コスプレ初体験、揺れる記憶と戸惑いの胸
翌朝。
小鳥遊雛こと元・体育講師の佐伯剛は、寮の部屋で目を覚ました。大きな胸の重みで目覚める感覚にも、少しずつ慣れ始めている自分が怖い。
頭では「男に戻らないと」と思っているのに、身体と周囲の環境が否応なしに“女子大学生”として振る舞うことを強要してくる。今日こそはなんとか織田翔太に話をつける——そう考えながら、重い瞼をこじ開けた。
「おはよ、雛ちゃん」
隣のベッドでは、先輩女子の星川麗が背伸びをしながら声をかけてくる。二人部屋のルームシェアなので、お互いの生活感が筒抜けだ。雛の小動物的な姿と麗のモデルのようにシュッとした姿が対照的で、まるでコントのようにも見える。
「ん……おはよ、星川……さん」
「ほら、“さん”付けはやめてって言ってるでしょ。私は先輩だけど、そんなに堅苦しくする仲じゃないじゃん」
笑いながら麗が雛の布団をペラリとめくる。すると淡いパジャマ姿の雛の体が露わになる。胸元は相変わらずボリューミーで、寝返りを打つたびにパジャマのボタンが外れそうだ。
「きゃ……ちょ、ちょっと!」
「ふふ、隠すことないじゃん、同じ女の子なんだし」
悪戯っぽい表情で言われ、雛は耳まで赤くなる。実際、今の身体は完全に女だが、当の本人の意識には未だ抵抗がある。とはいえ、これ以上騒ぐのも変に思われるだけだ。
「早く着替えよ。今日は授業が終わったあとコスプレ撮影会に行くって言ってたじゃん。覚えてる?」
「え……撮影会?」
記憶にはまったくないが、どうやら“雛”としては既に予定に入れているらしい。雛のスマホを確認すると、「午後、大学近くの公園にて撮影会」とグループチャットに書き込みがある。そこには麗や他のメンバーのコメントも並び、まるで当然のイベントのようだ。
(うわ、こんなの出たくない……けど、強く否定するほどの根拠もない。織田の件もあるし、下手に逃げ回ると逆に戻れなくなるかもしれないし……)
そう考え込んでいると、麗が楽しそうに続ける。
「実はね、学祭でやるコスプレコンテストの前哨戦みたいなものなの。出場予定のメンバーが集まって、写真を撮り合いながら練習するっていう。雛ちゃんもぜひ参加してって、みんなが言ってたよ」
「……みんなが」
「そう。特に漫画研究部の人たち、雛ちゃんを“期待の新人”扱いしてるもん。ほら、『コスプレ歴長いのに、見た目の可愛さは新人級』っていうギャップがいいんだってさ」
本人としてはまったく笑えないギャップだが、麗や部員にとっては受けがいいらしい。
結局、このままコスプレ界隈のイベントに参加しないと、織田を捕まえる機会を失うかもしれない。それならば、いっそこの撮影会で織田と接触し、どうにか“元に戻す”件を進めるほうが得策ではないか。そう思い至った雛は、仕方なく頷いた。
「わかった……じゃあ行く」
「はいはい、決まり。じゃあ、朝ごはんは食堂で軽く済ませてから行こうね」
麗がにっこり微笑み、さっさと着替えを始める。雛は溜め息混じりにパジャマを脱いで、ブラジャーをつけ直した。相変わらず慣れないが、昨日よりはスムーズにホックを留められてしまう自分に気づき、複雑な心境になる。
(まるで、“小鳥遊雛”の動きが身体に染みついているみたいだ)
――――――
寮の食堂に向かうと、既に多くの女子学生が朝食をとっていた。パンやサラダ、シリアルなどがバイキング形式で用意されており、皆思い思いにトレイを手に並んでいる。雛もその列に加わるが、いつの間にか“自分好み”を自然に選択していることに気づいた。
(甘めのヨーグルトとか、あんまり好きじゃなかったはずなのに……不思議だな)
舌や脳が“女の子好み”の味覚に寄ってきているのか、違和感よりも「これおいしそう」という興味のほうが強い。トレイにはフルーツサラダ、ヨーグルト、牛乳、少し甘そうなパン……男だったころのガッツリ朝定食とはまるで違うチョイスに苦笑せざるを得ない。
