クレアとサード
「クレア、サードから何もされていませんか?」
「え?何って何ですか?」
「えっと・・・暴言だとか・・・」
何時もそうだったからレンはそう言った。
「暴言ですか?そんな事ありませんよ。とても良くしてもらっていますし、優しいですよ」
「えっ?良くしている?まさかでしょう?」
レンは聞きなれない言葉に思わず聞き返してしまった。
「はい」
クレアは微笑んだ。何時もの澄んだ穢れの無い微笑み。
レンは再びクレアと言う人物に興味を覚えたのだった。彼女は龍としての力は殆ど無いが傷付いた患者に対する献身的な心根は素晴らしいものだった。あの文句ばかり言うサードが何も言わず、彼女の手伝いさえしているのがまた驚きだったのだ。
そんなある日―――
「おいっ、こんなのちゃっ、ちゃと治せないのか?」
サードが不満気にクレアに言った。今日は青天城近くにある城直轄の治療院の手伝いに行っていた。レンの同行が無い日はここに来て仕事をしているのだ。そこに何故かサードもよく、引っ付いて来る。早く直せと言っているのは、仕事中に足を踏み外して骨を折り運び込まれた患者の事だった。
「・・・・サードさん、私の力ぐらい貴方なら分かるでしょう?私は情けないけどかすり傷ぐらいしか直せないのよ。レン様とは違うわ」
しかし大げさに患者は泣き叫んでいた。
「あんたの力はやっぱそんなもん?」
「そうよ。残念ながらね」
クレアは患者にすまなそうな顔をして沈んでいた。一家の大黒柱だろうと思える患者が仕事に暫く行けなかったら大変だろうと思ったのだ。今日は他に地の龍もいなかった。龍と言っても名ばかりの役立たずの自分だけだったのだ。こんな時、本当に情けなくて涙が出そうになる。そんなクレアを見たサードがぶっきらぼうに言った。
「オレが力を貸してやる!」
「えっ?」
クレアは驚いてサードを見た。サードは気まずそうな顔をしながら、ぼそぼそと言った。
「ほらっ、早くしろや!」
サードが左手を差し出していた。その腕には金の珠紋が浮かび始めていたのだ。
綺麗な金色の光り―――
クレアは引き寄せられるようにその左手に自分の右手を重ねた。するとあり得ないような力が自分に漲って放出したのだった。宝珠を使う事などクレアは当然初めての経験だった。まして地の龍にとって最高と言われる炎の宝珠の力は凄まじかったのだ。身体中を駆け巡る熱い光りに恍惚となったクレアは、自分の微弱な力が何倍にも高められるのを見た。あっという間に足を骨折していた患者は元通りになっていたのだ。
自分から抜けていくサードの力の余韻に酔いながらクレアの瞳が喜びに輝いた。
「凄い!サードさん!貴方は最高の宝珠よ!凄いわ!」
「な、何だよ。おだてたって何も無いぞ!」
「ううん!凄い!凄いわ!何故、レン様は何故貴方と契約しないのかしら?不思議だわ!」
「おっ!お前、そう思うか?」
「うん、そう思うわ!絶対に凄いと思うもの!」
「そうか!そうだよな?」
うん、とクレアもサードの力の片鱗を見て興奮して喋った。素晴らしい事だと本当に思ったのだ。レンの力とこのサードの力が重なればとても素晴らしいと思った。
手放しで褒められて、レンとの事も認めてくれるクレアにサードは敵愾心を無くしているようだった。彼女がレンに対して特別な感情を持っているとサードは感じたが、それを行動に示さないのでついつい忘れがちというのもあったようだ。いずれにしてもクレアの勤務日数は歴代一位になっていた。
「今日はもうこれで終了だな」
上機嫌のサードは診療所の手伝いを終えて、後片付けをしだしたクレアに話しかけた。
「ええ、本当に今日はサードさんが居てくれたから早く終わって良かったわ。医師としての腕も良いから助かったし、宝珠の力も使ってくれてありがとう」
「ふん、恐れ入ったか!オレ様は優秀なのさ!」
「うん、凄いわ!」
手を叩いて褒めていたクレアは軽い目眩に襲われた。いきなりぐらついた彼女をサードが受け止める。
「おいっ!大丈夫か!」
「・・・・えっと・・大丈夫・・・」
クレアの顔は大丈夫と言うような顔色では無かった。
「あんた、どこか悪いのか?」
クレアは、はっとしてサードにすがっていた身体をぐっと引き上げた。
