始まり 待つ女性
初めて書いた小説です。
◇プロローグ◇
名前は……忘れてしまった。元々無かったかもしれない。軍に造られた人造人間で、その強靭な身体能力と生命力を以て戦争に駆り出されたことは覚えている。仲間もいたが、終戦までにその大半が死んだ。
戦後は力を恐れた軍部によって抹殺されそうになった。事前に仲間から情報が伝わったために逃げることが出来た。しかし執拗な追手によって数人しか生き残らなかった。悲しくはない。元々俺達に感情は無い。いや、あったが擦り切れて無くなったのだ。
散り散りになった仲間は今頃どうしているだろうか。殺されたか、まだ逃げているか。
俺はというと、もう疲弊しきっていた。ボロボロの軍服を纏い、瓦礫の中でうずくまる。このまま眠れば楽になれそうだ。ゆっくり目を閉じ、暗い意識の中に沈んでゆく。
―――誰かに悲しんでもらえたら、嬉しいかもしれないと、少しだけ思った。
◆◆待つ女性◆◆
「……あれ」
気が付くと、俺は知らない場所にいた。知らない服を着ていて、知らないベッドで寝ていて、知らない女性が椅子に座ってこちらを見ていた。
女性は俺が起きたことに気付くと、にこりと笑って口を開いた。
「おはよう。よく眠れたかしら」
優しい声だった。そんな声音を、俺は聞いたことが無かった。
「ゆっくりしていていいわよ。今朝食の準備をしているから、出来たらまた来るわね」
女性はそう言って部屋を出ていった。扉が閉まるのを見届けると、俺は視線を天井に移した。そのまま暫く茫然とする。
なんなんだいったい。確か俺は軍の追っ手から逃れて瓦礫の中にいたはずだったが。
「…………」
徐に起き上がり、ベッドから這い出る。眠気がなくなると代わりに警戒心が浮かんできた。周囲をくまなく見回しながら、慎重に扉に近付く。鍵はかかっていない。
そっと開いて外の様子を伺う。すると、何やら白と黒のフリフリした服を着た女が掃除用具を持って歩いていた。幸い、こちらの視線には気付いていない。
俺は出来る限り気配を消し、その女の背後に忍び寄った。そしてそのまま女の首を掴み、床に押し倒す。
「るっ……?」
「動くな」
即座に上にのしかかり、首を掴む手に力を込めて手刀を突きつける。
「お前の知っているここの情報を話せ。叫び声をあげたら殺す」
「……!?」
「死ぬのは嫌だろう、賢い選択をしろ。俺の要求をのむなら小さく頷け」
「……!……!」
女は必死に頷いた。よし、人が来ない内に済ませる。俺は周囲に気を配りつつ、第一の問いを投げかけた。
「ここは、どこだ?」
「……る、るん。るる」
「……なんだと?」
「るんるる、るん」
この女は俺をなめているのだろうか。しかし彼女の怯えた瞳と震えた体がその可能性を否定している。ではさっきの言葉はなんだ?