麗とともに空いている席を見つけ、腰を下ろすと、通りがかった友人らしい女子たちが「おはよ雛ちゃん」「今日も可愛いね」と声をかけてくる。雛はまだ戸惑いながらも、軽く笑みを返してしまう。そのたびに、「私が可愛い……?」という妙な感情が込み上げてきては、心臓がくすぐったくなる。
「ね、雛ちゃん。午前中の授業、何取ってたっけ?」
「え、ああ……」
麗に質問されてスマホの時間割アプリを開くと、“雛”の履修科目がずらりと表示される。どれも文学や言語学関連で、男だった頃の佐伯には縁遠い。にもかかわらず「これは出席厳しい」「これはレポート課題が多い」などの情報が脳内でひとりでに浮かんでくる。
(本当に、記憶まで書き換えられてるんだな……)
目に見えないところまで侵食されているかと思うと、不安になる。今はまだ「元は男だった」という自覚を失ってはいないが、いつまで持ちこたえられるのか。
「じゃあ私たち、朝食済ませたらそれぞれ授業行って、昼前に合流ね。撮影会は午後イチから準備するって言ってたから」
「うん、わかった」
そんなやり取りをしながら食事を終え、雛は講義の教室へと向かった。
――――――
午前の講義は文学史だった。苦手意識を抱きつつも、席につくと自然にノートを取り出し、教授の話をメモし始める。隣の女子から声をかけられ、「ねえ、昨日の課題どうだった?」と聞かれると、それとなく答えが口を突いて出る。どうやらここでも“雛”の記憶が雛をサポートしており、普通に講義を受けこなせるようだ。
(こうやって過ごしてると、本当に女の子の大学生活みたいだな……)
急に心がザワザワしてくる。自分はこのまま女性として生きる羽目になるのか? その可能性が頭をよぎるたびに怖くなるが、講義に集中しているうちに時間はどんどん過ぎてしまう。
そして昼近く。授業が終わり廊下へ出ると、またしてもあちこちから「雛ちゃん」と呼ばれ、何気ない世間話を持ちかけられる。こうして見ると、彼女は男子学生からも人気があるようだ——声をかけてくる男子も少なからずいて、「あの…小鳥遊さん、今度サークルのイベントに来ない?」などと誘われたりする。雛としては気まずいが、相手は普通に女子への声かけと思っているだけなので断るのも難しい。
「ご、ごめんなさい、その日は予定があって……」
「そっか、残念。また誘うね!」
慣れないコミュニケーションに変な汗をかきつつ、雛はどうにか逃げるようにその場を離れた。
(今は織田を探さないと……)
撮影会の場所は大学近くの公園だと聞いている。先に支度をするため、寮に戻るなりコスプレ衣装を持って集合する流れのようだ。雛は麗と連絡を取りながら女子寮へ急ぎ、部屋に入る。
部屋には既に麗が戻っており、大きな衣装バッグを用意していた。開いてみると、中にはアニメ風の華やかな衣装や小物がぎっしり。フリルやリボン、飾りがふんだんについていて、見るからに“萌え系”のデザインだ。
「うわ……これ、着るの?」
「そうだよ。可愛いでしょ? あたしがアレンジ手伝ったんだ。雛ちゃんのサイズに合わせて細かく修正してるから、きっとピッタリだよ」
麗は得意げにウインクするが、雛としては気が重い。ともあれ、今日はこれを着て公園で撮影するらしい。どうせ避けられないなら、早めに済ませたい。
「じゃあ着替えるね……」
「うん、手伝おうか?」
「い、いいっ! 自分でやるから!」
慌てて拒否すると、麗はクスクス笑いながら「じゃあ私はメイク道具とか準備しとくね」と言ってクローゼットをあさり始めた。雛は衣装バッグから取り出したコス服を眺め、改めてその可愛らしさにため息をつく。淡いピンクと白を基調にしたフリフリのワンピース、肩や胸元にレースがたっぷりあしらわれている。スカートはふんわり広がるタイプで、丈はそこそこ短そうだ。
「……やるしかないか」
