第31話 ギルドの特別監査官
氷の将軍シルヴィアが「監視」という名目でテラ・テルマエに居座り始めてから、数日が経った。
彼女は意外にも馴染んでいる。マザーに空調の設定温度を0.5度刻みで注文したり、エルフたちに氷魔法で保冷剤を作ってあげたりと、我が物顔で生活していた。
そんなある日の午後。
俺はSランク冒険者ヴァネッサと共に、拠点の外れにある岩場にいた。
「――シッ!」
鋭い呼気と共に、ヴァネッサの大剣が横薙ぎに振るわれる。
俺はそれを、ミスリル製のハンマーで受け止めた。
ガギィィン!
重い衝撃が腕に走る。
「いい反応だ、領主。腕を上げたな」
ヴァネッサが楽しげに笑い、追撃を仕掛けてくる。
これは訓練ではない。彼女曰く「じゃれ合い」、俺に言わせれば「命がけのデート」だ。
彼女は身体強化を使わず、純粋な剣技だけで俺の相手をしてくれている。
「こっちは必死なんだよ!」
俺はハンマーを振り回し、彼女の連撃を凌ぐ。
マザーのサポートで身体能力は向上しているが、やはり本職の戦闘職には敵わない。
数合打ち合った後、ヴァネッサが剣を引いた。
「ふぅ。いい汗かいたな。休憩にしようぜ」
彼女は岩の上に腰を下ろし、マザー特製の「塩入り果実水」をあおった。
汗に濡れた褐色の肌が、太陽の下で健康的に輝いている。
「付き合わせて悪かったな、アルド。最近、平和すぎて体が鈍っちまいそうだ」
「平和なのはいいことだろ。……まあ、俺もいい運動になったよ」
俺は彼女の隣に座った。
肩が触れ合う距離。
ヴァネッサからは、汗と革の匂い、そして微かに石鹸の香りがした。
「なあ、アルド。……私はここに来てよかったと思ってる」
彼女が不意に、真面目な顔で言った。
「戦いだけの毎日だった私が、こんな風に誰かと並んで空を見上げるなんてな。……お前のおかげだ」
「俺の方こそ。ヴァネッサがいてくれるから、安心して眠れるんだ」
俺が言うと、彼女は照れくさそうに鼻をこすった。
「……バーカ。口説いても何も出ないぞ」
そう言いながらも、彼女は俺の肩に頭を預けてきた。
重くて、温かい。
戦士の休息。そんな穏やかな時間が流れていた。
『マスター。いい雰囲気のところ恐縮ですが、緊急事態です』
マザーの無粋なアナウンスが、空気を切り裂いた。
またか。
「……今度はなんだ? 魔物か? それともシルヴィアがまたエアコンの設定で揉めてるのか?」
『いいえ。……人間です。それも、極めて厄介な』
マザーの声には、珍しく警戒の色が混じっていた。
『北の街道より、ギルドの紋章を掲げた馬車が接近中。乗員は一名ですが……その人物のデータベース照合結果、「警戒レベルS」です』
「Sだと……? ヴァネッサ並みってことか?」
『戦闘力ではありません。「社会的抹殺能力」においてです』
……なんだその物騒な能力は。
俺たちが広場に戻ると、ちょうど一台の黒塗りの馬車が到着したところだった。
御者台には誰もおらず、自動操縦の魔導馬車だ。
扉が開き、一人の女性が降り立った。
カツン、というヒールの音が響く。
年齢は20代半ばほどだろうか。
ダークブラウンの髪をきっちりとまとめ上げ、ギルド本部の制服である紺色のスーツを着こなしている。
知的な眼鏡の奥にある瞳は理知的で、その唇には完璧な角度の「微笑み」が浮かんでいた。
「ごきげんよう。……ここが、報告にあった未認可居住区『テラ・テルマエ』でしょうか?」
