第7話 魔力接続
小鳥のさえずりと、柔らかな朝の日差しで目が覚める。
そんな理想的な朝を、俺は人生で初めて迎えたかもしれない。
「……ん、あぁ……」
俺はふかふかの枕に顔を埋めたまま、大きく伸びをした。
背中や腰の痛みがない。
王城の堅いベッドや、遠征中のゴツゴツした地面で寝ていた頃は、朝起きると身体のどこかが軋んでいたものだが、今はまるで雲の上で眠っていたかのように体が軽い。
「マザー製スプリング、恐るべしだな」
俺はむくりと起き上がり、サイドテーブルに置かれていた水差しの水を一気に飲み干した。
適度に冷えた水が、乾いた喉を潤していく。
壁の時計を見ると、時刻は朝の6時。規則正しい生活だ。
「よし、今日も働くか」
パジャマから、洗ってプレスされていた作業着に着替え、俺は居住ユニットの外へと出た。
外は快晴。
荒野の乾いた空気が肌を刺すが、昨日の絶望感とは違い、今はそれが心地よい刺激に感じる。
目の前には、朝日を受けて輝く巨大な金属の塊――我が愛しのオカン重機、ギガント・マザーが鎮座していた。
「おはよう、マザー。昨日はよく眠れ……」
俺は挨拶をしようとして、言葉を呑み込んだ。
様子がおかしい。
いつもなら、俺が起きた瞬間に『おはようございます、マスター!』と元気な挨拶が飛んでくるはずだ。
だが、今のマザーは沈黙している。
機体の各所にあったアンビエントライトも消えており、全体的にドヨーンとした空気を漂わせていた。
まるで、徹夜明けの老人のように生気がない。
「おい、マザー? どうした、故障か?」
俺は慌てて駆け寄り、太い前脚の装甲に手を触れた。
冷たい。
昨日はあれほど熱を帯びていた機体が、今はひんやりとしている。
『……お、おはよう……ございます……マスター……』
スピーカーから聞こえてきた声は、ノイズ混じりで、途切れ途切れだった。
いつもの張りとかつ舌の良さはどこへやら、今の彼女は風邪を引いた老婆のような声だ。
「マザー! おい、しっかりしろ! 何があった!?」
『いえ……ご心配なく……。ただの……エネルギー切れ……です……』
「エネルギー切れだって?」
『はい……。長い休眠から……目覚めたばかりで……昨日は調子に乗って……ワイバーンを焼いたり……お家を建てたり……はしゃぎすぎました……』
マザーは申し訳なさそうに、シュンとした音を立てた。
『自己修復用の……予備電源も……残り3%……。このままでは……システムダウン……スリープモードに……移行します……』
「馬鹿野郎! なんで言わなかった!」
『だって……マスターが……あんなに嬉しそうに……お風呂に入っていたから……水を差したくなくて……』
どこまでお人好しなんだ、このオカンは。
俺は舌打ちをしつつ、しかし内心では冷静に状況を分析していた。
マザーは超古代文明の遺産だ。その動力源は「魔力炉」と呼ばれる、大気中の魔力を取り込んで循環させる半永久機関のはずだ。
だが、数千年の休眠で炉の火が消えかけていたところに、俺が無理やり再起動させ、さらに高出力兵器までぶっ放した。
いわば、ガス欠寸前の車でサーキットを全力疾走したようなものだ。
炉が再臨界に達して自律循環を始める前に、燃料を使い果たしてしまったのだ。
「……3%か。ギリギリだな」
俺は焦る気持ちを抑え、マザーの機体を見上げた。
彼女を動かすには、魔力が必要だ。それも、並大抵の量ではない。
王国の魔導師団全員で儀式魔法を行うレベルの魔力が。
だが、ここに魔導師団はいない。
いるのは、魔力量「中の上」の、しがない魔導工学師だけだ。
「マザー。外部入力ポートを開け」
『え……? でも……マスターの魔力では……容量が……』
「いいから開け。俺を誰だと思ってる」
俺はニヤリと笑ってみせた。虚勢ではない。これは俺の専門分野だ。
「俺は10年間、王国のポンコツ設備を叩き直してきた男だぞ。効率の悪い魔導回路に、いかに少ない魔力で最大出力を出させるか。それに関しては、勇者カイルよりも、賢者ミリアよりも、俺の方が上だ」
『マスター……』
プシュゥ……と、弱々しい音を立てて、マザーの腹部にある装甲板がスライドした。
そこには、昨日の遺跡で見たものと同じ、複雑怪奇な幾何学模様の魔導回路が露出していた。
動力炉への直結ポートだ。
俺は深呼吸をし、両手をこすり合わせた。
指先の感覚を研ぎ澄ます。
職人のスイッチを入れる。
「よし。診察してやるよ、マザー」
俺は両手をポートに押し当てた。
冷たい金属の感触。その奥にある、微かに脈打つ動力炉の鼓動を感じる。
不整脈だ。魔力の循環リズムが乱れている。このまま魔力を注いでも、ザルのように漏れていくだけだ。
「まずは同調だ」
俺は目を閉じ、意識を集中させる。
【魔力変換・接続】――発動。
俺の固有スキルは、単に魔力を「与える」ものではない。
相手の魔力波長を読み取り、自分の魔力をその波長に合わせて「変換」し、ロスなく「接続」する技術だ。
言わば、規格の合わないコンセントに、自在に変形するアダプターを噛ませるようなものだ。