意を決してブラウスとスカートを脱ぎ、下着姿になる。大きな鏡に映る自分の裸体を見ると、やはり目が行ってしまうのはバスト。いまだに「あれ、こんなに大きかったか?」と自分で驚くことがある。見るたびに少しずつ慣れつつも、完全に「これは自分の胸だ」と割り切るのは難しい。
コスプレ衣装のワンピースを頭からそっとかぶり、肩紐を調整する。すると、胸のカップ部分がしっかりフィットするように作られており、思った以上に着心地が楽だ。裾のフリルは腿あたりでふわりと揺れ、歩くとひらひらと可愛らしく翻りそう。
(なるほど……こういうの、ちゃんとしたコスプレ衣装なんだな。想像以上に本格的だ)
恥ずかしさは拭えないが、鏡を見ればそこに“可愛い女の子のコスプレイヤー”が映っているのだから、複雑な気持ちになる。そんな中、肩ひもを引っ張って背後のジッパーを上げようとすると、なかなか届かない。
「くそ……やっぱり一人じゃ難しい」
仕方なく「あの、麗……背中のジッパー、上げてもらっていい?」と小声で頼むと、すぐ隣で聞いていた麗が「はいはい、任せて」とにこやかに近寄ってくる。
麗の指が雛の背中に触れると、思わずブルッと震えてしまう。スッ……とジッパーが引き上げられ、背中から腰にかけて衣装がぴったりフィットしていく。
「ほら、すっごい綺麗なラインじゃん。胸は苦しくない?」
「うん、大丈夫……」
実際に胸元はかなりのボリュームだが、衣装にしっかり余裕があるため圧迫感は少ない。むしろしっかり支えられている感じで安心感すらある。それでも恥ずかしいには違いない。
「じゃあ次は髪型だね。ウィッグは……今回はつけなくていいんじゃない? 雛ちゃん自身の髪で十分可愛いし」
「え、でも……」
「大丈夫だって。自前の髪をアレンジするだけで映えるよ。それに変にウィッグをかぶるより、自然な仕上がりになる」
そう言われ、麗はブラシを持って雛の後ろに回る。丁寧に髪をとかし、サイドをツインテール風にくるりとまとめる。すると、手早い作業であっという間にガーリーな髪型が出来上がっていた。鏡を見ると、まるで“アイドル風”に見えなくもない。
「うわ……これ、ほんとに私?」
「ふふ、可愛いでしょ? あ、ちょっとチークを足そうか。あとリップも少しだけ艶を出したほうがいいね」
麗は慣れた手つきでメイク道具を取り出し、雛の顔を仕上げていく。ほほにピンク色のチークを乗せ、唇にはグロスを重ね、軽くアイラインを整えると、まるでアニメから抜け出したような愛らしい少女が完成した。
「……うわぁ……」
雛は思わず唖然とする。数日前まで男だった身からすれば、信じがたい姿だ。それでも鏡に映る彼女は確かに可愛い。逆に「こんな自分が大学の体育講師だった」なんて、誰も信じないだろう。
「よーし、準備完了! それじゃあ公園に行こっか。部のみんなも集まるから」
「……うん」
心底気乗りしないが、今はやるしかない。雛は麗と一緒に衣装バッグを抱え、大学近くの公園へ向かった。
――――――
大きな噴水がある公園の一角に、既に十数人のコスプレイヤーやカメラマンが集まっていた。大学の漫画研究部を中心に、他大学の友人やSNSで繋がった人々も来ているようだ。みんな思い思いのキャラクターや衣装を着ていて、公園の人目を引いている。
「おーい、雛ちゃん!」
遠くから手を振るのはアプリ使用者本人、織田翔太だ。彼もファンタジー系の衣装を身にまとい、そこそこ様になっている。男のキャラコスだが、長髪ウィッグをつけてアクセサリーをじゃらじゃらと身につけ、コート風の衣装を翻していた。なかなか凝ったデザインだ。
「やあやあ、やる気満々じゃん。そんなに可愛くしてきてくれて嬉しいよ」
「な、バカ言うな……お前に褒められても嬉しくない」
思わず突っぱねる雛だが、織田は大して気にする様子もなく、「まあまあ、せっかくなんだから楽しみなよ」と軽口を叩く。周囲の人々は二人のやり取りを「先輩と後輩の微笑ましいじゃれ合い」とでも思っているのか、くすくす笑いながらカメラを構えている。
