本当の答え<二部・完>
「クレア・・・」
微笑んだまま首をかしげるクレアは本当にいつもの彼女だった―――希望は消えた。しかしレンは彼女に微笑み返した。
「クレア・・・・また同じように微笑んでくれるのですね?同じように・・・神よ、感謝致します。私に彼女を返してくれて・・・」
「レン・・・お前・・・くっ・・・」
サードは涙がせりあがってきて言葉に詰まってしまった。
「サード、貴方が泣いてどうするのですか?みっともないでしょう」
「お前の代わりに泣いてやってんだ!悪いか!」
「私は泣きませんよ。消えるかもしれなかった愛しい人の命が助かったのですから、これ以上の贅沢は言えません。貴方には本当に感謝しています。貴方の力が無かったら彼女は助からなかったのですからね」
「レン・・・・くっぅう・・・」
「だから泣かないで、ほら、クレアが不思議そうな顔をしているでしょう?」
レンはクスクス笑いながら穏やかな顔をしていた。サードにはとてもそれが悲しく見ていられなかった。
クレアが居る日常に慣れ始めた頃。レンは時間が空けばクレアに言葉や字を教えていた。今も絵本を指差しながら教えていたところだ。
「で、どう?何か喋った?」
サードは毎日それを聞く。
「いいえ・・・赤ん坊も直ぐは喋らないでしょう?それと同じですよ」
「ふ~ん」
「そうそう、今日気が付いたのですが、名前を呼べば反応はしますよ」
「おっ!本当か!クレア、ク・レ・ア!」
絵本を見ていたクレアは自分を呼ぶサードを見上げた。そしてにっこり微笑んだ。
「本当だ!クレア!オレ、オレが分かるか?サード、オレはサード!これはレン!レンだ!」
サードは有頂天になって騒いだ。
「サード、そんなに大きな声で言ったらクレアが驚くでしょう?こういうのは根気良くしないと駄目なのですからね」
「―――れぇん・・・さぁど・・・」
「え?」
レンとサードが同時に、はっとした。
「れぇん・・・さぁど?」
クレアがそれぞれを指さしてたどたどしく喋ったのだ。
「ク、クレア?」
「くれあ・・・」
今度は自分を指さすとまた、にっこり微笑んだ。
「や、やった――っ!名前!名前喋ったぜ!レン!クレアがオレ達の名前を呼んだぜ!―――レン?おいって!」
「あっ・・・・・そ、そうですね。喋りだしたら覚えるのも早いから直ぐに何でも話せるようになりますよ」
「本当か?やったぜ!じゃあ、クレア、これ!これ読んでみな」
今度はサードが先生になったようだった。
そうしていると午後の時間はあっという間に過ぎた。
「おおい、レン、もそろそろ用意した方が良いんじゃないか?」
「ああ、もうこんな時間ですか。そうですね、じゃあクレアまた後で会いましょう。用意お願いします」
レンはクレアを召使いに預けた。今日は気晴らしにと三人で外へ食事に出かける予定だったのだ。二人は他愛の無い話しをしてクレアの着替えが終わるのを待った。そして彼女が現れたと同時にレンは端整な顔を歪めた。
「その衣は・・・・」
彼女が着替えて来たのはレンが贈ったあの衣だった。
「馬鹿野郎!何でこれを着せた!」
サードが召使いを怒鳴った。
「も、申し訳ございません!美しかったから目に留まったもので・・・す、直ぐにお召し替え致します!」
レンは大きく息を吐いた。
「いいえ、構いません。サード、私は大丈夫です。これは彼女にとても似合っているのですから・・・さあ、行きましょう」
「あ、ああ・・・」
(レンの奴、痩せ我慢しやがって!つらく無い訳ないじゃないか。思い出のものなのによ・・・)
想いを詰めた贈物。それを着たクレアから貰えなかった本当の答え―――
彼女がその衣を着ているせいでまるであの日の夜の再現のようだった。店は違っていても個室でほのかな灯りだけが揺れている。ただ違うのはクレアが喋らないだけだった。名前が言えるだけで会話は出来ないから当たり前だろう。食事の仕方は人前に出ても恥ずかしくない程度に上達している。元々知能は大人なのだから覚えるのは早い。言葉もこの調子でいけば会話するのも遠く無い未来だろう。
クレアが意味は分からないと思うのにサードのおどけた様子に笑った。