「あはっ、大丈夫、ちょっと疲れただけよ。だってほらっ、宝珠の力を使うなんて初めてだったじゃない?だからね」
「へぇー意外と体力使うんだな」
「そう、そう」
何でも無いように微笑んだクレアだったが、やはり疲労は本当で足に力が入らず再びぐらついてしまった。
「お、おいっ!」
サードが慌てて彼女を支えた。
「サード、大きな声を出して何かありましたか?」
「おっ、レン、丁度良かった!こいつが倒れてしまってよ」
レンが自分の仕事を終え、今日は龍が不足していると聞いていたこの治療院の様子を見に寄った所だった。
「だ、大丈夫です・・」
「かなり衰弱していますね。何をしたのですか?」
レンはクレアの脈を取りながら聞いた。クレアは頭がふらふらするのにレンに手を持たれていると思うだけでもっとクラクラしそうだった。
「本当に大丈夫です。久し振りに力を使ったから疲れただけで・・・」
「力?龍力を?」
彼女の力は弱く使うことは無い。確かに滅多に使わない場合、慣れていないから使えばそれなりに疲れるだろうが・・・それにしても疲れ方が異常だった。
「はい、サードさんが手伝ってくれて、本当に凄くて私感動しました」
「えっ?サードが宝珠の力を使ったのですか?」
「ふん」
サードは気不味そうにそっぽを向いたが、レンは信じられなかった。サードは宝珠の力を使うのを基本的に嫌っている。昔、龍に不当に扱われた経験で嫌っているのだ。だから龍に心を開かないし使わせない。彼の力を使った事があるのはレンとカサルアだけだった。
(それをこの子と?)
どうした心境の変化なのか?
「サード、貴方がその力を使うのは助かりますが力加減はしてやって下さい。そうでないと普通の龍なら廃人になりますよ」
「げっ!それ、ほんとか?」
「ええ、貴方の力は強すぎるのですから、余分な力まで出させてしまうのです。私や天龍王のようにはいきませんよ」
サードはそれを聞いて少し申し訳なさそうな顔をした。
「サードさんは全然悪くないです!私の力が弱いせいだし。ごめんなさい!それに、患者さん、仕事を休まなくてよくなったって喜んでくれたでしょう?サードさんのおかげだわ。私だけだったら添木をするぐらいしか出来なかったのだからねっ」
「でもよぉ・・」
女性に慰められているサードというのもレンは初めて見た。しかもあの傍若無人なサードが、しゅんとして反省しているのだ。レンは微笑んだ。
「いずれにしても今日は二人共、良く頑張りましたね。クレアは私が回復させましょう」
クレアは目を丸くして驚いた。
「いいえ、とんでもない!お疲れのレン様にそんなことして頂く訳には参りません。寝れば治ります!」
「レンなら大丈夫だって!そんなの力を使ったうちにならねぇよ」
そのサードの言葉にもレンは驚いた。以前、怪我をしたと言った看護婦に吐いた言葉とは大違いなのだ。あの時は怪我をしたのも計算の内だろうとか、レンの力を使うなど勿体無い唾でも付けておけとか言っていた。
(クレアは本当に不思議な人ですね・・・)
彼女の内側から輝く何かを感じる。それが何かと思いながら早速クレアに力を注ぎ込み始めた。レンの瞳の色と同じ翡翠色した輝く力が優しく彼女を包んでいく。自分に流れ込む心地良い力にクレアは逆に失神しそうだった。
レンは力を放出し始めて可笑しいと感じた。注いでも、注いでも活力の源がいっぱいになった感じがしないのだ。手応えが無さ過ぎた。それでもある程度力を注いで引いた。
「レン様、さすがですね。もう、元気一杯になりました!ありがとうございます!」
「・・・・・本当にもう大丈夫ですか?」
はい、とクレアは元気良く答えて微笑んだ。爽やかで清清しい朝の空気を思い出すような何時もの笑顔だ。珍しく不確かな手応えに不安を感じたレンだったが、彼女の様子を見ると大丈夫だろうと思ったのだった。
この時、レンは彼女に巣食う病魔に気が付かなかったのだ。強力な痛み止めを飲む代償として身体中が衰弱し疲労していた。しかし飲まなかったらその痛みで狂うかもしれない。薬を飲んで衰弱していく身体に鞭打って働くか?薬を飲まずにその痛みに耐えて寝て暮らすのか?どちらにしても選べるのは右か左だ。それで選んだのはレンと共に働く事だった。
(だからこれくらい平気!)