「さて、撮影始めようか。まずは個人写真からだね。雛ちゃん、あっちの木陰が背景に良さそうだから、そこに立ってみてくれる?」
「はあ……」
仕方なく指示通りに木陰へ移動し、カメラマン役の人たちに向かってポーズをとる。といっても、雛本人はコスプレポーズなどわからないが、不思議なことに体が勝手に“この衣装ならこういう立ち方が映える”と理解しているような動きをする。いつの間にか小首を傾げ、ニコッと笑顔をつくっている自分に気づき、ぞっとする。
(本当に“雛の記憶”に引っ張られてるんじゃ……)
シャッター音が鳴り、レフ板で光が反射されるたびに「かわいい!」「そのまま!」「もう少しこっち向いて!」という声が飛ぶ。カメラマンの大半は学生だが、手馴れた様子でどんどんポーズをリクエストしてくる。雛はその要望に応えるように自然と体を動かし、スカートの裾をひらっと持ち上げたり、両手を胸元で合わせて上目遣いになったり……。
(これって男としてのプライドはどこに行ったんだ……)
内心泣きそうになりながらも、撮影が続くうちに不思議な興奮が湧いてくる。普段なら味わえない「視線を浴びる快感」が、くすぐったくも悪くないと思い始めている自分がいる。そんな自覚に焦りながらも、まるでステージに立たされたアイドルのようにノリノリでポーズをとってしまう。
途中、スカートの短さが災いして下着が見えそうになり、あわてて両手で押さえる場面もあった。周囲の男子は「うおっ!」と色めき立つが、仲間の女子が「ちょっと、あんまりエッチな目で見ないの!」と笑いながらたしなめる。この際、雛のバストも激しく揺れやすいデザインで、ポーズを変えるたびにふわりふわりと豊満な胸元が揺れ、カメラマンたちが思わず息を飲むシーンもあった。雛は顔を真っ赤にして恥じらうしかない。
(は、恥ずかしすぎる……でも、変に嫌がったら場が白けるし……)
結局、撮影会をするコスプレイヤーたちに混じって、雛は一通りの写真を撮られるはめに。それも驚くほど盛り上がり、拍手と歓声まで上がる。そこへ、星川 麗や他の友人も加わってグループ撮影を行い、さらに大輪をかけて賑やかになる。
「わー、みんな可愛いね! ツーショット撮りましょ!」
「麗先輩と雛ちゃん、一緒にポーズしてー!」
そんな声に乗せられ、麗との寄り添いツーショットも撮る。麗のスリムで長い脚と、雛の小柄かつ巨乳の対比が絶妙に映えるらしく、カメラマンたちは興奮気味。胸と腕が軽く触れ合うと、雛は思わずゾクリとした。
「ふふ、雛ちゃん。こうやってコスプレ楽しむの、やっぱり最高だね」
「あ、う、うん……」
返事だけは素直にするが、内心まだ戸惑っている。しかし、あれだけ嫌がっていたはずが、撮影を重ねるうちにどこか心が弾む感覚が生まれていた。完全に“雛”になりきってしまいそうで怖いのに、周囲の称賛とカメラのフラッシュが心をくすぐって離さない。
――――――
撮影会が一段落し、休憩タイムになると、参加者たちは木陰のベンチやレジャーシートに腰を下ろして喉を潤している。雛も冷たいお茶を飲んでほっと一息をついた。すると、織田がひょいと隣に座ってくる。
「お疲れ、雛ちゃん。いやー、いい写真撮れたね」
「ふん……どうせお前は面白がってるだけだろ」
「まあ、面白いよ。だって最初はあんなに抵抗してたのに、今じゃあそこまでノリノリなんだから」
織田がニヤニヤと笑う。その挑発的な顔にカッとしつつも、図星を突かれた気がして言い返せない。
「……とにかく、約束は忘れんなよ。コスプレコンテストで優勝したら、元に戻してくれるって言ったよな」
「ああ、もちろん。俺も嘘つきは嫌いだからね。実行するかどうかはその時の気分次第だけど……まぁ、ちゃんと最優秀賞取れれば可能性は高いよ」
相変わらず曖昧な言い回しだが、雛にはしがみつくしかない。見渡すと、他のメンバーも楽しそうだ。誰も佐伯剛の存在など覚えていない。織田以外に手掛かりはないのだ。
