嬉しい贈物
レンはその日の夜遅く天龍都の時間に合わせて、州公との会談内容を報告しに次元回廊を使って青天城へ向った。そして天龍王に報告を済ませたレンは、紅の龍の執務室へ訪れたのだった。そこには何時も一緒にいるアーシアの姿は無く、ラシードだけ在室していた。
「ラシード、昨日はありがとうございました」
「礼を言われるような事はしていない」
実にラシードらしい答えだ。だから気に留めずにレンは微笑んだ。
その微笑を受けながらラシードは何の用事だ?と言うようにレンを見た。
「実はラシードに個人的な頼みがありましてね」
「頼み?珍しいな」
「急いで女性に衣を贈らないといけないのですが、私はそう言う店自体馴染みが無くて・・・何処か良い店を教えて頂けますか?」
ラシードはよくアーシアに衣を贈ったりしているのでそれに関する店に詳しかった。それに趣味も良いので彼の薦める店に間違いは無いだろうとレンは思ったのだ。
それを訊ねられたラシードは驚いてしまった。まさかレンの口から女性への贈物の相談を受けるとは思わなかったのだ。考えられるとすれば・・・
「あの一緒に閉じ込められた看護婦にやるのか?確か・・・クレアとか言った」
それはただの問いかけでは無いとラシードの瞳は言っていた。その意味をレンは感じとった。
「流石ラシードですね。そうです貴方の思っている通りです。ですから急ですが最高な物が欲しいのです」
ラシードは、ふっと微笑むと席を立った。
「じゃあ、一緒に行こう」
「いいえ、忙しいのにそこまで甘えられません!」
その時、アーシアが所用から帰って来た。
「あっ、レン、お帰りなさい!ラシード、どこかに行くの?」
「ああ、レンの買い物に付き合って来るから少し留守をする」
「買い物?」
「ラシード、良いですよ。一人で大丈夫ですから」
「大丈夫?寸法分かっているのか?」
「えっ?寸法?身長はこれくらいかと・・・」
レンが自分の胸の位置より下の方に手をかざして示した。それを見たラシードが吹き出してしまった。
「ぷっくくくく・・・レン、それでは女物の衣なんて買えないぞ」
「女物の衣って!レンが買うの?」
アーシアが素早く興味津々で訊ねた。
「ええ、そうです・・・しかし寸法とは・・・」
「誰に贈るの?」
「クレアだそうだ」
「クレアさん?彼女の寸法か・・・レン、ラシードと行くなら大丈夫よ」
「え?どういうことですか?」
「彼ね、一度見た女性の体の寸法はだいたい分かるのよ」
アーシアは、ちろりとラシードを見て言った。
「見れば分かる?」
「そうらしいわ。そうでしょう?ねぇ~ラシード?」
「いや・・・それは・・・」
「駄目よ、誤魔化したって!ラカンからその情報は貰っているのよ。凄い特技だって言っていたわ。私は聞いてびっくりしたの何のって!星の数ほど女の人を触った証拠よね!」
「ラカンの奴・・・余計な事を・・・」
ラカンは面白い話題として口を滑らせたようだったが・・・後日、この仕返しをラシードからきっちりされたのだった。
「ねぇ、どの店に行くの?私も一緒に行っていいでしょう?クレアさんかぁ~どんなのが似合うかなぁ~」
「アーシア、君は留守番だ」
「ええ――っ!どうして?私も行きたい!」
アーシアは頬をふくらませると、ラシードの腕にしがみついた。
「駄目。君は大人しく留守番」
ラシードはそう言うと文句を並べそうなアーシアの唇を塞いでしまった。
「・・・・・んん・・・」
少しの間、大人しくなったアーシアだったがラシードを突き飛ばした。
「もうっ!直ぐこれで誤魔化すんだから!」
「誤魔化してない。口を尖らせていた君が可愛いと思ったからだ」
「もうっ!何よそれっ!」
「ほらっ、可愛い」
ラシードはそう言うと、今度は軽く唇と唇が触れるだけの口づけをした。
「もう、知らない!ラシードなんか大嫌い!」
暫く二人は好きだの嫌いだのとじゃれあっていたのだった。それから結局二人はアーシアを置いて出かけることとなった。彼女は出る間際まで一緒に行きたいと言っていたがラシードが止めた。レンと二人だけで話したい事があったからだった。
そしてラシードの予想通りにレンの選ぶものは、仕事仲間に選ぶような品物では無かった。衣だけでは無く、それに合いそうな宝飾品まで買い求めていた。
「こんな感じで大丈夫でしょうか?」
「ああ、いいんじゃないか。彼女には似合いそうだ」
「良かった。趣味の良い貴方がそう言ってくれると安心します」
「これを彼女に贈ってどうするつもりだ?」
「これを着てもらって食事に行きます」
レンは楽しそうにそう言った。もう気分は其処に行っているような感じだ。
「そして求婚でもするのか?」
買い求めていた品を店員に渡していたレンの手が一瞬止まった。そして再び全部渡し終えるとラシードの方を見た。
「ええ、その通りです」
「いいのか?」
ラシードは〝いいのか?〟と聞いた。〝アーシアはいいのか?〟と言いたいのだろう。レンはラシードに自分の気持ちを言った事は無い。しかし彼なら気が付いているだろうとは思っていた。だからお互いその話題を話した事は無い。でも気持ちが分かった今ならこの話は出来るとレンは思った。