声は鈴のように美しいが、温度がない。
彼女は周囲を見渡し、マザーの巨体、整備された建物、そして俺たちを順に値踏みした。
「申し遅れました。私、冒険者ギルド本部・特別監査局より参りました、ソフィア・ローレンスと申します」
彼女は優雅に一礼し、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「本日は、当地区における『建築基準法違反』『未登録古代兵器の不法所持』および『ギルド法第8条・独占禁止法違反』の容疑について、監査に伺いました」
笑顔のまま告げられたのは、破滅の宣告だった。
「……監査?」
俺が呆気に取られていると、ララが血相を変えて飛び出してきた。
「ソ、ソソ、ソフィア様!? なぜ貴女のような本部の重鎮がこんな辺境に!?」
あの商魂たくましいララが、青ざめて震えている。
どうやら、相当な有名人らしい。
「あら、ララさん。ここに出入りしているとは聞いていましたが……違法建築への加担ですか? 商会の営業停止処分を検討せねばなりませんね」
「ひいっ!?」
ソフィアの笑顔に、ララが悲鳴を上げて後ずさる。
これが「社会的抹殺能力」か。
「待ってください。違法建築と言われても、俺たちはただ生きるためにここを作っただけで……」
「事情は考慮しません。法は法です」
ソフィアは俺の言葉を遮り、眼鏡の位置を直した。
「まず、あちらの巨大構造物……自律型重機とお見受けしますが、古代兵器の私有は『国際魔法条約』で厳しく制限されています。即時停止、および本部の管理下への移管を命じます」
彼女が指差したのは、マザーだ。
「それから、この温泉施設。衛生管理の届け出がされていませんね? 営業停止です。……それと、あちらのエルフの方々。居住権の申請は? 納税証明書は?」
次々と繰り出される指摘。
その全てが正論であり、反論の余地がない。
俺たちは無法地帯の荒野で勝手にやっていただけだが、国やギルドの枠組みから見れば「違法」の塊なのだ。
「……おい、テメェ。ここがどういう場所か分かって言ってるのか?」
業を煮やしたヴァネッサが前に出た。
大剣の柄に手をかけ、Sランクの殺気を放つ。
「この楽園を壊そうってなら、ギルドの監査官だろうが容赦しねぇぞ」
「あら、暴力による公務執行妨害ですか? ヴァネッサ・ブレイドさん」
ソフィアは動じない。むしろ、その笑みを深めた。
「貴女の現在の冒険者ランクの剥奪、および指名手配の手続きには、書類一枚で足りますが……よろしいので?」
「ぐっ……!」
ヴァネッサがたじろぐ。
武力では勝てても、権力という武器の前では分が悪い。
「反論がないようでしたら、これより強制執行の手続きに入ります。まずはその重機の動力炉を……」
ソフィアが一歩踏み出した、その時。
『お待ちください、監査官殿』
マザーが静かに声を上げた。
『当機は違法兵器ではありません。超古代文明法に基づく「自律型開拓支援ユニット」であり、現行法においても「所有者のいない土地の開拓権」は認められているはずです』
「……ほう? 古代の法を持ち出しますか」
ソフィアが興味深そうに眉を上げた。
『ええ。それに、貴女は先ほどから「違法」と仰いますが、当領地は衛生管理、建築強度、魔力汚染対策の全てにおいて、王都の基準値を遥かに上回る数値を記録しています。……ご覧ください』
ブウンッ!