「……じゃあ、あたしはもう少し頑張るよ」
「あたし、って。自分で言うようになったんだね。可愛いじゃん」
「うるさい!」
思わず小突こうとするが、体が小さいせいかあまり威力がない。織田は余裕の表情で笑い、さらに言葉を重ねる。
「まあ、安心しなって。雛ちゃんは強力な武器——その可愛さがあるから、やる気さえ出せば優勝も夢じゃないと思うよ。ねえ、そのためにももっとコスプレ慣れしておかないとね?」
「どういう意味だよ……」
「今度、学祭に向けたプレイベントがあるんだ。そこでも小規模なコンテストがあるから、雛ちゃんにも出て欲しい。より多くのステージ経験を積めば、本番に備えられるし」
どうやら、織田は本気で雛を“優勝候補”として仕上げたいらしい。もちろん、その裏にどんな企みがあるかは分からないが、今の雛には選択肢がほとんどない。
「……わかった。でも、お前がちゃんと手を貸せよ」
「もちろん。それが俺の役目だから」
にやりと笑う織田。周囲の目からは、先輩男子と後輩女子がコソコソと親密な話をしているだけに見えるのだろう。ところどころで「織田先輩と雛ちゃん、いい感じじゃない?」なんて冷やかしの声が上がる。
(誰が“いい感じ”だ、バカバカしい……)
雛は憤りを感じながらも、赤くなった頬を隠すように顔を背けた。
――――――
その後、午後の撮影会は夕方近くまで続き、屋外でのポージングからグループ撮影、さらには動画撮影など盛りだくさん。雛は途中で息切れしそうになりながらも、いつの間にか苦にならなくなっていた。“可愛い衣装を着て人前に出る”という行為が、そこまで抵抗を感じなくなり始めたのだ。
(……まずい、これが“雛の記憶”か。それとも単純に慣れてきただけ?)
自問自答しつつも、もうどうしようもない。周囲の女子たちと同じように楽しんでしまっている自分がいる。
「やっぱり実際に外で撮影するとテンション上がるよね! 雛ちゃん、SNSに写真あげるんでしょ?」
「え? あ、うん……そうだね」
誰かに聞かれて反射的に答えると、「後でタグ付けしてね!」などと返される。気がつくと、自分のスマホの中にたくさんの写真が増えていて、「#〇〇(作品名)」「#大学コスプレ」などのハッシュタグをつけて投稿する流れになっている。
いま投稿画面を開けば、そこには既に“雛”名義のアカウントが大量のフォロワーを抱えており、日々の投稿に数百件のいいねがついている。改めて凄い熱量だと感じる一方、「これ、俺がやってるんだよな……?」と考えると急に現実感が失われる。
「……このまま飲み込まれそうで怖い……」
思わず呟くと、隣にいた麗が首をかしげて「え、なにが?」と尋ねる。慌てて誤魔化す雛。
「ううん、なんでもない……」
――――――
夕方。撮影会が終了すると、みんなで「お疲れさまー!」と挨拶を交わし、それぞれ着替えや片付けに移る。雛も麗と連れ立って更衣スペースとして借りていた近隣のコミュニティセンターへ行き、衣装を脱ぐことにした。
コミュニティセンターの小部屋を女子更衣室代わりに使わせてもらっているらしく、そこには数名の女子が下着姿で着替えをしていた。雛は戸惑いながらも、当たり前のように入り、コスプレ衣装を脱ぐ。鏡の前でブラジャー姿になると、周囲の女子たちが「あ、雛ちゃんの下着かわいい~」と横目で声をかけてくる。
「……っ」
反射的に腕で胸を隠しそうになるが、みんな全然気にしていない様子。相互に「そっちの衣装どこで買ったの?」とか「次はどんなコスにする?」とか談笑しながら下着姿でウロウロしている。
(そうだった……ここじゃ俺じゃなくて“雛”なんだから、当たり前か。男が女の更衣室に紛れ込んでるって意識は俺だけ……)
