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短編小説

ちょっとした女子高校生の1日

作者: 葛根

この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。


 朝、目を覚ます時の感覚は、季節によって変わると思う。

 春なら体温の温もりと気温の温もりで、お布団から抜け出したくない。

 夏なら暑さで目が冷めちゃう。寝汗が気持ち悪くてシャワーを浴びたくなる。

 秋は、独特。残暑が残ってる日は、夏と同じ。初冬に入り始めるとお布団から抜け出せない。

 冬。なんで人間は冬眠しないのかしら。

 せめて、登校時間を遅くして欲しい。

 その代わりに、夏は早くてもいいから。

 怠惰な、女子高校生らしくないゴールデンウィークのゴロゴロした生活も終わっちゃった。

 学校の友達と1日だけ遊んだけど、昼からだったし、のんびりできた。

 なんで、学校は朝早くから登校して勉強しなくちゃいけないの。

 私は普通の女子高校生だから。

 目覚まし時計のアラームは、毛布から抜けだせとやかましくなっている。

 お母さんとお父さんはいつも早く起きて、朝食を夫婦水入らずで食べているだろう。

 お兄ちゃんは、大学生だから昼までゆっくり寝てる。

 大学生のどこが忙しいのかいつも疑問に思う。

 いい加減、布団から抜け出して朝ごはんを食べて、葉を磨いて、顔を洗って、髪を整えて、パジャマから学校の制服に着替えなきゃと思うけど、この温もりから抜け出したくないと私の身体が言う事を聞かない。

