婚礼の日
「ここは何処?私・・・私は何をしていたの?―――私?私は誰?それにこれは・・・」
純白の花嫁衣裳を着た娘は呆然と湖の水辺に立ち尽くしていた。たぶん真っ白だった筈の衣は泥まみれで手足は擦り傷と打撲の痕。周りを良く見れば色んなものが散乱していた。足の折れた机に窓枠や割れた食器などなど・・・それよりも此処にいる理由も自分の名前さえ思い出せない方が問題だ。
「どうしよう・・・」
娘は困り果てた時、自分の手にしっかりと握りしめているものに気が付いた。それは帯に下げる飾りの玉で一般的に結婚の日の朝にその相手から贈られるものだ。しかし翡翠色のそれは半分に欠けていた。
「綺麗な色・・・?何か裏に彫ってある。えっと・・・クレアへ愛を込めて・・・えっと??」
贈り主の名前が欠けていて読み取れなかった。
「花嫁衣裳を着てこれを持っていると言うことは・・・私の名前はクレア?なのかしら?」
思い出そうとしても全く思い出さない。只この玉を見た時、心がざわめいたような気がしただけだった。
綺麗な翡翠色―――
レンは呆然と立ち尽くしていた。四大龍〝翠の龍〟の称号を持つレン・リアターナーの端麗な顔が蒼白へと変わって行く―――思わずよろめいた足元に当たったのは翡翠色の玉の欠片。レンは震える手でそれを拾い上げた。裏には自分の名前が彫られていた―――クレアに贈ったものだ。
「―――クレア・・・」
レンはやっとの思いで声を絞り出した。
「おおぃ――レン!クレアは大丈夫か!」
向こうから大声を上げながら走ってくるのはレンの宝珠サードだ。
クレアとサードはレンの屋敷に同居していたが結婚前のけじめとしてひと月程前からクレアは別宅へ移っていた。そしていよいよ結婚式当日の朝を迎えた所だった。クレアは質素で慎ましやかな式を望んだのだが、レンの立場上どうしてもそうはならなかった。王の次の位四大龍ともなれば盛大になってしまうのだ。それこそ準備は大変だったがようやくその当日を迎えた朝―――
花嫁の到着を待つだけのレンの元に緊急事態の一報が入ったのだった。
朝からはっきりとしない天気だった。重く圧し掛かるような雲が垂れ込め、風も何と無く生暖かく不快な感じだった。
(嫌な天気ですね・・・昨日まで天気が良かったのに・・・)
レンはイザヤに頼んで風を操る力で雲を飛ばして晴天にして貰おうかと思っていた矢先―――
次元回廊の大事故が発生したとの連絡を受けた。次元回廊とは力を使って遠く離れた地を結び一瞬のうちに移動出来る便利なものだがそれが大事故に繋がることがあった。それは滅多に無いことだが次元の歪みを制御出来ず暴走させてしまうと言うものだ。いきなり現れた回廊がその近辺を吸い込んでは閉じ、遠く離れた地に吐き出す―――狂った空間の歪みが人々を襲うのだ。
「天龍王からの伝言でございます。王や他四大龍は急ぎ収拾して式に参列するので翠の龍はこのまま式にお臨み下さいとの事です」
「そういう訳には参りません。王やその他四大龍も行くとなればかなりの被害なのでしょう。私も行きます。場所は何処ですか?」
そしてレンはその発生場所を聞くなり飛び出したのだった。それはクレアの住まう地域だったからだ。そして急ぎ向った場所は何もかも壊れていた。彼女の居た筈の家も同じだ。そしてクレアは早目に家を出たかもしれないと言う淡い期待はその玉を見付けて無くなってしまった。それは花嫁が身につけて式に臨むものだ。
「おいっ!レン!しっかりしろよ!レン!」
サードは呆然としたままのレンの肩を揺さぶった時だった。
「うっ、うおおっ――ちょっ、ちょっと、まっ―――」