とはいえ、セクシーな下着や体のラインがちらほら見える光景に、男の意識が騒ぎ立てる。胸が高鳴り、目のやり場に困ってしまう。だが、自分の体も同じ女の子という事実がさらに複雑だ。気を抜くと自分自身の胸が視界に入り、「ああ……俺もこんなに丸出しなのか」と再認識してしまう。
「雛ちゃん、汗かいてるから、拭いてから服着たほうがいいよ?」
「あ……うん、ありがとう」
麗がタオルを手渡してくれたので、雛は背中を中心に軽く汗を拭う。バストの下のほうにも汗が溜まっていて、タオルでそっと押さえると、なんとも言えないむずがゆさを感じた。
(こんなに胸の下が蒸れるもんなのか……大きいと大変だな)
自分ごとなのに他人事のように思ってしまう。周囲の女子もそれぞれ似たように汗を拭いたりしているが、バストがそこまで大きい人は少なく、雛の胸元だけ明らかに目立つ。
「雛ちゃんって本当にスタイルいいよね。背は低いのに胸は大きくて、ウエストも細いし……嫉妬しちゃうな」
「そ、そうかな……あんまり嬉しくないけど」
「何言ってんの、男の子ウケ最高じゃない? あ、でも雛ちゃんは女子にも人気あるし、最強じゃん」
お調子者の友人に言われ、雛は苦笑いするしかない。男ウケなんてどうでもいいと今は思うが、もともと自分が男だったことを考えると妙な気持ちになる。
――――――
着替えを終えて外に出る頃には、すっかり日が傾いていた。参加者たちはそれぞれ帰路につき、数人が「打ち上げ行こうか?」と盛り上がっている。雛にも誘いが来るが、今日は寮に帰って休みたい気分だった。
「ごめん、今日はパスかな……ちょっと疲れちゃって」
「そっか、また今度行こうよ!」
笑顔で別れを告げ、雛と麗は寮への帰り道を歩く。二人とも撮影でかなり体力を消耗しており、夕食は食堂で軽く済ませるか、途中でテイクアウトを買っていくか迷っている様子だ。
「ねえ、雛ちゃん。今日はどうだった? 撮影会、結構きつかった?」
「うん……正直疲れた。ずっとポーズ取らされてたし」
「まぁ、人気者は大変だよね。でも、雛ちゃんが輝いてたのは本当だよ。周りのみんなも『雛ちゃん可愛い』って言ってたし」
そう褒められると、雛はなんとも言えない恥ずかしさと微かな喜びが胸をくすぐる。この自分が褒められて何が嬉しいんだ、と自己嫌悪しつつも、まんざらでもない気持ちが顔を熱くする。
「ほら、顔赤い。こういうとこがまた可愛いんだよね、雛ちゃん」
「べ、別に赤くなんか……」
完全に女子同士の軽口になっている自分に気づき、さらに恥ずかしくなる。
――――――
寮に戻って食堂で夕食を軽く摂り、自分たちの部屋に帰り着いたのは20時前。シャワーを浴びたい衝動に駆られたが、麗が「大浴場行こうよ!」と誘ってくる。
「う、また大浴場?」
「だって疲れてるでしょ? 広いお風呂でゆったりしたほうがリフレッシュできるよ。夕食後で混んでるかもだけど、それは仕方ないよね」
雛としては「混んでるほうが困る」わけだが、断ると不審に思われそうだ。渋々承諾し、バスタオルと洗面道具を持って女子寮の大浴場へ向かう。
案の定、入ってみると脱衣所には十数人の女子がいた。ちょうど同じ時間帯で考えることは皆同じらしい。慣れない裸の付き合いに内心ドキドキするものの、表向きは普通に着替えてるふりを装うしかない。
(うわ、すごいにぎわってる……)
パラパラと視線を感じる。雛の爆乳ぶりは女子寮でも有名らしく、「雛ちゃん、大変そうだね」「肩こらない?」などと軽口を叩かれることもしばしばだ。雛は苦笑いで応えるしかない。
「今日はコスプレ撮影会だったんでしょ? どんな衣装着たの?」
「えっと……フリルがいっぱいの、ちょっとアイドルっぽい衣装……」
「絶対可愛い! 見たかったなー」
脱衣所だけでもこんな調子なので、全裸のまま集まってきて賑やかに喋る女子たちがいる中、雛はちゃっちゃと脱いでバスタオルを巻く。ところがタオルでは胸を覆いきれないのか、谷間がチラチラ見えて落ち着かない。
(本当に、なんでこんなに……やっぱりIカップなんて異常だろ!)
