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  作者: 琥月銀箭
6/6

 ◇◇◇


 俺は重たい腰を動かして、地下室へと向かっていた。

 毬の奴、珍しく変な事俺に言いやがって、と思いつつ、密かに感謝はしていた。今正直あまり倖とあまり離れたくなかった。

 家の地下室は、いつ来ても陰湿な空気に包まれていた。光は届かず、松明を手に先に進む。階段をおりて、倖が閉じ込められている牢の前に着いた。

 倖は礼儀正しく、牢の中で座っていた。俺がやって来るなり、顔をあげて「瀬介さん……」と微苦笑しながら俺の名前を口にした。

 「寒くはないか?」と俺は尋ねると、倖はゆっくりと首を横に振った。俺にとってこの牢は寒い。夜になると、それはもっと寒くなるんじゃないだろうか、と思う。

「さっきまで毬が来てくれていたのに、今回は瀬介さんなんですね」

「俺より毬の方がよかった?」

 思わぬ口ぶりをされ、俺は困惑した。邪魔だと言われればそそくさと退散する気ではあった。でも、倖はまたもや首を横に振った。それよりも、「瀬介さんが来てくれる事を、心から望んでいました」と、これまた思わぬ言葉が飛んできた。

 倖は腰をあげて俺に近寄った。鉄格子ギリギリまで来て、俺に手を差し伸べる。双眸が俺を確りと捉えている。

「瀬介さん……、私……」

 今にも消えてしまいそうな覇気のない声色。震える手。不安に歪んだ倖の相好。それは今まで見せた事ないような弱々しい倖の姿。突如囚人となった倖。俺はそっと倖の手を手に取って握り返した。酷く冷え切った倖の手が、俺の手を握り返してくる。

「このままだと、私は……、貴方の女中じゃなくなってしまう」

「な、何言ってんだよ、倖」

 倖は俺がここから出してあげるんだ。どうして突然女中ではなくなってしまう、なんて事になってしまうのだ。

「この身が売買される事が決まったの……」

 人身売買。それが何を意味するのか、刹那俺は理解出来なかった。どうして、どうして誰に、なんで。俺に洪水のように押し寄せる質問の数々。でも口は一つしかなく、俺は鉄格子に手をかけてまで倖に寄った。

「どうして!」

 倖は驚いて一歩引いた。そして俺から視線を外す。俺も激昂に身を任せ過ぎたと気を鎮めた。

「ば、罰なんですよ。罰だから、ここにはいられない。そういうことです」

「罰って」

 倖が何を犯したというのだろうか。俺の知る限り、何もしていない。

「教えてくれよ、倖。お前が何したんだよ」

 尋ねたが、倖は俯いて答えてはくれなかった。二度問い質しても、結果は同じ。倖は押し黙ったままで真相を教えてはくれなかった。だから、何の結果で罰を受けたのかなんてわからない。

「俺は……」

 倖を確りと見る。獲物を見るように、確りと。倖は相変わらず俯いてばかりで、俺の視線には気付いていなかった。

「俺は諦めないよ。倖は何もやってないんだから、罰なんて受ける必要なんてない。売られる理由なんてないのに。いつかここから出してやる。約束するよ」

「……、私が何もやっていない……、ね。えぇ、何もやってないかもしれない。やっているかもしれない。どっちにしろ、私がここにいる理由なんてもうなくなってしまった」

 倖が顔をあげて俺を見据えた。視線が交差する。お互いがお互いに言葉を見つけ出そうと沈黙した。先手を打ったのは俺だった。俺は「倖を信じてるよ」と。倖は「欺瞞な発言は止してください」と。

 倖は単刀直入に俺を切り捨てた。

「私の事は忘れてください。そう……、まるでその辺の石ころのように扱ってください。どうでもいい人、として扱ってください。安心してください。私、そういうのには慣れてますから」

