マリアとアルフ
——◆◇◆◇——
エドワードを倒したとはいえ、まだ他に『樹林の影』のメンバーたちが残っているが、そちらはトップがいなくなったことで混乱している。であれば、残りは『揺蕩う月』の者達でどうにかできるだろう。
そう考えてこの場から離れようとしたのだが、その途中で戦いの余波で崩壊したのだろう。崩れた建物の近くにしゃがみ込んでいたマリアの姿を見つけたので、そちらへと進んで行った。
「マリアよ、随分と落ち込んでいるではないか」
「え……あ、アルフ……くん?」
敵か味方か、あるいは全く関係ない一般人かはわからないが、何者かの亡骸の前でしゃがみ込んでいるマリアに声をかけると、マリアはゆっくりした動作でこちらのことを見上げ首を傾げた。
「どうした、そのように首を傾げて」
「だって……なんか雰囲気が……」
「ん? ……ああ、すまないな。戦闘のような真面目な場面だと、つい癖で堅苦しい話し方になってしまうのだ。まあ、あまり気にしないでもらえると助かる」
マリアに対してこのような話し方をしたことはなかったか。何度か直そうとは思っているのだが、癖なのでそうそう治るものでもない。
一応以前に敵を倒した時に少し見せたような気がするが、本人に対して使われるのは別なのだろう。
まあそれはそれとしてだ。
「それで、一つ尋ねたいんだが……なぜそんなにみっともなく膝をついているんだ?」
「え……」
何者かの亡骸の前でしゃがみ込んでいるマリアは、明らかに落ち込んだ様子を見せている。その原因としては、この亡骸——女性のことだろう。
見たところこの女性は死んでいるが、それはマリアに殺されたのではなく、矢に貫かれて死んだようだ。マリアが殺した、というわけではないだろう。使っている武器が明らかに違うからな。
であれば、なぜ悩んでいるのか。知り合い、という風でもないように思える。
となると、マリアの性格を加味して考えられる可能性としては、この女性が死ぬのを止めることができなかったからではないだろうか。
どんな状況だったのかはわからないが、おそらく目の前で殺されたのだろう。
だが、この女性が死んだのはマリアのせいではない。ただ状況が悪かっただけだ。
しかし、そう言ったところでマリアは納得しないだろう。俺のような他者からの言葉で納得するようであれば、悩みなどしていない。
「私ね。みんなを助ける騎士になるって決めたの。けど、そう決めたのに……決めたばっかりだったのに、目の前で人が死ぬのを止められなかった。……私は正しいのかな?」
マリアは誰かが死んでしまったことよりも、助けられなかったという事実のせいで悩んでいるのか。
助けられなかったのは、自分が〝正しくなかったから〟だと。ここで弱かったからと嘆くのではなく、正しくなかったからと嘆くのがマリアらしいといえばらしいか。だが……
「正しいかどうかなど、誰にもわからん。そんなものは当事者とそれ以外で変わるものだろう」
実際、絶対的な正しさなどないのだ。立場や状況次第で正しさなど如何様にも変わる。
故に、重要なのは正しく在れているのか、ではなく、自身がどう在りたいかだ。
「だが、お前が騎士でありたいと願い続けるのなら、笑え」
「え……」
予想外の言葉に、マリアはそれまでの迷いで満ちた表情を和らげてこちらを見上げた。
「貴族や王族といった『民をまとめる者』は、皆に夢を見せなければならん。夢を見せ、この先には希望があるのだと思わせるのが役目なのだ」
率いる者が夢を見なければ、率いられる者は夢を見ることなど出来はしない。夢を語ることこそが率いる者にとって最も重要なことなのだ。
「それと同様に、騎士にも役目がある。それは、笑うことだ」
「笑うことが騎士の仕事?」
「そうだ。騎士とは、人々の幸福を守るための存在だ。だからこそ己の身を挺して民を守る。だが、苦しみながら守ったところでなんの意味がある? 守られた側は、守った騎士が苦しい顔をしていれば、本当に守られたのだと思うことができるか? 否。そのようなことができるわけがない。守った騎士が苦しい顔をしていれば、心からの平穏は訪れない。故に、騎士の役目は笑っていることだ。騎士はどんな時であろうと笑っていなければならないのだ。どれほど辛くとも、どれほど苦しくとも、笑みを浮かべながら〝大丈夫だ〟と民を安心させることができるものでなければならん。傷ついている誰かと共に苦難を背負い、つらい闇の中を進み、それでも尚笑っていることができる者こそが騎士に相応しい」
率いる者が夢を語ることが役割であるように、騎士のような守る者は笑っていなければならない。
笑っていることができないのであれば、その者は誰かを守ることなどするべきではないのだ。