 いい加減起きてキッチンに向かわないと、高校生にもなって両親が私の部屋に来てしまう。

 でも、起きたくないと私の身体と心は動かない。

 春休みとか、夏休みみたいに自由な時間で起きられる時はなんでかスッと起きられるのに。

 どうしてか、学校が始まって決まった時間に起きないといけない時に限って、目覚めが悪い。

 朝の布団の中で、私はいつも不思議に思う。

 8時間寝れば充分だと言うが、あれは嘘だ。

 ぱちっと目が覚めて、布団からすんなりと抜け出せる良い方法がないのかしら。

 たぶんあるんだろうけど、きっとない。

 だって、春のお布団には魔法がかかっていて、私をお布団から抜けださせないように悪さしているの。

 春の朝は意地悪だ。

 春眠暁を覚えずと、昔の人は昔から春は意地悪だと知っていたのだ。

 だからといって、起きない訳にはいかない。

 学校があるし、一応皆勤賞が掛かっている。

 ういしょっ。

 よし。

 ズルリと、布団から芋虫のように動いて抜け出す。

 誰にも見せられない、恥ずかしい感じ。

 それに、現役女子高校生の、それも2年生。花も恥じらう、16歳なのに。

 ういしょっは、無い。

 自分が、ズボラで、ガサツでグータラな性格なのは自分の事だからわかってるけど……。

 年頃の女子が発していい掛け声じゃない。

 誰も居ないのに、へんに気恥ずかしくなる。

 家族にも見られたくない感じ。

 見られたらしばらく口も聞かないと思う。自分の悪態なのに。

 下品。そう言われてもしょうがない。

 春の魔法を解いた私は偉いのだ。きっとそう。

 鏡台の前、寝起きの顔はだらけている。

 髪もボサボサ。パジャマもズレている。

 色気のない、日常的な朝の私が鏡に映っている。

 取り敢えず、髪のボサボサを何とかしようと、ブラシで髪を()く。

 簡単に髪を整えて、キッチンに向かおう。

 どうせ、朝食の後に顔を洗って、歯を磨いて、着替えて、また髪を整えるのだから、丹念に髪を整えるのはもっと後。

 学校の規則に違反しないよう、セミロングヘアだけど面倒だからショートヘアにしようと思うけど、子供っぽくなるからショートヘアは諦めちゃった。

 中学生の頃はショートヘアだったけど、よく小学生に間違えられたもん。

 それ以来、私はセミロングヘアだ。

 化粧はしない、眉毛もあまり整えないので、朝の準備は他の女の子より楽。

 よく、子供っぽいと言われる童顔だけど、それが逆に私の朝を充実させているのだから、案外童顔も悪くない。

 ゴールデンウィークが終わって、今日から学校だと思うと、友達の顔が思い浮かぶ。

 そう思うと、なんだか少し浮き浮きしてくる。

 親しい友達は、3日前にあったはずなのに。

 それ以外の友達とクラスメイトは、1週間ぶりに会う。

 クラスメイトの男子は、大きな子供だと思う。

 良い感じの男の子は落ち着いているけど、それでも下ネタとか平然と話しているのを聞くと幻滅する。

 年頃の男の子はそう言うものだと、お兄ちゃんを見ていれば分かるし、パソコンの中身をこっそりと覗くといやらしい動画や画像が沢山見つかった。

 お兄ちゃんも男の子なんだなぁと思うと同時に、少しヘコむ。

 家族の見てはいけない部分を垣間見た感じで、なんだか悪いことをした気がしちゃった。

 割りと、お兄ちゃんはオープンな方だけど。

 私達のいない時、特に、大学が早く終わったのか、よく昼間に彼女を自分の部屋に連れ込んでいるらしい。

 きっと、やらしい事をしているに違いない。

 朝からこんな事を考える私もどうかしているのだろうか。

 違うわ。春だもの。

 魔性の春。出会いの春。

 キッチンで、いつも通りおはようと言って日常を取り戻す。

 

