第50話 今日も掘るのに忙しい
『テラ・テルマエ』が独立を宣言してから、一年という月日が流れた。
王国の崩壊という激動の時代を乗り越え、この辺境の地は、今や大陸全土から「奇跡の都市」と称されるまでになっていた。
かつて死の荒野と呼ばれた赤茶けた大地は、エーテル水とエルフたちの魔法によって見渡す限りの緑の農地へと変わり、そこから収穫される栄養満点の野菜は、ララの商会を通じて世界中へ輸出されている。
都市の中央には、魔力治癒効果を持つ黄金の温泉が湯気を上げ、ドワーフや人間の職人たちが建てた美しい石造りや木造の家々が立ち並んでいた。
種族の壁を超え、誰もが笑い合い、共に汗を流す。
俺が思い描いていた「美味い飯と温かい風呂があるスローライフ」は、想定よりも何十倍も巨大で、そして賑やかなものになっていた。
ある晴れた朝。
「わおぉぉぉんっ!」
居住ユニットのテラスで、立派な遠吠えが響いた。
声の主は、俺の愛犬――いや、愛狼のシロだ。
拾った時は両手に収まるほどの毛玉だったシロは、マザーの栄養管理の甲斐あって、今や体高1メートルに迫る立派な「銀狼」へと成長していた。
太陽の光を反射して輝く銀色の毛並み、引き締まった四肢、そして鋭い牙。どこからどう見ても、荒野の頂点捕食者の威厳を放っている。
……見た目だけは、だが。
「こらシロ、重いってば」
「くぅ〜ん!」
遠吠えを終えたシロは、俺の姿を見つけるなり猛ダッシュで駆け寄り、その巨体で俺を押し倒した。
そして、俺の胸の上に前足を乗せ、大きな舌で顔中をベロベロと舐め回してくる。
図体は大きくなっても、中身は甘えん坊の子犬のままだ。
俺が両手でそのふさふさの頬を撫でてやると、シロは気持ちよさそうに目を細め、ゴロンと仰向けになって無防備に白いお腹をさらけ出した。
「お前なぁ、少しは狼としての威厳を持てよ」
口ではそう言いながらも、俺は極上の毛布のようなシロのお腹に顔を埋めた。
日向の温かい匂い。
このもふもふの感触こそが、俺の一日の活力源だ。
『マスター。朝のスキンシップは結構ですが、本日の業務スケジュールが詰まっておりますよ』
頭上のスピーカーから、相変わらず世話焼きなマザーの声が降ってくる。
「分かってるよ。今日は新しい水路の点検と、ミスリル農具の打ち直しだったな」
『はい。それと、お昼には幹部の皆様との定例昼食会が予定されています。本日のメニューはマスターが腕を振るう番ですね』
「ああ、任せておけ。とびきり美味いものを作ってやる」
俺はシロの頭をぽんぽんと叩いて立ち上がり、広大な領地を見渡した。
今日も、良い一日が始まりそうだ。
昼時。
俺は厨房に立ち、大量の「土芋」を大鍋で茹でていた。
今日の定例昼食会には、リーリャ、ララ、ヴァネッサ、シルヴィア、ヘレナ、ザラ、ソフィアというテラ・テルマエの屋台骨を支える七人の女性たちが全員揃う。
彼女たちの激務を労うために、俺が選んだのは、素朴だが暴力的なまでに旨味と熱量が詰まった郷土料理だった。
「よし、柔らかくなったな」
茹で上がった土芋の湯を切り、熱いうちに木製の潰し器で丁寧にすり潰していく。
少しでも冷めると粘りが出てしまうため、ここは時間との勝負だ。
「マザー、乳と脂の準備を」
『適温に温めてあります』
別の小鍋では、マザー特製の濃厚な乳と、黄金色に輝くたっぷりの手練り脂がフツフツと温められている。
そこに、エルフの畑で採れたばかりの、香りの強い「青ネギ」を細かく刻んでどっさりと投入した。
ネギの青臭さが熱によって甘い香りに変わり、乳と脂にしっかりと風味が移る。
「これを、芋に合わせる」
ネギ入りの熱い乳と脂を、潰した土芋に少しずつ加えながら、大きな木べらでふんわりと空気を含ませるように練り上げていく。
最初はパサパサしていた芋が、乳を吸ってしっとりとし、やがて絹のようになめらかなクリーム状へと変化していく。