 何を根拠に言っているんだ、倖。

「欺瞞なんかじゃない。俺は、倖の事が――」

 諦めろと言われても無理だ。引き際が悪いのはこの際馬鹿かもしれない。でも、俺には倖がいて欲しいんだ。馬鹿馬鹿しい思いかもしれない。他人に笑われてしまう程のどうでもいい感情かもしれない。それでもいい。他人にどう言われてても、倖にどんな事を言われても、この思いは変わらない。

 俺は倖がどうしようもない程に、好きだった。故に信じている。倖を石ころのように扱え、などと言われても、そんな事、今の俺に果たして出来るだろうか。いや、出来ない。しようとも一切合財思えない。

「――好きだから」

 何もかも含めて、俺は一言で表現した。それが果たして倖に伝わっているかは、俺にはわからない。でもわかってほしい。俺の思いを。

 倖は面恥ずかしそうに仰天して、紅潮して、そっぽを向いた。紅い頬を見せ、視線を泳がせる。心ここにあらず。倖は居所を何度も直した。だが、どうしても落ち着かないようだった。俺は踵を返して、牢を後にする。階段に足をかけた刹那、倖の声が背中越しに届いた。

「瀬介さん……。信じても、いいですか?」

「あぁ……」

 俺は振り返る事はなく、視線だけを一瞥させる。そう短く答えた。

 倖は何も言わなかった。俺は徐に階段を歩き出した。


 □□□


 宣告は突然だった。

「貴様を売り飛ばす」

 そう、ただそれだけを言い渡された。どうしてこうなったのか、だいたい予想はつく。いつの日か、私の身内が公になってしまう事は、薄々感じていた。あの仮面を被った者と出会った事。そしてあの御方の発言。私がお尋ね者だという事は既に知れているだろう。そう、あそこが私をそう簡単に生かしてはくれない事は気付いていた。

 売り飛ばす。それは地獄への強制送還、強制収容。

 もう全てが駄目だと自分の中で片づけていた。瀬介さんとの縁も、全て断ち切ってしまおうと思っていた。でも、瀬介さんは私の予想の範疇を越えていた。私を好きだと言ってくれた事。それは何の欺瞞もなく、彼らしい本心。装飾もないただの一言だけど、私には伝わっていた。

 初めて人の真の底から信じようと思った。瀬介さんなら……、助けてくれる……、と。

 全てを託した。瀬介さんに。

「瀬介さん……。私も貴方が好きになってしまいそうです」

 そう戯言を呟いて、牢の壁に凭れかかる。崩れ座り、酷く脱力する。ゆっくりと目を瞑った。


 ◇◇◇


 自室に戻ると毬が帰っている事に気付いた。毬は妖怪の姿で部屋に堂々と鎮座していた。部屋の半分を占領する程の大きさを誇っているので、この部屋がずいぶんと狭く感じる。

「よぉ、倖はどうだった? 元気だったか?」

「元気っちゃ元気だったかな。でも……」

 俺は語句を濁した。溜息一つついて座布団に座る。いつもの席は毬の身体の下に埋まってしまっているから、俺は渋々部屋の端の方に腰を落ち着かせる格好となった。壁に背中を預け、毬に顔を向ける。

「いけ好かない」

 そう悪態をついた。毬は「っふ」とやはりな、と微笑する。読まれていたようだったが、当然だろう。あの様子じゃ、倖の今後の事も知っている事だろう。

「倖が売られる事を知ったんだろ」

 毬が俺に訊ねた。俺は無言で首を縦に振った。

「おまいさんはどう思ってるんだ。倖が売られる事に」

「……、そんなもん、決まってるだろ」

 別に口に出す必要はない。俺は無言で、毬を睨んだ。毬は「おっかねえな」と俺から逃げるように視線を逸らした。

「仕方ねぇな、おまいさんの為にひと肌脱いでやろうじゃねぇかよ。

 あ、そうそう。おまいさんから譲り受けた、いや奪ったって言った方がいいかな。調査の事だがよ」

 俺は視線を緩めて毬を今一度見た。毬がこちらに向き直る。今度は逆に厳しい視線を送り返してくる。さっきとはま逆の視線関係だ。

「実験が行われてたぞ。そうだな、人体実験って言った方が手っ取り早いか。腹の中裂いて、四股分断して、んー、おまいさんプラモデルって知ってるか? 箱から取り出したばかりの、パーツだけの形。まるでそんなようにさ、人間を悉く分解してパーツ化してたよ」

