たすけてください
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「——さて準備はいいな?」
「オッケーよ!」
「ボクも問題ないよ」
リリエルラが俺達の元へとやってくる日が始まってから三日後。俺達はついにオンブロ商会へと襲撃を仕掛けることとなった。
そのことはリリエルラにも伝えてあるので、利用するつもりならばあちらも今頃準備をしているだろう。
そして、俺たちが動くのに合わせて『樹林の影』を襲撃する。
俺たちの行動の結果、相手が動揺する事はあるだろうが、それがどこまで意味があるのかは判断がつかない。何せ『揺蕩う月』と『樹林の影』とでは戦力が違うのだ。総力戦となれば、多少の小細工があったところで大した影響はないだろう。
こちらでやることが終わり次第様子を見にいくつもりではあるが、それまで持ち堪えることが果たしてできるだろうか? こちらが終わって見にいったら、その時にはすでに終わっていた、などということになっていなければ良いのだがな。
「それでは、これより件の商人へと襲撃を仕掛けるが。最優先は商人の処理ではなく書類等の証拠の確保だ。無闇に破壊したり焼いたりするな」
スティアのことだ。敵に囲まれでもしたら、それをまとめて薙ぎ払うために魔創具を使いかねない。魔創具を使うこと自体は構わないのだが、それによって屋敷の柱などを砕いてみろ。最悪の場合は屋敷が倒壊することになるぞ。
「わかってるってば。大丈夫だいじょーぶ。心配しなくっても平気だってば」
「その返事からして心配しか感じられないのだがな」
今ひとつ信用のできない返事を聞きつつ、それでもいくしかないのだと意識を切り替えるために深呼吸をするために息を吸った。
だが……
「むぎゃー!?」
突如部屋の窓ガラスが割れ、何者かが部屋の中へと飛び込んできた。
砕けたガラスを浴びたスティアを尻目に、侵入者へと目を向ける。そこにいたのは、全身を血まみれにしたリリエルラだった。
「手を、貸してください!」
リリエルラは窓を砕き割って入ってきたために、全身にガラスのかけらを被ってしまっている。
だが、そんなものを気にすることなく、立ち上がることすら時間がもったいないとでもいうかのように、部屋に飛び込んで無様に着地して四つん這いになった体勢のままこちらを見上げて叫んできた。
「相変わらず窓からの侵入ではあるが、今日はいつもとは違う登場だな。なにがあった?」
「げ、現在『揺蕩う月』は『樹林の影』に襲撃を受けています! 奴らは本気です。本気で今日こそ私達を潰す気なんです! だから、どうかお願いします」
奴らから襲撃? こちらの計画がばれた、というわけではないだろうな。もしそうであれば、襲撃など仕掛けずにオンブロ商会で罠を張っていれば良いのだから。仮に襲撃を仕掛けるのだとしても、その対象はこの宿のはずだ。
とすると……どうやら、お互いの予定が被ったようだな。なんとも不幸な偶然だ。
襲撃を仕掛けようとしたところに逆に襲撃を仕掛けられたとなれば、この状態も納得がいくというものだ。
だが……
「断る」
「なっ!? な、なんで!?」
「何度も答えたと思うがな。いざ危険な状況に陥ったからといって、助けてもらえるとでも思ったのか?」
何度頼まれようとも、俺は『揺蕩う月』に協力するつもりはない。それはリリエルラもわかっていたと思ったのだがな。
しかし、リリエルラはそんな俺の言葉を聞くと目を見開いて体を震えさせた。
そして、ギリリと歯を噛み締めるとその目に涙を携えながら俺のことを睨みつけ——叫んだ。
「なんで……なんでよ! あなた達はもう同じようなことをしてるんでしょ!? 悪いことをしてた貴族を倒して、困ってる人を助けて……。なのになんで私達は助けてくれないのよ! 目の前には悪いことをしてる奴がいる。困ってる人がいる。助けを求めて血を流してる人がいる! あなた達には、みんなを助けるだけの力があるんでしょ!? なのになんで!」
リリエルラはこちらの考えを理解し、それに合わせようとしていた。俺もそれで良いと思っていた。明確に言葉にはせずとも同じ目的のために動くのは、貴族としてはよくあることだったから。
だが、それがいけなかったのかもしれない。俺が言葉にはせずとも初めから手を貸す意思を見せていたから、リリエルラは勘違いをすることになったのだろう。
本来の想定とは違う形になった。でも、今は襲撃を受けて危険なのだから、こうして頼めばこちらを優先してくれるだろう、と。
だが、それは違うのだ。
「確かに、俺たちには力がある。だが、それは誰かに都合よく使われるためのものではない。こいつらがどう考えているかは知らないが、少なくとも俺の力は、一方的な理不尽によって傷つけられている者達を助けるためにある力だ。〝裏ギルド〟などという武力を持った違法集団のためにあるのではない。今回のは裏ギルド同士の抗争であろう? であれば、自力でどうにかするのが筋だと思うがな」
