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  作者: 琥月銀箭
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 □□□


 眠っていた思考は、突如と醒覚された。瞼に朝日の光が、眠っていた意識に針を刺すかの如く、射し込んできた。

 ムクっと、私は上半身を起こした。ふと、横に視線を動かせば瀬介さんが未だに眠っている。何と幸せなそうな相好で眠っているのだろうか。無邪気な子供のような。その相好に、自然と顔が綻んでしまう。

 さて、と気合いを入れて布団を退かして起き上がる。長襦袢を着替え、いつもの女中姿に。そっと音をたてぬように部屋を出ると、目の前には日本庭園が広がっている。鶏が放し飼いとなっていて、皆それぞれ土を啄んでいた。別に餌がありそうにもないのに。でも、このまま、ずっと啄んで、何も食べられないのも何だか可哀想だ。私は台所へと駆け込み、餌を持って戻った。

 餌を持ってやって来たぞ、と言わんばかりに私の周りに鶏達が集まってきた。縁側に腰掛けて、餌を振りまく。そして、目の前で戦争が始まった。捲かれた餌を一斉に啄み始めた。

「よっぽどお腹が空いていたのね」

 顔を綻ばせながら、更に餌を捲いた。

 餌を捲き終えた私は、台所へと向かう。そろそろ、朝餉の用意が出来ている頃合いだ。私が任されている仕事は、これといって多くはない。朝昼夕の飯を運ぶ事。後は瀬介さんの身の回りの事をすればいい。これではまるで侍女だ。でも、それだけで私はここに置いて貰えている。いや、守られている。

 瀬介さんはこないだ言っていた。それに見せてくれた。鬼の腕の事を。

 あの仮面を被った刀の者……。私を殺そうとした者。いずれ、また何処かで襲ってくるだろう。ここにいる分安心だ。

 台所にやって来るなり、「あら、倖ちゃん。いい時にきたね」と、飯炊き担当の女中と鉢合わせになった。割烹着姿の恰幅のいいその人は、ここにやって来た私を心から歓迎してくれて、更にいろいろと指南してくれる、頼りになる人でもあった。

「おはようございます」

「おはよう、倖ちゃん」

 齢四十歳はいっているだろう。それでも、どこか若々しく、まだ私のような若者に負けない程の活気をその身体に孕ませていた。朝の挨拶だって、私よりも一回り大きな声だ。

「瀬介さんの御飯は?」

「あぁ、あそこにあるから持っていっていいよ」

 そう言って指を指す。その指先を追うと、出来たての朝餉が既に出来ていた。私は一礼して、その朝餉を持って部屋へと戻った。

 もう終戦を迎えた日本庭園を横に、部屋へと戻る。襖を開けると、「コケコッコー」と、外の鶏が高々に鳴き声をあげた。

「おはようございます」

 鳴き声を聞いた瀬介さんは、ゆっくりと上半身を起こしながら、まだ眠そうに片目を擦りながら、私を見据えた。

「おはよう」


 ◇◇◇


 コケコッコー、と生きる目覚ましの鳴き声で、俺はいつも通りに目覚めた。

 部屋に入り込む眩い程の朝日が、俺の双眸を襲ってきた。眩しくて目が開けられない。

「おはようございます」

 眩い光に包まれる女神。朝日の光が、異様に女神をたてていた。

「おはよう」

 身体を起こして、背丈を伸ばす。眠っていた全身に、力が漲っていく。

 倖は朝餉を持って部屋に入ってきた。ここに住み込み始めてから、早数日が経っていた。そろそろ、一週間程かな。倖の女中姿も様になっていた。けれど、俺は一抹の不安を密かに抱いていた。

 布団から身体を退けると、いつもの座椅子に腰かけた。欠伸一つついて、再び身体を背伸びした。

「眠いのですか?」

 和卓を挟んで座っている倖の一言が、ぼやけた耳に届いてきた。

「ま、まあね……」

 昨晩、自宅に帰ってきたのは夜中二時過ぎだった。実のところ、最近は仮面を被った刀者の事で出歩いていた。だが、なかなか会う事はなかった。いや、寧ろ会ったら会ったで困るものがあるのだけれど。頭には、色々と気掛かりな事があり、俺にとって一番“仮面を被った刀を持った者”の事が妙に気になっていた。

