ありがとう。どういたしまして
「とはいえ、スティアたちが戻ってこないうちには戻ることはできないのだがな」
スティアとルージェはどこまで移動したのか、まだこちらに戻ってこない。音も振動もないので戦闘そのものは終わっているだろうが、おそらく休んでいるか、こちらに戻ってくる途中なのだろう。
数秒ほど黙ったまま並び、リリエルラが徐にこちらを向いて口を開いた。
「この借りはいずれ必ず……」
「たいしたことではない。こちらも頼みを聞いてもらったのだから、貸し借りというほどのことでもあるまい」
今回の件は、リリエルラたちを助ける代わりに、こちらの標的であった悪徳商人への対処を頼んでいた。
その約束が果たされたのであれば、俺たちの関係は対等なものであり、貸し借りを論ずるものでもない。
「ですがそれは……いえ、それでも私達が助けていただいたのは事実です」
「そう思うのは勝手だ。だが何度でも言うが、お前たちのために手を貸したわけではない。すでに約束は果たされたのだ。これ以上の感謝の言葉は無駄な行いだ」
しかし、そうは言ってもリリエルラは納得することができないようで悩ましげな表情を浮かべた後、何かに気づいたようにハッと顔をあげ、こちらに笑いかけてきた。
「……なら、もう対等な関係ってことで、私達が今回のことになにを思ったとしても、なにをしたとしても、私たちの勝手、ってことよね?」
それまでの丁寧な態度を変え、最初に会った時のような少女らしさで話しかけてきた。
確かに、対等な関係ということはそうなるが……
「そうだな。だが、そんなお前達の行動に対して、俺が悪感情を抱いたとしても、それもまた俺の勝手ということになるな」
「「……」」
そう言葉を交わした後、数秒ほど睨み合っていると突然背中に何者かが抱きついてくるような衝撃が訪れた。
話をしているが、それでもまだ戦場にいるのだ。当然ながら敵意や害意には警戒はしていた。
だが、それらの警戒をすり抜けて近づいてきたということは、まったく俺を害する気のない人物ということだろうということはすぐに理解できた。というよりも、俺に対してこんなことをする人物など一人しか思いつかない。
その考えを肯定するように、背中に抱きついてきた人物が話し始めた。
「なーにバカなこと言ってるのよ。なんかくれるって言ってんだから、ありがとう、でいいじゃない。それに、誰かがありがとうって感謝してきたんなら、どういたしましてって笑っとけば良いのよ。なんでそんなこともわかんないのかしらね〜、まったく」
どこから話を聞いていたのか知らないが、どうやら俺とリリエルラの話を聞いていたようだ。
抱きつき、文句を言いながら、コツコツと俺の頭に自分の頭を何度も軽くぶつけている。
こんな状況だというのに、突然こんな邪魔をしてくるとは、さすがこいつだと呆れるものだ。
だがこいつが阿呆な行動をするのも苛立つ行動をするのもいつものことではあるが、それにしても、普段よりも幾分か気が猛っているように感じられる。これは戦闘の影響だろうか?
「スティア。戻ってきたのか」
「うん。ただいま〜。……あ。ちゃんと勝ったわよ!」
「思っていたよりも時間がかかったようだが、敵が強かったのか?」
勝ったことを楽しげに報告してくるスティアだが、こいつがここにいる時点で勝ったのはわかっている。というよりも、はじめからこいつが負けるとは想像していなかった。
が、思ったよりも時間がかかったのでそのことについて聞いてみたのだが、そう問いかけた瞬間スティアの表情が歪み、そっと俺から離れてあらぬ方を向いて口を開いた。
「え? いや、そんなこともなかったけど……はっ! い、いやー、やっぱ嘘。結構強かったわよお?」
それで誤魔化せると思っているのか、この阿呆は。誰がどう見ても何かを隠している者の振る舞いだ。
「……お前、遊んでいたな」
「そんなことないし。……ないわよ?」
「……まあいい。どうせそうなるだろうと予想していたからな」
「あ、ほんと? よかった〜。ちょろっと遊びすぎて怒られるっかなー、って思ってたのよね」
元々こいつが遊んで時間をかけることは想定していたが、そのことを伝えるとスティアは途端に笑顔になった。
怒られると思ったのならばさっさと戻ってくればよかったものを……。
とはいえ、一応敵の幹部を処理したのだ。それを考えれば、自身の役目をしくじったわけではないのだから、多少時間がかかった程度のことはとやかく言うことでもないか。
「というわけで……さんはい」
「何がだ?」
いきなりの言葉に、どう反応すればいいかわからず眉を寄せてしまう。こいつはいったいなにをさせたいのだ?