〝もうっ!サードさんたら〟と言って彼女が笑っていたのはそんなに昔では無い。
「サード、クレアがどうしたんだろうって見ていますよ」
「あっ、オレ・・・」
クレアの弾むような笑い声を聞いた途端、サードは急に黙り込んでいたのだ。そして頬には涙が流れていた。クレアがじっと首を傾げてサードを見ている。
「オレ、顔洗ってくる!」
立ち上がって去って行くサードをクレアが目で追っていた。
「クレア、大丈夫ですよ。直ぐ戻って来ます。お食べなさい」
レンはそう言いながら食べる仕草をして見せた。
クレアはスプーンを持ち、最後のデザートを食べ始める。本当にあの夜のようだった。レンの視線に気が付いたクレアが手を止め、いつものように微笑んだ。
「つぅ・・・」
レンは堪らず瞳を閉じた。自分は泣かないと決めていたのにこの状況で彼女の微笑みを見ると涙が出そうになったのだ。
「クレア、私は貴女を愛しています。いつの間にかこんなに心惹かれて・・・・」
レンは硬く瞳を閉じたまま万感の想いを込めて言った。堪えていた涙が頬をつたう。今のクレアには理解出来ないとは分かっていても言わずにはいられなかった。答えは返らないとしても―――
「・・・・レン様?なぜ泣いているのですか?ここは・・・」
(えっ?)
レンは自分が可笑しくなったのかと思った。クレアの言葉が聞こえたような気がしたからだ。今日の昼下がりの部屋で初めて自分の名前を呼んでくれた彼女に思わず、あの日の本当の答えは?と・・・詰め寄りそうだった。それくらい自分は平気な顔をしていても心の奥底で欲しているものがあるのだ。だからこんな幻を見てしまう。その目の前の幻は、はらはらと涙を流していた。なんと現実味のある幻だろうとレンは思った。
「神様にずっと願っていました。もう少しだけ私に時間を下さいって・・・その時間、貴方の傍に居たかったのです。夢じゃないですよね?私・・・戻れたのですね?」
(えっ?馬鹿な・・・)
レンは信じられない思いで彼女を見つめた。
「クレア?」
「はい」
「クレア?」
「はい、レン様」
レンの手が震え出した。有り得ないと頭では分かっているのに、レンは確かめずには居られなかった。席を立つと震える指でクレアの頬に触れた。
「私、答える為に戻って来ました。レン様が言われたでしょう?私の口から本当の答えを貰うまで死ぬのは絶対に許さないって。目は閉じたままで見えなかったけれどレン様の声は聞こえていました。そしてサードさんと一緒に私を助けてくれたことも覚えています。あの時、余りに眩しくて真っ白になりかけたのですけど、レン様の許さないって言われた言葉を思い出してどこかにしがみ付いたみたいです。でも中々そこから出られなくって、あっ―――」
クレアの言葉は遮られ、レンの胸の中にかき抱かれてしまった。レンは言葉が出なかった。ただ、ただ、彼女を強く抱いた。それからまるで本当かどうか確かめるように何度も彼女の名前を呼び続けた。クレアもその都度、レンが安心するようにと返事をする。そしてレンが聞きたかった本当の答えを何度も答えたのだった。
「だけど良かったわね?クレアの記憶も戻って。と・・・言うかサード、あなたも良かったわよね?やっとレンと契約出来て!クレアに感謝しなさいよ。そうじゃ無かったら、永遠に契約なんてして貰えなかったわよ。きっと!」
「アーシア、お前、本当に遠慮なく言うよな!むかつくったらないぜ」
「それにしても良くレンを誰かと共有する気になったものね。私はそれの方が驚きよ」
アーシアは感心したように言った。
「共有?そんなものして無いぜ。オレはレンのもの、クレアはレンのものだろう」
「え?何それ?私が言っているのと同じじゃない!」
サードの変な方程式にアーシアは頭をひねった。
「違う!」
違う、違わないで揉め出したサードとアーシアは、相変わらず喧嘩友達で言いたい事を言い合っている。その様子をレンとラシードは呆れながら眺めていた。顔を合わせれば始まる青天城でののどかな日常は変わらない。
「今日、クレアは?」
「彼女は婚礼衣装の採寸に行っています」
「付いて行かなくて良かったのか?」
「当日まで内緒だそうですよ」
「それもそうだな」
