契約と再生
レンが向った先のクレアの部屋では彼女の応急処置をコラードがしていた。ベッドに寝かされたクレアに治癒力を注ぎこんでいたが、壊れた器に幾ら水を注いでもいっぱいにならないのと同じように効果は薄かった。コラードは祈るように力を注ぐ。
「ねぇ・・・コラード。私あとどれくらい生きられそう?」
コラードのかざしていた翠の龍紋が浮かぶ右手がぴくりと揺れた。
「クレア・・・それは・・・」
「お願い、あと二日でいいの。そしたら今の仕事も無事に終わるから辞めやすいでしょう?だからお願い、あと二日だけまともに動けるようにして・・・」
「クレア・・・もう俺の力は限界なんだ。翠の龍に言って少しでも楽にして貰おう。レン様なら治せなくてもまだ君を生かす事が出来る」
「駄目!それは絶対に駄目!」
クレアは起き上がって激しく拒絶した。コラードは驚いて龍力を止め彼女を見た。
「駄目よ・・・コラード。それは駄目なの・・・レン様が・・レン様が悲しむから駄目」
「悲しむって、それは当たり前だろう?俺だって・・・クレア・・君がいなくなるなんて・・・好きなんだよ。家族みたいな愛情とかでなくて・・だから・・・」
クレアは、はっとした。サードが以前言っていた通りだったのだ。
「コラード・・・ごめんなさい。私気付かなくて・・・私、貴方に何て謝ればいいの・・・貴方を傷付けるような我が儘ばかり言って・・・」
「クレア、自分を責めないでくれ。俺は君を喪うと思ってから自分の気持ちに気が付いたのだから・・・君は悪く無い」
コラードは悲しみを堪えるように言った。
「・・・・・・・私、今の貴方みたいにレン様も悲しませたくないの・・・私・・昨日、求婚されたの・・・だから・・・」
「求婚?翠の龍が、君に?」
コラードは驚き目を見開いた。それならさっきの彼の表情の意味が分かった。
(まさか誰にもなびかなかったあの方が・・・クレアにそういう気持ちを持つなんて・・・)
しかし自分も彼女が好きだからレンが惹かれる気持ちは分かる。特に死を覚悟してからのクレアは逆に眩しいぐらいだった。そして彼女が命をかけてまで好きなのはレンだ。二人は両想いと言う訳だがそれはそれでつらい事だろう。
「クレア、君の気持ちは言ったのか?」
「ううん、そんなの悲しすぎるでしょう?だからコラード、私は絶対レン様の気持ちを受ける訳にはいかないの。レン様から私を隠してちょうだい」
その時、大きな音をたてて戸が開いた。
「クレア、貴女が逃げても私はどこまでも探して追いかけますよ」
レンが戸口で声をかけようとした時、彼女の拒絶の言葉を聞いた。しかも逃げて身を隠すと言ったのだ。考えるよりも手が動き戸を開け放って言葉が飛び出していた。
「レン様!」
レンは滾る想いを抑えながら部屋に一歩踏み込んだ。ところが特殊な香りが鼻につき、憤っていた意識が医師として一瞬でそれに向いてしまった。それはそれくらい特殊なものだった。
(これは・・・)
レンはさっと視線をめぐらしてその源を探した。机の上に蓋のあいた硝子の小瓶を見つけ、それを手に取り匂いを嗅ぎ舐めてみた。
「こんな薬がどうして此処にあるのですか?かなり強い痛み止めですね?それも劇薬に近い」
クレアは、はっとした。さっき苦しみながらもう一回飲んで蓋を閉める余裕が無く放置したままだった。
「あっ、すみません。それは私の患者に作っていたものでクレアに飲ませる量を教えていたのです」
コラードが咄嗟に嘘をついた。クレアの為に隠し通さねばならない。
「君の患者?クレアは私の看護婦ですよ。何故、貴方の患者の処方を聞く必要があるのです?」
レンは静かに話しているが何時もの彼とは全く別人のようだった。何時も穏やかな湖水のような彼がまるで凍った滝のようだ。激しく落ちる水がそのまま凍った真冬の滝のようだった。
見えないクレアにもそれは声音で感じた。今この話を切り出すのはどうかと思ったがもう時間が無いのだ。だから覚悟を決めて言った。
「レン様、私は天龍都に帰ったら今の仕事は辞めさせて頂きたいと思っています――」
クレアが辞める!そうする理由とは?