意識が、マザーのシステムへと潜っていく。
広大な電子の海。数億行にも及ぶコードの羅列。
その深淵にある、赤くくすぶる炉心が見えた。
(……見えた。あそこが詰まっているのか)
炉心への燃料パイプの一部が、長年の劣化で目詰まりを起こしている。
これではいくら魔力を注いでも循環しない。
俺は自分の魔力を、極細の「針金」のように変形させ、その詰まりへと送り込んだ。
慎重に、繊細に。
こびりついた魔力の滓を削ぎ落とし、流れをスムーズにしていく。
『あ……んっ……マスター、そこは……くすぐったいです……』
スピーカーから妙な声が漏れたが、無視だ。今は集中しろ。
詰まりが取れた。
道が開通した。
あとは、ここに「着火剤」となる高密度の魔力を流し込むだけだ。
「行くぞ、マザー。少し熱くなるかもしれないが、我慢しろよ」
『は、はい……覚悟はできています……!』
俺は体内の魔力タンクの栓を抜いた。
ただし、一気にドバッとは出さない。
マザーの炉心の回転数に合わせて、波打つように、リズミカルに魔力を送り込む。
吸気、圧縮、燃焼、排気。
エンジンの4工程に合わせて、魔力の圧力を調整する。
ドクン……ドクン……。
炉心の鼓動が強くなる。
「いいぞ、その調子だ。もっと回れ」
俺はさらに魔力を練り上げる。
かつて勇者たちの聖剣を調整していた時は、彼らの雑な魔力操作に合わせるのに苦労した。
だが、マザーは違う。
彼女は超高性能AIだ。俺が魔力を送れば送るほど、それを完璧に受け止め、最適化して返してくれる。
1を与えれば10にして返す。
そのレスポンスの良さに、俺は震えた。
(なんだ、この感覚は……!)
気持ちいい。
魔力を吸われる不快感など微塵もない。
むしろ、俺の魔力がマザーの一部となり、彼女の巨体を駆け巡る血液となる感覚が、快感ですらある。
これが、本物の「相棒」との接続か。
俺の額から汗が噴き出す。
魔力の残量は半分を切った。だが、まだ足りない。
炉心を完全に「再臨界」させるには、最後の一押しが必要だ。
「マザー! 俺の魔力に合わせて、出力を上げろ!」
『はいっ……! お願いします、マスター! 貴方の魔力を……もっと!』
「うおおおおおっ!」
俺は叫びと共に、残りの魔力を叩き込んだ。
瞬間。
ゴオオオオオオオオオンッ!!!!
マザーの体内から、爆発的な駆動音が響き渡った。
それは悲鳴ではない。歓喜の産声だ。
くすぶっていた残り火が、紅蓮の炎となって燃え上がった音だ。
機体の表面を走るラインが、赤から青へ、そして眩い黄金色へと変化していく。
アンビエントライトが復活し、カメラアイが鋭い光を放つ。
『動力炉、出力安定。エネルギー充填率100%……いえ、120%!』
マザーが立ち上がった。
その動作には、昨日の重々しさは微塵もない。
まるで羽が生えたかのように軽やかで、力強い。
俺はポートから手を離し、その場にへたり込んだ。
魔力欠乏特有の倦怠感が襲ってくる。だが、昨日のような死にかけの感覚ではない。
心地よい疲労感だ。
『マスター! 大丈夫ですか!?』
マザーのアームが素早く伸びてきて、俺の体を優しく支えた。
「はは……平気だ。ちょっと、張り切りすぎたかな」
『もう! 無茶をして! ……でも』
マザーは俺を抱き上げたまま、その単眼を近づけてきた。
無機質なレンズの奥に、確かな熱量を感じる。
『凄かったです、マスター。貴方の魔力……すごくエンジンの掛かりが良いんです。私の回路の隅々まで染み渡って、痒いところに手が届くような……こんなに調子が良くなったのは、製造された時以来かもしれません』
「そりゃどうも。……職人冥利に尽きるよ」
俺は笑って答えた。
王国の連中は、俺の魔法を「地味」だと言った。
だが、この超古代兵器は、俺の魔法を「最高」だと言ってくれた。
それだけで、10年間の苦労が報われた気がした。
『ふふ、相性抜群ですね、私たち』
「ああ、違いない」
俺たちの間には、言葉以上の絆が生まれていた。
それは、単なる主従関係ではない。
魔力と機械、魂とシステムが深く結びついた、運命共同体としての絆だ。
『さあ、元気満タンになりました! マスター、今日のご予定は?』
マザーが俺を地面に降ろし、やる気満々といった様子でアームを振り回す。
「そうだな……。まずはこの拠点の周りをもう少し広げようか。整地して、畑を作れるようにしたい」
『お任せください! 今の私なら、山の一つや二つ、更地にしてみせますよ!』
頼もしすぎる言葉に、俺は苦笑した。
エネルギー切れの心配はもうない。
俺の魔力がある限り、マザーは動き続ける。
そしてマザーがいる限り、俺は守られ、豊かな暮らしを築ける。
「よし、行こうかマザー。今日の仕事の時間だ」
『はい、マスター! 安全第一、健康第二、そして――魔力充填で参りましょう!』
荒野に、重機の力強い走行音が響き渡る。
俺とマザーの開拓生活は、ここから本当の意味で加速していくのだ。




