林檎の花
「どうするんだよ!レン!」
同じような言葉を数日まえサードから聞いたような気がする。その時の〝どうする〟とは意味が全く違っていた。
「あいつの性格だと完全に身を引いているぜ!分かっているのかよ!」
「分かっていますよ!気持ちが傾いて身を引いているような段階で無いと言うことも十分分かっています!気持ちが傾く前に壁を作ったと言いたいのでしょう?」
以前のようにレンを好きになって病気の為だとかアーシアの存在だとかで諦めたようなものでは無いのだ。望みの無い相手だと判断して心に蓋をしたクレアにレンはどうしていいのか攻めあぐねていた。
「ああ、もうっ!こうなったら力ずくでものにしろよ!お前に迫られて落ちない女なんていやしないさ!だからさっさとやれよ!」
「サード!馬鹿なことを言わないで下さい!彼女をそんな風に扱うつもりはありません!」
「ああもうっ!頭が固いんだからなレンは!紅の龍でも見習えよ!奴の視線一つで女が衣を脱いだそうじゃないか!レン、お前だって出来るさ!」
レンは呆れてしまって首を横に振った。
「それはラカンの大げさな話でしょう?馬鹿な事を言わないで下さい。ラシードは自分から何もしたことはありませんよ。全部女性から迫って来ただけです」
「うひゃ~すげぇ~それで勝手に衣を脱いだ訳?やっぱちょっと負けたな」
「勝ち負けの話では無いでしょう?全く、貴方ときたらそんな話ばかり・・・」
レンはそう言いながらも進展の無い関係にサードでは無いがどんな手でも使いたい気分だった。しかしその方法さえ見つからないのだから仕方が無い。意気込みだけはいいのだが実際女性を口説いた経験が無いレンは困り果てた。しかし・・・
「決めました。悩んでいても仕方がありません。彼女に告白します!」
「え?お、おい!またいきなりか?前もそれでバッサリ断られただろう?学習しろよ。クレアには逆効果だっただろうが」
「それくらい私も分かっています。いきなり求婚しませんよ。先ずはお友達から」
「はあ?お友達?ば、馬鹿か?そこまで低い設定にするなよ。好きです、恋人になって下さいぐらい言えよ!」
「それこそいきなり過ぎませんか?」
「ひと目惚れしたなりなんなり言えよ」
「成程、それは妙案ですね。分かりましたそうしましょう。では早速何か贈物でも買って来ましょうかね」
「おっ、それがいい!食いもんがいいぜ!あいつ、いっつも美味しそうでしょうとか言って色々買って来ていただろう」
レンはそれを聞いて、むっとした顔をした。
「サード、あれは貴方が好きそうだと言って買っていたのですよ。クレアが好きで買っていたのではありません」
「え?オレの為?」
レンの不愉快そうな顔を見れば本当のことだろう。
「は、はは・・・レン悪かったな。えっと・・・じゃ、じゃあさ、クレアの好きなものって何だ?」
「え?それは・・・」
レンはその問いに答えられなかった。
「クレアの好きなもの・・・何一つ思い浮かばない・・・」
サードも同じだった。クレアは何でも喜んでくれた。その中で特別なものがあっただろうか?