「人間を悉く分解……」

 それが何を意味するというのだろうか、今の俺にはわからない。ただ単なる快楽殺人ではないだろう。究極の人体偏愛者(フェチ)か? そういえば、昔に人体偏愛者として、つまるところ異端扱いで捕まった奴がいたっけ。その片割れによる行為だろうか。

「多分、黒線から買い上げた奴隷共――生贄というか、犠牲者というか、何人もいたよ。一つの部屋に閉じ込められてな。そいつらも、少なからず四股は分断されていたさ。もしくは一部分断とかな。

 そいつらも、何れは完全に分解されるんだろうな」

 倖が買い取られる、そこに連れて行かれる。何とも安易な考えだけれど、どうしようにも俺の頭はそうやって短絡的に考えようとしまっている。いや、それ以外の判断材料がない。

 倖も、分解されてしまうのだろうか。

 何を考えているのだろうか、俺は。自分を叱咤するかのように、両頬を両手で叩いた。気合を入れ直す。

「研究所……、っていうのは確かだろうな。少なからず、研究員みたいな奴は何人もこの目で見たからな」

「分解、研究。人間分解して研究してどうするつもりだ?」

「そんな事訊かれてもわからん」

 毬が和卓の上に載っていた茶菓子を、包みに入ったまま口に放り込んだ。小さな包みに入った茶菓子が毬の口の中へ弧を描いて落ちて行く。大きな口に小さな茶菓子。何とも不相応な大きさだ。まるでつり合いが取れていない。

