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クレアの願い

「神様お願いです。もう少し、もう少しだけ私に時間を下さい・・・」

 遠く広がる青い空に向って娘は祈った。白い紗のような雲の彼方に祈る神がいると信じて祈る。どうかもう少しこの命が泡のように消えるのを待って欲しいと願った。

「クレア?用意はいいかい?」

 祈りを捧げていた娘は振向いた。糊が利いた清潔な白いエプロンをしたクレアと呼ばれた娘は微笑んだ。

「うん、コラード。大丈夫よ」

「・・・・顔色はいいね」

「コラードのおかげよ。本当にありがとう。最後の我が儘を聞いてくれて」

 クレアはまた微笑んだ。それは希望に満ちたものでも、全てを諦めたものでもない何と表現したらいいのか分からない微笑だった。悲しいまで澄んだ微笑―――


 コラードはその微笑を受ける度に、自分の力の無さに打ちのめされていた。幼い頃から妹のように可愛がっていた彼女は恋を知り、やっと大人の女性へと花開き始めた頃だった。しかしこれからどんな幸せが待っているのだろうと、期待に胸をふくらませることは無かった。

 彼女は頭の中に死神を抱えているのだ。何時それが鎌を振り下ろすのか分からない。でもそれは消すことも取り除く事も出来ない位置にそれはあり、治癒が得意な地の龍であるコラードでも手の施しようが無かったのだった。それは治癒力当代随一の翠の龍レンでさえも難しいだろう。

「・・・・・我が儘なんて思わないよ。もっと我が儘を言って欲しいぐらいだ」

「もっと?そんなこと言っても知らないわよ。ふふふっ」

 明るく笑うクレアが痛ましくて眉をひそめた。

「あっ、駄目よ!そんな顔。お願いだから普通にしていてね。絶対に言わないでね。約束して、コラード」

「ああ、分かっているよ。だから薬は欠かさず飲むんだよ」

「はい、はい。朝にでしょう?」

 クレアはそう言って薬の入った小瓶を振って見せた。そしてそれをポケットに仕舞うとその上からもぽんぽんと叩く。それは強力な痛み止め。直す事が出来ないのならせめて辛くないようにとの配慮だった。

「ねぇ、コラード」

「何?」


「私がもう駄目って・・・降参って言ったら楽にしてね・・・」


 コラードは目を見開いた。

「クレア・・・・」

「お願いね。こんなことコラードにしか頼めないもの・・・私の我が儘聞いてくれるのは・・・ねぇ?コラード」

「ああ・・クレア・・・約束するよ・・・苦しまないように眠るように・・・だろう?」

 クレアはまた微笑んで頷いた。

「ありがとう。でも私は挫けないつもりよ。だって夢が叶うのだから一分でも一秒でも瞬きする時間さえも惜しいわ」

「そうだね。だけど本当に大変だよ。なんせ三日ともたない者が殆どで最短時間なんか十分だった」

「ええ――っ、そんなに?」

 クレアは驚いて口に手を当てた。

「ああ、そりゃ凄いよ。彼は翠の龍の番犬どころか狂犬だからね」

「狂犬?」

「そう狂犬。翠の龍に好意を持って近づく奴に容赦なく噛み付くからね」


 クレアはぞっとした。翠の龍を追い回しているという宝珠のサードを遠くから見た事はあった。炎のような赤い髪をしていたと思う。そのサードはまだ契約してもいないのに翠の龍レンを、自分だけの龍だと公言していて独占欲丸出しだということだった。

「私は宝珠でも無いし地の龍と言っても、かすり傷直す程度の弱いものじゃない?だから大丈夫よ」

「でも翠の龍に恋している。だろう?だから危ないのさ」

 コラードが片目を瞑って言うと、クレアは真っ赤になった。

 そう・・・彼女はレンに恋をしていた。淡い初恋―――


 クレアは生まれ故郷の乾龍州の治療院で力は役に立たないが看護を手伝っていた。コラードも昔はそこで医師として治療をしていたが、今は力を認められ青天城で翠の龍の部下となり彼と働いていたのだった。そこにある日、コラードの案内でレン達一行が治療院へ視察に来たのだ。そして彼が患者達に優しく微笑み治療を施していた。

 クレアはその力の強さと姿に感動し目を奪われてしまった。尊敬が恋に変わるのは時間の問題では無かった。だが皮肉なことに彼女の病気が分かったのもその直後だったのだ。大人しく寝て過ごせば二、三年は大丈夫だろう。ただし普通通りに暮らせば何時どうなってもおかしく無いという―――いずれにしても死ぬのだ。