レンとクレアの婚礼が決まったのだ。この急な展開で泣いた女性の数知れず気病の患者が急増したとの事だった。
「それで貴方達はいつ婚礼を挙げるのですか?遠慮なくどうぞ」
含んだ言い方をするレンをラシードは、ちらっと見た。
「・・・・・その言い方を聞くと私がお前に遠慮していたみたいじゃないか?」
「おや?違いましたか?未練がましくアーシアを想っていた私に遠慮していたのだと思っていましたけど?」
「馬鹿言え。私は今まで遠慮というものをしたこと無い。天龍王がうるさかっただけだ」
「そう言うことにしておきましょうか」
レンはそう言って微笑んだ。珍しく気不味そうな顔をしているラシードを見れば言い訳しても効果はない。結びつきの深い彼らの恋人期間が長いのは不思議だった。彼らには形式など必要が無いぐらい愛し合っているから、それを形にするこだわりも無かったかもしれない。だがレンは自分の為にラシードがそうしていたと思っていた。心で分かっていても形となってあるのと無いのとでは随分違うだろう。希望とまでいかないが夢は見られるのだから・・・
「いずれにしても私は婚礼をお勧めしますよ。女性は喜びますからね。こういうのは女性側からは言わないでしょう?きっとアーシアは待っていますよ」
ラシードは、ふっと微笑んだだけだった。レンは彼のその表情を見れば祝い事が続くだろうと思った。
(あっ、またサードの衣作らないといけませんね・・・)
大はしゃぎするサードが目に浮かび頭が痛くなってきた。しかしそう思うレンの口元は微笑んでいる。
「さてと、サードがアーシアと遊んでいる間にクレアを迎えに行きましょうかね」
「奴に邪魔をされるのか?」
「まさか。クレアと仲が良いから私が気分悪くなるのですよ」
「はははっ・・・そういうことか。お互い心が狭いということだな」
ラシードは愉快そうに笑ってそう言った。
「そう言うことです」
澄ましてそう答えた後、レンも笑った。
「レン様?今笑っていませんでした?」
迎えに来て貰ったクレアがその帰り道でレンが笑ったように感じたのだ。
「ええ。ラシードとの会話を思い出しましてね」
「紅の龍と?」
「そうです。私達がどれだけ心が狭いか確認しあったのですよ」
「心が狭い?レン様が?そんな事ありません!だって――」
クレアは抗議しようとしたが、急に立ち止まったレンに見つめられて言葉を呑み込んでしまった。そしてそっと抱き寄せられたので驚いて目を、ぱちくりさせた。人通りの多い道の真ん中で人目を憚らず、レンがこういう事をするとは思わなかったのだ。彼はいつも礼儀正しく道徳的なのだ。
「クレア、最初に言っておきますね。私はもの凄く嫉妬深いですし、貴女を何時も独り占めしたいと思っている心の狭い男です。覚悟していて下さいよ」
レンはそう言って、まだ驚いた顔のままのクレアの唇にそっと口づけた。
「レ、レ、レン様!」
クレアは真っ赤になって思わず辺りを見渡した。
「こんな男の結婚を断るなら今ですよ。とか言うありふれた台詞は言いません。断らせませんからね」
クレアは、びっくりした顔をまた一瞬したが直ぐに微笑んだ。
「そんなレン様も私、大好きです。だからずっと一緒に居てくださいね。ずっと、ずっとですよ」
レンから貰った求婚の言葉。
『貴女とこれからの全ての時間を共に過ごしたい―――』
残された時間の無かったクレアが言えなかった言葉。
『はい。私も貴方とずっと一緒いたい―――』
「もちろん、ずっと一緒ですよ。クレア」
「サードさんもですね?」
レンはちょっと拗ねたような顔をしたが直ぐに微笑んだ。
「そうですね。みんなずっと一緒ですよ」
レンの恋物語は如何でしたでしょうか?1部では相手が男で恋愛のれの字も無かったシリーズでしたので次を書いてしまいました。その結果…一番長い物語になってしまいました。たぶん一番目立たないキャラだったと思いますが、今回で挽回出来たでしょうか?サードとの関係もようやく落ち着き恋人も出来て万々歳なレンですが皆様に気に入って頂けると幸いです。レン推しの私はその後も書いております(笑)すっかり主人公達を食っていますが翠シリーズにもう少しお付き合いください。