表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/10

第五章:光の交差点

### 1


 それから一ヶ月が過ぎた。


 真奈とアレックスは、正式に交際を始めていた。休日には一緒に過ごし、平日は「ルーチェ」での短い時間を大切にする。


 ある日、真奈は気付いた。最近、BL作品を読む時間が減っていることに。


(これって、現実の恋に満足してるってこと……?)


 それにきづいた真奈は、自分自身、少し驚く。しかし、それは決して後ろめたい気持ちではなかった。二次元の世界は、依然として彼女の大切な場所。ただ、現実の世界も同じように輝きを持ち始めていた。


### 2


「ねえ、真奈」


 デートの帰り道、アレックスが呼びかけた。最近では、「さん」付けを省くようになっていた。


「なあに?」


「君の好きな作品の、新作劇場版アニメが公開されるんだよね?」


「え? ええ、そうですけど……」


「一緒に観に行かないか?」


 その提案に、真奈は驚いた。


「でも、アレックスさんは……」


「僕も楽しみにしてるんだ。それに」


 アレックスは、真奈の目をまっすぐ見つめた。


「君が好きなものを、もっと知りたいから」


 その言葉に、真奈は胸が熱くなった。


### 3


土曜日の映画館。


 チケットカウンターまでの長い列に、真奈とアレックスは並んでいた。周囲には同じアニメ映画を観に来たカップルや女性グループが多い。その中で、スーツ姿の外国人男性と、普通の黒髪の女の子という組み合わせは、明らかに目立っていた。


「あの人、モデルさんかな……」

「でも、なんでアニメ映画?」

「となりの子、地味めだけど……」


 耳に入ってくる囁き声に、真奈は少しずつ体が縮こまっていく。


(やっぱり、私なんかじゃ不釣り合いよね……)


 黒縁メガネの縁を、無意識に触る。いつもの癖だ。隣にいるアレックスは、まるでファッション誌から抜け出してきたような完璧な容姿。それに比べて自分は――。


「真奈」


 突然、アレックスが彼女の手を握った。


「え?」


「寒いね。もう少し近くにいってもいいかい?」


 優しい声に、真奈は顔を上げる。アレックスは、いつもの穏やかな笑顔を向けていた。


(気付いていたの? 私の不安に……)


 視線は相変わらず感じる。むしろ、手を繋いだことで更に強くなったかもしれない。でも、不思議と心が落ち着いてきた。


「この映画、原作のストーリーが素晴らしいって聞いたんだ」


 アレックスは、自然な様子で話を続ける。


「作者が描く人間関係の機微が、とても繊細で美しいらしくて。真奈が好きな要素が詰まってると思うんだ」


 その言葉に、真奈は思わず目を丸くする。


「アレックスさん、そんなこともお調べになってたんですか?」


「もちろん。だって、君と一緒に楽しみたいから」


 素直な言葉に、周囲の視線も気にならなくなってきた。


「次のお客様、どうぞ」


 カウンターに呼ばれ、二人は前に進む。


「二枚、お願いします」


 アレックスが英語訛りの丁寧な日本語でチケットを購入する。窓口の女性が、二人を見て優しく微笑んだ。


「はい、こちらでございます。スクリーン正面の、カップルシートをご用意しました」


 その言葉に、真奈は思わず頬が熱くなる。でも、もう恥ずかしさは感じなかった。


(そうか。私たち、カップルなんだ)


 映画館のロビーに入ると、ポップコーンの香ばしい匂いが漂ってくる。


「何か食べたい物ある?」


「え、と……」


「僕は甘いポップコーンがいいな。真奈は?」


「私も、同じものを……」


 アレックスは嬉しそうに頷き、売店に向かった。その後ろ姿を見つめながら、真奈は気付く。


(周りの目なんて、もう気にならない)


 確かに、二人は不釣り合いに見えるかもしれない。でも――。


(これが私たちの物語なら、それでいいんじゃない?)


