幕間:揺れる心、零れる想い
真夜中、真奈は布団の中で目を開けていた。デジタル時計の青い光が、暗い部屋に浮かんでいる。午前二時三十分。
「だめよ、私……」
枕に顔を埋めながら、真奈は自分に言い聞かせる。
「アレックスさんが、私を好きなわけなんかない……そんな勘違いしちゃいけない……」
けれど、今日もまた浮かんでくる。あの優しい笑顔、低く響く声、さりげない気遣い。本を見せた時の真摯な眼差し。
(でも、アレックスさんは誰にでもあんなに優しいわ)
スマートフォンのギャラリーを開く。先日、カフェで撮った写真。アレックスが真奈の趣味について熱心に質問してくれている時の一枚を、美咲が撮ってくれていた。
「アレックスさんったら、こんな写真まで撮られちゃって……」
画面の中のアレックスは、いつもの優しい表情で真奈の話を聞いている。その横顔に、思わずため息が漏れる。
(まるで、私の読んでる小説みたい……)
けれど、すぐに首を振る。
「現実と物語は違うの。私みたいな地味で冴えない女の子なんて……」
鏡を見るたび、そう思ってしまう。黒縁メガネに、特徴のない黒髪。オタク趣味丸出しの会話。
それなのに――。
『真奈さんの話、とても面白いよ』
アレックスの言葉が、心の中で響く。
『熱中できるものがあるって、素敵なことじゃないかな』
(でも、それは……)
布団の中で、体を丸める。
(きっと、優しさからそう言ってくれてるだけ。だって、アレックスさんの隣にいる女性は、みんなキラキラしてる。麻衣子さんみたいに……)
けれど、また思い出してしまう。閉店後、二人きりになった時の会話。新刊のサイン会の整理券を、さりげなく渡してくれた瞬間。
「でも……もしかしたら……」
その言葉は、心の奥底から零れ出てくる。
(もしかしたら、私のことを……)
「ううん、だめ! だめなの!」
布団を被り、必死に打ち消す。でも、心臓は高鳴ったまま。
真奈は、枕元に置いてあったBL漫画を手に取る。表紙には、理想の王子様のような男性が描かれている。
(アレックスさんの方が、ずっと素敵なのに……)
その考えが浮かんだ瞬間、真奈は慌てて本を閉じた。頬が熱い。
「私、どうしちゃったんだろう……」
天井を見上げながら、真奈は溜息をつく。
今までは、二次元の世界に安住していれば良かった。現実に傷つかないように、理想の恋を夢見ていれば良かった。
なのに、今は――。
「会いたい……」
小さな声が、暗闇に溶けていく。
「明日も、アレックスさんに会いたい……」
デジタル時計は、午前三時を指していた。
真奈は、もう一度スマートフォンの写真を開く。画面の中のアレックスは、変わらぬ優しさで微笑んでいる。
「きっと、叶わない恋なんだ……」
そう言い聞かせながらも、心の中では小さな希望が灯り始めていた。
(でも、もしも……たった一つの奇跡が起こるなら……)
真奈は、再び布団に潜り込んだ。明日も早い出勤だ。でも、今夜は眠れそうにない。
胸の中で、現実と理想が、希望と不安が、優しく、切なく、交差していく。
窓の外では、東京の夜空に星が瞬いていた。