これくらい大丈夫。自分はまだ大丈夫だ、とクレアは心の中で繰り返した。
「クレア――っ」
「コラード!お帰りなさい!」
コラードが遠出の任務から帰って来た。クレアがここに来て間もなくの出発だったのでコラードは心配で堪らなかった。身体はもちろんサードに苛められていないかと。しかしクレアから届く手紙にはそんな事は一行も書かれていなく、無事にやっているということだった。一目散に彼女のところへ駆けつけたコラードだったが、クレアの明るく生き生きとした笑顔にほっと胸を撫で下ろした。
「大丈夫かい?もう慣れた?」
「うん、みんな親切だから大丈夫!」
「君の大丈夫っていう言葉は信じられないからなぁ~いつも」
「もうっ!コラード怒るわよ!」
ぷぅーと頬をふくらませたクレアはふざけて言う従兄を叩いた。
そんな様子をサードは遠くから見て横にいたレンに向って言った。
「ふ~ん。やっぱり二人は恋人同士と思うか?オレはてっきりレン狙いと思ったけどなぁ」
「サード、いい加減になさい。私の周りにいる女性達が皆、私を狙っている訳では無いでしょう?考え方が偏っています。それで貴方が迷惑になる訳でもないでしょうに」
「はぁ~オレは大迷惑さ!あんたはオレを全然相手にしてくれないのに、女ってだけであんたの特別になれるじゃないか!だから嫌なんだよ!」
レンは溜息をついた。サードとの契約を延ばしている理由―――レンは自分の特別を作りたく無かったのだ。特別なものはアーシアだけで良かった。叶うこともないこの神聖な想いを持ち続けたいと思っていた。だから心に思う宝珠はアーシアだけであり、心に思う女性はアーシアだけなのだ。
しかし去ろうとしたサードを止めてしまったのも自分だった。だからこの不可思議な気持ちに決着はつけていない。
ふと、サードが問いかけた二人を見る。コラードは真っ直ぐな気性で実に気持ちの良い青年だ。そして彼が連れてきたクレア。彼女の魅力は言葉では言い表せないものがあった。傍にいるととても落ち着く感じ?癒されるという感じだろうか?癒しが専門の地の龍の首座であるレンが癒されると思うのも変な話だがそう思ってしまうが・・・邪魔でもなく、かと言って存在感が無い訳でもない。本当に不思議な感じ・・・・
(二人が恋人同士?)
クレアは両親が早世してしまい、親族であるコラードの家で幼い時から一緒に暮らしていたと聞いていた。だからお互い兄妹のように育ったのだろう。
サードが言うようなものでは無いと思うのだが・・・
(そう思いたい・・・)
ふと、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。そしてそのことにレンは驚いてしまった。
(私は今、何と?)