構わず質問を続けることにした。
「ここには何人の兵がいる」
「るんるん、るんるる」
捕虜の尋問にと、軍で様々な言語教育を受けたが、俺の知っている言語に該当するものはない。なんだ、暗号?ヒントが少なすぎる。
「……お前、自分の名前くらい言えるだろ」
「るん。るんるる」
もういい。この問答に意味は無い。俺は女の首を潰す勢いで力を込め、手刀を振り上げた。
「ちょい待ち。お前さん、るん子に何してんだよ」
振り下ろそうとした矢先、その手が阻まれる。背後を振り返ると、男が俺の手首を捻りあげていた。
「新参か?やけに血気が盛んな奴だな」
「……放せ」
男の体格は細身で、白衣を羽織っている。一瞬女と見紛うほど弱々しい印象を受けるが、俺に気取られずに背後をとる実力は持ち合わせているようだった。どうやら抵抗はあまり有効な手段ではないようだ。
俺が射抜くような目で睨むと、男は肩を竦めた。
「まず、るん子の首から手を放して、それから退け」
「………」
「別にお前さんに敵意は無いから安心しな」
「………ちっ」
軽く舌打ちして俺が女から離れると、女はあたふたしながら男の背後に隠れるように回り込んだ。そしてちらと俺に非難めいた視線を投げかける。
「それで、もう一回聞くがお前さんるん子に何してたんだ?」
「その質問に答える意味は?」
「親睦だ。いいから答えな」
「……ここの情報を聞こうとしただけだ」
「本当にそれだけか?もっと他に何かしてんじゃないのか」
何を言っているんだこの男は。見知らぬ場所では先ず情報収集が優先事項だろう。
すると男は溜息を吐いて頭を掻いた。
「……まあいいや。お前が『そういう事』に疎いってのは分かった。とりあえず飯に行くぞ」
俺の手を掴んでいた男の手が、今度は服の襟首を掴んできた。そのまま俺を引きずって歩き出す。
「止めろ」
「だったら自分で歩け。立てないわけじゃないだろ」
言われて俺は立ち上がり、男を並んで歩く。男の手はまだ襟首を掴んでいて、放すつもりはなさそうだった。男の三歩後ろを女が静々と付き従う。理解した、彼女は男の従者か。
「しかしお前さん珍しい面してんな。黒髪に碧眼なんざ滅多に見ないぞ。ハーフか?」
「それをお前に話す必要は無い」
「これから仲間になるかもしれねえってのに、つれない奴だな」
………仲間になる?
「ここは一体どこだ」
「ミス・ウェイトの屋敷さ」
「ウェイト?それこそ珍しい名前だな」
「ウェイトだ。ま、コードネームみたいなもんさ」
コードネーム。日常生活でまず使わない言葉だ。こいつの実力といい、女の謎言語といい、どこか怪しい。
俺の考えを見透かしたように男は補足した。
「確かにまともなとこじゃない。だが、どこよりも正しいとこだぜ、ここは」
「?」
「いずれ分かるさ……着いたぜ、食堂だ」
到着した食堂には、すでに何人か先客が集まっていた。俺が新参者だからか、全員の視線が俺に向く。
全員、兵としたら相当な力を持っているのは佇まいからでも分かった。
「おはよう!新入り君」
「…………」
その中の一人、やけにニコニコした女が俺の前にやってきて小さく手を挙げてきた。無言でその手を見つめていると、女の表情は困ったような笑みに変わる。
「あのー、聞こえてる。よね?」
「ああ」
「だったら返事してよ!愛想悪いね君!?」
人の近くでうるさい女だな。
「ダリア、そいつはまだ警戒を解いてない。がっつくのはやめとけ」
隣で白衣を羽織り直しながら男が言うと、女――ダリアと呼ばれていたな――は俺から一歩距離を置いた。
「あはは……私の名前はダリア。よろしくね」
「お前のそれもコードネームか」
「えっ?」
「……まあ、別に興味は無いからいい」
「なんか馬鹿にされてる?え、私馬鹿にされてる!?」
「ハハハ。そいつ中々面白い奴じゃん」
声のする方を向けば、テーブルに足を乗せた男が好奇の目でこちらを見ていた。
つり目がかったその金瞳は、隠し切れない闘争心をのぞかせている。首辺りで一つにまとめられた紅い髪は燃え盛る業火を思わせた。男はやや挑発的な口調で質問を投げかけてきた。