「だーかーらー、ありがとうって言われたんだから、どういたしまして、って言うのよ。そんなの人付き合いの基本でしょ。そんなのもわかんないわけ?」
……そのことか。
確かに、こいつの言っていることは間違いではない。だが、他人からの善意全てがありがたいものだと言うわけでもないのだ。余計なお世話というように、他人からの善意が、贈られた側にとっては迷惑となることもある。今の俺のようにな。俺にとって今回の件は単なる契約事であり、礼を言われることではない。
むしろ、無駄な礼を貰えば、それがどのような形であれその分返さなくてはならず、余計なしがらみが増えることになるのでありがたいことではないのだ。
だが、ここで意地を張っても仕方ないか。
「……はあ。リリエルラ。感謝は受け取る。感謝をすることも受け入れよう。だが、あくまでも俺たちは約束をしてお互いに取引をしただけの関係だ。どうしてもと言うのであれば、初めに言ったように一度だけ手を貸せ。それで十分だ」
「……うん。わかったわ。なら、改めてありがとうございました」
「ああ」
そうしてこの話は終わりとなったのだが、まだスティアは納得していないようで不満そうな顔をしている。
「どういたしましてって言ってないじゃーん」
やはり普段よりも気分が昂っているな。ウザさが増している。
「お前は黙っておけ。それよりも、ルージェはどうなっているかわかるか? まさかとは思うが、負けていないだろうな?」
「え? やー、そっちはどうだろ? 私は終わってから急いで……は、ないけど、真っ直ぐこっちきたし……」
「やられてないって。もう少し仲間の実力を信じてくれてもいいんじゃない?」
と、俺とスティアが話していると、敵を連れて離れた時よりもボロボロになった服を纏ったルージェが戻ってきて、口を挟んだ。
「そう言う割に随分とくたびれた格好をしているものだな。いや、そもそも仲間でもないが」
あくまでも俺たちは同じような目的のために協力関係となっているだけで、仲間というほどのものではない。
「ひっどいなぁ。同じ目的のために行動を共にしてるんだから、十分仲間って言ってもいいでしょ。それからこれは、敵の攻撃っていうよりは自爆の被害だよ」
「自爆……ああ。炎を使ったのか。だが、あれはお前の奥の手の一つであろう? それをつかわされる程度には追い込まれたと言うわけか」
「……ま、そうだね。いやー、ほんとうざかったなぁ。強かったんじゃなくてウザかったよ。戦場に限っていえば、ウザさってのは強さって言い換えることができるのかもしれないけどね」
ウザかった、と言われ、思わずスティアのことを見てしまったが、まあこいつとは違う方向性でのウザさなのだろう。こいつのウザさは戦闘にはなんの意味もないからな。……いや、真剣な時にこいつの普段の調子で話されると、無駄に気を削がれるか?
まあなんにしても、ルージェも敵を倒すことができたようで何よりだ。怪我をしているようだが、それに関しては後で癒しの魔法でもかけてやれば問題ないだろう。
癒しの魔法は得意というわけではないが、腕の一本を生やすくらいなら時間をかければできるので、現状歩いていられる程度の怪我であれば問題なく治すことができるはずだ。
「とりあえず、この場所を離れない? 服も着替えたいし」
「そのつもりだ。好き好んで痴女二人と行動を共にしたいわけでもないしな」
元々、この二人が合流し次第この場所を離れるつもりだったのだ。戻ってきたのであれば、これ以上この場に留まり続ける意味もない。
「やーい。ルージェってば痴女だって〜」
「理解してないみたいだから言うけど、痴女二人なんだから、その片方は君でしょ」
「え? 私が? どこが痴女だってのよ!」
腰に手を当て、胸を張るように堂々とした姿を見せつつ不満を叫んだスティアだったが、その姿は痴女と言って差し支えないものだ。
胸を隠すだけで肩と腹部は大きく肌を出し、脚も膝上どころか股下というほど丈の短いものを履いている。一応全体的に布を纏っているが、正直なところそれでは全然肌を隠すことができていないので、単なる飾りとしての価値しかない。
もっとも、それはその国の文化を否定することになるので言うべきではないかもしれないが、まあこのメンバーであれば問題ないだろう。
「普段の生活からそんなお腹だして足もだしてる肌面積の多い服を着てる人なんて、十分痴女であってると思うけど? そんなに布をヒラヒラ使うんだったら、肌を隠す方向で使えばいいのに」
「これは獣人にとって割と一般的な服装なんですぅー」
「つまり、種族全体が露出狂ってことだね」
「種族特性って言ってよ! 私達は元々の体温が高いの! まともに服着てるとあっついのよ! あと、戦う時に動きづらいじゃない」
獣は体温が高いと聞いたことがあるが、獣人もその特性を幾分か引き継いでいるのだろう。
だが、戦いづらいと言ったらその羽衣のように纏っている布も邪魔だと思うがな。
「戦いを前提とした服装を常に纏っているというのもどうかと思うがな」
「露出狂で戦闘狂って、割とヤバい感じの種族だよね」
「今更だがな」
こいつがやばいことなどとっくに分かっていることだ。
それに、獣人全体が少しおかしいという事も、すでに人間の間では分かりきっていることでもある。何せ、獣人から人が送られると、必ず親善試合の類が組まれることになるのだからな。
しかも、あらかじめ組まれた予定以外にも、ことある事に何かにつけて戦いの場を用意しようとするのだ。そんなことを何十年と続けられたのだから、獣人がおかしいことなど今更だと言える。
「まあ、後は布の値段というのもあるかもしれないな」
「布の値段? まあ安いものじゃないけど、そう高いものでもないよね? 少なくとも、こんな痴女みたいな格好をするほどでもないと思うけど」
「痴女じゃないもん!」
「戦闘が好きだと言うのなら、返り血を浴びることもあるだろうし、戦闘で傷がつくこともあるだろう。それが頻繁に起こっていれば、布の消費量など人間よりもはるかに多いことになる」
そう考えると、布を少なくした服装なのはなかなかに合理的なのかもしれない。スティアのように無駄に布を纏っているだけであれば、普通の服を着た方が良いのではないかとは思うがな。
「あー、なるほどね。確かにそうかも」
「まあその辺の獣人の服装事情についてはどうでもいい。それより、行くぞ」
「はーい」
「了解」
そんな戦いの後とは思えないような緩い話をしてから、俺達はこの場所にきた時とは違いゆっくりとした足取りで宿へと戻っていった。