「なら、もう少し眠った方が」

 倖は怪訝そうに俺を見据えた。

「いや、別にいいよ。それより、今日は休日なんだから、約束しただろ? 今日の事」

「ですけど……」

 倖は些か気乗りがしないようだ。だけど、折角の休日なんだし、倖と出かけたい気分でもあった。倖はまだ外にあまり出かけた事はないらしい。それが由縁もあって、後は雑多で何かを買ってこようかと思っていた。

 自宅から、市内で最大のショッピングモールに向かうには、三十分程かかる。朝早くからいかないと、買い物時間が減ってしまう。俺はそれが気に食わなかった。まあ、俺の我儘なんだけどさ。

「ほら、飯食べよう。冷めちゃうから」

 俺は箸を手にとると「いただきます」と手を添えて言った。倖も「いだだきます」と、朝餉に手をつけるのだった。


 朝餉を食べ終えた俺は、玄関を倖と一緒に出た。

 俺も倖も、カジュアルで身軽な服装に着替えている。共々、家では和装だし、時々こういうのもいい。洋装を纏った俺達は、ある意味珍しい。それも出かけとなると更に。

 玄関を出る。最高の青空に出迎えられた。これは出かけるにはちょうどいい天気だ。

「天気いいね」

「そうですね」

 微風が吹いた。頬を撫でてどこかへと去っていく。まるで通り魔のように、極自然に。

 俺は倖を一瞥した。倖の髪が風で靡いていた。ふんわりと飛ぶように髪が靡いている。よく見える倖の相好。家では見せないような自然な相好が、そこにはあった。

「行こうか、倖」

 そっと手を差し出すと、倖が余所余所しく手を握り返した。俺は倖の手をひいて、街へと繰り出すのだった。

 家の前には、タクシーが停まっていた。事前に予約してあったタクシーだ。ちゃんときっかり停まっている。遠川家御用達のタクシーだけある……。

 俺達が姿を現すなり、運転席から運転手が降りてきて、後部座席の扉を開けた。何という待遇だろうか。まさかここまでしてくれるとは、俺も、ましてや倖も思っていなかったらしく、二人で仰天しながら、車へと乗り込んだ。

 車内はこれといって普通だった。普通でありそれ以上でもそれ以下でもない。さっきの応対に対して、この車内はどこか安心出来るものだった。

「どこへ行きましょうか?」

 運転席に座った運転手は、手慣れた手つきでエンジンキーを回してエンジンをいれた。駆動の音と共に運転手の声が耳に届く。「ショッピングモールまで」と、行き先を告げると、「わかりました」と、運転手はハンドルを握って、車を発進させた。

 車窓の景色は、だんだんと住宅街から大きな通りへと変わっていく。車の通りも多くなってきた。

 俺は腰を落ち着かせ、車窓の外をただ眺めていると、ふと服の袖が引っ張られているのに気付いた。目線を車窓から倖へと変える。流れる景色から、不安そうな倖の相好が視界一杯に広がった。

 まるで仔犬のように震える倖。一言も言わず、目線だけが物語っていた。ただ単に「恐い」と。

 車は慣れていないのだろう。俺はその時はそう思っていた。だから、これといってそう難しく考えず「大丈夫だから」と、短絡的にそう言ってしまった。倖はなおも相好は変わらぬ事はなかった。

「お嬢さん、大丈夫ですか?」

 運転手が倖の様子をバックミラーで見ながら心配そうに言った。

「乗り物酔いしてしまったのなら、今すぐにでも下ろしましょうか?」

 倖は首を振った。酔いではない。何か別のものを、倖は感じていたのだろう。

 車が目的地の場所に着くまでの時間、倖は俺の服の袖から手を離す事はなかった。そして、ずっと視線は俯かせていた。


 目的地のショッピングモールに着いた。市内最大級と謳っていてもおかしくない程の大きいショッピングモール。よく、東京ドーム何個分と例えて言っているけど、これは果たしてどれくらいの広さなのだろうか。流石にドーム一個分には匹敵しないものの、それでも半分程の広さはある。