 その考えが浮かんだ瞬間、心が軽くなった。アレックスが戻ってきて、また手を繋ぐ。


「映画、始まるね」


「はい!」


 二人で共有するポップコーンの甘い香りが、幸せな時間の始まりを告げていた。


 映画を観終わった後、二人は近くのカフェに入った。


「面白かったね。特に、あのシーンの演出が素晴らしかった」


 アレックスの感想は的確で、真奈は嬉しくなった。


「アレックスさんは、本当に理解してくれようとしてくれますね」


「それは、君のことを愛してるからだよ」


 その言葉は、いつもながら直球だった。


### 4


 夏が近づいてきた頃。


「ルーチェ」では、季節限定のかき氷メニューの準備が始まっていた。


「真奈ちゃん、試作品を味見してくれない?」


 美咲が呼びかける。


「はい!」


 カウンターの向こうで、真奈はスプーンを手に取った。しかし、その時。


「いらっしゃいませ!」


 店の入り口で、騒ぎが起きた。強面の客が、新人アルバイトの女の子を怒鳴りつけている。


「何だよ、この接客は! なめてんのか!」


 新人の女の子は、震えながら謝罪を繰り返す。その様子に、真奈は思わず動き出そうとした。


 しかし、その時。


「お客様、何か問題でも?」


 流暢な日本語で、アレックスが割って入った。


「誰だよ、お前は!」


「私は、このカフェのただの常連客です。しかし私はこのカフェを愛しています。ですので、もし何か問題があるのでしたら、私にお話しいただけますか?」


 アレックスの態度は毅然としていた。背が高く、端正な顔立ちの外国人が真摯に対応する姿に、客は少しずつ態度を軟化させていく。


「お客様のお気持ちはよく分かります」


 アレックスの声は、低く落ち着いていた。すでに店内の空気が変わり始めている。


「しかし、このカフェには素晴らしいスタッフが揃っています。彼女たちは、お客様に最高のサービスを提供しようと、日々努力を重ねている」


 その言葉に、新人アルバイトの女の子は目を潤ませた。


 客は、徐々に声のトーンを落としていく。アレックスの佇まいには、不思議な説得力があった。スーツを完璧に着こなした姿は、まるで高級ホテルのコンシェルジュのよう。その雰囲気に、怒りの感情が収まっていくのが見て取れる。


「確かに……俺も少し興奮しすぎていた……かもな……」


 客の声が、明らかに柔らかくなった。


「お詫びとして、次回ご来店の際は、私からスペシャルブレンドのコーヒーを一杯、サービスさせていただきましょう」


 アレックスは、紳士的な微笑みを浮かべた。


「あ、いえ、そんな……俺の方こそ……なんかその……申し訳なかった……」


 客は深々と頭を下げ、そそくさと店を出ていった。


 その場に居合わせた常連客の女性たちは、感嘆のため息をもらす。


「まるで映画のワンシーンみたい……」

「本当に素敵な方ね」

「真奈ちゃん、幸せ者だわ」


 カウンターの向こうで、真奈は複雑な表情を浮かべていた。確かにアレックスは、まるで物語から抜け出てきたような完璧な対応を見せた。でも、それは演技でも見せかけでもない。


(これが、アレックスさんの本質なんだ)


 相手の立場に立って考え、誠実に向き合う。その姿勢は、普段の彼とまったく同じだった。


 アレックスは新人の女の子の方に向き直った。


「大丈夫? よく頑張ったね」


「は、はい! ありがとうございました!」


 女の子の目には、今度は感謝の涙が光っていた。


 真奈は、その光景を見つめながら思う。


(理想の王子様は、本当にいるんだ)


 それは、彼女の読んできた物語以上に、美しい現実だった。


「ごめんなさい、アレックスさん……私の対応が悪くて」


 新人の女の子が、泣きそうな顔で謝る。


「いいえ、あなたは何も悪くありません。むしろ、よく冷静に対応できていましたよ」


 その言葉に、女の子は少し安心したような表情を浮かべた。


 その様子を見ていた真奈は、胸が熱くなった。アレックスは、まるで物語の中の王子様のように振る舞った。しかし、それは演技ではない。彼の本質そのものだった。


(理想の人は、現実にもいるんだ)


 その気付きは、真奈の中で静かに広がっていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