 ニュース番組を見ているのに、新聞を読んでいるお父さんは何をしたいのだろうといつも思う。

 新聞より、ニュース番組の方が鮮度が良いはず。

 もっと、鮮度が良いのはインターネットなんだろうけど。

 朝食を済ませて、顔を洗う。

 次は歯を磨く。

 一度、自室に戻って制服に着替えて、髪を整えると、学校用の私が出来上がる。

 不思議と、制服に着替えると学校に行かなくてはと思い始めるし、眠気も無くなる。

 頭の中がスッキリとすると、妙な考えが浮かぶ。

 私の下着はまるで色気が無い。

 学校に履いていく下着は大体、白系。ピンク色や水色。水玉柄の下着も履いていく事がある。気分というか、感覚的に選んでいる。

 友達と買ったオシャレなレースの着いた下着もあるけど、学校に履いていくつもりはあまりない。

 それに、見せる相手もいないし、学校で見られたくもないし若干寒いのもあって、スカートの下にはハーフパンツを履いている。

 友達には、見せパンを履いて見られても大丈夫なようにしているけど、見せパンでも有難いとお兄ちゃんから聞いたことがある。

 エッチだと思うけど、男兄弟がいると年頃の男の子の事がわかって良い。

 友達も年の近い弟君がいて、思春期男子の事をよく知っている。

 それもあってか、私と、親しい友人達は彼氏が出来たことがない。

 とは言え、そこそこ仲の良い男子達と私達の皆で遊ぶ事はあるけど。

 もう一度、身だしなみチェックをする。

 いつもより、時間をかけてやってみようと思う。

 休み明けで、少し成長したと思わせようかな。

 でも、やっぱり面倒だなぁ。

 それに、時間に余裕が無い。

 うん、明日からにしよう。

 そう考えちゃうのが私。

 家を出ると、すぐにコンクリートの道路だ。

 近くには川が流れていて、自然と不自然が同居している変な感じ。

 高架で川を跨ぐように、道路が出来ていてその道路の交差点の向こうには、川沿いに通学路がある。

 自然が多い通学路になっているから、夏場とか虫が沢山いるから、気持ち悪い。

 虫は苦手。

 川沿いの通学路。河川敷が有るわけじゃないけど、川が流れている反対方向には来が並んでいて、夏にはセミが大合唱するし、春には花粉が飛ぶ。

 木、細道、川、細道、木になっている細道の通学路は自転車通学だと道を外れると川に落ちるから危ない。

 自転車で馬鹿な危険運転をして、川沿いの斜面に落ちる男の子が年に何人かいると聞いたことがある。

 私の家から高校まで、徒歩で10分も掛からない。

 というか、小走りで5分以内に到着できる。

 かつてお兄ちゃんは3分で学校に着いたと変な自慢をしていた。

 私は、季節によって変わる草木の自然の風景を楽しみにしている。

 春の桜並木の光景は今でも心に残っている。

 風景はいいのだけど、虫がいるので台無し。

 しょうがないと思う。

 それほど虫が多く発生しているわけでもないしね。

 ゆっくりと、通学路を歩く。

 新鮮な草木が見える。

 私は少し、嬉しくなる。

 生命の息吹を感じると言えば、詩人的だ。

 私は私に感心する。

 木、草、川、土、それらの自然の香りを楽しむことが出来る私は、朝から贅沢だと得意気になる。

 わざと意地悪くゆっくりと歩く。

 私が邪魔だと、自転車で追い抜く沢山の生徒。

 予鈴まで時間はあるのに。もう少し、楽しめばいいのに。

 のんびりと歩くのは好きだ。

 1年とちょっとの間の学校がある毎日。

 この通学路を通っているけど、どうして飽きないのかしら。

 季節で、自然は変わるけども、大体同じような成長を見せる自然は、変化が分かり難い。

 詩人的から哲学的な感じだわ。

 決して、去年と同じ植物じゃないのに。去年と同じように見える植物達。

 微妙に変化はあると思うけど、全体的な風景は変わって見えない。

 私自身、背が伸びたり、バストサイズが変わったり、体重が……変化したわ。

 ご飯の、食べる量とか、学校での運動量は変わっていないはずなのに。

 人間の身体は成長するんだなぁ。

 あまり、嬉しくない成長もあるけれど。

 適正数値だから大丈夫だ。

 少しぽっちゃりしていた方がモテるらしいけど、ファッション誌の書いてある事を全て鵜呑みにすると大変だ。

 占いと同じで、自分に取って良い事と思う所だけ参考にすればいいわ。

 校門を抜けて、グラウンドを見る。

 朝から部活動をしている生徒がいて、私はご苦労と思う。

 私は何様のつもりだ。

 この高校では、絶対にどこかの部活に入部してないといけない。

 文芸部の幽霊部員として、活動中の私が朝から頑張って部活動している人達に、何を偉そうに。

 幽霊部員とは言え、ちゃんと文化祭で私的小説を書いて出したので、活動はしているはず。

 短編の小説だったけど、何故か文芸部の人達に好評だった。

 部長いわく、センスがあるらしい。

 思い切り、文系の私。

 まあ、昔の短編小説を私の視点からリメイクしただけの、いわば二次創作的な作品だったわね。

 著作権的な問題は昔の作品だったから皆無だったわ。

 部長が口酸っぱく、パクリはダメ。著作権は守ろうとか言ってたし、ちゃんと部長が確認して、問題無かったから私の作品は、合法だ。

 ただ、面倒くさがりなので次作品の期待はしないで欲しい。

 