 流石、大手百貨店三軒の総出で作られただけの事はある。中に入ってみると、ただ広いだけではない事が思い知らされる。五階建て、地下一階の作りとなっていて、超巨大なデパ地下に、色とりどりの在庫を抱える衣服店の数々。家電から雑多、本屋など極一般的なお店なら、ここに行けば殆どが揃っている。これ程驚異的なショッピングモールは海外にでも行かないとないだろう。

 倖は、入店してからずっと辺りをキョロキョロと視線を泳がすばかりであった。珍しい物ばかりなのだろう。一人でふらー、とお店に引き寄せられるかのようにして、勝手に入ってしまうのだ。俺はそれを半分呆れながらついていくのが、定番化しつつある。

 まあ、それもいいのだけれど。元々、倖の着物目当てで来たのだから。和装から洋装。とにかく、倖が気にいった服目当てに来たのが第一だ。今のところ、倖が着られる衣服など、高が知れている程しかないからだ。

 倖は一人で楽しそうに衣服を見定めている。店員も、倖について行くのが大変そうに見える。俺はそれを傍から見ていた。倖の気が済むまで。

 やがて、数着の衣服を抱えて、俺の許にやって来た。殆どがワンピースだ。夏色を感じさせるような色合いばかりを選んでいる。

「いいんですか、瀬介さん。こんなに買ってしまって……」

 倖は服を選びつつ、どこか不満な様子だった。それもその筈。気にしないで、好きな服を選んで買っていい、と言っている。

「いいよ、別に。数着しか持ってないんだし、折角だから。倖だって、数着じゃ寂いしいだろ?」

「それもそうですけど……」

「金ならあるから」

 自慢じゃないけど。

「ど、どうなっても知りませんよ。こ、後悔しても知りませんよ」

 いいだろう。その挑戦状、受けて立とうじゃないか!

「あぁいいよ。後悔するのは、倖の方だけどね」

 俺は逆に挑戦的に返した。

「ム」

 どうやら、怒ったらしい。倖は俺に軽く怒気を散らしながら、また服を選びに言った。

 数十分選んだ結果、服を十着も買うという暴君の倖。それでも、まだ余裕はあった。まあ、買った衣服が入った紙袋を全て持てる程の余裕は流石にないけど。

 倖は次の店へと、梯子していく。それを俺は相変わらず追いかけるばかりだった。

 服を選んでいる時の倖は、とても楽しそうだった。自分を着飾る。家ではそんな事皆無だった。殆ど俺の身の回りの世話ばかりだったから。今の倖は、侍女としての倖ではなく、ただ普通の女の子としての倖が、俺の視界には映っていた。

 二軒目、三軒目、挙句の果てには七軒目まで梯子して、倖の買い物暴君は終焉を迎えた。使った金額など、計り知れない。どんどんと使っていいと言ってしまっているのだから。それに比例して服の量だって半端ないだろう。

