第二章:想いの交錯
### 1
秋も深まり、木々が色づき始めた頃。
真奈は、「ルーチェ」の窓拭きをしながら、ふと考え込んでいた。アレックスとの何気ない会話が、日々の楽しみになっている。彼は決して押しつけがましくなく、でも確かな存在感で真奈の傍らにいてくれる。
「真奈ちゃん、ボーっとしてどうしたの?」
店長の倉田美咲が、優しく声をかけてきた。
「あ、すみません……」
「もしかして、アレックスさんのこと?」
的確な指摘に、真奈は顔を赤らめる。
「えっ! そ、そんな……」
「ふふ、分かりやすいわよ。でも、いいことじゃない? 素敵な人だもの」
美咲は、真奈の肩を優しく叩いた。
「でも……私みたいな」
「みたいな?」
「こんな、オタクな……」
美咲は、深いため息をついた。
「真奈ちゃん。あなたのそういうところ、もう少し自信を持っていいのよ。趣味があって、それを大切にできる人って、素敵だと思うわ」
その言葉は、アレックスが言ってくれた言葉と重なった。
「それに」
美咲は続けた。
「アレックスさんも、そんなあなたのことを見てくれているんじゃない?」
真奈は黙って頷いた。確かに、アレックスは彼女の趣味を否定するどころか、むしろ興味を持って接してくれる。それは、これまでの経験とは全く違うものだった。
### 2
その日の夕方、アレックスが来店した。しかし、いつもと様子が違う。
「アレックスさん、どうかしましたか?」
「ああ、ちょっと困ったことが起きてね」
アレックスは、疲れた表情で説明を始めた。新しいプロジェクトで、日本側とアメリカ側の意見が対立しているという。文化の違いが、予想以上に大きな壁になっていた。
「日本の『以心伝心』な文化と、アメリカの直接的なコミュニケーションスタイル。どちらも大切なんだけど……」
真奈は、静かにアレックスの話を聞いていた。
「私は、アレックスさんならできると思います」
「え?」
「だって、アレックスさんは、相手の気持ちをちゃんと考えられる人だから。私のことだって、こんな風に理解してくれようとしてくれて……」
言葉に詰まる真奈。しかし、その想いは確かにアレックスに届いたようだった。
「ありがとう、真奈さん。その言葉、とても嬉しいよ」
アレックスの表情が、少し明るくなる。
「実は、もう一つ相談があるんだ」
「はい?」
「今度の休日、付き合ってくれないかな。君の好きな本屋さんを案内してほしいんだ」
思いがけない誘いに、真奈は目を丸くした。
「え、えっと……私の好きな本屋さんって……」
「そう、秋葉原のね。僕も、もっと理解を深めたいんだ。君の世界のことを」
その言葉に、真奈の心臓が大きく跳ねた。
### 3
休日の秋葉原。
真奈は、いつもと違う緊張感を抱えていた。普段なら躊躇なく入る店も、アレックスと一緒だと少し気恥ずかしい。
「ここが、真奈さんのお気に入りの店?」
「は、はい……」
BL専門書店の前で、真奈は足を止めた。しかし、アレックスは自然な様子で中に入っていく。
「面白いね。こんなに多くの作品があるんだ」
アレックスは、真摯な目で棚を見渡していた。その姿に、書店内の視線が自然と集まっていく。
「すごい……イケメン……」
「外国人なのに、BLコーナーなんて珍しい……」
「となりの彼女、すごく幸せそう……」
女性客たちの囁きが、真奈の耳に届く。普段なら、こうした注目を浴びることは必死に避けていた。オタク趣味を隠すように生きてきた彼女にとって、人目を引くことは最も避けたいことだったはずなのに。
(私、今、アレックスさんと一緒にいるんだ……)
その事実が、今更ながら心臓を高鳴らせる。背の高い外国人の彼は、それだけで存在感があった。その上、整った容姿と清潔感のある立ち振る舞い。まるで、ファッション誌から抜け出してきたような完璧さ。そんな彼が、真剣な表情でBLコーナーの作品を手に取っている。
「あ、これ知ってる。真奈さんが読んでた作品だよね?」
アレックスが手に取ったのは、真奈のお気に入りの作家の新刊だった。表紙には、切なげな表情の美青年が描かれている。
「は、はい……」
周囲の視線を意識して、声が小さくなる。しかし、アレックスは構わず、作品の解説を読み始めた。
「へえ、ストーリー性が高そうだね。このキャラクターの心理描写が丁寧って書いてある」
その言葉に、店内のざわめきが大きくなる。
「ねえねえ、あの人、彼女の趣味に理解があるみたいよ」
「優しそう……羨ましい……」
「私も外国人の彼氏が欲しい……」
真奈の頬が、みるみる赤くなっていく。でも、不思議と嫌な気持ちではなかった。
「あ、これは真奈さんにぴったりかも」
アレックスが手に取ったのは、図書館を舞台にした新作だった。
「司書さんが主人公で、本が好きな女の子なんだって。真奈さんみたいに、物語を大切にする人」
その言葉に、真奈の心臓が跳ねる。彼は、こんな些細なことまで覚えていてくれるのだ。
「アレックスさん……」
「ん?」
「私の趣味を、こんなに理解してくれて……ありがとうございます」
心からの言葉が、自然と零れ出た。アレックスは優しく微笑む。
「君が好きなものだから。それに」
彼は、真奈の目をまっすぐ見つめた。
「君が楽しそうに話すのを聞くのが、僕は好きなんだ」
その瞬間、周囲から小さな悲鳴のような声が上がった。でも今は、それすら愛おしく感じられた。
(私って、幸せなのかも……)
真奈は、アレックスの隣で本を眺めながら、そっと微笑んだ。周りの視線も、もう気にならない。
今この瞬間、彼女は確かに、物語の主人公だった。
「あ、これ知ってる。真奈さんが読んでた作品だよね?」
アレックスが手に取ったのは、真奈のお気に入りの作品だった。
「どうしてそんなに……覚えているんですか?」
「だって、真奈さんが話すとき、すごく生き生きとしているから。それに」
アレックスは、真奈をまっすぐ見つめた。
「君の好きなものを、僕ももっと知りたいんだ」
その言葉に、真奈の心が震えた。
### 4
秋葉原での買い物を終え、二人は近くのカフェに入った。「ルーチェ」とは違う、モダンな雰囲気の店。
「楽しかったよ。君の案内のおかげで、新しい発見がたくさんあった」
アレックスは、本当に楽しそうだった。
「私なんかの趣味について……本当に興味を持ってくれて……」
「『なんか』って付けないで」
アレックスの声が、少し強くなった。
「真奈さんの趣味は、真奈さんの大切な一部だよ。それを『なんか』なんて言わないで」
真奈は、思わず息を呑んだ。
「僕は、君のありのままを受け入れたいんだ。むしろ、そういう熱中できるものを持っている君に、僕は惹かれている」
その言葉は、真奈の心の奥深くまで染み渡った。