 自分の教室に入ると、小中高校と一緒に過ごした親友達がもう居た。

 おはよう、と言うと、遅いわよ、と言われたけど、私にしては早い登校だ。

 いつもは、予鈴ギリギリに教室に入る。

 今日は、予鈴まで少し余裕があるのだ。

 失礼しちゃうわ。

 まるで、私がいつもギリギリ登校だと思われている。

 実際は、普通にあるけば今日くらいの時間に教室に到着できるのに。

 ゴールデンウィーク期間中の出来事をすぐさま話し始める親友達。

 私の知らないところで、2度目のお出かけをしていたらしい。

 しかし、私は誘われていない。

 どうせ、面倒臭がって断るだろうとこちらの行動を見据えての配慮だった。

 全くもって、失礼しちゃう。誘われれば、出かけるわよ。たぶん……たぶんね。

 親友達以外にも、高校に入ってから仲良くなったクラスメイトの女の子とも授業が始まる少ない時間で、お喋りをした。

 時間制限があると、どうしてこうもお喋りが盛り上がるのだろうかしら。

 放課後とか、ファミレスで無制限に時間があると、どうしても途中でダレてしまうのにね。

 授業が始まると、流石に静かになる。

 黒板に次々とチョークで書き込む先生。

 それを写す生徒達のシャープペンシルの音。

 この空間は結構好きだ。

 授業が将来どのように役立つのかはわからないけど、必要だから学校で授業を受けていると思う。

 もっとも、私がこの高校を受験した理由は家から近いからと言う不純な動機だったけど、割りと充実している感じがする。

 成績は、よくお兄ちゃんと比べられてしまうのが難点だけども。

 ――お兄ちゃんは2年生で生徒会長、成績優秀、大学もこの県でトップクラスの大学へ進学している。

 実兄の優秀さは、私のあずかり知らぬところだ。

 どうにも、学校では優等生を演じていたらしい。

 どうせ、大学進学の推薦を勝ち取るためだったのだろう。実際に、推薦入学したし。

 ある意味、面倒くさがり屋なのだが、私とはベクトルが違うわ。

 あっちは、ちゃんとした面倒くさがり屋。こっちは、ダメな面倒くさがり屋。

 兄妹でも、違いはあるのよ。

 とは言え、何かと高校時代のお兄ちゃんと私を比べる先生達は何なのだろうかしらね。

 期待の現れなのか、やれば出来る子だとでも思っているのだろうか。

 私の成績は中の上。

 お兄ちゃんは上の上。

 常に、学力テストとか、全国模試でトップクラスに入っていたらしい。

 家での生活を見る限り、どうしても嘘臭いが。

 まあ、事実をしっかりと受け止めるのも人間の成長ということで、今では成績向上の為に無料で家庭教師を雇っている。

 私も楽して大学に行きたいし。

 お兄ちゃんが言うには夏が勝負らしい。

 それまでは、成績を現状維持。

 考え事をしていたのを見ぬかれたのか、私に問題を解いてみろと先生は言う。

 私は見事に解答をした。

 「わかりません」とね。

 だって、教科書のどの問題を解けばいいのかわからないんだもん。

 話を聞いていなかった事を少し怒られた。

 親友達はクスクスと笑うし、クラスメイト達も笑っていた。

 どうやら、簡単な問題だったらしいわ。

 授業が終わり、小休憩。

 ボケっとしているのを席が近かった親友に指摘された。

 授業にも同じようにボケっとしていたらしい。

 (うわ)の空とはよく言ったものだと答えたら、妙な言い回しをするなと注意された。

 「やなぎちゃんはそういうところが無ければ可愛いのに」と余計なお世話だ。

 あやちゃんと呼ぶ親友と、やなぎちゃんと呼ぶ友人がいるけど、親友達含めて、やなぎちゃん率が高い。

 苗字にちゃん付けなのは昔からだ。

 文芸部部長は文さんと呼ぶけれど。文字を扱う部の部長だから名前の方がお気に入り。

 お昼になると、お弁当派と学食派に別れる。

 私はお弁当派だ。

 家が近いから自宅で昼ご飯を食べても余裕なのだけれど、ダメらしい。

 聞き分けの良い私は素直に、それに従っているけど、忘れ物を取りに帰るくらいなら先生達にバレずに出来た。

 親友達は、私の行動力を褒めるどころか、無駄な行動力と言ったけど気にしていない。

 他人のお弁当が美味しそうに見えるのは、私だけじゃないはずだ。

 だから、おかずの交換がある。

 電子レンジがあるので、暖かくお弁当が食べられるのが非常に良い。

 どうにも、この電子レンジ設置にはお兄ちゃんが関わっているらしいが、そこは誉めておこう。

 私達が席を寄せて、いつもの様にお弁当を食べる。

 2年生から知り合いになり、友人となった女の子に私は注意をした。

 「箸の持ち方がなっていないわよ」って。

 すると、恥ずかしげに箸の持ち方を直したけど。

 「やなぎちゃんってお嬢様みたいな言い方をするね」と余計な一言を反撃として言ってきた。

 別に、私はお嬢様じゃない。でも、気になる事は言う事にしている。

 箸の持ち方は、親の教育だ。

 箸の持ち方が悪いということは、親がしっかりと子供を見ていないということ。

 注意した相手は、直せばちゃんとした箸の持ち方ができるので、気を抜いたら箸の持ち方がダメになる子なのだろう。

 綺麗な箸の持ち方は、それだけで美しい。