文句を言っても仕方ないが、男としては慣れない刺激が強すぎる。視線を逸らしつつ浴室内へ入り、身体を洗う場所を探す。すると、ちょうど麗がシャワーの空きを見つけて座ったので、その隣に腰を下ろした。
「よし……ふう」
蛇口をひねってお湯を出し、まずは髪を濡らす。これもだいぶ手際が良くなってきた。大きな胸が邪魔をするのは相変わらずだが、髪が長いことにも少しずつ慣れ始めている。
「ねえ雛ちゃん、今日のコスプレほんと可愛かったよ。途中、胸が揺れまくってて男の人たちが目を離せない感じだったけど」
「そ、そんなこと言わないでよ……恥ずかしいんだから」
「えへへ、でも羨ましいな。あんなに目立てるのって才能だよ。雛ちゃんの武器じゃん」
“武器”と言われても困るが、事実、視線を集められるのは優位かもしれない。どうせ優勝を狙うなら……と考えている自分がいることに気づき、雛はぎょっとした。
(ダメだダメだ。“武器”とか思ったらもう戻れなくなるだろ……)
しかしそんな葛藤をよそに、周りの女子たちはワイワイ喋りながら身体を洗っている。ちょっとエッチな話題になると、雛の巨乳が引き合いに出されることもあり、恥ずかしくて仕方ない。
「でも、あんまり大きいと下着選ぶの大変でしょ? お店にサイズないこと多いよね?」
「そ、そうだね……下着売り場で探すの大変……なのかな」
「なのかなって……雛ちゃんが一番わかるんじゃないの?」
(い、いや、俺はわからんよ……)
そう心の中で叫ぶが、表には出せない。話を合わせるフリをして適当に流すしかない。幸いみんなおしゃべりに夢中で、深くは追及してこない。
やがて雛は身体を洗い終わり、湯船へ向かう。広い浴槽の中にはすでに何人かが浸かっており、談笑しながらのんびりしていた。端のほうに腰を下ろし、ざぶんと肩まで浸かると、思わずホッと息が漏れる。
(ああ……気持ちいい。今日は一日、撮影で体が固まってたから……)
ほわっとした湯気と適度な熱さが、疲れをほぐしてくれる。スポーツをするのとはまた違う種類の疲労だが、重い胸や慣れないハイテンションのポージングで筋肉がこわばっていたのかもしれない。
暫しぼんやり浸かっていると、麗が後から入ってきて隣に座った。肩まで湯に沈め、長い髪を上げながら「あー気持ちいい」と伸びをする。湯船が揺れ、波が軽く雛の胸を撫でるように揺らす。
「……ふぅ」
周囲の話し声をBGMに、雛は考える。今日一日、自分はほとんど“雛”としてコスプレやSNS投稿を楽しむような感じになっていた。本来なら屈辱的で抵抗しか感じないはずの行為を、「仕方なく」とは言いつつも、内心で「悪くない」と思ってしまう瞬間があったのも事実だ。
(それが怖い。次第に“自分”が消えて、完全に雛になっちまうんじゃないか)
大浴場の熱気とともに思考がぼんやりしてきて、軽い眩暈を覚える。湯に浸かりながら目を閉じると、なぜか頭の中に“学生時代の思い出”のようなイメージが浮かんできた。
——まだ中学生くらいの頃らしい。制服の胸元が急にきつくなって苦しんでいる女の子。それが、自分のようでもあり、他人のようでもある。その子はクラスメイトの男子に「胸デカッ」と冷やかされ、嫌な思いをしていた。しかし、同じクラスの女の子たちや先輩が「コスプレイベントに行くと楽しいよ、悩みなんて吹き飛ぶから」と誘ってくれて——。
(な、なんだ、この記憶……)
雛は首を振って目を開けた。そうだ、自分はそんな経験をしたはずがない。自分は男だったころ、中学時代はバスケ部で汗を流していたのだから。けれど今、脳裏に焼き付いて離れないその映像がやけにリアルで、まるで自分自身の体験談のように感じられてしまう。
「雛ちゃん、どうかした? 具合悪いの?」
「あ、ううん……ちょっとのぼせただけ」