レンがいきなり力を解放しサードの珠力を無理矢理引き込もうとしだしたのだ。レンから翡翠色の炎が燃え上がりサードに襲い掛かった。契約の龍が望めばその宝珠はその力を否応無しに解放しなければならない。しかしこの力は地の龍の力である治癒力でも防御の力でも無い。レンが忌み嫌い封じた攻撃の力だ。サードは無理矢理こじあけようとするレンの力に対抗しようとした。この力がサードの珠力と融合してしまえば恐ろしい力となってしまう。
「レ、レン!馬鹿野郎!落ち着け!レン!うっ・・・ううう」
契約の龍の命令を拒否するサードは全身の血管という血管が破裂しそうだった。血が逆流し全身が沸騰している感じだ。それに耐えられなくなった毛細血管の切れる音がしだした。サードは血で霞む目で駆けつける天龍王と四大龍達を見た。
「くううっ、王さま!レンの奴が暴走してるっ!た、助けてくれっ!」
「レン!」
天龍王のカサルアは直ぐに力を解放し始めた。
「うわっ、ヤバイぜ。何か前にもあったよな、こんな感じ。お前が暴走した時と同じだ!」
碧の龍のラカンが親友の紅の龍のラシードに言った。以前、アーシアが死んだと思ったラシードが怒りを暴走させた事があった。その時、彼をカサルアもラカンも止めることが出来ずレンが止めに行ったのだ。
「ラカン、火水の陣だ!」
「えっ?まさか本気か?そこまでしなくてもさ。ほらっ、カサルアだってイザヤだっているし――」
ラカンはラシードから睨まれて口を噤んだ。
「あの状態のレンを止められるものか!ましてサードの力が加われば尚更だ!つべこべ言わずにやれ!」
ラシードの炎とラカンの水の力―――対極にある二人の力を合わせた必殺業は恐ろしい破壊力を生む。それを使わなければならないとラシードは判断したようだった。
普段のレンは地の龍らしく穏やかで破壊を主とする力とは無縁のように思える。しかし本来の彼は他の龍顔負けの破壊力を有しているのだ。だから宝珠達を連れて来ていない彼らには不利な状態だった。まさか彼女達の力を必要とする事態になるとは思いにも寄らなかったからだ。
「レン!正気に戻れ!レン!」
力と力が摩擦し膨大なその力が竜巻のようになって空へ昇って行った。ラシードとラカンで力を抑えその膨大になった力をイザヤが頭上への道を作り昇らせる。カサルアはその衝撃からレンとサードを守っていた。
遠くから被害状況の報告が風に乗って聞こえてきた。家屋の倒壊の件数と・・・
「おお~い、向こうで人が折り重なって倒れているぞぉ~」
「本当か!生存者はいるかぁ――」
それはレンの耳にも入った。誰の呼びかけにも応じ無かった彼にそれだけが聞こえた。
「クレア・・・」
レンはいきなり力を収めその声の方向へと駆け出した。
「お、おいっ・・・レン・・・」
サードは、ガクリと膝を地に付きレンを追うことが出来なかった。皆もいきなり消失した力の反動を抑えるのに手が取られた。
レンが駆けつけた場所には次元回廊に吸い込まれたものがその渦から逃れ地面に落ちていた。それは物も人も同じだ。しかし空間から突然落ちたものは地面や切り立った岩に木々にと叩きつけられ粉々だった。それは人も同じだ。折り重なる死体がその悲惨さを物語っていた。その死体を端から端までレンは確認していった。その中には見覚えのある者もいた。クレアを世話していた召使い達だ。レンは焦りと共に狂ったように死体を掻き分けた。しかしその中にクレアを見付けることは出来なかった。
「レン、言い難いことだがこの手のものは何処に飛ばされるか分からない。今通過経路を調べている。その周辺を探すしか無いだろう」
イザヤが途方に暮れるレンにそう告げた。しかしそれが分かったとしても飛ばされた場所によっては極めて生存率は低くなる。今でさえもこの状況だ。とても楽観視出来るものでは無かった。