 それに、マナーが身に付いていると思わせることができるわ。

 などなど、言うとその子は呆れた顔をしていた。

 どこに呆れる要素があったのかは私にはわからなかった。

 親友達は、私が将来小姑になると笑いを取った。

 16歳の少女に失礼な事を言うわ。

 そう、私達女子高校生には、話の流れとか、整合性とかがない。

 いきなり、話が脱線したり、変わったりはしょっちゅうだ。

 お弁当の話が、体重の話に変わったり、体型の話になったり。

 さすがに、教室には男子がいるので恋愛の話は少ないけど、出かけた時に顔が好みの男性を見かけたとか。

 最終的には、付き合うなら年上が良いとなった。

 3歳上のお兄ちゃんがいる身としては、年上もあまりクラスメイトの男子と変わらない感じなのだ。

 そう言うと、最近友人になった女の子がお兄ちゃんの事を聞いてきた。

 どんな人と聞かれても。

 私の家に遊びに来て、お兄ちゃんと会ったことのある親友達は、良い感じの人とか言ってたけど、それは幻想だ。

 兄妹だからわからないのよ。と言われたが本当にそうなのだろうか。

 ダメなところは沢山ある。

 まあ、夢を見せておくのも良いだろう。

 適当にお兄ちゃんの事を話していたら、昼休みが終わってしまった。

 私達の話には整合性も流れもないので、お兄ちゃんの話は取るに足りない話として終わっていたけど。

 昼休みを、いつでもできるお喋りで潰してしまうのは果たして有意義と言えるのかしら。

 ただ、高校の昼休みで出来るお喋りは、高校時代でしか出来ないことだから。

 今日、という日は今日しかない。

 似たような日はあると思うけど、通学路で見れる植物達と同じで、似ているけど同じではない。

 きっと、そう。

 不安や怯えがある。この何でも無い日常が、いつの日か懐かしく覚える日が来ることに。

 でも、それは思い出。

 未来の話だ。

 未来は誰にもわからないけど、明日も同じようにお昼ご飯を食べて、お喋りをするんだ。

 そうやって、現在が過去になり、積み重なって未来につながる。

 歴史の授業を聞きながら、私はそう考えた。

 

 美術の時間は結構好き。

 私には好きが多い。

 惚れやすいのだろうかしら。そうじゃない。

 好きか嫌いで選択すれば、好きが多いというだけ。

 鉛筆でデッサンするのは、彫刻像なのだけれど彫刻像はなんで裸なのかしらと考える。

 昔の芸術家は何を考えて、裸の彫刻像を作ったのだろう。

 しかも、女性の裸。いやらしい。

 美を意識して作品を残そうと考えた後、裸体女性の美を芸術品として彫刻像にした昔の芸術家は、変態だわ。

 モノ言わぬ彫刻像を皆が見つめて、絵にする。カリカリと鉛筆の音が聞こえるし、線を引く音も聞こえる。視線を彫刻像、手元、彫刻像、手元と動かすのを私は見て愉快に思う。

 集中している時の人間の動作には、昔ながらの癖が現れやすい。例えば、私の視界から一番近い男の子は、無意識的に指遊びをしているし、その男の子の隣の女の子は唇を噛んでいる。

 眉間にシワを寄せる人もいるし、小刻みに身体が動いている人もいる。

 昔ながらの癖を矯正されている人が多い中、数人はその癖が矯正されていない人がいて面白い。

 癖って、面白い。去年の夏休みの自由課題で、癖について調べてまとめたモノを出したこともあって、癖については、ちょっとした第一人者。

 癖は、無意識的に行う習慣的な行動で、自動的に繰り返されるものらしく注意されて始めて癖による行動をとっている事に気付くのだ。分かりやすい癖は、親指を吸う癖。なんだけど、それは一般家庭において、両親なり、幼稚園などで注意されて矯正されて癖が無くなる事が多いみたい。

 幼少期を超えても癖が無くなっていない場合、見つかりにくい癖が多い。

 それが、高校生になるまで見つかっていないとなれば、一生付き合っていく癖になるらしい。本当かどうかはしらないけどね。

 でも、一番分かりやすく、それでも高校生になっても癖が治っていない男の子がいる。

 私の斜め前にいる男子生徒の小野坂君。

 集中していると無意識的に行う習慣……彼の癖は下唇を吸うものだ。

 指を吸う癖の発展系なのだろうかしらと思う。

 面白いのは、その癖を以前に先生に指摘された事があるのだが、結局治っていないし、治す気もないらしい。その時、彼は昔からの癖で集中してると勝手に吸ってるから、俺が集中している時の印としてくださいと言ったのだ。

 自分の癖を逆手に取った言い方で、面白かった。

 逆に、その癖が教師陣に広まっていて、下唇を吸っていないから集中していないのか、と言われるはめになっていたが。自業自得だ。

 人間観察が趣味と言えば、感じが悪くなる気がする。

 だから、私の観察は趣味というよりも知的好奇心からくる知的欲求を満たすための行為だ。

 そう考えれば、格好が良い。

 自問自答で、納得しちゃった。誰かに言うわけでもないのにね。

 だから、美術の時間は好きだ。自分の世界に入り込める。それに、デッサン自体は得意だし、早めに描いておいて自分の為の時間を作る事ができる。時間調整と、授業の課題であるデッサンも帳尻合わせができるので、楽で面白く感じる芸術は、私に向いているのかもしれない。

