閑話~レン過去~
クレアの不治の病はレンとサードの力で脱した。彼女の切ない初恋も実り、レンはそのクレアと共に天龍王カサルアに結婚の報告をするため青天城へ登城していた。レンは通いなれた場所だったがクレアは翠の龍の府がある近辺以外は殆ど知らないに等しい場所だ。それに天龍王を間近で見るのも初めてだった。田舎育ちのクレアはレン達の戦いを直接知らない。世界を変える希望の龍がいるという噂だけ知っていた。その噂の本人は皆の希望となり目の前にいる。流れる金の髪に印象的な金の瞳・・・まさに陽そのもののような龍。
陽の龍、希望の陽と称えられたというのも頷ける天龍王カサルア―――
眩いばかりの龍力を放ち微笑むカサルアと目が合ってしまったクレアは思わず頬を赤らめた。それに目ざとく気が付いたレンが、すっとクレアの前に進み出るとその視線を遮った。
「天龍王、私達はこの度、結婚することに致しました。そのご報告をと思いまして参りました」
レンのわざとらしい遮りにカサルアは、ふっと微笑んだ。
「それは喜ばしいことだ。ところでレン、可愛い花嫁さんをちゃんと紹介してくれないのかい?背中に隠されては挨拶も出来ないけど?」
カサルアは愉快そうだったがレンは明らかに不愉快そうだった。
「ははは・・・レンのそんな顔は初めて見るな」
「笑わないで下さい。私も自分で驚いているのですから」
レンの答えにカサルアは又、笑った。クレアは二人が何を言っているのか分からなかった。長年苦楽を共にして来た間柄はクレアには踏み込めないものがあった。これは他の四大龍達にも感じるものだ。報告も無事終わった帰り道、クレアはそれが少し悔しくてレンに訊ねてみた。
「レン様、さっき王は何故笑っていたのですか?レン様のそんな顔だとか・・・レン様は驚いているとか・・・どういう意味です?」
「それは・・・たいしたことではありませんよ」
クレアは納得いかなかった。でも恋人が言いたくないものを無理やり聞くのもどうかと思って話題を変えることにした。
「それにしても天龍王は素敵でしたね!私、あんなに近くでお目にかかったのは初めてだったからもう興奮してしまって・・・レン様」
レンがまた不機嫌な顔をしていた。カサルアは珍しいと言ったがクレアは珍しいものとは思わなかった。レンは時々こんな顔をする。
「・・・だから一緒に行きたく無かった・・・」
「え?何か言いましたか?」
「・・・貴女をカサルアに会わせたく無かったと言ったのです」
「え?どうしてですか?」
「どうして?カサルアには誰もが惹かれるでしょう?」
クレアは、あっと思った。カサルアを見た自分が、ぼうっとしたのを見たのだろう。
(もしかして・・・嫉妬?)
好きだとか嫌いだとか関係なく素敵な異性を見れば条件反射でそうなってしまうのは歳若い女性なら誰でも同じだろう。最近、四大龍の三人にも挨拶まわりをしていた。何れもそんな反応をしたとクレアは思った。だからようやく最近のレンの不機嫌な顔の理由がわかったような気がしたのだった。しかしクレアも違う意味で嫉妬している。だから自分の思ったことを言ってみた。
「レン様は天龍王には色んな顔をお見せしているのでしょうね?羨ましいな。私、王に嫉妬してしまいそうです」
「え?私の色んな顔?嫉妬ですか?」
「はい、そうです。だってそうでしょう?長く一緒にいられたのだからいいなぁ~と思って。だからそのお話が聞きたいです」
クレアはレンの過去を殆ど聞いたことが無かった。軽い気持ちで聞いたのにレンの美麗な顔が瞬く間に曇ってしまった。
「昔の話は好きではありません・・・それに昔の私を知ったら・・・貴女は私を嫌いになるかも・・・」
クレアはその答えに驚いた。そういう話題が今まで出なかったのも不思議だったが、好きな人のことは何でも知りたいと思うのは当たり前だろう。
「嫌いになる?そんなこと無いです!私はレン様のことをもっともっと知りたい!そう思うのは当然でしょう?違いますか?」
レンは迷った。出来れば過去の自分は抹消したいものだった。しかし紛れも無くそれも自分であり、そしてもう二度と出したくない自分だ。だからあえて戒めの為に最愛のクレアに話すのも良いかもしれないとふと思った。そして重い口を開いたのだった。
「・・・カサルアと出逢う前の私は―――」
