8ページ目~決別の決意、"私"の心
後期が始まりはや一月、最近周りは何事も無い平和な日々を過ごしていた。…ただ俺は先輩と口論したあの日以来、ずっともやもやしている。…葵は、記憶を失う前の事を気にしなくなった。それはどんな心境の変化なのか、聞くに聞けず…
「…勇樹君」
「…?あぁ、もう帰るか?」
「…うん、一緒に…帰ろ?」
最近はこうして葵と一緒にいる時間が極端に増えた気がする。それに前はそこまで親密に接してこようとはしなかったが、よく遊びに行ったりお泊まり(極めて健全だ、本当だ!!)をしたり…正直困惑していた。迷惑ではない、素直に楽しいとは思うのだが…
「…難しい顔して、どうしたの?」
「え?あ…まぁ、考え事だ。ちょっと悩みがあってな」
その考えてた事が顔に出ていたのか、葵は不安そうな顔をしていた。…心配してる人に心配されてしまった
「…悩みなら…相談してね?力には…なれないかも…だけど」
「あぁ、ありがとな。でも大丈夫だ、そんなに気にしてないし」
「…そうなの?」
葵は覗き込むように俺の顔を見つめてくる。…葵は、動作一つ一つが可愛らしくなった気がする
「あ、あぁ…そうだって。だから気にするなよ」
「…分かった」
そうして二人で帰り道を進む。今日も何も起こらず終わる…と少し考えていると…
「あ、浅井君っ!!」
「…え?」
声がした方を振り返ってみると、沙亜弥が走ってこっちに向かってきていた。…何か切羽詰まってる感じだ。何か…?
「ち、丁度良いところに…」
「一体どうしたんだ?何か焦ってるのは見たら分かるけど…」
「は、話は後でちゃんとするから!とにかく家に連れていって!」
…何が何だかは分からないが、とにかく大変な状況なのは見て分かった。とりあえず俺は急いで沙亜弥を家に連れていった…
「…あ、川原さんは家に帰ったの?」
「あぁ、何か巻き込ませたらまずいんだろ?…俺はもう巻き込まれてるけどな」
「う…だからごめんって。浅井君の姿見つけたら咄嗟にそう思っちゃってさ…」
沙亜弥の服装はとにかく軽装。紺のパーカーにジーンズとラフだ。そして手には沢山のお菓子が入った袋を持っていた。…
「一体何があったのか…話してくれるんだよな?」
「うん。まぁ話せばすぐ終わるんだけど…単に世賀…マネージャーから逃げてきたの」
「…はあ?」
…マネージャーから逃げた?それって…
「…まさか、何かされそうになったとか?」
「そうなの、今日オフだーってなってたからお菓子でも買って家で食べながらまったりしよって思ってた所に世賀…マネージャーが来て仕事取ってきたぞーって…せっかくのオフを邪魔しないで欲しくない!?」
「…え~と…」
様はつまり…仕事から逃げてきた…のか?そう考えると非常にアホらしくなってきた。…一応プロなんだから、仕事から逃げたらダメだろ…
「…ったく、仕事取ってきてくれたのに感謝しろよ。マネージャーだって苦労して…」
「その仕事、メインの人が降板して代役って形で私が選ばれたんだよ?…なーんか、だったら的な適当な感じがむかつくんだよねー」
沙亜弥は足をぶらぶらさせながら袋の中のお菓子を食べている。…気持ちは分からなくも無いが…
「…ちなみにどんな仕事なんだ?」
「ん?…コスプレショーだよ」
「コスプレショー?…何のだ?」
「…アニメのキャラ」
「…」
…大変だなー…
「ねぇね、浅井君。何かして遊ばない?」
「…お前、自分の置かれた状況分かってるのか?」
「分かってるけどさ、はるばる浅井君の家に来たんだし~、なんかやりたいな~って」
…沙亜弥は、今置かれている状況を理解しているのだろうか?でもまぁ、たしかに暇なのは事実だが…
「…あれ、世賀から電話だ」
「…そいつがマネージャーなのか?」
世賀と言うのがマネージャーの名らしい。その人から電話…心配して探しているのだろうか?
「…出ないのか?」
沙亜弥は携帯を持っているが出るのを躊躇っていた。…逃げ出した手前、そんな簡単に、ってか
「…ん~…」
「とりあえず適当に誤魔化しとけば良いんじゃないか?別に怒られはしないだろうし…」
「まぁ、怒りはしないのは分かってるんだけどさ、…う~ん…」
「…じゃあ何が問題なんだ、プライドがゆるさない的な感じか?」
「…ま、イイや。…もしー、世賀?」
結局は通話を始めた沙亜弥。何を躊躇ってたかは分からないが、まぁこれで解決かな?