「私は今でもアーシアは好きです。彼女は特別な存在で愛していたと思います。だからアーシアの幸せを望み、それを見守るのが自分の幸せだと思っていました。でも・・・心は正直ですよね。そう思っているのに心の奥底では癒すことの出来ない塊がありました。それに気がつかない振りをして過ごしていましたが・・・気がついてしまったのですよ。それさえも癒してくれる存在と、そして本当に欲する事の意味を・・・そうでしょうラシード?」
「誰にも渡したく無い・・・だろう?」
レンは微笑んで頷いた。
「何れにしても、レン、お前を振るような女はいないから大丈夫だろうがな」
「そうでしょうか?アーシアには振られましたよ」
そうだな、と言ってラシードが先に笑い、レンも共に笑ったのだった。
翌朝レンは早速、クレアが出勤して来る前に彼女の部屋に贈物を届けた。
クレアは戸を叩く音が聞こえ、返事をして開けると目の前に積み重なった箱だけが見えた。そしてその横から爽やかに微笑むレンが顔を出した。クレアは驚いて声が出なかった。
「おはよう、クレア。お邪魔しますよ」
レンは入っても良いかとも聞かず、その箱を持ったまま室内に入って来てしまった。中は寝泊りするだけだから小さなテーブルと椅子が一つにベッドが一つの狭い部屋だった。だからレンが入って来ただけでとても窮屈に見えた。彼は、くるりと置き場所を探して部屋の中を見渡すと、その箱は一箱だけ外してベッドへ置いた。
「さてと、クレア。気に入ってもらうと嬉しいのですが・・・」
レンは呆然とするクレアにその箱を指さして言った。
「私にですか?」
「はい。貴女に今晩、着て欲しいものです」
「そんな!私、頂けません!」
「まだ、中身を見て無いのにそう言わないで下さい。気に入らなかったらもちろん受け取らなくて良いですからね。さあ、開けて見て下さい」
レンはそう言うと一つだけあった椅子に腰掛けた。
クレアは見るまで出て行きそうの無いレンの様子を見ると、そうしなければならないだろうと思った。それにまだ例の薬を飲んでいないから早く出て行って貰いたい。渋々、綺麗な包装紙やリボンで包まれた箱を開けると、中からは手に取って見たことも無いような品々が出てきて、もう驚くしか無かった。
「こ、こんな高級品、頂けません!」
「気に入りませんでしたか?」
「そういう、問題では・・・」
「じゃあ、構いませんね。それではまた診療所で会いましょう」
レンはさっと立ち上がって出口へと向った。
「あっ、レン様!困ります!それにこれっ!」
レンが一つだけ除けていた箱を忘れているのだ。クレアは慌てて彼を引きとめようとした。数歩で出口という狭い部屋では、あっという間にレンは戸外だった。しかし立ち止まって振向いてくれた。
「その箱はサードの衣が入っています。彼に夕方にでも渡してやって下さい。私からやると騒いで煩いからですね。お願いしますよ、クレア」
「サードさんに?」
クレアは、ほっとした。自分だけでは無かったのだ。一人で騒いで恥ずかしくなってしまった。自分にとって高級品でもレンからしたらそんなもの何でも無いのだ。そう思うと少し悲しい感じがするのは気のせいでは無いだろう。
「分かりました。ありがとうございました。ありがたく頂きます」
クレアは頭を下げて礼を言った。それにレンは微笑んで応えると去って行ったのだった。今までならサードへ、とか考えることさえしなかったが何となく買い求めてしまった。でもクレアは自分だけだと受け取らなかったので正解のようだった。
(サードを喜ばせるのは不本意ですけれどね・・・まあ、たまには良いでしょう)
龍は自分の宝珠に衣を買って着飾らせるのは当たり前だ。だからそんな事をすればサードが調子に乗るのが目に浮かぶようだった。
そして今日の仕事を終えて待ち合わせの時間をそれぞれが確認し合った後、クレアはレンから頼まれていた贈物をサードへ渡した。
「え?本当にオレに?」
「そうよ。私も頂いたけれど、サードさんにもって預かっていたのよ」
サードは勢いよく、バリバリ箱を破いて中身を見た。
「衣だ!クレア、衣だぜ!」
それを、ばっと取り出して広げたサードは子供のようにはしゃいだ。それは赤い髪に映えそうな全体が藍色で所々に金の飾りが入っているシンプルなものだった。
「サードさんに似合いそうね」
「そうか?そう思うか?」
クレアはうん、うんと頷いた。
上機嫌のサードと別れて、自分も仕度しに部屋に戻って行った。そして恐る恐る贈られた衣に手を通した。そしていつも結んでいた髪を下ろして整えた。癖の強い髪だから少し整えれば肩のところで大きく巻いてくれるから便利だ。恐々と耳飾りや首飾りを付けて鏡を覗いた。
「やっぱり顔色、悪いな・・・」
昨日は急に目が見えなくなったり手が痺れたりと、気のせいでは無く体の調子が悪くなる一方だった。クレアは今まで殆ど化粧はしないが最近では顔色を隠す為にしている。今日はそれをもっと濃くしないといけないだろう。
「ほんと、女の子って便利で良かったわ」
最後に紅をひいて出来上がりだ。
「よし!完成!」
顔だけ見える小さな鏡では自分の姿が見えなくて残念だった。贈られて申し訳ないと思う気持ちはあっても、とても嬉しいというのが本音だ。少しばかり身体が重くきついと思ってもそれを吹き飛ばすようだった。
だからクレアは足がまるで宙に浮いているような感じで待合場所へと向った。早く自分は行ったつもりだったが、もう既に二人が待っていた。