小さな村の小さな診療所でささやかで穏やかな日々をレンは送っていた。自分の出来る精一杯の事をしようと医者が不足している貧しい小さな村を点々として開業していたのだ。魔龍王の恐怖支配も田舎の小さな村にはそんなに影響が無かった。今日は何の種付けをしたとか何を収穫したとか、どこの家畜が出産するとかそんなささやかな話題ばかりの長閑な毎日。ところがレンが薬草を採取しに留守をした半日の間にその村は一変してしまった。魔龍王の龍軍が演習と言って無抵抗の村人達を一人残らず嬲り殺しにしたのだ。名目はどうでもいい只の暇つぶしのようなもので女は犯し子供から年寄りまで皆殺しだった―――
レンが戻って来た時は、その殺戮者達は村中に火を放って酒盛りの真っ最中だった。癒しの地の龍・・・穏やかで優しげなレンはその瞬間から消えてしまった。レンは地の龍特有の防御は鉄壁の上、攻撃力も凄まじかった。余りにも違う力の差に許しを請う悪漢達に情けをかける事無く滅するレンは裁きの神のようだったらしい。
「ひぃぃ――っ、お赦しを――っ」
「赦す?何を?赦しはあなた達が殺した人々に請いなさい!」
レンは既に全身が血で染まっていた。悪漢達が累々と潰れた果物のように血まみれで転がっている。それなりに力ある者しか入隊出来ない軍の筈なのにレンに誰一人として敵う者がいなかった。圧倒的な力の差に戦意喪失の彼らだったがレンは赦さなかった。一人一人殺すのが面倒になったレンがまとまった力を放出しようとした時だった。急に後から声がしたのだ。
「それ以上すると後悔するんじゃないか?」
レンは振向いた。そしていつの間にか真後ろに立っている男の姿に思わず魅入ってしまった。陽の龍と呼ばれたカサルアとの出会い・・・
しかし血塗れたレンの思考回路には報復という二文字しか浮んでいなかった。大切にしてきた村人達はもういない。動くものは皆敵だった。だからレンは一瞬目を奪われたものの新たな敵と思ったカサルアに攻撃をかけた。鉄壁といわれる防御が鋭い矢となればどんなものでも貫く武器となる。しかしその渾身の一撃をカサルアは見事に相殺してしまったのだ。力が粉々に砕けて霧散するのが見えるようだった。
「なっ・・・」
レンは信じられないと一瞬呆然としたが、再び力を繰り出した。何度も何度も・・・しかし結果は同じだった。そしてとうとう肩で息をして膝を地につけてしまった。レンはもう終りだと思った。これ程敵わない相手がいるとは思わなかったのだ。レンは自分の実力は良く知っている。四大龍の翠の龍に匹敵するだろう。今にその位がレンのものになるのでは?と噂されていた。周りは期待したがレンは人との争いを嫌い、隠遁生活をしていたのだ。魔龍王の統治に不満はあってもささやかな幸せがあれば良かった。
「・・・もう気が済んだかい?」
(え?)
レンは顔を上げた。あれだけ攻撃をしていた相手に目の前の男はにっこりと微笑んでいたのだ。しかも完全に相殺されていたと思っていた攻撃は意外と当っていたようだった。微笑んでいるのに額からは血が流れていて差し伸べている手にも裂傷があった。
「つぅ・・・」
昼下がりの太陽を背中に浴びている男は顔をしかめた。額からの血が金色の瞳に入ったようだった。
「ふふふ・・・地の龍とは思えない力だな。久方ぶりに負けるかと思ったよ」
(負ける?馬鹿な・・・)
そんな事は無いだろうとレンは思った。そしてようやく我に返ったようだった。
「貴方は・・・いったい・・・」
「たまたま近くを通っていて尋常じゃない煙を見たから急いで駆けつけて来たんだが・・・君と同じく間に合わなかった・・・」
カサルアは鎮痛な顔をして言った。額から流れる血は頬を伝ってまるで血色の涙を流しているようだ。
「・・・も、申し訳ございません。貴方は助けに来て下さったのに勘違いしてしまって・・・」
「いや、この有様なら頭に血が上ってもおかしくない・・・私も同じだろう」
二人は村を振り返った。貧しい農村は燃えるものも少なく炎は沈下しかかっていた。そして累々と転がる死体。
「・・・・・どうして・・・どうして止めたのですか?」
レンは平常心に戻っても再び怒りが込み上げてきた。生き残った龍軍達はもう既に逃げ出していた。もう暫くすればレンには報復部隊が派遣されるだろう。皆殺しにしても当然の所業を奴らはしたのだ。それなのに?
