第35話 格の違い
テラ・テルマエの夜空を、どす黒い魔力が切り裂いた。
元勇者カイル・バーンズ。
かつての栄光を失い、嫉妬と逆恨みに狂った男が、聖剣を振りかざして突っ込んでくる。
「死ねぇぇぇぇッ! アルドォォォォッ!!」
常人なら足がすくむほどの殺気。
だが、今の俺には頼もしい仲間たちがいる。
「……させないよ」
風のような速さで割り込んだのは、Sランク冒険者ヴァネッサだ。
彼女は大剣を抜きもせず、鞘のままカイルの聖剣を受け止めた。
ガギィィィンッ!!
火花が散る。
衝撃波が周囲の土煙を吹き飛ばした。
「ぐぬっ……! 何だ貴様は! 邪魔をするな!」
「剣が軽いな、元勇者」
ヴァネッサは涼しい顔で、カイルの全力の一撃を受け流した。
さらに手首を返し、鞘でカイルの脇腹を殴打する。
「がはっ!?」
カイルがたたらを踏む。
そこに、冷徹な声が降ってきた。
「隙だらけね。ダンスの相手にもならないわ」
シルヴィアだ。
彼女が指先を優雅に振るうと、地面から無数の氷の蔦が伸び上がり、カイルの足首を絡め取った。
「なっ……氷魔法だと!? まさか、ガレリアの……!?」
「よそ見をしている場合?」
パキンッ!
氷の蔦が締め上げられ、カイルの動きを封じる。
焦るカイルの死角から、紫色のドレスを翻してザラが現れた。
「暴れる子供には、お注射が必要ですね」
ヒュッ、ヒュッ。
風を切る音と共に、極細の針がカイルの肩と太ももに突き刺さった。
ザラ特製の「即効性筋弛緩毒」を塗った麻痺針だ。
「ぐ、あ……!? 力が……入らない……!」
カイルが膝をつく。
聖剣を支えにして何とか立とうとするが、手足が痺れて動かない。
そこに、美しい歌声が響いてきた。
『眠れ、眠れ、迷える魂よ――』
ソフィアだ。
彼女は眼鏡を外し、慈悲深い女神のような表情で歌っている。
ギルド秘伝の音響魔法、【鎮静歌】。
敵の戦意を削ぎ、強制的に精神を沈静化させる精神干渉魔法だ。
「う、ううぅ……。あ、頭が……ぼんやりする……」
カイルの瞳から、狂気の光が薄れていく。
剣を握る手が緩み、まぶたが重そうに下がってくる。
完璧な連携。
物理、魔法、状態異常、精神干渉。
あらゆる方向からの攻撃に、単騎のカイルは手も足も出ない。
「……これが、格の違いだ」
俺は一歩前に出た。
その体には、マザーから射出された「装備」が装着されている。
『魔導強化外骨格・マーク1』。
本来は土木作業用のパワーアシストスーツだが、ミスリル合金のフレームと、高出力の人工筋肉を組み込んだ、俺とマザーの技術の結晶だ。
無骨な鉄の腕と脚が、俺の四肢を覆っている。
「アルド……! 卑怯だぞ! 女に守らせて……!」
カイルが最後の力を振り絞って吠える。
まだ言うか。
「卑怯? 仲間と協力することの何が卑怯なんだ」
俺は機械仕掛けの右腕を握りしめた。
キュイィィン……と駆動音が唸りを上げる。
「お前は仲間を捨て、道具の手入れを怠り、一人で勝てると思い上がった。……そのツケを払う時だ」
「黙れぇぇぇッ! 俺は勇者だ! 選ばれた人間なんだぁぁぁッ!」
カイルが絶叫し、麻痺を無理やりねじ伏せて聖剣を振り上げた。
魔力が暴走し、刀身が赤熱する。
だが、俺には見えていた。
刀身の中ほどに走る、致命的な亀裂が。
「終わりだ、カイル」
俺は踏み込んだ。
強化された脚力が、地面を爆ぜさせる。
一瞬で懐に潜り込む。
「はあぁぁぁッ!」
俺は右の拳を突き出した。
狙うのはカイル自身ではない。彼がすがりつく、その「錆びついた栄光」だ。
ガギィィィィィンッ!!
鉄拳が、聖剣の腹を捉えた。
マザーの出力と、俺の魔力が乗った一撃。
金属疲労の限界を迎えていた聖剣は、悲鳴のような音を立てて――。
パキィィィンッ!
砕け散った。
銀色の破片が、スローモーションのように宙を舞う。
「あ……」
カイルの手には、折れた柄だけが残されていた。
俺の拳はそのままの勢いで、カイルの黄金の鎧(胸部)を殴り抜いた。
ドゴォォォッ!!
