『信長、原文帳を積んだ檳榔毛の車を焼くこと』速記談2093
右大臣藤原信長公が、檳榔毛の車に大量の原文帳を積んで火をつけようとなさったのは、左大臣藤原師実公の上席に列せられようと思ったからで、示威行為である。そのかいあってか、果たして太政大臣に任じられ、これで陣定においても、師実公の上席に座することができると喜び勇んで出仕しようとなさったところ、宣旨により、一座は関白とし、太政大臣は二座とする宣旨が出されたと知らせてくれた人があって、信長公は、もう出仕したくない、とおっしゃって、大量の原文帳を積んだ檳榔毛の車を都大路に引き出して、今度は本当に火をつけたという。
教訓:信長は道長の子教通の子、師実は頼通の子で、二人はいとこ同士であるが、それゆえに仲が悪い。そもそも兄頼通と弟教通も仲が悪い。