心配そうに覗き込む麗にそう答えると、「無理しないでね」と声をかけられた。雛はこれ以上変な気配を見せないよう、さっさと湯船から上がることにする。
——また、“教師だった自分”の記憶が少し遠のいた気がしてならなかった。
――――――
部屋に戻り、軽くストレッチをしてからベッドに横になると、スマホの通知がピコピコと鳴っていた。SNSに投稿した写真へのコメントやいいね、撮影会に参加した人たちからの「お疲れさま」メッセージ、さらには「#小鳥遊雛」のタグがついている投稿などが大量に流れてきている。雛のタイムラインは一気に埋め尽くされていた。
「……すごい数だな」
さっきまで拒否感があったはずなのに、今はなぜか「どんなコメントが来てるんだろう」と興味を抱いてしまう。少しだけ——という気持ちで覗いてみると、「今日の雛ちゃん可愛すぎ」「神かよ」「あの衣装最高だった!」「拝みたくなる……」と絶賛の嵐だ。照れくさいが、悪い気はしない。
(みんな、そんなに楽しんでくれたのか……)
胸に生まれるほんのりとした嬉しさ。相反するように、「こんな風に喜ばれているのなら、もう男に戻らなくても……」という危険な考えが頭の片隅をよぎる。慌てて振り払うが、一度芽生えた気持ちはそう簡単に消えない。
(違う違う、俺は……本当は男で、体育講師で……戻らなきゃだめだろうが!)
自分に言い聞かせるようにスマホをぎゅっと握りしめる。その時、プルルルと着信が入り、画面に「織田 翔太」と表示された。
「……織田から?」
通話ボタンを押すと、相手の声が耳に飛び込んでくる。
『おつかれ、雛ちゃん。今日はありがとうね。写真もたくさん撮れたし、みんな喜んでたよ』
「なんの用?」
『冷たいなあ。ま、いいや。ちょっと伝えたいことがあってさ。今度、学内のステージでコスプレを披露するプレイベントがあるって言っただろ? その詳細をまとめたからLINEで送るけど……雛ちゃん、出るよね?』
またしても強引な言い方だが、雛には選択肢がない。
「出るしかないでしょ。優勝に近づくためなら……」
『よし、話が早くて助かる。じゃあ衣装のデザインをいくつか提案したいから、近いうちに部室に来てよ。星川先輩も来てくれるって言ってたし』
「……わかった」
渋々了承すると、『ありがと、期待してるよ』と言って電話は切れた。
受話器を置いた雛は改めてスマホの画面を見つめる。アプリ……Rewriteとか言ってたっけ。あれさえなければ、こんな事態にはならなかったのに。どうにかしてそのアプリを取り上げて、自分で設定を元に戻せないものか——そう思うが、織田のスマホがどこにあるのかすら把握していないし、むやみに盗もうとすれば逆効果だろう。
「ちくしょう、どうすればいいんだよ……」
苛立ちを抱えながらベッドに転がる。その拍子に胸が揺れ、「……うっ」と情けない声が出る。それでもこれまでより多少は慣れている自分がいるのだから、情けない話だ。
正直なところ、このままコスプレやSNSを楽しみ続けていれば、本当に“小鳥遊雛”として幸せになれる気もする。でも……やはり「佐伯剛」としての自分が完全に消えるのは嫌だ。教師としてのアイデンティティや人生を取り戻さないと——そう思い、今日の撮影会で芽生えてしまった自分の変化に困惑する。
(あした、朝早く起きて一人で職員室に行ってみようかな。もう一度しつこく探して、何か残っていないか確かめるんだ。もし俺が本当にいた痕跡が少しでも残っていれば……)
そう決めて、雛は意識を手繰り寄せるように目を閉じた。バストの存在感とメイク落としのひんやりした感覚が気になりながらも、疲れのためか程なくして眠気に襲われる。
(明日こそ、何か糸口を見つけてやる……)
そんな決意を抱きつつ、雛はまた一歩“女子大生の自分”としての日常に踏み込んでいくのだった。