派遣医師
「これは洗って陰干しするのでしょう?」
クレアは、はっと我に返った。完全に心奪われ見とれていたようだった。
「そ、そうですけど。あの・・・貴方はどちら様ですか?」
微笑んでいた謎の人物は一瞬、悲しそうな顔をしたが直ぐ微笑んで答えた。
「私は村長の要請で派遣された医師のレンです。村長のお宅を探している途中だったのですが・・・貴女が大変そうだったので手を出してしまいました。驚かせて申し訳ございません」
「あっ、村長のお嬢さんを診察に来られたのですね。良かった!母さんも薬を調合したのですけど思うように効き目が無くて・・・来て下さってありがとうございます!直ぐご案内します!ちょっと待っていて下さい!」
クレアは急いで家に戻って行った。母親に出かけると言いに行ったのだろう。
「レン、大丈夫か?」
頭に布を巻きつけ目立つ髪を隠したサードが物陰から出て声をかけた。レンは何気ない振りをしていたが彼女の後ろ姿を見つめながら肩を小刻みに震わせていたのだ。
「ええ、大丈夫です・・・クレアでした。確かに彼女でした。喋り方も何気ない表情もクレアのままでした。私の事を覚えていないだけで出逢った頃のままの彼女です」
「ああ、そうだな・・・あの頃の働き者のクレアだな」
サードはレンが泣いているのかと思った。しかしレンは泣いて無かった。微笑んでいたのだ。探して、探してやっと見つけて・・・それがどんな結果でもレンは嬉しかったのだ。命さえあれば何度でもやり直せるのだから・・・
「サード、彼女が戻って来ました。貴方は顔を見られないようにして下さいよ」
「はい、はい」
サードはブツブツ言いながら外套を被った。
「お待たせしました!」
走って来たクレアが息を荒くつきながら弾むように言った。そして何時の間にかもう一人増えていることに気が付いた。
「彼は私の助手です」
「え?あの・・・さっき、会いましたよね?」
サードは、ぎくりとした。
クレアはサードの顔が見えなくても独特の雰囲気と体格で言い当てた。
「え?あ?えっと・・・」
「確か?サードさんって言いましたよね」
レンがサードをチラリと見た。
(げっ!それ以上突っ込むなよ!レンが怒るだろうが!)
「・・・名前まで言っていたとは・・・」
レンが、ぼそりと呟いた。
「え?何か?」
「いいえ、この者がさっき人間違えをして騒いだって言っていましてね。貴女でしたか?失礼しました。私からもお詫び致します。サード、貴方も謝りなさい」
(ひえぇ~こぇ~)
「ご、ごめんな。ちょっと勘違いして、手痛く無かったか?」
「手?」
レンが冷やかに聞き返した。
(うわっ!やばっ!)
「大丈夫です。びっくりしただけです。私も騒いでごめんなさい。ちょっと事情がありまして私の方こそ失礼したのかもと思っていました」
「事情とは?」
レンは直ぐに優しく聞き返した。
「はい。実は私、少し記憶障害みたいで曖昧なところがあるのです。それを考えると頭痛がするし・・・あっ、でも母の薬がとても良く効くので痛いのは直ぐに良くなります。でもなんだかぼうっとした部分が多くてですね・・・」
クレアは微笑みながら自分の話を聞いてくれるレンに見つめられて頬が赤く染まってくるようだった。
「良かったら、私が診てあげましょうか?」
「え?そんな!村長のお嬢さんの治療に来られた中央のお医者様に診て貰うなんて畏れ多くて申し訳無いです」
レンはそんな娘よりクレアが大事だと言いたかったがそうはいかない。
「もちろんお嬢さんの後にですよ。重病のようなので少し長く逗留することになるでしょうし・・・」
「本当ですか?」
長く居ると聞いたクレアは何だか嬉しくなった。自分達も今は薬草の採取の季節でこの土地で暫く逗留予定だった。
「ええ、ですからお任せ下さい」
レンが艶やかに微笑み、それをまともに見てしまったクレアは真っ赤になってしまった。心臓が悪くなったのかと思うくらいドキドキしていた。
(何だか変?どうしたんだろう私・・・)
「どうかしましたか?」
俯いて胸を押さえるクレアが気になったレンは彼女の顔を覗き込んだ。
「きゃっ!」
心臓が飛び出るかとクレアは思った。
(うひゃ~レン必殺女殺しの魅惑の微笑みだ!あれで何人もの誤解した女達がレンの周りをウロついたよなぁ~オレは苦労したよ)
サードはほんの少し前の昔を思いだした。でも今回は誤解でも何でも無くレンは本気も本気だからサードも苦労はしない。とにかくレンに近付く女達を容赦無く撃退しつづけたサードが唯一認めたのはクレアだけだった。だから今は気分良く応援するだけだ。
それからクレアの案内で村長宅に向かったレンは彼女に診察の助手を頼んだ。
「え?私が?ですか?でも・・・何も分かりませんし・・・助手の方がいらっしゃるのに私がお手伝い出来るものがあるのでしょうか?」
クレアはレンの申し出を快く受けたいがとても無理だと思った。薬草のことなら少し自信があるがそれ以外は経験も知識も無いからだ。
「患者が若い娘さんと知らなくて男の助手を連れて来ましたのでどうしようかと思っていました。身体を調べますので女性が手伝って下さると患者も緊張しませんからね。居て下さるだけでも構いませんのでお願い出来ませんか?」