「あぁ、あとおまいさんに面白い事を教えてやるよ」

「ん? なんだよ」

 話の流れ的に面白くもなんともない。俺にとってこれは憤怒してもおかしくない話題だ。そんな俺に“面白い話”を振ってくるとは、毬の奴、一体何を考えているのだろうか。

「おまいさんの親父に会ったよ、あの研究所でな」

「親父に!?」

 どういう事だろうか。突然親父と遭遇するなんて、どういった経緯でそうなった。

 毬は俺の驚愕する姿に、「くくく」とどこか面白おかしいのかわからないが、微笑して言葉を紡いだ。

「あぁ、会ったよ。何でだろうな、まあ、言わなくてもわかるだろ」

「倖を売りに行ったのか?」

 毬は茶菓子を更にもう一枚口に含むと、「そうだろうな」と言った。

「でも、何で親父が倖を……」

 罰を与えるからって、それで売るなんて。

「んで、おまいさんはどうするつもりだ?」

「どうするって、そんなもの、決まってるよ、愚問だね」

 毬は「そうかい」と猫の姿に戻って腰をあげると、部屋を出ていく。去り際「倖の気配が消えた」と言った。俺はすぐさま腰をあげて、地下牢へと向かった、


 ◆◆◆


 地下牢を駆け降りる。今にも転げて落ちてしまうんじゃないかっていう程に。でも、今の俺にとって、そんな事些細な事でしかない。

「倖!」

 階段を下り切り、牢へと向かう。牢には誰にもいなかった。無情にも空っぽだった。

「あら、瀬介さん、どうしたんです?」

 階段から一人の女中が下りてきた。俺を怪訝そうに見据える。「倖はどこに行ったんですか?」と俺が訊くと、「あぁ、さっき、とある方が引き取られに来ましたよ」と言った。

「ありがとう」

 俺は女中の横を駆け抜け、階段を上る。玄関を抜けて、道路へと出た。

 辺りを見渡しても、倖や女中が言っていたとある方はいなかった。背中さえ見つからない。

 生憎、夜という事もあったから、すぐさま見失ってしまったのかもしれない。

「毬!」

 俺は毬の名を叫んだ。すると、毬はすぐに俺の許に駆け寄ってきて、猫の姿から妖怪の姿へと変化する。

「猫遣いが荒いな」

 毬はニヤリと笑って俺を一瞥する。俺は毬の背中に乗って、すぐさま研究所へと向かった。

 夜の街を駆け抜ける。人目の事など今は気にしてはいられなかった。まあ、幸いにも見られてはいなかった。

 毬はこれでもかって程の速さで忌み山にある研究所に向かってくれた。

 研究所の近く、茂みに下ろされた。研究所の入口を視認し、警備の数を数える。

「毬、倖は」

「若干だが、感じるな」

 なら、ここにいるという事か。早速行こう。

 俺が茂みを飛び出そうとした時、毬が「おいおい、幾らなんでも軽率過ぎるぞ。単騎で突っ込む気か? 止してくれよ」と前足で俺を踏んで止めた。

「救いたいのはわかるけどよ、だからっておまいさんが捕まっちゃ身も蓋もないぞ」

「そ、そうだったな……」

 少しばかし軽率過ぎた事に、俺は心の中で反省した。一つ深呼吸して、改めて入口を視認する。

 入口は一つ。警備はざっと研究所を取り囲むように配置され、八人程いる。流石に、単騎で八人の中を突っ切るのも難しい。毬が加わってくれるだろうけど、それでもこっちの方が幾分不利だろう。何せ、警備が猛獣を従えている時点で、十分な不利な状況だ。

 だがしかし、あの入口以外に研究所に入れる事は出来ないのだ。

「ん? 迷ってんのか、おまいさんは」

「あぁ……、そう簡単に行けそうになくて」

 一刻も早く中へ入りたかった。こうしている間にも、倖に何か行われているかもしれないのだ。苦虫を潰す思いに駆られ、俺は今すぐにでも前足が出てしまいそうだった。必死に堪える事さえ、段々と馬鹿馬鹿しく思えてくる。

「待ってろ、こっちで仲間呼んでやるから」

「仲間?」

「あぁ、俺は妖怪だぞ。類は友を呼ぶって事じゃないが、妖怪系の知人はいるもんでね、俺とそいつらで警備を引きつけるから、その間にお前は中に入れ」

「あ、あぁ……、スマン」

「倖は、俺の憶測だが、廊下のずっと先、地下にいるだろう」

 毬は茂みの奥へと駆けて行った。あの図体でよく森の中を駆け抜けられるものだ。

 俺は茂みに隠れたままで時を過ぎるのを待っていると、やがて警備が一点の夜空を見据えた。誰もが誰も、それに釘付けになり、八人中の半分がそれに向かって走って行く。手薄になったところで、俺は入口へと向かった。ちょうど、入口が警備の視界に入らない時を狙って。

 入口の扉が自動で開き、俺を中へ招き入れる。長き広い廊下だった。純白の埃一つさえ寄せ付けない廊下。等間隔に扉が用意されていて、それ以外のここを飾る物は一つとしてなかった。天井につけられた電灯くらいしか目を楽しませる物がない。

 入った瞬間、早速警笛が鳴る。流石に一筋縄ではいかないようで、廊下の奥から仮面を被った刀を持つ者が二人やって来た。

 俺は腕を鬼化して、突っ込む。

 駆けながら、壁を抉り掴んだ。ひと固まりのコンクリートの塊を目の前の二人に投げる。大きな塊は二人丸ごと押し潰してしまう大きさであり、無論、二人は逃げようがなかった。廊下には何もないから避ける場所さえもない。

 二人は塊によって押し潰してしまった。廊下はその塊で塞がってしまい、辛うじて上の方が開いているだけ。このままでは進めない……わけではない。塞がってしまったのなら、俺はそれを圧して退かすまで。