「そしてコラードの看護婦になるのですか?」
レンの声が段々低くなっていくようだった。
「いいえ、故郷に帰ろうと思って・・・」
レンは何か違和感を覚えた。クレアの瞳の焦点があっていない感じがしたのだ。まるで目が見えない患者のようだった。レンはまさかと思いながら、そっと彼女に近づいた。
「み、翠の龍!」
遮ろうとするコラードを黙って押しのけ更に近づいた。そしてクレアの目の前で手をかざして振ってみた。反応が全くない―――
「クレア・・・」
間近で聞こえたレンの声にクレアが驚き身構えた。
「クレア・・・目が見えていないのですか?」
「ち、違います。私は――くっ」
激痛がクレアを襲い手足が痙攣を起こし始めた。
「クレア!」
レンは急ぎ治癒力を注ぎ始め、痙攣は直ぐに治まったがクレアは目を覚まさなかった。
「クレア!何故、何故効かない!どこが・・・どこが悪いのです!」
前と同じだった。今回は全開で治癒力を注いだが手応えが全く無いのだ。こんな事は滅多に無い。有るとすれば天命には効かない―――
「翠の龍・・・彼女は頭に腫瘍があります・・・もう手の施しようが無く・・・」
コラードはもう流石に誤魔化せないと思い、涙を落としながら告げた。
レンは信じ無かった。しかしコラードは治癒に関してかなり優秀だ。その彼が手遅れと言う・・・それでもレンは自分の力に自惚れている訳でも無いが、自分が診れば大丈夫だと焦る気持ちを抑えて彼女の頭を視た。細部まで透視をしながらクレアに触れる指が震え出していた。
「気が付いた時は既に大きく神経に深く食い込んでいて・・・力で取り除く事が出来なくどうすることも・・・」
コラードの言う通り、確かに無理やり取り除こうとすれば繊細な神経を傷付けてしまい、生きながらえても廃人同様の生きた屍にしかならないだろう。
「な・・何故・・・こんな無理を?コラード!貴方も医師なら分かっていたでしょう?この病は安静にしていてももって二、三年。それをあんな強い薬で誤魔化して大変な仕事をすればどうなるのか!それを!」
コラードを今更責めても仕方が無いのに言わずにおれなかった。無力な自分に対する八つ当たりでしか無いと分かっている。身体の震えが止まらない―――
「―――貴方が視察に来られた時、クレアは貴方に恋をしたのです。残り僅かな命を寝て暮らすより貴方の傍で少しでも過ごしたいと・・・最後の我が儘だと言って・・・」
「私・・・私に恋?馬鹿な・・・そんな態度は一度も・・・」
「クレアは貴方に自分がもう直ぐ死ぬと絶対知られたく無いと言っていました。貴方を悲しませたく無いからと・・・」
彼女の嘘であっただろうと思われる言葉が次々とレンの頭に浮かんできた。
(・・・・彼女はいつも私を見ていた・・・)
サードと楽しく喋っていてもレンが来れば瞳を輝かせて振向いた。仕事場ではレンより早く出て来て輝く瞳で微笑んで迎えてくれた。今その瞳は閉じている―――
「・・・・・まだ・・まだです。クレア、まだ死ぬのは許しません!私に嘘をついたまま逝かせません!貴女の口から本当の答えを貰うまで死ぬのは絶対に許しません!冥府の神を殺してでも貴女を死なせはしない!」
レンは声を荒げクレアに向って言うと彼女を抱き上げた。
「レ、レン様!どちらへ!」
クレアを抱き抱えたままレンは部屋を飛び出した。
「サード!どこにいます!サード!サード!」
「レン?どうしたんだ。珍しく大声なんか出して―――」
サードはレンの腕の中でぐったりとしているクレアを見た。
「クレア?クレア!どうしたんだ!」
「サード、説明は後です!早く私と契約しなさい!早く!」
サードは耳を疑った。
「何だって?契約?まさか宝珠の?」
「それ以外何があるのです!早く!クレアが死んでしまいます!」
サードの何時もふざけているような顔が、さっと真顔になった。
そして追い掛けて来たコラードは金と翡翠色に輝く光りの柱を見た。それは共に螺旋を描きながら天に昇って行った。それは宝珠が龍と契約する時に現れるものだ。
「翡翠の色?翠の龍とサード殿か?」
光りの柱はそうだと語っていた。お互いの力が強ければ強い程その柱は大きいのだ。そして地の龍の光りはその周辺の草花を一斉に咲かせた。空を染め大地を震えさせた力が一瞬にして引き一点に集中していた。その一点とはもちろんクレアだ。金に輝くサードと翡翠色に光りを放つレンの輪の中で神業と言うべき力が動いていた。腫瘍を取り除き全ての機能が停止するその瞬きの何百倍も無い間に、無理やり引き千切った神経を再生させる。まさしく死神の手が触れるか触れない間にその手から掠め盗って来るようなものだ。または人を創っていると言う方が正しいかもしれない。炎の宝珠の最大の特性は活性と再生能力だった。契約を交わせばその力は絶大なものとなってレンに注がれるのだ。
