第46話 王国の終焉
古代魔動巨兵との死闘から一夜が明けた。
テラ・テルマエの空は、何事もなかったかのように青く澄み渡っている。
だが、昨日まで空の端に見えていた、微かな王都の結界の光は、完全に消え失せていた。
早朝、居住ユニットの会議室。
俺とテラ・テルマエの幹部たちは、重い沈黙の中でヘレナの報告を聞いていた。
「……マザーさんの広域センサーと、私の古代望遠鏡による観測結果です」
ヘレナがテーブルに広げたのは、魔法で焼き付けた王都周辺の俯瞰図だった。
だが、そこに「都市」の形はなかった。
「王都の大結界は、昨夜の未明に完全に崩壊しました。地下の魔力炉は限界を迎え、小規模な連鎖爆発を起こしたようです。さらに、結界が消滅したことで近隣の魔物の大群が市街になだれ込み……王城を含む中心部は、完全に瓦礫の山と化しました」
彼女の指が示す場所は、ただの黒い染みになっていた。
「瘴気の濃度も致死レベルに達しています。生存者がいるとすれば、いち早く王都を脱出した一部の貴族か、運良く地下の堅牢な避難壕に逃げ込んだ者だけでしょう」
「……あの王はどうなったのかしら?」
ザラが冷ややかに問う。
「不明です。ですが、あの巨大なゴーレムを起動させるための代償として、王族の血と命が使われたという文献もあります。おそらく、ゴーレムが起動した時点で、王族は……」
ヘレナは言葉を濁したが、言わんとしていることは誰にでも分かった。
俺たちを滅ぼすために、彼らは自らを滅ぼしたのだ。
王国の正規軍三千は、すでに俺たちの捕虜となっている。
国土は魔物と瘴気に飲まれ、統治機構は消滅した。
「つまり……。王国は、消滅したということか」
俺の呟きに、全員が深く頷いた。
俺が10年間尽くしてきた国。
俺を裏切り、追放した国。
それが、こんなにもあっさりと、自滅という形で地図から消え去ってしまった。
胸の中に湧き上がるのは、歓喜でもなく、達成感でもない。ただの、巨大な虚無感だった。
「……感傷に浸っている暇はありませんわ」
ソフィアが、静かに、しかし力強く言った。
「王都は滅びましたが、そこから逃げ出した民は多数います。彼らは今、この荒野を彷徨っているはずです。そして、我がテラ・テルマエに収容されている三千の兵士たち……彼らに、祖国が消滅した事実を伝えなければなりません」
「暴動は起きないか?」
ヴァネッサが眉をひそめる。
「ええ。帰る場所を失った絶望は、容易に怒りへと変わります。ですが、真実を隠しておくわけにはいきません。……アルド様、彼らの前に立ってください。貴方が、彼らの新しい『王』となるのです」
「俺が、王……」
重い響きだった。
俺はただ、快適な家と美味い飯が欲しかっただけだ。
だが、この強大な力と、豊かな土地を持ってしまった以上、見て見ぬふりはできない。
それに、俺には頼れる仲間がいる。
「……分かった。みんな、広場に集めてくれ」
広場には、武装を解除された王国軍の兵士たちが集められていた。
彼らの顔には疲労と、敗北の屈辱、そしてこれからの処遇に対する不安が浮かんでいる。
俺はマザーの脚の上に立ち、魔導拡声器を手に取った。
「王国軍の諸君。……君たちに、残酷な真実を伝えなければならない」
俺は、ヘレナから聞いた王都の現状を、包み隠さず話した。
結界の崩壊、魔物の侵入、そして王国の消滅。
広場は、水を打ったような静寂に包まれた。
「嘘だ……。王都が、俺たちの国が……」
「家族が、まだ下町にいるんだぞ! 嘘だと言ってくれ!」
やがて、悲鳴のような声が上がり始めた。
その場に泣き崩れる者、信じられないと頭を抱える者。
俺は彼らが落ち着くのを、静かに待った。
