第39話 難民キャンプ設営と都市計画
王都の結界が崩壊し、瘴気が溢れ出したという噂は、風よりも早く荒野を駆け巡った。
ガムリの親方たち第一陣が到着してから数日。テラ・テルマエには、毎日数十人規模で逃り延びてきた人々が押し寄せるようになっていた。
職人、商人、農夫、そしてその家族たち。
かつての「死の荒野」は、今や絶望した民衆がすがる唯一の希望の光――「大地の温泉郷」となっていたのだ。
人口の急増。
それは通常であれば、食糧不足や衛生環境の悪化、そして暴動を引き起こす致命的な危機だ。
しかし、テラ・テルマエは揺るがなかった。
なぜなら俺たちには、各分野の頂点を極めた「最強の布陣」があったからだ。
「はい、次の方。お名前と年齢、前職、家族構成を教えてください」
入り口に設営された大きな天幕の下で、ソフィアが信じられない速度で筆を走らせていた。
彼女の目の前には、難民たちの長い列ができている。
だが、ソフィアの「超速事務処理」の前に、その列は滞ることなく進んでいく。
「大工の経験が10年ですね。素晴らしい。では、貴方は第二区画の建設班へ配属します。一時滞在許可証と、今日の分の食料引換券です。次の方!」
流れるような手さばき。一切の無駄がない。
ギルド本部の特別監査官を務めていた彼女にとって、この程度の事務手続きなど朝飯前なのだろう。彼女が全ての住民の身元を正確に把握し、適材適所に割り振ることで、難民たちはただの「保護対象」から「労働力」へと即座に切り替わっていた。
「お待ちなさい。そこから先へは一歩も入れませんよ」
ソフィアの関所を通った後、難民たちを待ち受けているのはザラだ。
彼女は鋭い眼光で人々を観察し、少しでも顔色の悪い者や、咳をしている者を列から引き剥がす。
「王都の瘴気を、この清浄な地に持ち込ませるわけにはいきません。……貴方たち、服を全て脱いで、あちらの『薬湯』に浸かりなさい。荷物は全てこちらで燻蒸消毒します」
ザラが用意した薬湯は、温泉の湯に強烈な殺菌作用を持つ薬草を混ぜたものだ。
怪我をしている者にはマザーの医療ポッドを使い、病の兆候がある者には特効薬を飲ませて隔離用の天幕へ送る。
情け容赦のない徹底した防疫体制。だが、この冷徹さこそが、領地全体を疫病から守る最強の盾だった。
そして、急増する人口を受け入れるための「器」作り。
これを担うのが、考古学者のヘレナと、マザーのコンビだ。
「アルド様。ただ家を並べるだけの仮設居住区ではいけませんわ」
ヘレナは、大きな羊皮紙に緻密な図面を書き込みながら俺に言った。
眼鏡の奥の瞳が、知的な光を放っている。
「風の通り道、日照権、上下水道の配管、そして将来的な拡張性。古代の『円環都市構想』をベースに、中央の温泉と広場を囲むように居住区を配置します。……マザーさん、この設計図でいけますか?」
『完璧です、ヘレナ女史。構造力学的な矛盾は一切ありません。資材の準備も完了しています。――都市建設、開始します』
マザーの巨体が動き出す。
もはや一台の重機ではない。彼女自身が一つの「移動する工場」だった。
アームが岩盤を砕いて地ならしをし、同時にノズルからバイオコンクリートを吐き出して、ヘレナの設計図通りに次々と家屋を形成していく。
その光景は、何度見ても神の御業のようだった。
朝にはただの更地だった場所が、夕方には立派な街並みへと姿を変えているのだから。
ソフィアが人を捌き、ザラが命を守り、ヘレナが街を描き、マザーが創り出す。
見事な連携だ。俺が口を挟む隙など全くない。
領主である俺の仕事は、彼女たちが存分に力を発揮できるよう、最高の「後方支援」を行うことだった。
夕暮れ時。
今日の受け入れ作業が一段落し、難民たちがそれぞれの仮設住宅で休息を取る頃。
俺は居住ユニットのキッチンに立っていた。
激務をこなしたソフィア、ザラ、ヘレナの三人を労うための、特別な夕食の準備だ。
極度の集中力を使った後は、ガツンと刺激のある料理と、頭をクリアにする強い酒が必要だろう。
「よし、今日は南方の屋台料理だ。……『滴る肉汁』の香草和えを作る」
用意したのは、荒野の岩豚の肩肉だ。
赤身と脂身のバランスが良い部位を、分厚く切り出す。
特製のタレ――魚醤、黒砂糖、そして少しの酒――を表面に擦り込み、強火の炭火に乗せる。
ジュワアアァァッ!!
