとも意識などないただの置物になっているのか……?
他の秘札師も右往左往するだけで、次のアクションを起こそうとはしない。だが誰かがやらないと始まりもしないだろう。
「リィン」という幾度となく聞いたフレッシュポイントのシステム音が鳴り響いたのは、俺がログアウトするためにシステムウィンドウを開こうとした時だった。