「がはぁッ!?」
カイルの体がくの字に折れ、後方へと吹き飛んだ。
そのまま地面を数メートル転がり、動かなくなる。
鎧はひしゃげ、勇者の威厳は見る影もない。
『戦闘終了。対象の無力化を確認』
マザーの淡々とした報告が響く。
俺は蒸気を噴き出す右腕を下ろした。
「……手入れを怠った道具は、持ち主を裏切る。俺が何度も言ったことだ」
カイルは空ろな目で折れた剣を見つめ、涙を流していた。
悔し涙か、それとも絶望か。
どちらにせよ、もう俺には関係のないことだ。
「連れて行け」
ソフィアが冷徹に指示を出すと、待機していたマザーの子機たちがカイルを拘束し、荒野の彼方へと運び去っていった。
おそらく、国境付近に捨ててくるのだろう。
二度と、ここには来られないように。
「……ふぅ。終わったな」
俺は強化外骨格を解除し、その場に座り込んだ。
どっと疲れが出た。
だが、心は晴れやかだった。
過去の亡霊は消えた。これで本当の意味で、俺はこの地で生きていける。
「アルド!」
リーリャやララたちが駆け寄ってくる。
シロも「わんわん!」と尻尾を振って飛びついてきた。
その温かさに包まれながら、俺はテラ・テルマエの夜空を見上げた。
星が、いつもより綺麗に見えた。
騒動の後始末が終わり、領内が静けさを取り戻した深夜。
俺はララに誘われ、商館の応接室にいた。
テーブルには、上等なワインと、軽いおつまみが並んでいる。
「お疲れ様、アルドさん。……大変だったわね」
ララがグラスを差し出す。
彼女は寝間着代わりの緩いローブを羽織っており、昼間のバリバリのキャリアウーマンといった雰囲気とは違う、無防備な姿だ。
髪を下ろし、化粧も落としているが、その素顔は幼さと色気が同居していてドキリとさせられる。
「ああ。……正直、あんな形で再会するとは思わなかったよ」
俺はワインを一口飲んだ。
芳醇な香りが鼻を抜ける。
「でも、これでスッキリしたんじゃない? 過去のしがらみ、全部断ち切れた顔をしてるわ」
「そう見えるか?」
「ええ。とってもいい顔よ。……惚れ直しちゃいそう」
ララが悪戯っぽく笑い、テーブル越しに身を乗り出してきた。
ローブの隙間から、白い鎖骨が覗く。
「ねえ、アルドさん。今回の件で、商会としても損害が出そうなの」
「え? マジか? どこか壊されたか?」
「ううん、物理的な被害じゃないわ。……私の『心』の被害よ」
彼女は芝居がかった仕草で胸を押さえた。
「大切なパートナーが危険な目に遭って、私、心配で胸が張り裂けそうだったの。この心の傷、どうやって補償してくれるのかしら?」
……また始まった。
彼女の悪い癖だ。交渉のテクニックとして言っているのか、本気なのか分からないラインで攻めてくる。
「補償って言われてもな……。何か欲しいものでもあるのか?」
「あるわよ。……貴方の時間」
ララはすっと表情を変え、真剣な眼差しで俺を見た。
「これからはもっと忙しくなるわ。交易路が開通すれば、人の出入りも増える。貴方は領主として、もっと多くの決断を迫られることになる」
「……ああ、そうだな」
「だからこそ、今のうちに予約しておきたいの。……私だけの時間を」
彼女は立ち上がり、俺の隣に座り直した。
肩が触れる距離。
甘い香りが強くなる。
「私は商人よ。価値のあるものには、誰よりも早く投資するの。……貴方という優良物件を、他の誰かに独占されるのは面白くないもの」
ララの手が、俺の手に重ねられる。
その手は少し震えていた。
強気な言葉とは裏腹に、彼女もまた不安なのだ。
この急速に変わっていく環境の中で、自分の居場所を、繋がりを求めている。
「……分かったよ。ララとの商談は、最優先事項に入れておく」
俺が握り返すと、ララはパッと花が咲いたように笑った。
「言質、取ったわよ? 契約成立ね!」
彼女はグラスを俺のグラスに軽く当てた。
チン、と澄んだ音が響く。
「それじゃあ、契約の履行第一弾として……今夜は朝まで付き合ってもらうわよ?」
「え?」
「商会の新しい事業計画と、新商品の開発会議よ! 積もる話が山ほどあるんだから!」
ララは分厚い羊皮紙の束をどサッとテーブルに広げた。
……色っぽい展開かと思いきや、結局仕事か。
だが、その目は楽しそうだ。
俺も苦笑いしながら、覚悟を決めた。
「お手柔らかに頼むよ、パートナー」
「ふふ、覚悟なさい。私の計算からは逃げられないわよ」
夜更けまで続いた「会議」は、商売の話半分、雑談半分。
お互いの過去や、未来の夢を語り合う、穏やかで濃密な時間だった。
商魂たくましい彼女の、意外な脆さや優しさに触れ、俺たちの距離は確実に縮まった気がする。
足元では、いつの間にか入り込んでいたシロが、俺たちの足の間に挟まって幸せそうに眠っていた。
この温もりが、今の俺の全てだ。