レンが無意識の中から生まれる不可思議な気持ちに戸惑っていると、コラードがレン達に気がつき挨拶へと近寄って来た。レンは、はっとして全ての感情は柔和な微笑みに隠し彼を迎えたのだった。その二人が話している間にサードはクレアのもとへ。
「おいっ、あんたらやっぱり恋人同士なのか?」
「えっ?誰が?」
「お前とコラードのことだよ」
クレアは驚いた顔をして笑い出した。
「全然、違うわよ!ああ可笑しい!コラードはお兄ちゃんみたいなものよ」
「げっ、じゃあやっぱ、奴の一方通行な訳だ!哀れな奴」
クレアは瞳を大きく見開いてまた驚いた。一方通行?もしかして?
「もしかしてコラードが私の事が家族とかじゃなくて・・・好きだとか言うの?」
「ああ、そうだろう?見れば分かるさ!」
「まさか・・・・」
「ふん。じゃあ、やっぱりお前はレン狙いなんだな!」
サードは思い出したように不愉快そうに言った。クレアは思ってもいなかった事を言われて動揺していた。黙っているクレアを誤解したサードは更に不機嫌になった。
「言っておくけどな!レンはアーシアが好きなんだぜ!だからお前なんか相手になんかしないさ!」
レンはアーシアが好きと言う言葉にクレアは我に返った。
「えっ?でもアーシア様って紅の龍の・・・」
伝説の宝珠アーシアを先日、遠くからだったがクレアは初めて見た。その容姿の美しさと珠力の輝きに目を奪われた。こんな人がこの世にいるんだと感激したぐらいだ。月の光りのような髪と若草色の瞳に、春のような微笑は溜息が出るようだったのだ。
そしてその契約者でもあり、恋人でもある紅の龍ラシードが横に立っていた。彼は城の女性達の間では何かと話題の人物だった。その噂通りの迫力の美形でその魅力は彼と目が合うだけで女達が倒れる、と言われたのも頷ける気がした。素晴らしくお似合いの二人だったのだ。
「ああ、そうさ。はっきり言ってレンが割り込む隙もない二人だけど、そんなのあいつは関係ないんだよ。盲目的にアーシアを愛しているからな」
どうだと言わんばかりにサードは言った。これを言えば大抵の女達は諦めるのだ。美しい悲恋に心が囚われたままのレンを慰めるにしても、アーシア以上の女はそうそういない。流石に厚かましい女達も自分が分かっているようだった。アーシアは本当に良い虫除けだ。
「レン様の想いが叶わないのは悲しいけれどその気持ち分かるわ。叶わない恋ならアーシア様の幸せを見守るのが今のレン様にとっての幸せなのでしょうね。ずっと見つめるだけでも幸せなのよ」
クレアには分かる。自分もそうだからだ。叶わない恋―――でも傍にいて見つめているだけで死という恐怖よりも勝る幸せがそこにあるのだ。
サードは驚いてしまった。彼女のその言葉には悔しさも嫉妬も無かったからだ。レンが好きならそんな感情があってもいい筈。
(やっぱり、違うのか??)
サードの勘も自分で当てにならなくなってきたようだ。自信が無くなって黙り込んだサードにクレアが笑いかけた。
「サードさん、私はレン様とどうこうなりたいとか無いから安心して。約束する」
「本当か?女の武器は使わないか?」
クレアが吹き出した。
「女の武器?武器って・・・きゃーはははっ、可笑しい!私のこの貧弱な身体のどこが武器なの?それこそ綺麗な宝珠達がこの城にはゴロゴロいるのに」
「はっ、あんな澄ました高慢ちきな女達よりずっとクレアの方が可愛いぜ!貧弱じゃなくて華奢って言うだよ。お前、言い方が悪過ぎ!でも細すぎだよな?ちゃんと食べてるか?あんまり食べてないだろう?」
「大丈夫よ。もともと食が細いの。でも、ありがとう!褒めてくれて!」
「ま、まぁな・・・」
思わず褒めてしまったことに気が付いたサードはまあいいかと思ったのだった。クレアは女にしては良い奴だと認めていたのだ。