Ⅱ カラスは夢を見るか?(後)
「ごめんね、お兄ちゃん。わたしおどろかせるつもりなかったの。ごめんね。ごめんね」
硬直する俺に駆け寄ってくる、見た目16歳の可愛い美少女。しかも今なんて言った? お兄ちゃん?
嬉しくないわけがない。むしろ歓喜する場面なはずなのに、俺は表情を全く緩めることができなかった。
コミュ障だからというのもあるかもしれない。いや半分位はそれかもしれない。ずっと引きこもっている俺に話しかけてくる奴なんてここ数週間ほどいなかったから。
では残り半分はというと、やはり先程の台詞だ。
「わたしゆーれい」
5歳くらいの子どもが言うのであれば、冗談だと笑い飛ばすことくらいできる。実際先程からこの子が発する言葉は幼稚園児か小学校低学年くらいの幼稚さを感じる。けれど先程も言ったとおり見た目は16歳の女子高生だ。見ず知らずの女子高生が突然幽霊だと自称するなんて、頭がおかしいとしか言い様がない。まあでも最近は自称宇宙人の美少女が流行るくらいだし、この子もアニメや漫画に毒されて自称幽霊だと言ってみたくなってしまったのだろうか。
そんなことをうだうだと考えているうちに、気づけば少女は目の前にまで迫っていた。背中まで伸びる艶やかな黒髪に天使の輪が輝いている。俺よりも頭一つ分小さいが、目を合わせようと見上げてくる姿はとても愛らしい。
「ねえ、お兄ちゃん。だいじょうぶ? こえ出ないの?」
いつまでたっても無反応な俺を心配してくれているようだ。
「びっくりするよね……。でもわたしはゆーれいなの。ほら」
そう言って少女は手を俺の目の前にかざしてみせた。
「あっ」
俺は声をあげていた。
少女の手の第二関節より先が半透明で向こう側の景色が透けて見えた。存在しない指。幽霊。俺は急激に血の気が引いていくのが分かった。バサッ。ずっと右手で持っていたゴミ袋が落ちる。それに目を向けることはなく、俺は半透明の指を見続けた。
「幽霊、なんだ」
「うん、ゆーれいなの。わたし」
そう言って少女は笑ってみせた。
その時俺は早くこの場から立ち去りたいと思っていた。美少女との出会い。引きこもりで二次元の世界に毒されている俺にはまるで夢のような展開。だけど、同時に怖いとも思った。この少女との出会いの所為で俺は今までの生活に別れを告げることになる。それが嫌だった。俺はこれからもこの生活を惰性で続けていきたい。
そしてなにより、少女はとても愛らしい。身長から笑顔まで何から何までが俺と同じ人類とは思えないほどの愛らしさを放っている。だからこそ怖い。俺はこの少女に骨抜きにされそうな気がするのだ。そもそも少女はとても天使のような振る舞いを見せているが、見た目はどう見ても小悪魔だ。
「お兄ちゃん、こわい顔してるよ。だいじょうぶ?」
「あ、ああ……」
「あのねお兄ちゃん。わたし今日ずっとここにいたの。たくさんの人きたけど、一度もわたしにきづいてくれる人はいなかったの。だからうれしいの」
そしてまた笑う。
俺はこの瞬間、この子になら骨抜きにされてもいいかもしれないと思った。これ以上関わるとヤバい。俺の第六感が騒いでいる!
「ねえお兄ちゃん。わたし人をさがしてるの。いっしょにさがしてくれない?」
「人?」
「うん、人。でもどんな人かわからないんだあ」
「どんな人も分からないのに探すのか?」
俺はやっとまともに言葉を発した気がする。
「うん。さがさないといけないから」
「はあ……」
いまいちしっくりこない。その人を探さないと成仏できないとかそういうシステムなのだろうか?
「何の手がかりも無いのか?」
「シロ」
「え?」
「シロ。なまえはシロ……」
犬?