 でも、芸術品というのは、完成が無い。

 芸術家が、何か芸術作品を作る際、その完成は作者の自己裁量で決められる。

 これは私の持論だけどもね。肖像画なんかは特にそう思うわ。だって、書き始めて、完成までの時間に人間は成長する。昨日の顔と今日の顔は同じではないと思うし、細胞だって生まれ変わっている。

 そもそも、肖像画を書く芸術家の頭の中にある完成品と、現実に存在する人間は全くの別次元。

 三次元のモノを、二次元に落としこむのだから当たり前でしょ。

 それでも、肖像画作品は好き。

 だって、書き手の愛があるから。

 嫌いな人を長い時間かけて、芸術作品にするなんて私には無理だもん。

 携帯電話に付いているカメラ機能の方が、昔の肖像画よりも画質が良いのは悲しいけど、それでも何故か昔の肖像画の方が暖か味がある気がする。

 この芸術の時間のデッサンだって、携帯電話のカメラ機能で写真を取ってプリントアウトすれば、デッサンよりも正確で、綺麗で、質の良い作品が出来上がる。

 もっとも、それを作品として呼んでいいのかはわからないけど。

 それでも、カメラで取ってプリントアウトした絵よりも、デッサンで自分の手で描いた絵の方が、愛着が湧く。そこには、感情とか、気持ちとかそういった人間独自の心が籠っているから。

 はて、私は何を考えているのかしら。どうにも、今日は哲学的で詩人的だ。

 きっと今日はそういう日なのだろう。

 納得。だって、感受性豊かな、思春期女子高校生なんだもん。

 授業が終わって、親友の中でも特に仲の良い今井ちゃんにそっと思いの丈を話してみた。

 すると、彼女は同性の私が見ても可愛らしく微笑んで、「あら素敵ね」と言った。

 私の中に、くすぐったい嬉しさが生まれる。

 何でも話せる、理解のある親友がいるのは嬉しい。

 演劇部の彼女は、芸術は演劇と似ていると言う。

 要は、自己表現。表現の違いがあるけど、他人に見せることには違いはない。

 そして、自己表現を評価するのは他人であり、それは多くの他人。

 沢山の人が良いと言えば、それは良い物だし、悪いと言えば悪い物。自己表現の評価は常に他人が評価し、決めること。それに対して自分達表現者は、他人が定める評価を否定しないし、真摯に受け止めて自己表現の質を高めると言った。

 質を高めてどうするの。と聞いた。

 彼女はやっぱり微笑して、言う。

 私が私である。ただそれだけの、自己表現で評価される女優になれれば、幸いね。

 付き合いの長い親友は、恥ずかしげに微笑しながらそう、言った。

 たぶん感動。衝撃的な感動なのだろう。

 長い付き合いで、何でも知っていたつもりなのに、何も知らない。

 彼女が、女優を目指している事は知っていても、その為にどのように考え、行動しているなどは知らなかった。

 泣きそうになる。近くにいた親友が、一瞬で遠くに行ってしまったような感じがしたから。

 それは心の距離。精神的な遠距離を感じても、肉体的な距離は離れていない。

 不安に想って、彼女の手を握る。柔らかくて、暖かい。

 何、と聞いてきたから、私の感じた思いを伝えた。

 彼女は、大人なのだろうか。私は、大人なのだろうか。

 「子供みたいな、可愛い不安ね」だって。私は子供らしい。

 短い別れ。授業が終わって、教室に戻り、ホームルームが終わるまで我慢した。

 放課後、お話しましょう。と言った、今井ちゃんの提案のせいで、いつも以上に時間の流れが長く感じる。

 ふと、思い出す。アインシュタインが、残した話がある。

 相対性理論に関して述べた、話。熱いストーブに手を1分間当てると、その苦痛は1時間に感じられる、逆に、可愛い女の子と一緒に1時間過ごすと、まるで1分間ぐらいにしか感じないという例え話。