「怒りだけで命を奪えば自分の心が病んでしまう・・・」
「しかし!あの者達は――」
レンは反論しかかって言葉を呑み込んだ。赦してやれと言っていると思っていた男が怒りを静かに滾らせていたのだ。それはレンが戦慄を覚えるくらい激しいものだった。
「・・・誰かが誰かを憎むのは容易い。しかしそうなる根本を正さなければこの連鎖は終らない・・・その源をどうにかしない限り・・・」
レンはその言葉が自分に向って言っているのでは無く、自分自身に言っているように感じた。彼は自分の不甲斐無さを憤っているのだ。
レンは自分が恥ずかしくなった。自分が逃げた小さな世界で満足していてそれが壊されたと言って駄々をこねる子供と一緒だと思った。それに比べて目の前の陽光を象ったような龍から感じる器の大きさは感動すら覚えるものだった。
「・・・私は目が覚めました。貴方は何かするおつもりでしょう?私も共にお連れ下さい」
カサルアは少し驚いた様子で鮮烈な金の瞳を見開いたが、ふと微笑んだ。
「何をするのかも聞かないで仲間になると言うなんて・・・意外と無茶な奴なんだな?私が大怪盗だったらどうするんだ?」
「怪盗?それも面白そうですね。とりあえず危険な事に間違いは無いでしょうからお抱え医師なんかがいると便利でしょう?」
カサルアはそれもそうだ、と言って笑った。後に強力な仲間になったレンは鉄壁な防御は当然だが必要に応じて鬼神のように戦うこともあった。地の龍の殆どは攻撃力が無いから他の龍と組んで防御を担当し戦うか、治癒にあたるだけだった。しかしレンは違っていたのだ。他の属性の龍と同じ様に戦っていたからその後は決まって数日はふさぎ込んでいた。それが後の為になると思っていても人の命を救う手でその命を奪う自分が許せなかったのだ。あの戦で自分だけ綺麗なままではいられないのは十分わかっている。でもそんな力を持っている自分が疎ましかった。だから愛するクレアに過去の自分を知られたくなかったのだ。命を救う医者が昔は簡単にその命を奪っていたこと―――
話し終えた時、クレアは微笑んでいた。
「レン様は沢山の命を奪ったかもしれませんがそうする事によってそれ以上の命を救ったのでしょう?あの時代は何が正しくて何が間違っているのか難しかったと思います。でもレン様達は間違って無かった・・・今、みんなは幸せを感じていると思います。だからレン様は恥じることなんかありません。私だって力があったら共に戦いたかったです。私なんか龍と言っても情けないくらい力が無くって何時も悔しくって枕を何度も涙で濡らしました・・・力あるレン様達がとても羨ましいです。でも・・・力があっても私のようにつらい思いをするんですね。私達、一緒ですね」
クレアがまた、にっこりと明るく微笑んだ。
「クレア・・・」
レンは昨晩サードから聞いていたことがあった。レンとの仲が公になって来ると彼に好意を持っていた女性達がクレアを妬みの標的にしたらしい。力も無い龍で美人でも無いくせに不釣合いだとか、何故彼女をレンが選んだのか分からないとクレアに聞こえるように言っていたとのことだった。レンは争いを好まないがそれには怒った。
『サード!誰がそんな事を言っているのですか!どこの誰です!』
レンの反応にサードの方が驚くくらいの勢いだ。
『お、おい、レン。そんなに腹立てるなよ』
『腹を立てるな?どうして?クレアがそんな非難を受けるいわれはないのだから黙ってはいられないでしょう!』
『もちろんそうさ!オレも頭にきて怒鳴り返そうとしたんだが・・・クレアから止められて・・・』
『クレアが?』
『ああ、本当のことだし彼女達が悔しいのも分かるからって・・・』
レンはその時、黙ってしまった。
(本当のこと?不釣合い?それとも私が何故彼女を選んだのかクレア自身も分かっていないと言うことだろうか?)