塩と少しの白胡椒で味を整えれば、「茹で潰した土芋と青ネギの温菜」の完成だ。
「盛り付けが重要なんだ」
俺は巨大な深皿の中央に、練り上げた芋をこんもりと山のように高く盛り付けた。
そして、その山の頂上をスプーンの背で押し込み、火口のような深いくぼみを作る。
最後に、別の鍋で熱々に溶かした手練り脂を、そのくぼみになみなみと注ぎ込むのだ。
黄金色の脂の池が、芋の山頂でキラキラと輝き、縁から少しだけ決壊して流れ落ちる。
完璧な背徳のビジュアル。
「飲み物は、これにしよう」
俺は氷室で冷やしておいた、細長いガラス瓶を取り出した。
中に入っているのは、葡萄の皮や種といった搾りかすを発酵させ、蒸留して作った無色透明の強い酒だ。
そこには、八角形の星の形をした香辛料が漬け込まれており、強烈な甘い芳香を放っている。
「お待たせしました。本日の昼食だ」
俺が料理と酒をテラスのテーブルに運ぶと、待っていた七人の歓声が上がった。
「まあ! 土芋の山に、黄金の湖ができていますわ!」
ソフィアが目を輝かせる。
「すごく良い匂い……。ネギと脂の香りがたまらないわね」
ララが身を乗り出して鼻をひくひくさせている。
「さあ、冷めないうちに食べてくれ。山の周りの芋を崩して、真ん中の溶けた脂の池にたっぷりと浸して食べるんだ」
俺が手本を見せると、皆も一斉にスプーンを伸ばした。
たっぷりの脂を纏った滑らかな芋を、口に運ぶ。
「んんっ……!!」
リーリャが目を見開いた。
「口の中で、芋が溶ける……! ネギの爽やかな風味が、脂の重さを中和していて、いくらでも食べられそうだ!」
「これは危険な食べ物ですね……。摂取した熱量の計算をしたくありませんわ」
ヘレナが陶然とした表情で頬を押さえる。
「美味しい! 素朴なのに、信じられないくらいコクがあるわ!」
シルヴィアも、お嬢様らしからぬ勢いでスプーンを動かしている。
「ここで、この酒を飲むんだ」
俺は、氷を入れたグラスに透明な蒸留酒を注ぎ、そこに冷たい湧き水を加えた。
モワァッ……。
その瞬間、透明だった酒が、水と反応してまるで手品のように乳白色へと白濁した。
薬草の精油成分が溶け出した証拠だ。
「わあ……色が変わったわ!」
ヴァネッサが面白そうに白濁した酒を煽る。
「……ッ!! 強い! だが、すっごく爽やかだ!」
彼女は目を丸くして感嘆の声を上げた。
星茴香の独特の甘い香りと、蒸留酒のキレのあるアルコールが、口の中に残った芋と脂の重厚な風味を、一瞬にしてスッキリと洗い流してくれるのだ。
「土芋の温菜を食べて、この白濁した薬草酒を飲む。……完璧な調和ね。胃袋が無限にリセットされるわ」
ザラが妖艶に微笑みながら、グラスを傾ける。
濃厚な料理と、香りの強い酒。
労働者のための素朴な食卓だが、それが今は何よりの贅沢だった。
俺たちは、それぞれの近況報告や、これからの領地の展望を語り合いながら、賑やかな昼食の時間を楽しんだ。
シロも、味付けする前の茹で芋をもらって、ご機嫌で尻尾を振っている。
「……アルド」
食事が一段落した頃、リーリャがふと改まった声で俺を呼んだ。
彼女の褐色の肌は、少しお酒が入っているせいか、うっすらと赤く染まっている。
「本当に、感謝している。この一年、お前とマザーのおかげで、私たちは絶望から救われ、こんなにも豊かな生活を手に入れることができた」
「よせよ。俺一人じゃ何もできなかったさ。君たちの農業技術、ララの商才、ソフィアの管理能力、ヴァネッサやシルヴィアの武力、それにヘレナとザラの知識。……みんながいたから、ここが『国』になれたんだ」
俺が本心からそう言うと、ララが悪戯っぽく笑った。
「そうね。でも、その最高のピースをまとめ上げたのは、アルドさん、貴方よ。……だから、これからも責任取って、私たちを養いなさいよね?」
