洞窟の中で
震龍州は調度品から建物に美術品と様々に加工出来る光石の大産地だ。その危険地区はこの石を掘り尽くしてしまった廃鉱地帯だった。
「うわ~結構危険っぽい。何処に捨てたやら・・・あれっ?あそこは・・・」
クレアは人が屈んで入る位の洞穴の入り口を見つけた。何となく其処にありそうな予感がしてクレアはそこに入ってみた。中は立ち上がっても十分広い空間だった。すると予感的中で入って直ぐ薬の小瓶を見つけたのだった。ほっとしてポケットにしまった所に後ろから人の気配を感じて、びくりと振向いた。
「ああ、やはりクレアでしたか」
「レ、レン様?」
「驚かせましたね、すみません。親樹の件で気になることがあったので近くまで来ていたのですが、貴女が此処に入って行くのを見かけたので追い掛けて来ました。此処は危険だから出ましょう」
確かに危険だ。今にも崩れそうな感じだった。レンがそれを言いに追い掛けて来てくれたようだった。しかし、クレアが返事をする前に地面が揺れ出した。
「危ない!」
レンが揺れる彼女をすくい上げたが、外に出る事が出来ず洞窟の奥へと逃れた。彼らを追いかけるように入り口から土砂が流れ込んできた。音と揺れがしなくなったが完全に入り口は遠く塞がれてしまった。クレアはレンにしがみ付いたまま呆然としていた。
「大丈夫ですか?クレア?」
レンの声を聞いたクレアは、はっとしてしがみ付いていた手を放した。
「は、はい・・・もしかして私達、閉じ込められてしまったのでしょうか?」
近場は暗いが驚いたことに奥の方は明るかった。しかし外の明るさとは違っているようだった。レンもその方向が気になっているようだ。クレアを腕から下ろしながらそこを見ていた。彼はこのほのかな明るさに覚えがあった。
「レン様?」
「クレア、もしかしたら親樹かもしれません。以前この近くに原因となった樹があったのですが、とても生命力の強いものでしたから、何年もかけてまた根を張ったのかもしれないのです」
発生した地区が近くだったのでレンは気になったのだ。生育する条件の温度は氷点下の筈だがここは以前のような氷室では無い。考えられるとすれば生命力の強いこの種はここの土地に順応したのかしれなかった。そうなると厄介なものだ。足元を見ればその胞子を運ぶ湧き水もあった。長雨で気温も低いこの時期に一気に広がったのだろうか?
「うわぁ~きれい」
クレアが感嘆の声を上げた。レンもほのかな光りを放ちながら、ふわふわと浮かぶ綿毛の付いた胞子を見た。懸念は当たりだった。危険な植物とは思えないそれは思わず触れてしまいたくなるような様子で優しく獲物を誘うのだ。
「やはり・・・クレア、これが親樹です。くれぐれも胞子を口の中に入れないように。ここは危険です。向こうに行きましょう」
レンが手を差し伸べた。足場が悪いからだろう。クレアはドキドキしながらその手に自分の手を重ねた。その手がとても温かかった。
「手が冷たいですね?寒いですか?」
「いいえ、大丈夫です」
本当は少し寒かった。龍は体温調節が出来る。しかしクレアはそれが出来る程の力が無かった。無いと言うか余分な力を使う訳にはいかない。
洞窟に閉じ込められてしまった二人は取り敢えず乾いた地面に腰を下ろした。土砂崩れで入り口が塞がってしまったがレンの力で脱出出来ないのだろうか?