 死の宣告を受けたクレアはその恐怖に心が壊れそうだった。日一日と死が迫る恐怖に耐えられないと思った。


(それならいっそ今―――)


 と思った時に、ふと心に過ぎったのはレンの姿だった。

「翠の龍・・・レン様・・・」

 クレアは声に出して呟くように彼の名を呼んだ。その心に広がったのはやはり初めて知った恋の嬉しさだった。この想いがあれば大丈夫だとクレアは思った。

 そして残りの命をかけて願ったのは、レンの傍で働きたいと言うささやかなものだった。そう心に決めたクレアは彼の部下である従兄のコラードに気持ちを打ち明け、協力してもらったのだ。それで今回、彼の紹介でレンの助手とも言うべき看護婦として着任することとなったのだった。その看護婦がいつもサードから追い出されるとの話なのだ。

「大丈夫よ。別に彼からあの方を盗ろうなんて思ってもいないし、ただ近くで見つめていたいだけだもの。だから大丈夫よ」

 未来は無いのだからとまでは言わなかった。目の前の幸せそれだけで十分なのだ。朝目覚めても陽が傾くまで生きているとは限らない。それが突然襲ってくるのか分からないし、眠っている間に永遠に目が覚めることも無いかもしれないのだ。

 だから息をする間も瞬きをする時間も大切だった。命が消える間際まであの人を見ていたい―――


(神様、どうかもう少しだけ時間を下さい)




「あんたが新しい看護婦か?ひゃー力弱っ!」

 クレアはおっかなびっくり目をぱちくりさせていた。真っ赤な猛獣が自分をジロジロ見ながらグルグル回るからだ。言わずと知れたサードだ。大きな体躯に火のように真っ赤な髪と瞳。よく見れば綺麗な顔をしているが右頬に走った大きな傷跡が野生的に見えて本当に猛獣のようだった。青天城のレンの執務室へコラードと赴いた所、肝心のレンは緊急会議に呼ばれて不在だった。しかしこのサードがいたのだ。

「サード殿、失礼だろう?」

「あん?コラード、これはあんたの女か?」

「ば、ば、馬鹿な事!そんなんじゃ無い!従妹だ!」

「ふ~ん。従妹ねぇ~」


 本人はそう言って誤魔化してもコラードはこの娘を好きなのだろうとサードは手に取るように分かった。恋人同士で無いなら彼にとっては敵以外なにものでも無い。この部署に付く女達は、レンに必ずと言っていいほど言い寄るからだ。ギロリとちっぽけなクレアを再度睨んだ。だが、

「はじめましてサードさん。これから宜しくお願いします」

 クレアはにっこりと微笑んだ。これにはサードの方が驚いてしまった。今までの者達は自分のあからさまな態度を不快に思うか、怒りだすのにこの少女は澄んだ瞳で爽やかに微笑んだからだ。

「あんた馬鹿か?」

「え?」

 クレアはきょとんとしていたがコラードの方が怒り出した。

「サード殿!口が過ぎるのでは無いですか!」

「はあ?うるさいなぁ~あんたに言った訳じゃないだろう?」

 クレアは一瞬ビックリした顔をしたが又、微笑んだ。

「何笑ってんだよ!」

「ごめんなさい。もの凄く直球な言い方だったから可笑しくって!」

「はぁ~?あんた。やっぱり馬鹿だろう?」


 クレアは堪らなくなってケラケラ笑い出してしまった。その邪気の無い明るい笑い声に流石のサードも居心地が悪くなったようだった。

「変な奴・・・」

 サードは何となく何時ものような調子が出なかった。クレアから邪心が全く感じなかったからだ。こういうのは初めてだった。しかしレンが現れればまた違うだろうと思った。宝珠は当然ながら契約を狙い、他の女達は翠の龍の妻の座を狙う。サードにとって自分からレンを奪おうとする女は皆敵だった。

 そうして、むうっとしている所にレンが帰って来たのだった。艶やかな黒髪と絶世の美女も羨むような美貌の翠の龍。彼が入って来ただけで花が咲いたように華やぐのは気のせいでは無いだろう。翡翠色の瞳が優しく微笑んだ。

「何かとても楽しそうですね?」

 レンのその姿を見て、ぱっと頬を染めたクレアをサードは見逃さなかった。


(やっぱりこいつ!)


 サードはギラリと彼女を睨んだ。クレアはその視線を受けてまた少し、びっくりしたような顔をしたが直ぐに微笑み返してきた。


(??やっぱり馬鹿か?)


