夜の訪問
「いいの? なんか困ってたっぽいけど」
「困っていたからといって所構わず首を突っ込んでいては、そのうち身動きが取れなくなるぞ」
「でもさぁ……」
根が善人であるスティアは困っているリリエラ達を放置することが気になるようで、俺についてきながらも何度も振り返っていた。
だが、それでも俺の意見は変わらない。
振り返りつつ、時折こちらへ視線を向けてくるスティアを無視し、ルージェに話しかける。
「ルージェ。一つ頼みがある」
「なに? 『揺蕩う月』の調査でもしろって?」
「……よく分かったな。その通りだ」
俺が何か言う前に、何を言おうとしたのかを理解していたルージェに若干の驚きを感じつつ、頷いて話を進める。
「まあ、ボクとしてもそのつもりだったからね。でも、なんで? 協力しないんじゃなかったの?」
「協力はしないさ。ただ、その〝程度〟によっては俺が勝手に動くだけだ」
俺とて、全く気にならないわけではない。見捨てるのもどうかと思わなくもないし、どうせ裏ギルドが無くならないのであれば、『樹林の影』よりも『泡沫の月』の方が良いだろうとは思う。
しかし、それを正面から認めることはできない。
屁理屈ではあるが、これが俺が学んできたやり方なのだ。言質はとらせず、明確な繋がりを作らない。
「へえ。まあいいけど。ただ、今日中にっていうのは流石に厳しいよ」
「分かってる。俺達がこの街を出ていくまでの間に調べておけばいい。どうせ急ぐ旅でもないのだ。商人の襲撃も決まっているわけではない。数日かかったところでなんの問題もない」
「もう。そう言って、調査が終わるまで絶対にこの街を出てかないつもりでしょ? 素直じゃないんだから。照れちゃって〜。うりうり〜」
俺達の話を聞きながら、ニヤニヤと俺のことを覗き込むようにしていたスティアだったが、ついに覗き込むだけではなく次の行動へと移してきた。
つまり、指で頬を突いてきたのだ。
稀にやることではあるし、いつものことと言えばいつものことではあるのだが、相変わらず苛立たせてくる奴だ。
「指を折られたくなければすぐに止めろ、阿呆」
「ええ〜? ふふん。できるもんならやってみなさい。あんた程度の速さで、私の指を捕まえられるかしら?」
調子に乗ってなおも頬を突き続ける阿呆。
いいだろう。そちらがそのつもりであるならば、こちらもそれなりの対応をしてやろうではないか。
と、そう考えて手を顔の横まで持っていき、いつでも来いとばかりに待ち構えているスティアの足の小指を蹴り抜いた。
「ぬぎゃああっ!? 指って言った! 指って言ったのに! 足!」
「指とは言ったが、手か足かは言及していなかったのでな。まあ、折れてはいまい。ただ痛いだけだ」
「その痛いのが問題なんだけど!?」
頬を突くなどという阿呆なことをしたのだ。それくらいは代償として受け入れろ。
そんな俺達の様子を見ながら、ルージェは呆れと感心を半分ずつの様子で口を開いた。
「足の小指だけを正確に蹴り抜くなんて、よくできるね」
「貴族にとって必須の技だ。パーティーなどではあからさまに相手の足を踏むことはできないが、偶然〝足がぶつかる〟ことはあるからな。狙うにしても避けるにしても、自身と相手の足の位置や角度を把握することはできて損はない」
足を踏めば、足を踏むような振る舞いしかできない不出来な者と言われるが、何もしないのは腹に据えかねる。その結果、足を踏まずに相手を攻撃する手段として、自然な動作で相手の足を蹴る技術ができた。
「なんていうか、すごい無駄なところで無駄なことしてるんだね」
「どんな立場でどんな生まれだろうと、所詮人間などそんなものだ。むしろ、自身が偉い立場にいるのだと思い込んでいる者ほど嫌がらせの類が上手いぞ」
「……ほんと、無駄なことをしてるもんだね」
俺としても無駄なことを、と思うが、実際にそうなっているのだから呆れたものだ。
——◆◇◆◇——
「それで、調査の結果だけど、今良い?」
「早いな。もう集まったのか?」
その調査とは俺が頼んだ『揺蕩う月』について、奴らがどのような状況に置かれていて、どのような状態なのかについてだ。
俺達が『揺蕩う月』から接触を受けたのは今日の昼ごろだったが、今は夜中。なので半日時間があったといえばそうなのだが、半日しかなかったとも言える。にもかかわらずもう調べ終わったと言うのであれば、それはルージェがそれだけ有能だと言うことの証明と言えるだろう。
「まあ、前情報はいくらかあったからね。それに、隠そうともしてないみたいだからすぐに分かったよ。……ああ、隠そうとしてない、というのは語弊があるかな? 隠そうとしても隠しきれない状態だった、のほうが正しいね」
「どちらでもかまわん。それで、結果は?」
「まあまあヤバい状態だね。あそこまで切羽詰まった様子だったのも納得って感じだったよ。中核をなすメンバーは残ってるけど、それも十人程度。一般の構成員は大半が抜けたか死んだかで、今は最盛期の三割程度の数しかいないみたいだね。むしろ、よくもまあ、まだ三割も残ってたな、って感じの状況だったから、ここらで逆転しないと先は知れてる感じかな」