「今まで疑問に思ったことも無かった・・・彼女のこと・・・何一つ知らないなんて・・・」
レンはそれに気がつき呆然としてしまった。
「そ、そうだ、コラードに聞けばいい!あいつなら幼馴染だから何でも知っている筈だ!」
サードは名案だと言うように声を張り上げて言ったがレンは渋い顔をした。コラードはクレアを想っていたのだ。その恋敵に当然そんなことを聞きたくない―――
「―――それはいいです。本人に直接聞きます。一つ一つ彼女の事を知って行くなんて本当に初めからみたいで楽しいでしょう。先ずは沢山の花を贈ってどの花が好きか聞くことにします」
レンのその言葉通りに用意した花束はまるで楽園の花園のように色々な種類の花で出来ていた。そしてそれを持って村長宅へと出かけた。此処で毎日クレアと会うのだ。いつも村長の娘コルダの治療を手伝ってもらいそのついでにクレアの治療をすると言う名目だった。レンにとって村長の娘の方がついでなのだが・・・治療は進み良好だ。薬の効果も上がってレンの手もいらなくなる日も近いだろう。そうなれば時間が無い―――レンは焦りを覚えながらも今日の治療を終え、今から別室でクレアを診るところだった。
「コルダお嬢さんの調子良さそうですね。ずいぶんお元気になられて本当に良かったです」
この時間はクレアにとって一番緊張する。治療の手伝いの時はサードもいるが自分の番になると何故かレンと二人だけになってしまうからだ。だからつい次から次へと何か話しかけて気不味さを誤魔化そうとしてしまうのだ。
「そうですね。貴女が持って来てくれる薬草が良質ですから効き目が良いのですよ。助かります」
「そう言って頂けると嬉しいです。でも先生の調合には驚きました。あんな組み合わせがあるんだって初めて知りました。とても勉強になりました。ありがとうございました。?先生?」
レンが少し悲しそうに微笑んだ。クレアはレンのことをいつまでも〝先生〟としか呼ばない。当たり前だろうがそれが少し悲しかった。
「先生?」
クレアは聞き返す時はいつも今みたいに首を少し傾けてレンを呼んでいた。
『レン様?』
(クレア・・・)
レンの脳裏に過ぎ去り日のクレアの仕草が浮ぶ・・・
「先生?どうかしましたか?」
「・・・いいえ。すみません。少し考え事をしていただけです。そうそう、今日は貴女にちょっとした贈物を持って来たので受け取ってもらえませんか?」
「え?私に?」
クレアが驚いている間にレンは続き部屋に隠してあった花束を持って来た。そしてその大きな花束をクレアに差し出した。
「そ、そんな、私、頂けません!頂く理由がありませんもの」
「理由は色々あります。診察を手伝ってくれるお礼に薬草のお礼、卵のお礼に朝食のお礼」
「診察の手伝いは私の治療して頂く私のお礼であって、薬草はちゃんと料金も頂いているし、卵や朝食だってわざわざお礼されるような事では―――」
レンはゆっくりと微笑んでいた。この微笑に思考回路が麻痺しない女はいないとサードが自慢するものだ。クレアもそれをまともに見たのだから黙ってしまった。
「でも受け取って貰いたい一番の理由は私が貴女を好きだからです」
「え?」
クレアは聞き間違いかと思った。
「まだ出会ったばかりで急に何かと思われているかもしれませんが・・・私は真剣です」
「そ、そんな・・・どうして?」
「恋に時間も理由もありません。私は貴女が好きです。ただそれだけなのですよ」
クレアは驚いてしまって言葉が出なかった。しかし、はっと思い出した・・・レンには探している大事な人がいた。
「せ、先生は探している大事な人が・・・い、いらっしゃったでしょう?」
レンはその言訳を考えていなかった。とにかく好きだと言って押し切れとサードには言われていた。
「好きです、クレア―――貴女とこれからの全ての時間を共に過ごしたい」
レンは思わずそう言ってしまった。前回も全く同じ言葉だった。結婚を申し込んだようなものだ。だからクレアを更に驚かせているだけの様子に焦りを感じてしまった。だから続いて言ったのもまた・・・
「あ・・・その急ですね・・・驚かせてしまってすみません。結婚して欲しいのはもちろんですが、それを前提とした付き合いからでも始めて貰えませんでしょうか?その間に貴女の心が私に傾いてくれるように努力しますから・・・」
レンは言いながら他に気に利いた言い回しは無かったのかと後悔した。急過ぎだとサードから忠告を受けたばかりなのについ口から出てしまったのだ。
クレアは告白から求婚まで一気にされて完全に思考が止まってしまった。答えを待つレンが眩しすぎて立ち眩みしそうだ。
「どの花が好きですか?」
「え?」
告白の答えを聞き返されたのでは無かった。
「この花束の中に好きな花はありますか?」
「え?は、はい・・・どれも好きです・・・けど?」
レンは少し残念そうな顔をした。
「この中には特別好きな花が無いと言うことですね」
「そう言う訳では・・・」
レンが微笑んだ。
「花は何が一番好きですか?教えて下さい」
「一番好きな花?・・・林檎・・林檎の花が好きです」
クレアは部屋のテーブルにお客用に盛ってある果物に視線を落として言った。その中には真っ赤な林檎があった。
「林檎?それが好きだったのですね」
レンが嬉しそうに微笑んだ。分からなかった筈だ。流石に果実の花とは考え付かないから贈ったことは無い。
(好きだった?だった??)