脂が炭に落ち、濛々とした煙が上がる。
この煙で肉を燻すように焼くのがコツだ。
表面がカリッと香ばしく焼けたら、中がまだ少し赤い(ロゼ色)状態のまま火から下ろし、まな板の上で休ませる。
肉汁を落ち着かせたら、薄くスライスしていく。
刃を入れるたびに、断面から滝のように肉汁が滴り落ちる。これが料理名の由来だ。
「ここからが本番だ」
大きなボウルに、スライスした肉と、滴り落ちた肉汁を全て入れる。
そこに、赤玉ねぎの薄切り、たっぷりのミント、そしてコリアンダーに似た強い香りを持つ南方の香草をどっさりと投入する。
味付けは、酸味の強い青柑橘の搾り汁、魚醤、そして粗挽きの赤唐辛子だ。
「そして、この料理の決め手はこれだ」
俺が取り出したのは、フライパンでキツネ色になるまで乾煎りした米を、石臼で粗く砕いた粉末だ。
これをたっぷりと振りかけ、全体を豪快に混ぜ合わせる。
炒り米の粉が肉汁と柑橘の汁を吸ってとろみを生み、香ばしい風味が全体を一つにまとめ上げる。
鮮やかなハーブの緑と、唐辛子の赤、そして飴色の肉。
強烈な酸味と辛味、そして香ばしさが入り混じった、食欲を暴走させる香りがキッチンに充満した。
「次は、酒の準備だ」
俺は冷蔵庫から、霜が降りるほどキンキンに冷やした二つのガラス瓶を取り出した。
一つは、マザーに依頼して特別に蒸留してもらった、杜松の実で香り付けした無色透明な強い蒸留酒。
もう一つは、白葡萄酒に数十種類の香草や根を漬け込んで風味付けした、琥珀色の混成酒だ。
氷を満たしたガラスの大きな器に、透明な蒸留酒をたっぷりと注ぎ、そこに香草白葡萄酒をほんの少しだけ加える。
そして、長い銀の匙を使って、氷を溶かさないように、かつ極限まで冷えるように静かに、素早くかき混ぜる。
カラン、カランという涼やかな音が響く。
十分に冷えたところで、氷の欠片が入らないように網を通し、逆三角形の美しい脚付きグラスへと注ぎ分ける。
とろりとした透明な液体。
最後に、マザーが栽培した緑色の木の実を、串に刺して底に沈める。
酒の王様とも呼ばれる、研ぎ澄まされた一杯だ。
「お待たせしました。本日の特別慰労メニューだ」
テラスのテーブルに料理と酒を並べると、疲れ切っていた三人の女性たちの目がパッと見開かれた。
「まあ……。なんて洗練されたお酒でしょう」
ヘレナが眼鏡を押し上げ、グラスの透明度に感嘆する。
「お肉の方も、とんでもなく良い匂いがするわ。酸っぱくて辛い……私の大好きな香りよ」
ザラが妖艶に唇を舐める。
「では、今日一日の激務に……乾杯ですわ!」
ソフィアの音頭で、三人のグラスが重なる。
チン、と澄んだ音が夜風に溶けた。
三人は、まず透明な冷酒に口をつけた。
「……ッ!!」
ソフィアの端正な顔が、一瞬だけ驚きに強張った。
度数の高いアルコールが、冷たさという刃に包まれて喉を切り裂き、胃の腑へと落ちていく。
だが、その直後に鼻を抜けるのは、杜松の実の清冽な香りと、白葡萄酒の複雑で奥深い薬草の風味だ。
「鋭い……! なのに、とてつもなく芳醇ですわ。頭の芯の疲れが、一瞬で凍りついて砕け散るようです」
ソフィアが熱っぽい吐息を漏らす。
「まさに『薬』ね。……完璧な調合だわ」
ザラも目を細め、グラスを見つめている。
「さあ、肉も食べてくれ。その酒には絶対に合うはずだ」
俺の言葉に、三人はフォークで肉と香草をすくい上げ、口に運んだ。
咀嚼した瞬間、炒り米の香ばしさが弾け、中から肉汁の甘みと柑橘の強烈な酸味、そして唐辛子の刺激が溢れ出す。
「んんっ……!! 辛い! でも、美味しい!」
ヘレナが頬を赤くして叫ぶ。
「肉の旨味を、香草と酸味が完全に引き立てているわ。……そして、この炒り米の食感がたまらない」
ザラも夢中でフォークを動かす。
「辛味で口の中が熱くなったところに、この冷たく鋭いお酒を流し込むと……はぁぁ……最高ですわ……」
ソフィアが陶然とした表情でグラスを傾ける。
濃厚でスパイシーな豚肉料理。
それを、研ぎ澄まされた冷酒がスッと洗い流し、また次の肉を欲させる。
無限の連鎖だ。
昼間の疲労など忘れたように、三人は料理と酒を平らげていった。
「……美味しかったですわ。アルド様、ごちそうさまでした」
食後、少し酔いが回ったのか、ヘレナがとろりとした目で俺を見た。
「お粗末様。三人の働きには、これでも足りないくらいだよ。……本当に、助かってる」
俺が素直に感謝を伝えると、ソフィアがふふっと笑った。
「当然ですわ。私たちは、このテラ・テルマエの幹部なのですから。アルドさんが描く夢の『土台』を作るのが、私たちの仕事です」
「ええ。それに、こんなに美味しいご飯とお酒が待っているなら、いくらでも働けるわ」
ザラも同意するように頷く。
「……ありがとうな。俺は、最高の仲間を持ったよ」
俺は夜空を見上げた。
仮設の街からは、夕食を作る煙が上がり、人々の穏やかな話し声が聞こえてくる。
王都から逃げてきた彼らは、今夜は恐怖に怯えることなく、温かい布団で眠るだろう。
俺たちが作っているのは、ただの避難所じゃない。
新しい国だ。
「わふぅ……すぅ……」
ふと足元を見ると、シロが俺の靴に顎を乗せて、すやすやと眠っていた。
おこぼれの肉を食べて満腹になり、俺の足の温もりを枕にして夢の中だ。
ピクピクと動く白い耳と、無防備な寝顔。
「……ふふ、この子も大物になりそうね」
ザラがシロを見て優しく微笑む。
「ああ。俺たちの街の、立派な守り神になってくれるさ」
俺はシロの頭をそっと撫でた。
激動の一日が終わる。
だが、明日からもまた、この最強の仲間たちと共に、俺たちは荒野に奇跡を作り続けていくのだ。
この温かい寝顔を守るために。