「君たちの国は、昨日をもって消滅した。帰る場所は、もうない」
俺の言葉が、彼らの絶望に止めを刺す。
「だが、君たちの命はまだここにある」
俺は一歩前に出て、彼らを見下ろした。
「俺は、君たちを捕虜として奴隷のように扱うつもりはない。この土地には、無限の資源と、君たち全員が暮らしていけるだけの食料がある。……選んでくれ」
「選ぶ……?」
一人の若い兵士が、涙で濡れた顔を上げた。
「一つ。わずかな食料と水を持って、この地を去ること。どこか別の国で、新しい生活を探すなら引き止めない」
俺はそこで言葉を区切り、大きく息を吸った。
「もう一つ。……過去の身分や階級を捨て、このテラ・テルマエの『領民』として生きることだ。剣を鍬に持ち替え、共に土を耕し、家を建てるなら、俺は君たちを家族として迎え入れよう」
兵士たちの間に動揺が走る。
王国の騎士としての誇り。それと、生きていくための現実。
「……俺は、残ります」
最初に声を上げたのは、先陣を切って突撃してきて、マザーの衝撃波で吹き飛ばされた中隊長だった。
彼は膝をつき、俺に向かって頭を下げた。
「祖国は我々を見捨て、化け物を差し向けた。……ですが、貴方たちは敵である我々に、温かい食事と毛布を与えてくれた。どちらに従うべきか、考えるまでもありません」
その言葉を皮切りに、次々と兵士たちが膝をつき始めた。
「俺も!」「私も残らせてくれ!」「働かせてください!」
最終的に、三千人のほぼ全員が、この地に残ることを選択した。
ソフィアが俺の隣に並び、小さな声で囁いた。
「お見事です、領主様。これで、新たな労働力と防衛力が確保できましたわ」
「責任が重すぎて胃が痛いよ……。まずは彼らの受け入れ態勢を整えないとな」
「ええ、行政手続きは私とララさんにお任せを。……ですが、アルドさん。彼らの心はまだひどく傷ついています。何か、希望となるようなものが必要かと」
「希望、か……」
俺は広場に座り込む、かつての敵兵たちを見た。
彼らは生きることを選んだが、その顔には深い喪失感が刻まれている。
言葉で励ましても、空虚に響くだけだろう。
俺にできることは、ただ一つだ。
「マザー。畑の『あれ』、もう収穫できるか?」
『はい、マスター。エーテル水で育てた特大サイズが、ちょうど食べ頃を迎えています』
「よし。全員に振る舞うぞ。……最高の『甘み』で、絶望を上書きしてやる」
俺は厨房ユニットの前に立ち、エルフたちと共に大量の食材を運び込んだ。
それは、黄金色の粒がびっしりと連なった、巨大な穀物の穂軸だった。
通常のものより二回りは大きく、薄緑色の皮に包まれている。
「これを、皮付きのまま焼くぞ!」
俺は巨大な焼き網を設置し、その下にマザーが精製した良質な炭を敷き詰めた。
ボオォォォッ! と炭が赤く熾る。
そこに、皮付きのままの穀物の穂軸を並べていく。
皮付きのまま直火で焼くことで、内部の水分が蒸発せず、蒸し焼きの状態になる。
シューッ、という音と共に、皮の焦げる香ばしい匂いが広場に漂い始めた。
「いい匂いだ……。なんの匂いだろう?」
うなだれていた兵士たちが、顔を上げ、鼻をひくひくさせる。
「よし、皮が真っ黒に焦げたら、一気に剥くぞ!」
熱々の状態のまま、軍手をした手で皮を剥ぎ取る。
中から現れたのは、蒸気と共に輝く、眩いばかりの黄金色の粒たちだ。
プツン、と弾けそうなほど張りがあり、熱気と共に強い甘い香りを放っている。
「ここからが仕上げだ」
俺は刷毛を手に取った。
用意したのは、マザー特製のバターと、黒褐色の発酵調味料、そして少しの砂糖を混ぜ合わせた特製ダレだ。
これを、熱々の黄金の粒にたっぷりと塗っていく。
ジュワアアァァァッ!!!