 鬼の腕を使い、塊を地面にめり込ませる。上から圧した。廊下に亀裂が入り、やがて崩壊した。大きな穴が出来て塊を呑みこんだ。スッキリとした廊下を、俺はさらに奥へと向かった。

 毬の憶測が正しければ、廊下の突き当たりに階段がある筈。それにしても長い。

 廊下の突き当たりまで来ると、左右に階段がわかれていた。俺は無論下り階段、右を選びおりる。

「いたぞ!」

 背中越しに聞こえる追手の声。俺は一瞥してから階段をおりた。

 長居は無用。さっさとここを出よう。そしてここは――潰す。

 階段を下り切ると、そこはまるで地獄だった。

 死屍累々。どこを見ても、壁にも床にも天井にも、死体があった。引き千切られたような死体。食い千切られた死体。綺麗さっぱりと切断された死体。酷く血腥い。まださっきまで生きていたのだろう。死体から湯気が湧く。

「おや、誰か来たのかな」

 死体の上に立つ一人の男。傍らにもう一人刀を持つ者がいた。さっき、俺を襲ってきた奴とは違う。雰囲気から何までもが違う。

「お客さんか」

 黒い服装に身を包んでいる。髪を切り揃えきっちりとしている。それでいて悪魔のような不敵な笑みを浮かべる一人の人物。片脇に本を抱えていた。古惚けた本だ。

「ちょうどいいところに来てくれたよ。性能実験するにはあと一体しかいなかったところだし」

 俺は怪訝そうな表情で相手を睨んだ。

「お前誰だ?」

「俺か? んー、ここで名前を明かしたところで、どうしようもないから、ここの局長とでも言っておこう」

 クククと局長は笑うと、踵を返した。

「サツジンキ六号機……、最後の試験だ。その者を殺せ」

 サツジンキだって?

 サツジンキは刀を構え直し、そして俺に立ち向かってきた。

 それは一瞬で間合いを攻められ、視界の目前には刀の刃が向かっていた。身体を逸らし、それを何とか避ける。

 早い、早過ぎる。上で戦った者とはやはりどこか違う。

 咄嗟に間合いを取って、辺りを一瞥する。

 もしかして、こいつがこの死屍累々を作り上げたというのか。ここまでの大量虐殺を一人で……。

 サツジンキを視界に入れる。外見は人間だ。人間で間違えない。それなのに、人間らしさを、気配を感じなかった。

 サツジンキはまたもや一瞬にして俺の傍まで寄っていた。そして一刺し、腹にいれる。避けきれなかった。これは辛うじて避ける事が出来た結果だ。あと少し避けるのが遅かったら、俺は確実に腹を刺され、割かれただろう。

 サツジンキを鬼の腕で掴み、強引に投げ飛ばす。壁へと飛んでいったサツジンキは、背中から打ちつけられてその場にぐったりとする。幾らなんでも、これで立つ事は出来ないだろう。背中から全身に強打だ。

 だがしかし、サツジンキは平然と立った。何事もなかったかのように。

 俺は腹に刺さったままの刀を引き抜き、そして折った。

「おぉ、おっかないな」

 局長は笑っている。優雅に俺達の戦う行方を追っていた。「さぁ! 殺せ! 思うぞ存分な!」とサツジンキを囃し立てた。

 それにしても、この研究所はこんなのがいるのか……。しかし、何の為に、だ。

「畜生、倖を捜さないといけないのによ」

 俺は舌打ちをした。「倖」という名前に局長は小首を傾げた。

「あぁ、お前はさっき売られにきた子を助けに来た、と見る。安心しろ、お前を殺した後で、その子も殺して、こいつに弄んでもらうから」

 クククとまた局長は不敵な笑みを浮かべた。

「ふざけるんじゃねぇぞ! てめぇ!」

 倖を殺すとはいい度胸だ。

 身体が熱くなる。まるで火炙りされているかの如く、熱い。内から、ドクドクと鼓動が身体全身に伝わる。

 局長の目が一瞬にして変わった。「サツジンキ、こいつは早々に片付けた方がいい。忌本の言っていた注意すべき人物かもしれん」と言い、そして警戒を強めた。

 俺は段々と自分が人間じゃなくなっている感覚に襲われた。鬼血が人体を凌駕しているのがわかる。鬼血が人体を凌駕する事。それは、人間離れを起こす事。それは人間ではなく鬼になるという事。