今回〝俺たちの狙い〟は民を虐げる商人をどうにかするための作戦だ。それに合わせて『揺蕩う月』が動くのは理解しているし、お互いに利用し合うことを承知もした。
だが、それはあくまでも理解をしたと言うだけで、手を結んだわけではない。
もし、これから『揺蕩う月』を助けにいったとしよう。その場合、当然ではあるが商人の方はそのまま放置することとなる。
俺たちがここで商人を倒さずに『樹林の影』を倒したとして、その場合は商人は足がつかないように『樹林の影』を切るだろう。そして、今度は安全性を求めて自身とのつながりを隠し、証拠も消すはずだ。
そうなれば商人を捕まえることができず、その悪事を暴くことができず、これから先も民が理不尽にさらされることとなる。
助けなければ『揺蕩う月』は滅ぶかもしれない。だが、こういってはなんだが、所詮は闇ギルドなのだ。そして今回のことは、闇ギルド同士の抗争である。
ならば滅んだところで民に影響は薄く、ここで商人を逃す方が害になる。
今死ぬかもしれない闇ギルド員数十の命よりも、今後出る可能性がある万の不幸を取り除くことこそが『民の幸福のため』であるはずだ。
だから俺は助けない。月を助けず、このまま商人の不正を暴きに行く。きっとそうすることが正しいから。
こいつらとて、闇ギルドなのだ。その名を名乗ることを決めた以上、いつかは滅ぶ覚悟もしていたはずだ。
しかし、そんな俺の言葉を聞いて納得できるようならこれほどまでに必死に頼みにくるはずもない。
「私達だって好きで裏ギルドなんてやってるわけじゃない! 誰も助けてくれないから、だから自分たちで守るしかなかっただけなのに! 助けてくれなかったのはあなた達じゃない! 民を守るのが貴族の務めじゃないの!?」
リリエルラは俺のことを睨みつけ、掴み掛かってきたが、それを避けて話を続ける。
「そうだ。だが、過去はどうあれ現在の俺は貴族ではないのでな。加えて言えば、この領地の民の問題を解決するのはこの領地を収めている貴族になる。俺にはどのみち関係ない話だ」
『揺蕩う月』に所属するものは、誰にも助けてもらえなかったから闇ギルドに入ったのだとしても、確かに悲しいことではあるが、それはこの地を収める人物の責任である。俺はこの領地に関わっていなければ、そもそも今は貴族ですらない。〝あなた達〟と一括りにされて責任を問われても困ると言うものだ。
「……」
リリエルラは何かを言いたげに何度も口を開閉し、悔しげに俺を睨みつけてから床に頭を擦り付けた。
「……お願いします。どうか、おねがいします。なんでもするから……だから、おねがいです。たすけてください」
他に何も言うことがなくなったのだろう。俺を説得する言葉など何もない。
それを理解しつつも、今自分達を助けることができるのは目の前の男しかいない。だからこそ、リリエルラはただ願う。
だがそれでも、俺は……
「はいはい。そんな無駄な時間使ってんじゃないってのよ。何してんの?」
リリエルラは、自身が頼んでいるのを邪魔されたからか、悔しげな顔をしてスティアを見上げる。
だが、違う。その言葉はリリエルラに向けられたものではない。俺に向けられたものだ。
「この子のお願いを断ってたのだって、この人達を助けるためなんでしょ? だったらいいじゃないのよ。そんな意地張ってツンデレしてないで、普通に助けてあげればいいじゃない。もう普通に襲われてるんだし、今更建前だなんだって言い訳して逃げ道を作る必要もないでしょ。っていうか、今助けないと死んじゃうんじゃないの?」
「おかしなことを言うな、阿呆。誰がツンデレだ。そもそもこれは言い訳ではない。今日ここで商人をどうにかしなければ、後々市民たちが不幸な目に遭うことになる。闇ギルドと市民のどちらが大事なのかといったら、そんなものは決まっているだろう?」
「別に決まってないでしょ。百人の命が一人の命に劣るだなんて、誰が決めたのよ」
「そんなこと、数字を比べれば明らかだろうが」
「でも、人は数字じゃないでしょ。大事な一人と、知らない人百人だったら、私は一人の大事な人を助けるわ。そして、私は今、商人をどうにかして知らない市民達を助けるよりも、助けてってここまできたこの子を助けたい。ねえ、あんたはどうなの? この子を助けるのはどうでもいいの? 本当に市民のことを助けたいって思ってるの?」
当たり前だ。俺は貴族ではなくなったとしても、民の味方であると決めたのだ。であれば、ここで助けるべきはリリエルラ達『揺蕩う月』ではなく、商人の悪意によって不幸になるかもしれない市民達であるべきだ。
「……」
……そう、思っているはずだ。だが、俺はスティアの言葉に声を出すことすらできなかった。




