幸せ過ぎて成仏しそう
「幸せ過ぎて成仏しそうなんだ」
飲み会の席で、そう会社の同僚から言われた時、俺は絶対に惚気られていると思った。何故ならそいつは新婚ほやほやで、しかも近々子供が生まれるらしかったからだ。
「ハハハ。“昇天”じゃなくて、“成仏”か。お前は悪霊か何かか?」と俺は笑う。思ったよりも反応が薄かった。妙に表情が暗い。演技かと思ったが、どうにも違うようだ。それで俺は気になって「どうしたんだよ?」と尋ねたのだ。何か悩みでもあるのかもしれない。
実は俺には彼が思い悩む理由に心当たりがあったのだ。彼はつい半年前まで二宮朱美という名の別の女性と付き合っていた。彼女は彼にべた惚れしていて、彼と結婚して子供を産むのが夢だと語っていた。ところが交通事故に遭って、彼女は死んでしまったのだ。当時の彼の酷く憔悴した様子は今でも覚えている。
――しかし、“半年前”という事は、彼はそれから直ぐに今の奥さんと付き合い始めた事になってしまう。亡くした恋人を忘れるのにしては短い期間だ。或いは彼はそれに罪悪感を覚えているのかもしれない。
「……もし、死んだ彼女のことを気にしているのなら、間違っていると俺は思うぞ? お前が落ち込んでいたって、彼女は喜ばないだろう。むしろ、幸せになるべきだ。その方が彼女も喜ぶに決まっている」
答え難そうにしている彼に、俺はそう言ってみた。中には彼を薄情だなんだと非難する輩もいるだろうが、いつまでも死者を悼んで喪に服している方がよっぽど不健康だと少なくとも俺は思う。
「いや、違うんだ」と彼はそれに返す。
「実は“幸せ過ぎて成仏しそう”っていうのは、俺のことじゃなくて、結婚した彼女の事なんだよ」
それを聞いて、俺はやはり惚気られていると思った。殴ってやろうかと思った。と言うか、実際に軽く殴ってしまった。「この野郎! 羨ましいな」と俺は言う。
実は彼の結婚した相手は、以前よりもかなり美人だったのだ。しかも家も金持ちだ。だから不謹慎である事は百も承知で、俺は前の彼女が死んで良かったのじゃないかと少し思ってしまっていた。
詳しくは知らないが、積極的だったのは、なんとその美人で金持ちの彼女の方だったらしいのだ。或いは、彼が独り身になるのを、彼女は狙っていたのかもしれない。
「違うんだよ」と、それに彼は返した。何が違うと言うのだろう?
「今の彼女は本当は朱美なんだよ」
それを聞いて俺は「は?」と頭に疑問符を浮かべた。説明した通り、朱美というのは、彼の死んでしまった前の彼女の名だ。
「何を言っているんだ?」
普通なら、酔いが回って来て戯言を言い始めたと思うだろう。だが、彼の表情はいかにも深刻で、妄言の類には思えなかった。
「俺だって驚いたさ。彼女が妙に優しく俺にしてくれるのが不思議だったから、最近恋人を亡くしたばかりでそんな気になれないって言ったんだ。そうしたら、彼女は“自分は朱美だ”って言うんだ。死んで、霊になってこの身体に憑依しているって。冗談だと思ったさ。でも、彼女は俺と朱美の二人だけしか知らないような事もしっていたんだ……」
「まさか、お前はそれを信じて、そのまま結婚したのか?」
「ああ、」と彼は頷く。
「このまま、彼女が朱美のままでいるのなら何の問題もないと思ったんだ。でも、最近、彼女が言うんだよ。
“幸せ過ぎて成仏しそう”
って」
それから彼は俺を見るとこう訴えて来た。
「なあ? どうすれば良い? もし、このまま彼女が成仏してしまったら、一体、俺の結婚生活はどうなるんだ? 彼女が成仏して、朱美だった頃の記憶がなくなってしまったらと思うと、俺は夜も眠れないんだ」
もちろん、俺にはそれにどう答えれば良いかまるで分からなかった。