「誰かを助けたいと言う願いは素晴らしいものだ。だが、これからその道を進むにあたって、必ず取りこぼす命が出てくるだろう。今のようにな。あるいは、その取りこぼす命をお前自身が決めなくてはならないかもしれな。誰かを守りたい。でもどう足掻いても全員は守れない。ギリギリまで考えて考えて、それでも誰かを助けることができない。そんな状況だってあることだろう」
「だとしても……私は絶対に諦めないわ。必ず守り通して見せる。最後まで守るために戦い続けるわ」
「だろうな。だが、それでも誰も死なないなどということはできないのだと理解しろ。誰かを守るために戦ったとしても、その果てに望んだ勝利が必ず待っているのではないのだと」
「……」
「そして、その上で笑え。失った命を悲しみつつも、助ける事のできた命を喜べ。どれほど苦しくとも、どれほど悲しくとも、それでも苦痛の中で笑っていられないのであれば、騎士であることを諦めろ」
誰も彼もを救いたいと言う願いは素晴らしいものだ。その願い自体は手放しで賞賛できる。
だが、現実問題としてそれができるのかと言ったらまず不可能だ。
だから、いつかは守ろうとした誰かが死ぬことだってあり得る。
そんな中であっても挫けることなく前を向き、明日を目指すからこそ、騎士は人々の支えとなることができ、正しさの象徴たり得るのだ。
誰にも死んでほしくないと思うのは良いことだ。
誰かの死を悼むのは当たり前のことだ。
だが、悲しんでるだけでは人はついてこない。
嘆いているだけでは人は前を向けない。
だからこそ、笑顔でいなくてはならないのだ。
「そなたは、笑うことができるか?」
その問いかけに、マリアは一度俺から視線を外し、亡くなった女性の姿を眺めながら少しの間黙り込んだ。
「苦難を背負い、闇の中で笑え……か。ふふ。少し格好つけすぎな言葉じゃないかな」
「……かもしれないな。だが、格好つけてこそ、見栄を張ってこその人生ではないか? 格好つけることすらできない人生など、意味はないだろう」
「そう、なのかもしれないね」
「それで、どうするのだ?」
再度の問いかけに、マリアはバチンと自身の両頬を挟むように叩くと再びこちらへ視線を合わせた。
「——大丈夫だよ。私は、騎士だから」
そう言ったマリアの顔は先ほどまでのような悩みの色はなく、初めて会った時のように明るく、輝いたものになっていた。
「いつか、私の手が届かない人たちが出てくるかも知れない。助ける人を選ぶ日が来るかも知れない。それでも、私は笑って見せるわ」
「そうか」
「うん。それに、さっきカッコつけたばっかりなの。この道を生きるって覚悟は、嘘なんかじゃないわ」
……この様子なら、これ以上何かを言う必要はないな。
「この度は私共の頼みをお聞きくださり、誠に感謝申し上げます」
「ああ、リリエルラか。そちらは終わったのか?」
まるで俺たちの話を聞いてタイミングを窺っていたかのようにリリエルラが姿を見せた。
リリエルラには俺たちの代わりに商会の方を担当するように頼んだのだが、こちらにやってきたということは、向こうは終わったということでいいのだろうか。
「はい。商会の方は恙無く終わり、現在は衛兵の手が入っております」
「あ……あー、えっと、じゃあ私は他にまだ困ってる人たちのところに助けに行くね! じゃあバイバイ!」
そう言ったリリエルラはチラリとマリアへ視線を向け、その意味するところを察したマリアは特に何かを聞くでもなく手を振りながら走り去っていった。
俺としては別に、マリアであれば話を聞かれたところでなんの問題もないと思っているが、まあ聞かれないのならばそれに越したことはないか。
「この街の領主の動きはどうなっている?」
「オンブロ商会の悪事の証拠を領主の館に置いてきましたので、無視することはできないでしょう。ついでに、この度の騒動に関しての説明を記したものも添えて起きましたので、こちらに積極的に関わってはこないかと思われます。とはいえ、これだけの騒ぎですので、全く動かないということもないでしょう」
基本的に裏ギルドに関わりたくはないと言っても、流石にこれだけの騒ぎであれば領主として兵を遣さないわけにはいかないか。
「なら、この場所からは離れたほうがいいわけか」
「はい。後の処理は私たちの方でなんとかしますので」
まあ、なんとかする、というよりも、なんとかしなければならない、だろうがな。
これで『揺蕩う月』はこの街においてそれなりの立場にはなっただろうが、そうであるにもかかわらずまともに領主の相手をすることもできないのであれば、それだけで舐められることとなるからな。
そうでなくとも、ここが『揺蕩う月』の本拠地なのだ。これほどまでに壊されれば本拠地を移動することはあるかもしれないが、少なくともそれは今すぐにではないのだから。