クレアはレンの言い回しが引っかかった。何故過去形なのか?しかしレンの微笑みにまた、ぼうっとしてしまってそれどころでは無かった。
「でもこの季節では手に入りませんね」
「えっ!欲しくて言ったのではい訳では無いのでいいです!」
しかしレンは微笑んだ。
「外に出ましょうか」
レンは、すっと手を差し伸べたがクレアはそれに手を重ねるのを躊躇った。レンはそれを残念がらず微笑んで差し伸べた手を引くとその手で扉を開けた。
「おっ、レン!どう――」
部屋の外で待っていたサードが直ぐに首尾を聞こうと声を掛けたが、レンの流して来た視線に言葉を引っ込めた。
(やっぱ駄目?)
「サード、一緒に来て手伝って下さい」
「え?ああ??」
レンの後からクレアが戸惑った様子で出て来たがその腕には例の花束は無い。
(やっぱり拒否られた?)
いつも遠慮ばかりしていたクレアの本質は変わらないのだろう。
(それにしても手伝うって何だ?)
サードの疑問は直ぐに分かった。村長宅を出た先にある民家も無いちょっとした野原でレンは立ち止まった。そしていつの間にか持っていた林檎を懐から出したのだ。さっきの部屋にあったものを持ち出したようだ。
「サード、力を私に」
レンが右手で林檎を青い空に投げると同時にその腕には翡翠色に輝く龍紋が鮮やかに刻まれた。その光りは林檎を包みそれに金色の光りが加わった。林檎はその力に下から押されながらゆっくりと下降していたがその実から葉が出てグングン枝が伸び瞬く間に若木へと変化してしまった。驚くクレアの目の前でその若木は地面に根付き更に大きく枝を張っていった。そして枝いっぱいに小さな淡いピンクの蕾が付いたと思ったら一斉にそれが花開いたのだ。満開に咲いた花は真っ白な花だった。
「そ、そんな・・・」
クレアは目の前の出来事が信じられずにただ呆然としてしまった。地の龍にこんな力があったのだろうかと思ったがこれに似たものを何処かで見たような気がした。
「この花なら受け取って貰えるでしょうか?」
白く可憐な花を背中に微笑むレンの声にクレアは、はっと我に返った。しかし何と答えていいのか分からない。
「サ、サードさんは宝珠だったのですね?宝珠を持つ程の龍なら・・・先生は中央でも有名なお医者様じゃないですか?」
レンはクレアを喜ばせたい一心で活性の力を使ってしまった。サードと力を合わせれば何も無い大地に森を造るのも可能だ。林檎の木ぐらいと思ったがそれでも尋常では無い力と、宝珠という特殊なものはクレアから敬遠される要素のようだった。以前もクレアはレンが何故自分を選んでくれたのかと不安を抱えていた。今も同じようにレンが高名な医者なのにどうして自分を?と思っているのだろう。
「私とサードは緑化が得意なのでそういう仕事をしています」
(おっ!上手いぞ、レン!)
「緑化ですか?」
「ええ、例えば日照で荒れた土地だとか山火事で焼け爛れた大地に草木を根付かせます」
そういう力の使い方もあるのだとクレアは感心した。そして、ふとレンの話からさっき思い出しかけたものがまた過ぎった。焦土化した大地が蘇る光景―――その場所に誰かが居た。誰?
「うっ・・・つっ、う」
「クレア!」
クレアがいつもの頭痛を起こししゃがみ込んだ。
「うっ・・・あの・・あの時・・・つぅ・・・誰か・・・あれは・・・ううっ」
クレアはレンとサードの声を遠くに聞いた。それが今なのかそれとも記憶の中なのか分からない。遠のく意識の中で聞こえたのだった