「聞いた話、お前人造人間らしいな」
「そうだが」
俺が肯定すると、その場がどよめいた。
無理もない。軍で極秘扱いされていたとはいえ、戦場で戦っていればその情報は各国に流れる。人造人間の脅威的な力は今や軍関係者なら国を問わず知れ渡っていた。
尤も、軍関係者なら、なので奴らの反応は裏返すと軍、またはそれに準ずる機関と親交があるということになる。もしくは………
「お前達は、テロリストなのか?」
その機関そのもの、という可能性もある。
俺の問いには誰も答えなかった。白衣の男も、ダリアとかいう女も、赤髪の男も。
沈黙が食堂を包み込む。俺が次の言葉を発しようと口を開いた瞬間、間が良いのか悪いのか、背後の扉が開かれた。
「あら、」
「……アンタは、さっきの」
現れたのは俺が目覚めた時、側にいたあの女性だった。女性は俺と目が合うと表情を明るくした。
「部屋にいないと思ったらここにいたのね。調子はどう?一週間も眠っていたから体は怠くない?」
「異常は特に無い。それより答えろ、ここは一体どういった場所なんだ」
「食堂よ?」
「……この屋敷のことを聞いているんだ」
「あらごめんなさい、ここのことね。どう話せばいいかしら……」
女性は腕を組んでうーんと悩みだした。
見る限り、この女性に大した力は無さそうだ。
「後でいいかしら?資料も一緒に渡して上手く説明したいのだけれど」
「構わない」
俺がそう答えると、女性は満足そうに微笑んだ。
俺は若干動揺した。こんな表情をされたのが初めてだったのもあるが、何よりこんなに優しく人に接しられたのが初めてだった。
内心の気持ちを悟られぬよう、努めて俺は平静を装う。
「私はこの屋敷の主、ウェイト・ベルフラワー。あなたは?」
「……名前など無い」
「あら。じゃあ私がつけてあげるわ」
「え」
生まれて初めて動揺したかもしれない。ウェイト・ベルフラワーは頬に指を当て、それからパンと手を叩いた。
「そうだ!アネモネなんてどうかしら」
「また『花名』ですかい。それ以前に男につける名前じゃないな」
即座に白衣の男が言った。
「でも良いと思うよ?あの花綺麗だし」
「それは今関係ないだろ。テメエは馬鹿か」
「ダチュラに言われたくないよ!」
「あ?」
「むー!」
赤髪の男……ダチュラとダリアの間に火花が散る。溜息を吐いて白衣の男が割って入り、二人は一応矛を収めた。
「それで、その名前の意味は?」
「期待、可能性」
ぴくりと俺以外の三人が反応する。
ウェイト・ベルフラワーはもう近すぎるという距離から、また一歩俺に歩み寄った。その俺をじっと見つめる碧い瞳はどこまでも真っ直ぐで、俺は夜空の星を見ているような感覚になった。
手を伸ばしても届かず、ただ見ているしかないような。そんな感覚に。
「私はあなたに期待を寄せている。あなたの可能性に期待しているわ。だからアネモネに決めたの」
「…………」
正直、期待という言葉なら聞き飽きていた。戦中、指揮官が作戦前に形式的に言っていたから。あれに兵器的な意味での期待しかないのは分かっていた。
だがウェイト・ベルフラワーの言葉には、それとは違う温もりがあった。
「そういやアネモネにゃあ『薄れゆく希望』だの『あなたを信じて待つ』だのって意味もあったな。それでいったらミス・ウェイトにも合うんじゃねえの?」
一瞬、ウェイト・ベルフラワーの表情が強張った。
「ダチュラ」
「おっと……失礼しました、っと」
白衣の男が諌めるとダチュラは舌をちらりと出してバツが悪そうに笑った。
「まあ花言葉は色々あるから、それも当てはまるわね。………さて、そろそろ朝食にしましょう」
その話は終わりとばかりに手を叩いて話題を変える。どういうことか追及したい気持ちもあったが、とりあえず俺も朝食をもらうことにした。
不思議だ。ウェイト・ベルフラワー。何故か彼女に対してだけは反抗心が湧かなかった。
書いてる時って変なテンションで、見返すとうまく伝えたいことが伝えられていなくて結構つらいっすね。