第6話 今夜の宿はコンテナハウスで
月が高く昇る頃、荒野の一角に湯煙が立ち上っていた。
「……ふぅ。生き返るなぁ」
俺は掘りたての岩風呂――といっても、マザーがドリルで岩盤をくり抜き、表面をレーザーで滑らかに加工した即席のものだが――に肩まで浸かり、夜空を見上げていた。
源泉かけ流し。
少し硫黄の匂いがする無色透明の湯は、肌に優しく絡みつき、ここ数日の、いや数年分の疲労を溶かしていくようだ。
湯温は体感で41度。まさに適温。
マザーが地下から汲み上げる際に、冷却パイプを通して温度調整してくれたおかげだ。
『マスター、湯加減はいかがですか? 長湯は禁物ですよ、のぼせてしまいますから』
風呂の縁に置かれた小型の通信端末から、相変わらず世話焼きな声が聞こえてくる。
「最高だよ、マザー。王都の貴族だって、こんな贅沢な風呂には入ったことがないはずだ」
俺は手で湯をすくい、顔を洗った。
昼間のワイバーン戦の緊張が嘘のように解けていく。
あの後、マザーは宣言通りに地下水脈と熱源を見事に掘り当てた。
水と熱。
これさえあれば、人は生きていける。いや、文化的な生活の基盤が整ったと言っていい。
しばらく極楽気分を味わった後、俺は風呂から上がり、マザーが用意してくれたタオルで体を拭いた。
外気は冷え込んでいる。
日中は灼熱地獄だが、夜になれば氷点下近くまで気温が下がるのが荒野の気候だ。
濡れた髪がすぐに冷たくなる。
「さて……寝床の準備をするか」
俺は近くの平らな岩場に目を向けた。
マザーのコクピットで寝るのもいいが、さすがにずっと座ったままでは体が休まらない。
今日は風も弱いし、岩陰に焚き火を熾して、毛布にくるまって寝るのも悪くないだろう。
俺は辺りに落ちている枯れ木を拾おうとした。
『マスター? 何をしているんですか?』
マザーが怪訝そうな声を上げる。
「ん? 寝る準備だよ。焚き火をして、この辺で横になろうかと……」
『却下します』
食い気味に否定された。
通信端末の向こうで、マザーが眉をひそめている気配がする。
『湯冷めします。それに、地面には毒虫もいますし、硬い岩の上では背骨に負担がかかります。成長期の子供……いえ、疲労困憊のマスターを、そんな劣悪な環境で寝かせるわけにはいきません』
「い、いや、野宿なんて慣れてるし……」
『慣れているのが問題なのです! 貴方が今までどれだけ酷い扱いを受けてきたかはデータ推測できますが、私の管理下にある以上、そんな真似は許しません』
ズズズン……!
闇の中で待機していたマザーの巨体が、ゆっくりと動き出した。
6本の脚を踏ん張り、胴体下部にあるハッチを大きく開く。
『これより、居住ユニットの建設を開始します。マスターはそこで温かいフルーツ牛乳でも飲んで待っていてください』
「建設って……今からか? 資材はどうするんだ」
『ご心配なく。先ほどの掘削で出た大量の土砂と岩石、それにワイバーンの灰があります。これらを再利用すれば十分です』
マザーのアームが目にも止まらぬ速さで作動した。
掘り出された残土の山をショベルですくい上げ、体内のプラントへと放り込んでいく。
ゴオオオオッ!