「本当に、よくこの短時間に調べられたな」
いくら隠しきれないほど広まっていると言っても、それは裏社会では、と言う条件付きであり、一般には広まっていないはずだ。こいつのことだからしっかりと裏どりもしただろうし、それを一人でこなしたと言うのはなかなかに大変なことであったことだろう。
「まあ、貴族相手に危ない橋を渡ってきたからね。情報集めに時間をかけてればその分こっちの動きがバレる可能性がある。だから、どうしても手早く情報を集める必要があったのさ」
「褒めるべきではないことだが、この場合は役に立つ能力ではあったな。だが、そうか……であれば——」
「ちょい待って」
『揺蕩う月』についてどうすべきか、商人や『樹林の影』についてどうすべきかを話そうとしたところで、普段は話を聞いているスティアが口を挟んできた。
「どうした、スティア」
また邪魔をするつもりかと思ったのだが、どうやらスティアの表情を見るにそういった様子でもないようだ。
その姿を見て、何か異変があったのかと警戒を強めながら問いかけた。
「……なーんか嫌な匂いが近づいてきてるわ」
「嫌な匂いだと? それは比喩ではなく、実際の匂いか?」
「そう。でも、えっと……この匂いはなんだっけ……。すっごい気まずい感じがする匂いなんだけど……」
嫌な匂いで、気まずい匂い? なんだそれは……。気まずいと言うのであれば、親しい仲の者の邪魔をしたのではないかと考えられるが……わからんな。
何か他にわかることはないのか。そうきこうとしたところで……
「こんばんは。今夜はいい月ね」
窓から聞き覚えのない声が聞こえてきた。
「うむ。確かに、雲一つない美しい夜空だな。——して、貴様は何者だ?」
状況から考えればありきたりと言ってもいいようなセリフに対し、俺はそのセリフに答えつつ、問いを返す。
「私は『揺蕩う月』のリーダー。リリエルラ・フエリミアよ。よろしくね」
リリエルラと名乗った人物は、まだ少女と呼ぶに相応しい見た目であり、街を歩いていれば一般人だと思うであろう姿だ。
俺はこの少女と会ったことはない。にもかかわらず、どこか見覚えがある姿をしている。
それもそうだろう。何せこのリリエルラという少女は俺達が昼にあったリリエラという女が変装していたさいの姿とそっくりなのだから。
細部は違っている。だが、全体的な雰囲気はほとんど同じだと言ってもいい。
名前も似ている……というよりも、ほぼ同じことから、どちらかが影武者なのではないだろうか? 順当に考えれば副リーダーであるリリエラがこの少女の身代わりだろう。でなければ、あのような本来の姿とかけ離れた見た目に変装はすまい。いざという時にボロが出ないよう、もう少し本来の姿に近い背格好の見た目に変装したはずだ。
そう考えると、この『揺蕩う月』のリーダーを名乗ったリリエルラという少女は、本当にその立場にいるのだと考えてもいいだろう。
「『揺蕩う月』の頭目だと? 昼間の件であれば断ったはずだ。なぜフエリミア嬢が来られたのか分からぬな」
「あらやだ。〝嬢〟だなんて、照れちゃうわ。もうそんな歳じゃないのに」
最初のセリフや見た目は少女にふさわしいものだった。今目の前で笑っている様子も、少女に相応しいものだ。
だが、その言葉の内容は少女には相応しくない。
これでリリエラと同じように変装をしているというわけではないのであれば、そこから考えられる答えと言えば……
「……長命種か」
エルフを代表とした人間よりも長く生きることのできる種族。そうであるのなら、この少女が少女らしからぬ言葉を口にしたのも納得できる。
「正解。私は夢魔なの。だからほら、ギルドの名前もそれっぽい感じのになってるでしょう?」
「ギルド名? ……なるほど。月は夜で、揺蕩うは夢と現実の間、と言ったところか」
夢魔とはインキュバスやサキュバスといった、人の夢に入り込んで生命力を奪っていく存在であるが、そのために相手を強制的に眠らせることができ、現実で起きたことを微睡の中で見た夢だと誤認させることもできる。
つまり、夢と現実の境を取り払うことができるとも言える。
故に、『揺蕩う月』というギルドの名前は、夢魔がリーダーを務めるのであれば相応しい名前だと言えるだろう。
「そうそう。まさしくその通りよ」
俺にギルド名の意味を理解してもらえたことが嬉しいのか、リリエルラは満足そうに笑みを浮かべて頷いた。
その表情には邪気がなく、こちらに悪意あって近づいたわけではないのだということは理解できた。
だがそれでも問わなければならない。
「それで、そなたの年齢が外見と離れていると言うのは理解したが、再度問おう。なぜそなたが来た」
「せっかちさんね。でも、こちらもできる限り急ぎたいところではあるし、本題に入りましょうか」
そういうなり、リリエルラは腰をかけていた窓から降りて地面に座り、まっすぐこちらを見据え、頭を下げた。端的にいってしまえば、土下座である。
「私達に手を貸してください」
リリエルラはそれまでの少女らしさを感じさせた雰囲気を消し去り、貫禄すら感じさせるほど真剣な声でそう頼み込んできた。