空中に巨大なホログラムウィンドウが展開された。
そこには、テラ・テルマエの膨大な管理データが表示されていた。
水質検査結果、建物の耐震構造計算書、魔素濃度の推移グラフ、エルフたちの健康診断記録……。
緻密で、完璧な記録の数々。
『これほどの管理体制を敷いている拠点が、他にあるでしょうか?』
「……ッ」
ソフィアの目が釘付けになった。
彼女は監査官だ。書類と記録のプロフェッショナルだ。
だからこそ、目の前の情報がデタラメではなく、極めて精緻に記録されたものであることを一瞬で理解してしまったのだ。
「……素晴らしい。完璧な帳簿ですわ」
彼女の頬が紅潮した。
数字の美しさに興奮しているらしい。変な人だ。
『それに、ソフィアさん。……貴女、随分とお疲れのご様子ですね』
マザーが畳み掛ける。
『脈拍の乱れ、血圧の上昇、そして極度の肩こりと眼精疲労。……ここまでの道中、さぞかし大変だったでしょう。上層部からの無理難題、現場の突き上げ、溜まりに溜まったストレス……』
「うっ……」
ソフィアの鉄壁の笑顔が、ピクリと引きつった。
図星らしい。
『監査も大切ですが、まずはそのお体を癒やすのが先決かと。……当領地が誇る「極上のプラン」を体験してからでも、判断は遅くないのでは?』
「……極上の、プラン?」
「そうだ。論より証拠だ」
俺もマザーの意図を察して加勢した。
「俺たちの作った施設が本当に危険か、それとも有用か。あんた自身の体で確かめてくれ」
ソフィアは迷うように視線を巡らせたが、最後にため息をついて眼鏡を外した。
「……いいでしょう。ただし、審査基準は厳しくしますわよ?」
一時間後。
黄金色に輝く露天風呂に、ソフィアの姿があった。
「……はぁぁぁぁ…………」
魂が抜けるような溜息。
湯に浸かったソフィアの表情からは、「鉄の微笑」は完全に消え失せていた。
あるのは、ただただ快楽に身を委ねる、一人の疲れた女性の顔だ。
「な、なんなのですか、このお湯は……。肩の重りが、溶けていくようです……」
彼女は湯船の縁に頭を預け、虚ろな目で空を見上げた。
魔力治癒効果のある黄金泉が、酷使された彼女の肉体と精神を芯から解きほぐしていく。
風呂から上がると、次はマザー特製のエステコースだ。
アロマの香りが漂う個室で、マッサージアームと、エルフたちのハンドマッサージによる極上の施術。
凝り固まった筋肉が悲鳴を上げ、そして歓喜する。
「あだだだっ! ……あ、そこ! そこです! んあぁっ……!」
部屋の外まで変な声が漏れていたが、誰も聞かなかったことにした。
そして仕上げは、食事だ。
湯上がりの彼女の前に出されたのは、冷えた果実水と、彩り豊かな野菜料理。
エーテル水で育った野菜は、食べた瞬間に体に活力が満ちる。
「……美味しい。細胞が喜んでいるのが分かります」
ソフィアは一口ごとに噛み締め、涙ぐんですらいた。
普段、激務の中で簡単な食事で済ませていた彼女にとって、この「体に優しいご馳走」は何よりの贅沢だったのだ。
全てのコースを終え、テラスで夜風に当たっていたソフィアは、別人のようにスッキリとした顔をしていた。
肌はツヤツヤで、目の下のクマも消えている。
「……完敗ですわ」
彼女は俺たちに向かって、今度は本心からの穏やかな笑みを向けた。
「法的には灰色……いえ、真っ黒な部分もあります。ですが、この環境、この設備、そしてこのおもてなし。これを取り潰すのは、ギルドにとって……いいえ、人類にとっての損失です」
彼女は懐から、新しい羊皮紙を取り出した。
そして、サラサラとサインを書き込む。
「本拠点を、冒険者ギルド法第4条に基づく『特例Sランク保養拠点』として認定します。これにより、マザーさんの存在も『拠点防衛システム』として特例認可されます」
「本当か!?」
「ええ。ただし、条件があります」
ソフィアは眼鏡を掛け直し、キリッとした表情に戻った。
「この拠点の管理・監督のため、ギルド支部を設立します。そして……」
彼女は俺に指を突きつけた。
「私が、初代支部長としてここに駐在します!」
「……は?」
「文句は言わせません。私には、この素晴らしい環境を管理し、冒険者たちの癒やしを守る義務があるのです! 本部の仕事なんて、もう知ったことではありませんわ!」
要するに、ここに住みたいだけだ。
職場放棄宣言である。
「やったわねアルド! これで法的な後ろ盾もバッチリよ!」
ララが手を叩いて喜ぶ。
ヴァネッサも「まあ、酒飲み友達が増えるならいいか」と笑っている。
こうして、テラ・テルマエに新たな仲間が加わった。
最強の監査官改め、最強の事務方、ソフィア。
彼女の加入により、俺たちの領地は「法」という最強の盾を手に入れ、いよいよ国家としての体裁を整え始めるのだった。
……ちなみにその夜、ソフィアは「歓迎会」と称して誰よりも酒を飲み、上司への愚痴を叫びながらシロに抱きついて泣いたという。
鉄壁の微笑みの裏には、相当なストレスが溜まっていたらしい。