「クレアは大丈夫でしょうか?」
暫くして力を収めた二人にコラードは恐る恐る聞いた。サードも、どうなんだ?と言うような顔でレンを見た。
クレアはレンの腕の中で静かに眠っている。レンは彼女の額にかかっている乱れた髪を、大事なものでも扱うようにそっと整えた。
「―――身体は・・身体はもう大丈夫です。問題はありません。全て上手くいきました」
「レン?それにしては浮かない顔じゃないか?」
クレアの命を救ったと言うのにレンはさっきまでとそう変わらない表情だったのだ。彼女を見つめるその瞳は悲しみの色を湛えたままだった。
「・・・・全てを新しく創り変えたので・・・記憶が・・記憶が無いでしょう。生まれたばかりの赤子のように・・・言葉も何もかも・・・」
サードは思いもしなかったことに目を剥いた。
「なっ!じゃあ、オレらを覚えて無いって言うのか?オレもこいつもレン!あんたもか!」
「そうです。この方法しか彼女を救える術は無かった・・・そうです!コラードもサード貴方も!」
レンは言葉に詰まった。それは自分が一番認めたく無いものだ。
「そして―――私も・・・私の事も覚えていないでしょう」
レンは搾り出すように言葉を繋いだ。彼女は今、安らかに眠っているだけだが目覚めても以前のクレアでは無いのだ。それでも彼女に間違いは無いし、命が助かって良かったと思わなければならないだろう。しかしクレアから聞きたかった本当の答えはもう二度と聞けないのだ―――
その日、レンは自分がこれからクレアの面倒を看るとコラードを強引に退け、天龍都の自分の屋敷に連れ帰った。例え自分を好きだったという事を忘れていてもクレアを傍に置きたかった。世間からどう言われようと彼女を誰にも渡すつもりは無いし渡さない。
「世間では翠の龍が何を血迷ったかと言われるでしょうね」
「ん~まぁ~そうだな。端から見ればそんな感じかもな」
「ふふふ、記憶が無い妙齢の女性を親族から引き離し屋敷に囲って、自分の思い通りに育てる、でしょうかね?」
サードは苦笑いをした。彼自身、このレンの行動には驚いたぐらいだった。
「サード、貴方は気付いているかもしれませんが、本来の私は非常に心が狭く独占欲がとても強いのですよ。そういう自分が大嫌いでしたから、アーシアへの想いだけで無く、そう思う対象を無意識に作らなかったのかもしれません。宝珠が恋人だった場合とても理想的だったと思いますけどね。宝珠の無二の誓いは私を安心させてくれたでしょう。その誓いは破れる事は無く私を常に一番と思ってくれる。だから嫉妬する必要も無ければ独占欲を発揮する必要も無い。まぁ、私の不運は貴方が女性では無かった事でしょうね」
「げっ、それはオレも言いたい!あんたが女だったら一挙両得で良かったのはオレの方だぜ!宝珠の方が断然分が悪いんだからな。契約主が恋の対象じゃなかったら恋は出来ないんだぜ。好きになっても最終的には主を取るのが宝珠なんだからよ。で、結局宝珠じゃないクレアが目を離すと何処かに行ってしまったら嫌だから今から手懐けるんだろう?」
呆れ顔のサードをレンは、ちらりと見た。
「手懐ける?貴方が言うと何だか私が卑怯者みたいですね。あの夜、クレアに言ったのですよ。貴女の心が私に傾いてくれるように努力しますってね。今、まさにその状況だと思いませんか?今の彼女には時間がたっぷりありますしね」
「はははっ、ま~な。でも、本当にオレらの事を忘れていた場合の話しだろう?目覚ましたら〝レン様、サードさん、おはようございます〟って何時ものけろっとした顔で言うんじゃないか?」
レンもそうだったらどんなに良いかと思った。サードはまだ希望を持っているのだ。レンも希望が無い訳では無い。希望を持てばそうでなかった時の絶望が怖かった。
二人でそうこう話しをしているとクレアが目覚めた。
「クレア・・・おはよう」
寝台の横に座っているレンの声にクレアの視線が動いた。サードはその横で息を呑んで様子を窺っている。しかし、クレアの返事は無かった。レンは幾つか話しかけたが声に反応してもそれを理解していない様子で、もちろん言葉を発するのは論外だった。
しかし二人を交互に、じっと見ていたクレアが何時もの様に微笑んだのだ。
あの悲しいくらいに澄んだ無垢な微笑み―――