「あら、ララさん。抜け駆けは許しませんわ。アルド様は私の……いえ、私たち全員の領主様ですもの」
ソフィアが眼鏡を光らせながら牽制する。
またいつもの「争奪戦」が始まりそうな空気に、俺は苦笑いして両手を挙げた。
「分かった、分かった。俺はどこにも行かないよ。ずっとここで、みんなのために美味い飯を作り続けるさ」
俺の言葉に、七人の女性たちは嬉しそうに、そして優しく微笑んだ。
昼食後。
俺は少し酔いを冷ますため、テラスから広がる荒野の地平線を見つめていた。
王国の脅威は去り、領地は安定した。
もう、戦う必要もない。必死に生き延びるために焦る必要もない。
まさに、完全なる「平和な日常」だ。
これからは、この街でのんびりと、スローライフを満喫しよう。
そう思って、大きく背伸びをした、その時だった。
『……マスター。お食事中のところ、失礼します』
懐の通信端末から、マザーの声が響いた。
その声のトーンは、どこかウキウキと弾んでいるように聞こえた。
「どうした、マザー?」
『当機の広域探査スキャンシステムが、北方の未踏地帯において、極めて微弱ですが、未知のエネルギー波形を捉えました』
「未知のエネルギー?」
『はい。魔物の反応ではありません。この波形パターン……おそらく、超古代文明の『新たな遺跡』、あるいは『別の自律型重機』の反応である可能性が極めて高いです』
マザーの言葉に、俺は思わず目を見開いた。
「別の遺跡……だと?」
『いかがいたしますか、マスター? 放置しても領地に害はありませんが……私のデータベースの空白を埋める、非常に興味深い発見になるかもしれません』
マザーの単眼が、好奇心に満ちた光を放っているのが目に浮かぶようだ。
そして、俺の胸の奥底にある「職人としての探究心」もまた、激しく音を立てて燃え上がり始めていた。
平和な日常。
それは確かに素晴らしいものだ。
だが、俺は根っからの「技術屋」であり「開拓者」なのだ。
未知の機械、未踏の土地があると聞かされて、じっとしていられるはずがなかった。
「……やれやれ」
俺はわざとらしく肩をすくめ、しかし口元には隠しきれない笑みを浮かべていた。
「これじゃあ、いつまで経ってものんびりできそうにないな」
『ふふっ。それがマスターの性分というものでしょう?』
「違いない」
俺は振り返り、仲間たちに向かって声を張り上げた。
「みんな! 悪いが、午後の予定はキャンセルだ! 少し遠出をする!」
「えっ? どこへ行くのよ?」
ララが不思議そうに首を傾げる。
「北の未踏地帯だ! 面白そうな『お宝』が眠ってるらしい! ヴァネッサ、シルヴィア、護衛を頼む! ヘレナも、遺跡の鑑定があるから準備してくれ!」
「お宝!? それは聞き捨てならないわね!」
「まったく……人使いの荒い領主様だこと」
「まあ! 新しい遺跡ですか!? すぐに調査機材をまとめますわ!」
一気に活気づく女性陣。
俺は足元で不思議そうに首をかしげているシロを抱き上げた。
「さあ行くぞ、シロ! マザー!」
「わおぉぉぉんっ!」
『了解しました、マスター。――ギガント・マザー、土砂切削用アタッチメントを展開。進路、北へ!』
ズオオオオオオンッ!!
俺たちの頼れるオカン重機が、巨大なショベルを天に突き上げ、歓喜の咆哮を上げた。
キャタピラが大地を噛み砕き、新たな冒険への道を切り拓いていく。
王国を追放されたあの日から、俺の人生は劇的に変わった。
何もなかった荒野に、俺の居場所ができた。
愛すべき家族と、最強の仲間たちができた。
だが、俺たちの「開拓」は、まだ終わらない。
この世界には、俺とマザーの技術を待っている場所が、まだまだたくさんあるのだから。
「今日も掘るのに忙しくなりそうだぜ!」
俺はマザーの操縦席で高らかに笑い、青く澄み渡る空の彼方へと、鋼鉄の相棒を走らせた。