レンはクレアを抱き寄せた。
「レ、レン様!」
急にレンの腕の中に絡めとられたクレアは真っ赤になってしまった。
「クレア、私は貴女だから愛しているのです。それには力も容姿も関係ない。力はあっても無くても悩みは一緒。容姿なんか皮一枚。馬鹿らしい基準だと私は思います。私達は結婚するのだからお互いの足りない所を補いあえばいい」
「あの・・・私・・・私はレン様に何がしてあげられるのでしょうか・・・」
クレアの瞳が珍しく不安に揺れていた。彼女の気持ちを察してやれなかった自分自身にレンは腹が立った。
「クレア、貴女がいてくれるだけで私の心が休まるのですよ。私もどう表現したらいいのか難しいのですが・・・どんなに忙しくて疲れても嫌な事があっても貴女を見るだけで全てが帳消しになってしまう。四大龍だとか稀代の癒しの龍とか言われて祭り上げられても私は自分自身を持て余し何も出来ない情けない者です・・・」
「違います!レン様は――」
違うと反論しかかったクレアは更に真っ赤になってしまった。レンが黙って、と微笑んで彼女の唇に指を当てたからだ。うっとりと見惚れてしまう綺麗なレンのその仕草はもう呆然とするしかなかった。
「私は貴女でないと駄目なんです。サードでも天龍王でも・・・もちろんアーシアでも無い。私が唯一心を預けることが出来るのはクレアだけ」
「で、でも・・・何故・・・私なのかと・・・つい思ってしまって・・・」
「ではクレア、貴女は私が四大龍だから好きになったのですか?それとも龍力が強いから?もしくは容姿が気に入ったとか?」
「そ、そんな!何がとか考えたことありません!私は―――」
クレアはまた言葉を呑み込んでしまった。レンが微笑んだからだ。
「ほらっ、私と一緒でしょう?私も貴女と同じ。何がとか理由も何も無いのですよ。でもあえて言うなら全てでしょうね」
クレアは尚更真っ赤になってしまった。レンから全てと言われる程、自分に自信がないクレアは戸惑うばかりだ。
「いずれにしても私の方が貴女に嫌われる要素が多いでしょうね。昔の事も含めて・・・まぁ、色々ですね・・・」
「そんなこと無いです!」
「そう願いたいですけどね」
レンは微笑んで誤魔化した。サードには露見していることだが、レンは見かけによらず恐ろしく独占欲が強いうえに嫉妬深い性格だ。それはまだまだクレアには隠しておきたい事らしい。四大龍の中で怒らしたら一番怖いと言う噂が流れてはいるが実際目の当たりにしているのは数人しかいない。
「レン様?」
「ふふっ・・・何でもありませんよ。さあ行きましょうか?」
「そうですね。そう言えば今日、サードさんは何故付いて来なかったのかしら?」
「さあ、どうしてでしょうね」
レンは何気なく答えたが当然付いて来ようとしたサードを止めたのはもちろん彼だった。
たまにはサード抜きのクレアと二人だけになりたいのだ。
「クレア、もうお昼ですね。何処かで食―――」
「大変!急いでサードさんにお土産買って帰りましょう!」
「サードに土産?近所に出ただけなのに?まぁ・・・良いでしょう」
レンはやれやれと思いながら駆け出したクレアを見つめた。サードを何時も邪魔者扱いしている訳では無い。意外とレンはこの奇妙な三人の関係を気に入っているようなのだ。レンの番犬だったサードを手懐けたクレアは賞賛ものだろう。置いてきぼりのサードはクレアの土産で機嫌は良くなる筈だ。レンはクレアが買い込んだ土産を彼女の手から取り上げて片手で持つと、当然のようにクレアの空いた手に自分の手を絡めた。
「レ、レン様!」
クレアは彼の意外な行動にまだ慣れないでいる。それを楽しんでいるかのようなレンだが何時ものように優しく微笑んだ。
「さあ、帰りましょう」
レンとクレア、そしてサードが共に暮らす家へ―――