タレが熱い表面に触れた瞬間、爆発的な香りが立ち昇った。
焦げた発酵調味料の香ばしさと、溶けたバターの暴力的なコク。
その匂いは、どんな悲しみも一時的に忘れさせるほどの、強烈な引力を持っていた。
「ゴクリ……」
三千人の兵士たちの喉が、一斉に鳴った。
「飲み物も忘れるなよ」
こってりとした甘辛い味には、口の中をスッキリさせる甘い飲み物が必要だ。
俺は大きな樽を用意した。
中に入っているのは、氷を満たした冷たい水。
そこに、南方の森で採れた赤い果実を乾燥させ、細かく粉砕した「魔法の粉」を大量に投入する。
かき混ぜると、水は鮮やかなルビー色に染まった。
甘味料と酸味成分を絶妙なバランスで配合した、子供から大人まで誰もが笑顔になる、色鮮やかな甘い果実水だ。
「よし、できたぞ! 全員に配れ!」
エルフたちが、焼き立ての黄金の穂軸と、赤い果実水の入った木のコップを配って回る。
兵士たちは、配られたものを恐る恐る手に取った。
「熱いうちに、思い切りかぶりついてくれ!」
俺の声に促され、中隊長が穂軸に噛み付いた。
シャクッ! ブシュッ!
「……っ!!」
中隊長の目が、限界まで見開かれた。
弾ける食感。
一粒一粒から、信じられないほどの甘い果汁が溢れ出す。
そこに、香ばしく焦げたタレの塩気とバターのコクが絡み合い、噛めば噛むほど脳髄が痺れるような旨味が押し寄せてくる。
「う、うまい……! なんだこれ、甘い! だけどしょっぱい! 止まらん!」
彼は無我夢中で、横にスライドしながら粒を削り取っていく。
他の兵士たちも、たまらずかぶりついた。
あちこちから「美味え!」「生きててよかった!」という叫び声が上がる。
口の周りをタレでベタベタにしながら、彼らは赤い果実水を流し込む。
冷たくて、強烈に甘酸っぱいルビー色の水が、熱くなった口内を洗い流し、渇きを癒やしていく。
この粗野で背徳的な組み合わせは、極限の心労下にあった彼らの心を、強引に「生」の側へと引き戻した。
「おいしい……。アルド様、これ、すごくおいしいですわ」
手伝っていたソフィアも、こっそり一本かじりながら上品に微笑んでいる。
ヴァネッサやシルヴィアも、「酒のつまみにもなるな」とご満悦だ。
足元では、シロが芯に残った数粒を器用に前足で押さえながら齧っている。
俺は兵士たちの顔を見渡した。
先ほどまでの暗い絶望の影は薄れ、今、彼らの顔には「美味しいものを食べる喜び」が満ちていた。
故郷を失った悲しみが消えるわけではない。
だが、人は美味しいものを食べれば、明日を生きようと思える生き物だ。
「……よくやったな、マスター」
いつの間にか隣に来ていたリーリャが、そっと俺の背中に手を添えた。
「これで彼らも、私たちの仲間だ。……この大きな家族を、お前と私で守っていこう」
「ああ。……忙しくなるな」
俺は焼き立ての穂軸をかじり、甘い果実水で喉を潤した。
王国は滅びた。
だが、俺たちの国は、ここから本当の意味で始まるのだ。
三千人の新たな領民と共に、この荒野を世界一豊かな楽園に変えてみせる。
夕日に染まるテラ・テルマエに、再び力強い活気が戻ってきていた。