「それしかわからないの。どうしてかなあ。でも探さないといけないっていうのは、わかるの……」
少女は目を伏せた。本当に分からないようだ。
しかし本人に分からないものをどうやって探せばいいものか。名前も人の名前とは到底思えない。恐らくシロというのはあだ名であって本名では無いのだろう。だとすれば探すのはますます困難だ。
「そういえば君の名前は?」
幽霊がいるという状況にもすっかり慣れたようで、周りの状況やこの少女についてなど思考を巡らせる余裕が出てきた。
そう、それで気づいたことは先程まで学生やサラリーマンがいたにもかかわらず今は誰もいないこと。住宅街のど真ん中でしかもここはゴミ捨て場なのに俺以外の人間が歩いたりすることもないということ。人気が無いのだ。いつもなら主婦が歩いていたり、遅刻常習犯らしき学生が歩いていたりすることもあるのだが。
この幽霊のせいだろうか? ふと思う。何か結界のようなものを張っているのではなかろうか。アニメの見過ぎかそんなことさえ思えてくる。とはいえ誰もいない方が丁度いい。幽霊と話す俺など傍から見れば不審者極まりない。今頃警察にお呼ばれして、精神異常者のレッテルを貼られているに違いないだろうし。俺にしか見えないんだもんな、この幽霊は。
「わたしのなまえ? うーん、うーん。わかんない」
「ええ、マジかよ……」
まさか自分の名前すら分からないとは。
「名前分からないと何て呼べばいいかも分からんな。うーん、じゃあとりあえずクロな。お前の名前はクロだ」
黒いから。そして探しているものがシロだから。我ながら良い案だと思った。
「わかったあ! わたしクロね。ふふっ」
クロは軽快に笑う。
「クロはどこからきたんだ? なんでゴミ捨て場にいたんだ?」
「うーん。わかんない」
「クロは何歳なんだ?」
「うーん。わかんないよお……」
「何も分からないのか……」
記憶が無いのだろうか。だとすれば人探しよりも先に自分探しをするべきじゃないのだろうか――
バサバサッ。
突然の物音。咄嗟に振り返ると、カラスがいた。本物のカラス。ゴミ捨て場だからいてもおかしくはないが、このゴミ捨て場にカラスがいることはとても珍しいことだった。というのもこのゴミ捨て場は網からはみでたゴミが多数置き去りになっているくらい適当な対策しかしていないのに、今までカラスにゴミを荒らされ問題になったことはないからだ。
「カラス」
そう声をあげたのはクロの方だった。少し怯えているようだ。そりゃあそうか。今時のカラスは人を襲うこともあると言われてるくらいだからな。
「ゴミ捨て場だからカラスがいるのもおかしくないさ」
俺は落としたままだった自分のゴミ袋を持ち上げ、ゴミ捨て場に置いた。網の中にはもうゴミ袋は詰められないから近くに放置するだけなのだが。
「カラスこわい」
「違う場所に移動しようか」
その時俺の脳内では、クロを自宅へ連れて行こうと考えていた。漫画やアニメのとおりならば、大体この手の美少女は主人公の家に居座ることになっているからだ。
そう、俺はまさに主人公気取りだった。
だってそうだろう? 美少女を拾えば誰だって自分が主人公だと錯覚するものだ。
クロに声をかけ、俺は元来た道を戻っていく。カラスがギャアギャアと喚く。気づくと目の前にもう一匹カラスがいた。
なんなんだ?
今日から彼らはここのゴミ捨て場を占拠することにしたのか?
それとも――。
俺の視界がカラスとクロとで黒色に塗り潰されていく。カラスがまた一羽二羽と俺達の行く手を阻む。
「カラスこわいよ」
クロがやや走り気味で俺のすぐ前を歩く。かなり怯えているようだ。無理もない。俺だって怖い。いつの間にかカラスは大群になっていた。異様な光景が広がる。
俺はカラスの標的がゴミ捨て場ではなく、俺達だということを悟った。なんなんだこれは。クロと一緒にいることを非難するかのようにカラスは喚く。
突然目の前に群がっていたカラスが一斉に飛び上がった。
そして俺は目の前に宅配便のトラックが向かってくるのに気づいた。――気づいたときにはもう手遅れだった。
凄まじい音を立てていたに違いないのに、何故か俺の耳には何も入ってこなかった。いや、唯一聞こえた音がある。
「いやああああっお兄ちゃん!」
それはクロの悲痛な声だった。トラックに轢かれ倒れる俺にクロは躊躇なく駆け寄る。
「お兄ちゃんだいじょうぶ!? 死んじゃあイヤ!」
クロの大きな目から涙がぼとぼと落ちてくる。しかし幽霊だから涙も触れることができず、地面に染みを作るわけでもなく消えていく。クロは俺の体を揺さぶろうとするが、触れないから何も動かない。
「死んじゃあイヤ、イヤ、イヤだよぉ……」
空を仰ぐと、大きなトラックと電線が見えた。電線にはカラスの群れが止まっていて、ギャアギャアと喚いている。トラックから人が降りてくる。何か声を発しながら近づいていくる。だけど俺にはカラスの声しか聞こえない。クロは嫌だ嫌だと呟きながら泣いている。視界がだんだん暗くなる。黒い。
これから俺は美少女と運命を変えるのではなかったのか? 俺は主人公ではなかったのか? あるいはこうなることが運命だったのだろうか。
この美少女は天使でもない、小悪魔でもない、悪魔だったのだろうか。
俺の意識はそこで掻き消えた。