昼間の調理時よりもさらに激しい、溶鉱炉のような音が響き渡る。
『素材精製、完了。コンクリート強度、調整済み。断熱材、積層開始。……3Dプリンタ・モード、起動』
マザーの腹部から、巨大なノズルのようなアームが伸びてきた。
その先端から、どろりとした灰色のペーストが吐き出される。
それはまるで、ケーキ職人がクリームを絞り出すように、正確に、そして迅速に地面に層を描いていく。
ウイィィィン……。
規則的な駆動音と共に、見る見るうちに「壁」が立ち上がっていく。
ペーストは空気に触れた瞬間に硬化し、強固な石材へと変化しているようだ。
魔法による建築魔法を見たことはあるが、あれは魔力で石を積み上げるだけのものだ。
これは違う。
素材そのものを生成し、継ぎ目のない一体成型で構造物を作り出している。
「すげえ……」
俺はフルーツ牛乳を片手に、その光景に見入ってしまった。
基礎ができ、床が張られ、四方の壁が立ち上がり、最後に屋根が塞がれる。
その間、わずか30分。
目の前に現れたのは、無骨だが堅牢そうな、真四角の建物だった。
サイズは幅3メートル、奥行き6メートルほど。
こちらの世界で言う「倉庫」に近いが、表面は滑らかで、窓やドアもしっかりと取り付けられている。
『完成です。名付けて『マザー製・即席居住ユニット』。さあ、どうぞ中へ』
プシューッ、と気密性の高そうなドアが自動で開く。
中から漏れてきた光に、俺は目を細めた。
ランプの揺らめく光ではない。もっと白く、安定した、昼間のような明かりだ。
恐る恐る、中へと足を踏み入れる。
「…………は?」
俺は二度目の言葉を失った。
外見はコンクリートの箱だった。
だが、中は別世界だった。
まず感じたのは、空気の違いだ。
外の刺すような冷気がない。かといって、焚き火のそばのようなムッとする熱気でもない。
春の日差しのような、適度で快適な温度と湿度が保たれている。
壁のパネルに『室温:24℃ 湿度:50%』という表示が光っていた。
「これが……エアコン……?」
マザーが言っていた機能か。
王城の貴賓室ですら、氷の魔石と火の魔石を置いて調整していたというのに、ここでは空気が制御されている。
そして、部屋の中央に鎮座するもの。
ベッドだ。
木の板に藁を敷いたような粗末なものではない。
分厚いマットレスに、真っ白で清潔なシーツがかけられ、ふかふかの枕と羽毛布団がセットされている。
『マスターの脊椎スキャンデータを元に、最適な硬さのスプリングを調整しておきました。一度寝たら、もう藁の上には戻れませんよ?』
どこか得意げなマザーの声。
俺は吸い寄せられるようにベッドへ近づき、そっと腰を下ろした。
ボフッ。
お尻が優しく沈み込み、同時にしっかりとした反発力で支えられる。
何だこの包容力は。母親の胎内か?
部屋を見渡せば、壁には収納棚が作り付けられ、机と椅子もある。
机の上には、湯上がりの水分補給用の水差しとコップ。
床はフローリング調の素材で、素足でも冷たくない。
窓には遮光カーテンまで完備されている。
「……ここ、本当に荒野の真ん中か?」
俺は呆然と呟いた。
昨日まで、俺は王都の寒風吹きすさぶ安アパートに住んでいた。
給料のほとんどを経費に吸われ、家具を買う余裕もなく、壊れた椅子を修理して使っていた。
それが、追放された翌日に、王族も知らないような超高級ホテル並みの部屋にいる。
『気に入っていただけましたか?』
「気に入るも何も……」
俺はベッドに仰向けに倒れ込んだ。
天井の白い光が眩しい。
背中から伝わる柔らかさが、強張っていた筋肉を一本ずつ解いていくようだ。
「……王都の部屋より、100倍いい部屋だ。いや、比較するのも失礼だな」
『それは良かったです。ですが、そのまま寝てはいけませんよ?』
ウィーン、と壁の一部がスライドし、中からハンガーにかかった衣服が出てきた。
『寝間着です。植物繊維を合成して作りました。肌触りはシルクに近いですよ。ちゃんと着替えてからお休みください』
用意周到すぎる。
俺は苦笑しながら立ち上がり、出されたパジャマを手に取った。
袖を通すと、驚くほど滑らかで軽い。締め付け感が全くない。
「……ありがとう、マザー。あんた、本当にいいオカンだな」
『あら、お礼なんて。当然のことをしたまでです。……それに』
マザーの声が、少しだけ真面目なトーンになった。
『貴方はもう、誰かに搾取されるだけの労働者ではありません。この領地の主なのです。主には、主たるにふさわしい休息が必要です。……もっと、自分を大切にしてください』
その言葉は、温かい室温以上に、俺の胸の奥を熱くした。
自分を大切にする。
そんな当たり前のことを、俺はずっと忘れていた気がする。
人のために尽くすことだけが美徳だと教え込まれ、すり減るまで働き、最後はゴミのように捨てられた。
でも、ここには俺を「大切」だと言ってくれる存在がいる。
俺が作ったものではない。俺を見つけてくれた、この古代の機械が。
「ああ……そうだな。これからは、もっと自分を甘やかしてもいいのかもな」
俺は部屋の明かりを消し、ベッドに潜り込んだ。
布団の暖かさが全身を包む。
枕の高さも完璧だ。
外からは風の音が聞こえるはずだが、分厚い壁と断熱材に守られたこの部屋は、完全な静寂に包まれている。
『おやすみなさい、アルドさん。良い夢を』
「おやすみ、マザー」
瞼を閉じると、意識は一瞬で落ちた。
明日は何をしよう。
風呂場をもっと広くしようか。
脱衣所も必要だ。
マザーのメンテナンスもしないといけない。
やりたいことは山積みだ。
でも、それは「やらなければならない仕事」ではなく、「やりたい仕事」だ。
俺は、微かな笑みを浮かべたまま、深い眠りの底へと落ちていった。
これが、俺の辺境スローライフの第一歩。
最高に快適で、最高に温かい夜だった。