「レン様、脱出は難しいのですか?」
「そうですね。残念ながら・・・この場所では現状の把握が出来ないうえに、地盤が弱いから無理矢理力を使うとなると、更に大きな土砂崩れを起こしかねないですね。そうなると近くの村が危ないし、この親樹があるから拡散するのは避けたいですね」
「申し訳ございません。私がここに居たばかりに・・・」
「いいえ。元々調査していた所でしたから逆に樹が見つかって良かったです。ここに閉じ込められなければ樹が見つからず、奇病は拡大したでしょうからね。それにしても、貴女は何故こんな場所に?」
「ちょっと探し物で・・・あ、あの、コラードから貰った大事なもの無くしたもので」
何をと聞かれたらどう答えようかと思った。しかしコラードからと言ったのが良かったようで、レンは勝手に何か想像したようだった。
「そうですか・・・大切なものですか・・・」
レンは何故かそれを聞くと何かが胸に引っかかる感じがした。あまり味わった事のない変な気分だった。それにしてもクレアがこの状況で取り乱して騒がないのには助かっていた。普通なら怖がって大変だろう。彼女のこの不思議なまでの落ち着きにレンは驚いたぐらいだ。
「クレア、貴女は怖くないのですか?」
と思わず聞いてみた。ほのかな灯りの中で彼女は微笑んだ。その笑みにレンはふいを突かれた感じで、どきりとしてしまった。
「いいえ。大丈夫です。レン様もいらっしゃいますし」
その微笑は何と表現したらいいのかレンは分からなかった。色で例えるのなら透明な感じと言えばいいのだろうか?レンは言葉を無くしたようにクレアを見つめた。そんな経験は初めて氷柱に封印されたアーシアを見た時以来かもしれなかった。あの神々しいまでの不可侵の乙女を見た時のように?
クレアは当然、怖くなかった。一番怖いと思っている死を覚悟しているのだからその他など取るに足らないものなのだ。だから何も怖くない。
(でも、ちょっと寒いかな?)
クレアは小さく肩を震わせた。その時、背中が急に温かくなった。
「レ、レン様!」
レンが後ろから自分の胸に抱きこむように腕を回してきたのだ。
「やはり寒いのでしょう?女性に失礼ですが他に方法がございませんので少し、我慢して下さい。まだ此処を見つけて貰うのには時間がかかりますでしょうからね」
クレアはここが薄暗くて良かったと思った。顔が真っ赤になっているのは見えないだろうからだ。
(馬鹿、馬鹿、静まれ、心臓!)
でも動悸は抑えられないようだった。だから急いで誤魔化す為に話しかけた。
「レン様がこちらに来ていると誰か知っているのですか?」
「あっ・・・そう言えば、誰にも言わずに来ましたね・・・」
クレアは失敗したと思った。話しかけたら当然レンが答えるからだ。しかも自分の耳の直ぐ後ろから聞こえてくるのでドキドキしてしまう。レンの声はその姿と同じく綺麗だと何時も思っていた。そして今その優しく流れるような発音が直接響いてくるのだ。それだけで気が遠くなりそうだった。
「でも、サードが見つけてくれるでしょう」
レンはそう付け加えて、くすりと笑った。
「た、確かにサードさんならレン様を見つけるのは得意ですね!それに私がここに向ったとダーラさんが知っていますから大丈夫だと思います」
「ダーラが?」
クレアはしまったと思った。
「え、ええ、ここに向う途中会ったので・・・」
「・・・・・・・・・」
レンは腑に落ちないものを感じたが、何も言わなかった。
一方、突然二人が消えてしまった事に気が付いたサードが騒ぎ出していた。特にクレアが何も言わず姿を長時間消す事が無いからだ。そして何だかダーラの様子が可笑しかった。悪いことをして親に見つかるのを恐れて、そわそわしている子供のようだったのだ。
「おいっ!ダーラ!」
ダーラはサードに大声で呼ばれて飛び上がった。
「な、何よ!」
「お前、クレアが何処に行ったか知っているだろう?」
「し、知らないわ・・・」
ダーラは気弱になっていた。レンの前で恥をかいたので、その仕返しで彼女が大切にしている様子の小瓶を盗み出し、危険な場所に捨てたのだ。もちろん、危険な場所だから何かあれば良いとは軽く思っていた。しかし、本当にそこから帰って来ないから何かあったのだと思ったのだ。そう思うと段々怖くなってきたのだった。
「お前!知らないって顔していないぜ!知っているんだろう!早く吐け!」
サードの恫喝にドーラはとうとう白状したのだった。