「そう言うことでしたらお手伝いします」
「ありがとうございます」
レンはまた必殺の微笑みを添えながら礼を言うと、クレアは又真っ赤になってしまった。
村長の娘コルダはクレアと同じくらいの年頃だ。レンはクレアを残して皆退室させた。診察を始めたレンはいつもの癖で患者に自分は向いたままクレアに後ろ手を出してしまった。今までならクレアは必要なものを手渡してくれるのだ。レンは、あっと気がつき手を引っ込めようとした。しかしクレアはそれを、さっと手渡した。渡した彼女は無意識に手が動いたという感じのようだった。
「・・・ありがとうございます」
レンは振り向いて微笑んだ。
「い、いえ・・・私・・・あの、それで良かったのですか?」
「ええ」
レンの笑みが深まりクレアは何故それが分かったのかと言う疑問は吹き飛んでしまった。レンにドキドキしてそれどころでは無かったのだ。
診察の結果、患者の病状は思ったより悪くは無かった。それはレンだからそうであって一般的な医師では手に負えないだろう。
「あ、あの・・・お嬢さんは大丈夫でしょうか?」
診察が終わり何もする事が無くなったクレアはレンと二人だけだと緊張してしまって慌てて話しかけた。
「ええ、大丈夫ですよ。今から少し治療をします。助手を呼んできてもらえますか?」
「あ、はい!」
クレアは何となく、ほっとしてサードを呼びに出た。レンはその姿を見送ると小さく笑った。
「本当にあの頃のクレアですね・・・」
彼女は何かとサードを引っ張り込んでレンと二人だけにならないようにしていた。その訳を後で聞くと恥ずかしかったらしい。今もそわそわとして落ち着きが無くなっていた。それとは別に記憶が完全に失われているのでは無いとレンは感じた。看護婦時代の手際を覚えているのは確かだった。きっかけさえあれば全て思い出すかもしれないという希望が湧いて来た。しかし焦りは禁物だ。
「お連れしました」
クレアがサードを伴って帰って来た。やはりサードが近くにいる方がクレアは安心した顔をしていた。レンはいつもの嫉妬心がムクムクと湧きあがってしまう。
(面白く無いですけれどね・・・)
(え??な、なんだ?オレ何かした訳?)
サードは自分に向けられたレンの冷やかな視線にびくつき何?と聞いてみた。
「別に・・・」
何でも無いと言われてもそんな感じでは無かった。しかしレンの意識が患者に向いたのでサードもそれ以上追求するのを止めて小声で聞いた。
「で?どうなんだ?直ぐに治せそうか?でも長引かせた方がいいだろう?此処に長く逗留するにはさ」
それを聞いたレンはサードに非難の目を向けると更に声を落として答えた。
「馬鹿なことを・・・そういうことはしません。適切な治療を施します」
サードはやっぱりな、と言うように肩を竦めた。
「それでも直ぐに直るものではありません。かなり衰弱しているので強い力は注げませんからね。少しずつ注いで先ずは薬を受け付けるようにします」
「じゃあ丁度良かったよな。今は力を制御しているからやりやすいだろう?」
「そうですね。どちらかと言えば少しだけ注ぐ方が加減し難いですからね」
クレアは二人がひそひそと小声で打ち合わせしている姿を心騒ぎながら見ていた。この二人が並んでいる光景を前に見たような気がしてならなかった。
(何故そう思うのかしら?変な私・・・)
もっと良く考えようと思った時にクレアはレンが患者に癒しの力を注ぐのを見た。優しい翡翠色がほのかに輝いていた。
(あ・・・やっぱり地の龍・・・)
龍はその力の特性によって瞳の色が異なる。レンの瞳の色が翡翠色だったからクレアはそうかも知れないと思っていた。州城から派遣となればそれくらい当たり前かもしれない。癒しの力を持つ地の龍の医師は意外と少なく主立った都市にしかいなかった。今回のように一般では手に負えず派遣を要請しても聞き入れて貰え無い場合も多い。とにかく医師不足が問題だとレンも常々感じているところだった。クレアが見守る中、治療が終わるとコルダが久し振りに昏睡から目覚めた。両親が泣きながらレンに感謝して大変だった。よくある事だがレンにとって今はそれどころでは無かった。ちょこんと頭を下げて去って行こうとするクレアが目に入り慌てて追いかけた。
「クレア、待って!」
「え?」
親しげに名前を呼び捨てられたクレアは驚いて振り向いた。
「あっ・・・すみません。クレアさん」
「いえ・・・あの?何か?」
よそよそしい彼女にレンの心は、チクッと棘を刺すように傷付いた。
「貴女を診る約束でしたから・・・」
「でも・・・そんなに困ってないので・・・」
彼女のその答えにレンの心が悲鳴を上げるようだった。
「それでもすっきりとなさりたいでしょう?大事なことを忘れているかもしれないでしょう?そのままでも良いのですか?」
レンは祈るように言った。
「・・・・・・私ですね。結婚式の途中で事故にあったそうなのです。覚えて無いのですけれど・・・それよりも結婚しようとまで思った人のことを思い出せないんです・・・その時死んでしまったそうなんですけれど・・・私・・・思い出せなくって・・・母はつらいからだと言います。でも・・・私・・・うっ・・・つっぅ・・・」
クレアが急に頭を抱えて呻き出した。