 サードは調子が出ずに、ムカムカしてきた。その間にコラードがレンに立礼していた。

「翠の龍、先日お話しておりましたクレアを連れて参りました」

 レンが視線をクレアに向けた。クレアは慌ててお辞儀をする。

「はじめまして、クレア。助かります。これから宜しくお願いしますね」

「は、はい!一生懸命頑張ります」

 クレアは顔を上げず、更に深く頭を下げて言った。

「はん、何を頑張るんだか。レンを追いかけ回すのをだろうよ」

「サード」

 サードの失礼な言い方にレンは静かに強く嗜めた。何時ものことだが彼にはほとほと困り果てていた。診察や治療をするうえで相手が女性だった場合、同性の手が必要な事も多い。なのにこの調子でレン付きに着任して来る看護婦を辞めさせるからだ。

「申し訳ございません。この失礼な男は無視していて下さい」

「何だよ、レン。無視は無いだろう?なぁ~クレアだっけ?」

 レンはまた駄目だと思った。サードが狙いを定めたからだ。こうなってしまったらレンの言う事は聞かない。


(私の言うことを聞いたことは一度も無いですけれどね・・・)


 彼女達を庇えばもっと辛く当たるのでレンもどうしようも無かった。かと言ってサードを追い払う事も出来ない。中途半端な自分に嫌気がさす今日この頃だった。

 しかしクレアは、きょとんとした顔をしたがまた微笑んだ。サードは噂通りレンを独占したいらしい。この徹底した感じがクレアは可愛いとさえ思ってしまった。

「あの、今日は挨拶だけだと聞いています。勤務は明日からですよね?」

「ええ、そうです」

「じゃあ、サードさん、私にこのお城を案内してくれませんか?」

「はぁ?何言ってんの?」

 サードは呆れた口調で言った。

「クレア、俺が案内してやるよ」

 コラードが直ぐにそう言ったが、クレアは首を振った。

「コラードは仕事があるでしょう?だから、ねっ、サードさん、お願いします」

「はぁ?何でオレがあんたを案内しないといけない訳?オレに媚売っても無駄だぜ」

「そう言わないでお願いします。ほらっ、ねっ」

 クレアはふて腐れているサードの腕を引っ張った。

「うるさいんだよ!」

 サードが腕に纏わり付いていた彼女を思いっきり払いのけた。その弾みで飛ばされたクレアは軽い目眩もおこって床に倒れこんでしまった。

「クレア!」

「サード!」


 流石のサードも、はっとして動きが止まった。しかしクレアはさっと起き上がった。

「はぁー、すみません。よろけてしまって」

 クレアはそう言って何でも無かったように微笑んだ。

 サードはニコニコ微笑むクレアにたじろいでしまった。そして何だか自分が悪いような気がしたみたいで不承不承に言った。

「城の案内行ってやる!」

「ありがとうございます」

 クレアは微笑んだ。そしてさっさと進むサードに小走りで付いて行ったのだった。

「珍しい・・・」

 レンはその様子を驚いたように見送って、思わず呟いてしまった。コラードは心配そうに二人が出て行った先を見つめた。

「あの子はそういう子です。サード殿とも上手くやれると思います」

「そうですか・・・」

 サードと上手くやれる?そんな奇跡みたいな事があるのだろうか?レンは何時もならあまり興味をもたないがクレアとい娘にとても興味を覚えたのだった。



 翌日からクレアは誰もが憧れてその反面怖がられる部署である翠の龍付の看護婦となった。憧れるのは当然だろうが、怖がられるとは当然ながらサードだろう。

「おいっ、お前!レンを狙っているだろう!」

 診察に必要なものを用意しているクレアにサードが噛み付いて来た。クレアはちょっとびっくりしたような顔をしたがあの何時もの笑みを浮かべた。

「狙っている?私がレン様を?」

 クレアはそれだけ言うと笑った。そして笑いを引いて静かに微笑んだ。

「私は狙ってなんかいないわ。そんなこと出来ないもの」


(出来ない?何が?)


 サードは意味が分からなかった。聞き返したが笑って誤魔化された。クレアの視線はレンを追っていて、狙っているとしか思えないのに態度はそうでは無いのも変だった。あくまでも彼の部下という態度を崩さない。何時もの女達のようにしなだれかかったり、甘い言葉を吐いたりなどしないのだ。何時も淡々と仕事をこなしていた。そしてサードに対しても他と変わらない態度なのだ。

 だからクレアが着任して日にちが経つと言うのにサードは彼女を追い出す糸口も無く、もんもんと日数が過ぎていた。これにはレンも驚きを隠せなかった。


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