「レン、クレアならきっと大丈夫だ。あいつがこんなもんでくたばったりするもんか!どこかに飛ばされて此処はどこだろうって言う顔をしている筈だぜ!なぁ、レン」
サードがレンを励ますように肩に手をかけた。それをレンは払いのけると怒りを燻らせて冷やかに口を開いた。
「・・・サード、よくそんな気楽な事が言えますね・・・」
「気楽?オレが気楽だって言うのかよ!オレだって・・・オレだって―――くっ、馬鹿野郎!オレだって泣きたいさっ!あいつがあんな風になっているんじゃ無いかって思っただけで気が変になりそうさ!それこそさっきのあんたみたいに力を暴走させるか?無事だった町や村を潰してしまうのか?そんなことして見ろ、クレアが悲しむだろうがっ!何やっているのって怒られるだろうがっ!」
サードは溢れそうな涙を無理矢理拭いながら叫んだ。その悲痛な訴えにレンは冷静さを取り戻した。
「・・・・・・サード。すみません・・・私が悪かったです・・・貴方の言う通りです。クレアが死んだと決まった訳では無い・・・」
「そうさ!見つけに行こう!それに遠くに飛ばされても助かったのならきっと連絡してくる筈さ。見付けるのにそんなに時間は掛からないだろうよ」
しかしその後の捜索は容易だったにも関わらずクレアの手掛かりは見付からなかったのだった。巨大な空間の歪みは方々に跡を残していてその行き先は直ぐに分かった。その先々でそれに巻き込まれた人や物が吐き出されていた。その内、極少数だが生存者もおりレン達は希望を持った。しかしその終点と見られる場所に到着しても彼女を見付けることが出来なかったのだった。通過した周辺はもちろんその近辺の場所は全て探索した。それこそ沼地はもちろん深い森に至るまで・・・しかしクレアは見付からなかった。死体が出ないと言う事は生きている確率は高い。だが生存しているのなら連絡があってもいいだろう。それが無いと言うことは連絡出来ないくらい重傷を負っているかもしれないとレンは思いその方面も探索した。考えられる事は全てしただろう。レンはそれが出来る力があるのだ。しかし結果は同じだった―――
「サード・・・私は夢を見ていたのでしょうか・・・」
美貌の宝珠と並んでも勝ると称されたレンだったが疲労がその端正な顔立ちに影を落としていた。憔悴しきってすっかり輝きを失っているようだった。
「レン、そう思いたいのは分かる・・・こんなのは全部夢で目が覚めたら何でも無かったって思いたいんだろう?でもな・・・そんな現実逃避したって同じさ・・・」
いつも勢いだけは誰にも負けないサードが肩を落として答えた。二人が腰掛けて話しているのは何度も訪れた場所で小休憩を取っていたところだった。
「いいえ、そうでは無く・・・クレア・・・彼女はあの時、助からなくて死んでいたのでは無いかと・・・悲しみが強過ぎて幸せな夢を見ていただけかもと思えてならないのです。目覚めたら安らかに眠る彼女を抱いたままあの場所に立っているのかもしれない・・・と」
「何言って・・・そんな馬鹿なことあるもんかっ!オレも同じく夢を見ているって言うのかよ!」
「貴方が見ているのでは無くって私が見ていたのです。長かった幸せな夢を・・・今それから目覚めようとしている・・・」
「それは無い!絶対に!レン、疲れ過ぎているんだよ。もっとしっかり食べてもっと寝ないと身体よりも神経の方が先にやられる。分かっているんだろう?レン!」
「情けないですよね。本当に・・・分かっていても食事は喉を通らないし、目を瞑っていても眠れない・・・」
「それでも無理矢理食べな!そして寝るんだ!今から食べ物を調達して来るからレンは少しでも寝てな。いいな?寝ているんだぞ!」
サードはそう言ってレンを残し近くの村に向った。