 腕だけではなく、全身が鬼と化していた。もう、人間に戻る事は出来ないだろう。

 局長は戦々恐々に襲われ、すぐさま尻尾を捲いてこの場を逃げ出した。だが、サツジンキは逃げる事はなかった。俺と対峙する。ただ、「殺す」という名目だけを掲げて。

 サツジンキがこちらに向かう。二本目の刀を構えて、俺の首を狙いにきた。俺は向かってくるサツジンキを、まるで蝿を手ではらうかの如く、手の甲で叩いた。壁に再び激突するサツジンキ。さっきよりも強い衝撃が音となって部屋に木霊する。サツジンキは壁にめり込み、壁から這い出てこようとするが、段々と動きが鈍くなっていく。まるで発条(ぜんまい)が斬れてしまったカラクリ人形のように、少しずつ動きを失っていった。

 そして、壁から這い出てくる事はなく、動きは止まった。

「倖! どこにいるんだ! 倖!」

 俺は名前を叫んだ。部屋中に向かって、外に向かって、大声で。でも、倖からの返事が聞こえてこなかった。俺は舌打ちをした。感覚を研ぎ澄ませる。

「――。――」

 耳が感じ取る。微かな声を。この部屋のさらに奥から。

 俺は走った。その感覚を頼りに。身体が上手く動いてくれない。鬼血が身体を蝕んでいるからだろう。それでも、俺は走った。倖に会いたくて、倖を救いたくて。


 部屋の奥に辿りつく。倖はいた。一人、部屋の片隅で蹲っていた。まるで小動物のように小さくなって震えている。俺を見て尚震えた。

 俺を恐がっていた。

 そっと、手を伸ばすと、「いや、来ないで!」と拒絶された。俺は……、倖には、遠川瀬介として見られていなかった。つまるところ、人間ではない鬼になってしまったからだ……。身体だって人並みじゃない。手も足も、人間じゃない。強靭な形に変化していた。

「いた、いたぞ!」

 追手がやって来た。俺は踵を返す。追手は数人という数ではなかった。何十人といる。皆が、銃を持っていた。異物の俺と戦うには、生半可な武器では戦えないと思ったのだろう。

 まるで取り囲まれるようにして、俺と倖は銃口を向けられていた。生きては帰さないのだろう。

「ば、化け物だ! う、撃つんだ! 今すぐ殺せ!」

 化け物。そい言われて俺はふと微笑した。

 掛け声がかかった刹那、銃から弾が何十弾と飛んできた。

 俺は背を向けた。片隅を全て覆い隠すように。どこにも死角がないように。

 銃弾が、何十発と俺の背中に容赦なく撃ち込まれる。俺はそれを必死に堪えた。

 銃の発砲する音。倖の恐がる声。それぞれが重なって俺の耳に届いてくる。

「殺せ! 殺せと言ってるだろうが!」

「駄目です、全然効いていません!」

 銃声が止んだ。俺の背中はまるで蜂の巣の如く穴だらけになっていた。血だって、酷く垂れ流れている。それでも、俺は立ちあがって振り返った。

 そして、猛威を揮う。俺は追手を全て腕で蹴散らした。追手は力なく、銃弾も切らしてしまい、ただ逃げる事しか出来なかった。全てを蹴散らした後、俺は膝をついてその場にへたり込んだ。背中を撃たれ過ぎた……。