 今の私はストーブに手を置いた状態。1分間が1時間に感じられる。

 それでも、時間は正確に時を刻む。

 放課後。私と、今井ちゃんが教室に残る。

 彼女の話は、簡潔。女優を目指しているけど、まだまだ未熟。演劇部の活動で、何かの演劇賞を取るつもりで頑張っているらしい。

 将来は本格的な演劇の勉強をするために、舞台、演劇の強い東京の方の大学に進学する気らしい。

 同い年なのに、しっかりとしていると思う。

 私に語る時の立ち振舞は、まさに女優。

 女優の彼女は聞いてきた。

 「やなぎちゃんに夢はないの?」困ったことに、無い。今井ちゃんみたいに、明確な夢があって、それに向けて努力していないし、本当に何もしていない。

 情けなくなる。夢があるのと、夢が無い。

 大人に思える、彼女。大人に思えた理由は、夢に向かっている人だからなのか。

 昔の私の夢は、素敵なお嫁さんになることだったはず。

 それは、彼女も知っているだろうけど、今彼女の問いは、現実的な夢の話。

 将来働きたい職業とか、職種の話だ。普通に大学に進学して、普通に会社に就職してOLさんとして働いて、結婚して寿退社して子育てして。そんな風に一般的な事を考えた。

 素敵なお嫁さんになるのが夢だったけど、それは夢じゃないよね。

 うん。素敵なお嫁さんは、結婚相手がいないとね。それに、尽くすだけの女じゃだめよ。

 聞いた話で、私にはわからないけど、と今井ちゃんは言う。

 それに、と続けて「自分の家族を見ればわかるんじゃないかしら」と言った。

 たしかに、夫婦円満で、子供もいて、一軒家に住んでいて、不満は、お父さんの休日グータラくらいだろう。

 お母さんは休日くらい家事手伝いしてと言うが、お父さんからしてみれば、休日くらい休ませろと言う感じ。

 家事手伝い回避として、外食という手段を取るお父さん。お母さんはそれはそれで、楽で良いらしく、結局文句は無いみたい。

 今井ちゃんは、夢が無いなら、自分の得意な事や好きなことを出来る夢を持てば良いと言う。

 最終的な夢が素敵なお嫁さんになるなら、料理系とか、裁縫とか、そういった家庭的な技能を得られるようになれば良い。

 もっとも、その前に素敵な王子さまが必要だけどね。と微笑んで言った。

 難しい。私のような女に素敵な王子さまが現れるだろうか。

 演劇的に言えば、運命と縁らしい。今井ちゃんはそう言う。

 どこが演劇的なのかは理解不能だった。


 夕日が綺麗だ。校内から見える夕日に染まるグラウンドでは、部活動に励む生徒達がいる。

 皆、輝いて見える。夕日の力だわ。夕日色に染まる教室。今井ちゃんの横顔にも夕日が当たっていて、とても綺麗に見える。

 夕日色に染まる今井ちゃんは綺麗ね。と言うと、「口説き文句としては、いいんじゃない」と答えた。

 笑い合う。何が楽しいかと問われれば、わからないけど笑った。

 将来の夢。将来の話。未来は誰にもわからない。けれど、現在はなんとなくわかる。

 学校に通う、友達がいて、お喋りをする。授業を受けて、テストを受けて、いずれ卒業する。

 昨日のように、過去を思い出して、振り返って卒業式では泣いちゃんだろう。

 過去、現在、未来。

 今の私は、過去を積み重ねた現在にいる。将来の私は、現在を積み重ねた先にいる。

 夢は未来にあって、現在にあって、過去にあると思う。

 時間は無限だけど、有限だ。

 いけないわね。どうにも今日は、哲学的で詩人的だ。

 「やなぎちゃんの書いた小説。前にも言ったけど、面白かったわ。そっちの道に進んでみたら?」その気があるならだけど。今井ちゃんが思い出したかのように、言った。

 アレは、過去の作品を現在風にアレンジしただけの、作品だけども。不思議と、書いている時は楽しかったし、何よりも、楽だった。

 「考えておくわ」そう、ノリ気ではないけど、面白いと評価されるなら次も書いてもいいかもと思った。

 


 あとがき。

 ネタバレ注意。




 

 1万文字程度の短編作品ですが、まあ暇つぶしにはなったと思います。

 主人公は高校2年生の女子生徒。性格はグータラ系。グーデレ(グータラ女のデレ)は需要あるのだろうかと思い、恋愛要素皆無です。

 恋心を描こうとも思いましたが、今回は無し。次回もあるかどうか不明。

 評価が良ければ書くと言う傲慢な感じです、すいません。ごめんなさい。偉そうに。

 では、またどこかで。


 モチーフとして、太宰治の短編作品である女生徒を参考にしています。

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