そして其処に案内したのだがその変わり果てた場所に呆然と立ち尽くしてしまった。隆起していた山が崩れ土砂で木々も押し流されていて、目印の洞穴はその土砂の何処にあるのかも分からない状態だった。
「わ、私・・・知らない・・・私のせいじゃ無いわ!勝手にこんな所に行くあの子がいけないのよ!もういいでしょ!私は帰るわ!」
「おまえぇ――っ、ああ、もういいっ!何処にでも消えな!」
サードは唾を地面に吐いて怒鳴った。逃げるように去って行くダーラよりもクレアの安否が気になった。勘ではレンも一緒のような気がしていた。土砂崩れと彼女達がいなくなった時間と合致するからだ。
「レンが一緒なら命は別状ないだろうけどよ・・・」
サードは崩れた山肌を用心しながら方々歩いた。そして地中に大きな龍力を感じたのだった。間違いなくレンのものだろう。サードはその地点を確認し応援を呼びに戻ったのだった。
その頃、洞窟でもレンもサードの気配を感じていた。
「ああ・・・クレア、サードが来たみたいですよ」
「本当ですか?」
「ええ、この上の方に彼を感じます。多分、向こうも気が付いたでしょう」
「それではもう直ぐ出られますね」
「そうですね・・・直ぐにとはいかないと思います。ここの感じだと州城に応援を要請しないと難しいでしょうからね。それでも明日中には出られるでしょう。サードが州公に直接言いに行ってくれると助かりますけれどね」
クレアは成程と思った。診療所に戻って龍を何人か連れて来ても状況によっては力不足で龍が足りないかもしれない。そうなると州公に言って龍達を更に用意してもらうしかないだろう。そうなれば少し時間がかかるに違い無い。
「でも安心しました。ところでこんな事、お聞きしていいのかと思うのですけど・・・」
「何でしょう」
「レン様とサードさんはそんな風にとても信頼し合っていると思うのですが、どうして契約されないのですか?龍は宝珠と違って何人も契約出来るのに?」
クレアは本当に不思議に思っていた。地の龍が持てば最高と云われる炎の宝珠のサードがあれ程、契約したがっているのに首を縦に振らないレンが信じられなかったのだ。宝珠は龍が欲して望むのが普通であり、宝珠から望まれるなど大いに喜ぶべきものだからだ。
「・・・・・それを貴女に話さないといけませんか?」
クレアは失敗したと思った。レンの口調が少し冷たくなって自分に回されている腕が緊張した感じがした。きっと触れられたくない話だったのだ。
「い、いいえ、すみません。立ち入った事を聞きまして。サードさんとても良い人だから、ちょっと気になっただけで・・・本当にすみません!ごめんなさい!」
レンの小さな溜息が聞こえた。彼の顔は見えないからどういう表情をしているのかは分からなかった。しかし緊張していた腕が緩んで改めて抱きなおすように位置が変わったのだ。そして温かさが増した。引き寄せられて身体がもっと密着したのだ。
クレアの治まりかけていた鼓動がドクンと鳴った。
「すみませんでした。大人気ない言い方をしまして―――私には、特別な存在があります。だけどそれを自分のものにすることが出来ません。でもそれは私の特別なんです。ですから他に特別を作りたくないのだと思います」
クレアは特別な存在とはアーシアの事だと直ぐに分かった。彼女は女性としても大切な存在であり、そして宝珠だから宝珠としても特別に想っているのだろう。
「・・・・・特別を忘れそうで怖いのですね」
レンは、はっとした。その通りだったからだ。自分は臆病なのだ。想いが薄れてしまうことに怯えていた。この想いこそが自分の支えだと信じているから・・・そして何故この話を彼女にしたのだろうかと思った。話すことで自分の心に言い聞かせている感じだろうか?何故そういう必要があるのか?
(何故?)
レンは腕の中の無視出来ない存在となりつつあるクレアを見た。助手としてはもちろんだが何か違う意味で彼女を認めつつあった。
それにふと心に芽吹く妬心―――彼女と親しく話すコラードを筆頭とした男達にそれを感じていた。サードにさえもそれを感じる時があったのだ。この感情は危険だと感じた。クレアが言ったように特別を忘れそうで怖くなってしまう。これでは駄目だと頭では思うのに、腕は更に彼女を引き寄せその思いを裏切っている。もうこれは彼女に暖を与えようと思っているだけの行為で無い。クレアを強く抱きしめれば抱きしめる程、心が安らぐのだ。