「せ、瀬介さん?」

 部屋の片隅で蹲っていた倖が、恐る恐る俺を見た。化け物となってしまった俺を。

「! その怪我、今すぐ手当てしますから」

 倖は俺の背中を見て、驚愕し狼狽し、地団駄を踏んだ。

「いいって……、鬼血があるからすぐに塞がるさ」

「瀬介さん……!」

 倖が泣きながら俺に駆け寄ってきた。俺の大きな身体に抱き付いて、そして「恐かった……。瀬介さんが来てくれなかったら……」と泣きじゃくった。俺は大きな手で、倖の小さな頭をそっと撫でた。でも、倖はそれでは泣き止む事はなかった。


 ◇◇◇


 朝日が昇る。俺と倖は原形を留めていない研究所前に立っていた。やがて、毬が妖怪姿の毬がやって来て、研究所を見るなり「また馬鹿馬鹿しく壊したな」と微笑した。

「結局、鬼になっちまったか」

「ん? 予想してたのか、毬」

「あぁ、おまいさんの事だからな」

「? 瀬介さん、誰と話してるんですか? もしかして、毬と?」

 そういえば、倖には毬の声はただ「ニャー」としか届いていないのだろう。俺と毬の会話が噛みあっていないように見えているだろう。俺は「毬以外に誰にいるか?」と返すと、「そうですけど……」と語尾を弱くして言った。

「さぁて、この姿じゃ、家族に絶縁されるな」

 帰れなくなっちまったし、それにこんな姿じゃ街にだっていることは出来ない。俺は毬に跨った。

「瀬介さん、どこに行くんですか?」

「どこって。んー、まあ、誰もいない無人島にでも行くよ。倖はどうする?」

 倖は俺から視線を逸らすと、そっぽを向いて頬を紅潮させた。


「わ、私も瀬介さんと一緒にその島に行きたいです……」


 俺こそ、恥ずかしくてそっぽを向いた。「な、何言ってんだよ」と突き放すように言ってしまった。

「別にいいじゃん。倖くらい、連れてってやれよ。おまいさんと同じく倖だって行く場所がないんだから」

 毬の言うとおりだった。倖だって、行く宛てがないんだ。それじゃ俺と一緒だ。

 俺は手を差し伸べた。倖は面をあげて俺を見据えた。そっと俺の手に倖は手を乗せた。俺は倖を持ちあげて毬の背中に乗せる。

「さぁて、三人でどう暮らすかな……」

 無人島ってたって、どこにしようかまだ決めていない。でも、まあいいだろう。気ままに考えるとしよう。

 毬は駆けだした。南へ、と。宙を高々に飛ぶ。まるでグライダーのように、高々と。街並みがちっぽけに見える。ふと、俯瞰すると厳神社が見えた。俺は厳神社に向かって、手を振った。

「なぁ、倖」

 俺は倖に尋ねた。

「――こんな俺でいいのか。人間じゃない、俺って。鬼だぜ、人間じゃないんだぜ」

「いいんです、私には。瀬介さんがどんな姿であっても、それでも瀬介さんは瀬介さんじゃないですか。

 私は、瀬介さんがどんな姿であっても、好きですから」

 鬼の遠川瀬介でもいい。倖は面恥ずかしくてそっぽを向いた。倖が無邪気に笑って「瀬介さんって恥ずかしがり屋ですか?」と痛いところを訊いて来る。

「う、五月蠅いな。つべこべ言うと落とすぞ」

「いちゃいちゃだな、おまいさん達は」

 毬は高々に笑った。倖もそれにつられるようにして笑う。俺は一層恥ずかしくなって、「お前らいい加減にしろよ!」と笑い声に負けないくらいの大声で言った。


 □□□


 思い掛けない幸せだった。


今度、書く“モノ”としての舞台裏を描いた作品。ついに終わりです。ここまで読んでくださった方ありがとうございます。下劣な文面でスイマセンが……。“モノ”はいずれ投稿します。そっちも読んでくれると嬉しいかな。まあ、いつ投稿するかはちょっとわかりませんが……。

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