「…じゃ、そういうことでヨロね?じゃ、もう少ししたら行くー。…よし、終わり~」
「…もう少ししたらって、お前まだ居るのか?」
「まぁね?だってせっかくのオフだよ?休まなきゃ損さ~」
「…一応アイドルなんだから、仕事しろよ」
「アイドルだけど、高校生だから」
「…そうかよ」
「じゃ、またね~」
「おう」
そして夕方。沙亜弥はマネージャーが近くに迎えに来たそうで帰っていった。…今日は少し疲れたな…沙亜弥とつるむと何でこんなに…
「…あ、そういえば…」
…葵の事、聞きそびれたな…。前の屋上で、何か知ってるような事を言ってたんだよな…
そんな事を考えていると、家のチャイムが鳴った。…玄関を開けると…
「…こんばんわ…」
「…葵?この時間に珍しいな」
葵がやってきた。葵が来ること事態は珍しくないが…もう夕方も過ぎ辺りは暗くなっている。そんな時間にこっちに来るなんて…
「…お母さんから…これ、食べなさいって…」
葵が持ってきた包みにはクッキーが入っていた。わざわざ焼いてくれたのか
「…どうせなら一緒に食べていくか?お茶、出すぞ?」
「…うん、お邪魔します」
とりあえず葵を部屋に入れ、クッキーを皿にあける。そして葵にお茶を出し共に座った。…さすが葵の母さん、クッキーもうまい
「…おいしい?」
「あぁ、葵も食べたら良いぞ?」
「…うん…」
葵も俺に促されひとつまみクッキーを手に取り口に運ぶ。…口元が緩んでいるのが見てとれた
「…おいしい」
「だな。…お茶にもよく合う…」
「…あ、あの、勇樹君…」
ある程度食べ進めると、葵が少し緊張した面持ちを浮かべながら俺を見据えてきた。…?
「…どうした、葵?」
「…えっと…あの…」
「…?何かあったのか?俺で良ければ相談に乗るが…」
「…あのね、勇樹君は…誰かを好きになった事って、ある?」
「…誰かを好きになった…事?う~ん…どうだろうな。友達なら何人か居るとは思うけど…」
「…そうじゃなくて、あの…好きって、そうじゃなくて…違くて」
葵が何かどもりながら何かを伝えようとしている。…もしや…
「もしかして、何か思い出したのか?」
「…ううん」
葵は俺の問いには首を振った。…となると…何が言いたいんだ?葵は誰かと昔付き合ってたとかは無い筈だけど…
「…勇樹君、私…もう良いかなって、思ってるんだ」
「…は?ちょっと待て。それって…」
…自分の過去を、捨てるって事か?ただ葵の顔を見る限り冗談じゃない、第一葵は冗談を言わない…でも…
「…私の気持ちは、前の"わたし"とは違う…のかも知れない。けど…この気持ちも私の…だから」
「…でもそれじゃあ、前の記憶は捨てるって言うのか?」
「…捨てる、と言うよりは…私への決別…かな」
「…決別…」
…そういえば、先輩はこれを危惧していたのか?前と別の人間に…って…だとすると本当に葵はもう、過去を省みないのか…?もう、あのいつも明るい葵は…
「…お前の記憶の中に居た友達とかはどうするんだよ?真実だって、他の皆だって」
「…これから…また新しく思い出を作っていけばいいと思うの」
「そんな簡単に諦められるのかよ、思い出って!?」
「っ!?」
俺は気付けは葵の肩に掴みかかっていた。…葵が諦めてしまえば、今までの思い出は全て過去に置いていかれてしまう。…そんなの、悲しすぎるだろう
「今のお前にとっては大した事じゃ無いのかも知れないけど、俺たちにとってはかけがえのないものなんだ!頼む、諦めないで…」
「"私"は勇樹君が好きなのっ!!!」
葵の一言で、俺の言葉は遮られた。俺の行動を止めるには衝撃的すぎる一言だった。…今…
「…私、好きなの、勇樹君が。いつからかは分からないけど…多分これは…恋だと思うの」
「…だ、だからって…」
「でも、私が記憶を取り戻しちゃったら…この気持ちはどうなっちゃうのかな…って思ったら…怖いの。"私"が消えちゃうんじゃないかって…。この想いも消えちゃうんじゃないかって…」
「…葵…」
「それだったら…このままで良いの。"わたし"を取り戻さなくても…"私"は幸せになれるから…」
「…」
葵は今の生活を楽しんでいる。…それだから過去を失っても良い、というのが葵の結論だった。その気持ちは分かる。が…
「…俺は、お前の気持ちにはどう答えたら良いか分からない。俺はそういうの分からないし…やっぱり俺は、お前に全てを思い出して欲しいなって思う」
「…でも、そうしたら"私"の気持ちはどうなっちゃうの?無くなっちゃったら、私…つらいよ?」
葵は涙を堪えながらなんとか言葉を繋ぐ。…
「…勇樹君には…分かってもらえると思ったんだけどな…っ」
…ただ葵はもう限界だったのだ。葵はそこで涙を溢れさせ、顔を手で覆い隠しながら泣き始めた。…葵にとっては一大決心だったのだ。過去と決別してまでの自分の決意を俺に…
「…今日は…帰るね?…また、…明日…」
「ああ…」
葵は涙を拭きながらなんとか部屋を出ていった。…また明日、か…
"私"の気持ちを勇樹君に伝えた
でも、答えは無かった
一番欲しくなかった答え
YESなら、過去を完全に置いていけた
NOなら過去を思い出す努力が出来た
でも、あいまいだったら
私はどうしたら良いの?
"私"は勇樹君が好き
"わたし"はどうなの?
答えてよ、"わたし"
"私"はどうしたらいいの…?