 俺達はまるで恋人のように、ショッピングモールを隅々回っていた。買い物の合間、お菓子を摘み食いしたり、ゲームで遊んだり。

 時間は、矢が過ぎ去るかのように進んで行った。気付けば、お昼をまわり、そして夜になっていた。二人であるレストランに入った。

 レストランの奥の席に案内された。二人掛けの席だ。

「何食べようか」

 メニューを確認する。ここは和風レストランであり、無論メニューも和風の物が用意されていた。数々あるメニューの中から、俺はマグロ丼を頼んだ。

「瀬介さんは、マグロ丼ですか。じゃ、じゃあ私は……」

 倖はメニューと睨めっこしながら、色々とある中で茸雑炊を頼んだ。

「茸雑炊? また、一風変わった物を選んだね」

「そ、そうでしょうか……。私には美味しそうに見えたんですけど」

 俺は茸雑炊を、メニューで改めて確認してみた。結構美味しそうな写真が載っていた。俺もこれを頼めばよかったかもしれない。後の祭りだ。

「瀬介さんのマグロ丼だって美味しそうですよ」

 倖は俺の頼んだマグロ丼の載った写真を指差しながら言った。

 んー、何だか、そう改めて言われると、こっちもこっちで捨て難い思いに駆られてしまう。優柔不断だ。いつもの自分なら、そんな事はないのだけれど。

「ね、ねえ。倖はマグロ丼食べる?」

 「えっ!?」と、倖はメニューに落としていた視線を、俺に向けた。コクリと小首を横に傾げた。

「物々交換。いやさ、倖の頼んだ物が美味しそうで……、そ、それで」

 倖がまた小首を傾げた。そして、ふふっと微笑みを浮かべると、「いいですよ」と快く答えてくれた。

「私も、マグロ丼食べてみたいから、交渉成立ですよ」

 思わず俺の表情は綻んでしまった。

 周りから見られると、何だか仲睦まじい恋人なんじゃないかと思わず錯覚してしまい、俺は表情を強張らせた。途轍もなく恥ずかしくなってしまう。

 周りに視線を注視しても、誰一人こちらを見てはいなかった。心の中で溜息をついて、ひとまず自分を落ち着かせる。一旦、自分をリフレッシュさせて、倖に視線を戻す。倖はメニューに視線を落としていた。まだ何か頼む気なのだろう。俺も視線を追うと、倖はデザートを見ていた。どれもこれも、美味しそうな果物が乗ったカラフルなデザートがメニューにびっしりと載っていた。

「デザート食べるの? 頼みたいなら、別にいいよ」

「どうしましょう……。いや、止めておきます」

 倖はメニューを閉じた。俺に視線を向けて、「瀬介さんには、今日一杯御世話になってしまったし、それに私欲で色々と頼んでしまうのも、私としては気が引けます」と、自ら引け目を感じているのをひしひしと伝えた。

「ならいいんだけどさ」

 俺は水を一杯喉へと流し込んだ。

 やがて、頼んだメニューが厨房から運ばれてきて、目の前に並ぶ。俺の前にはマグロ丼。倖の前には茸雑炊。頼んだ物通りがやって来た。俺は箸を手に取って、マグロ丼を食べ始めた。倖も茸雑炊に手をつけ始めた。


 ショッピングモールを出る時には、外は真っ黒な化粧で空を覆っていた。月と星々の小さな化粧も忘れずに。そして、今日の買い物の凄まじさを物語るように、買い物袋で俺と倖の手は一杯になっていた。本当に、ここだけで幾ら使ったのか全くわからない。行きに使ったタクシーを呼び、買い物袋を預けた。そして、乗り込もうとした時、倖がふと俺の服の袖を引っ張って引き留めた。「歩いて帰ってもいいですか?」と、俺に訊ねたのだ。

 タクシーのテールライトを見送り、俺と倖は歩き出した。

 ショッピングモールを出てすぐに、大通りに出る。車の行き交いが多かった。時間帯の事もあり、行き交いは一層多い。俺と倖はすぐに道を逸れて小道に足を踏み入れる。こっちはこっちで、車の通りはあるものの、大通り程の行き交いはなかった。

 二人で人気のない小道を歩く。肩を揃えて。俺は真っすぐ先を視線で捉え、倖はどこかよそよそしく俯き加減で歩いていた。

「倖」

「はい?」

 倖は顔をあげる。いつものように小首を傾げる仕草で。薄暗い中では倖の相好はわかり難かった。

「楽しかった?」

 倖を一瞥する。本当に相好はわかり難かった。でも、どことなくわかる。とても楽しそうな、倖の相好が。

 そしてその予想を的中させるかの如く「はい」と、弾んだ口調で言うのだった。まるで心躍るような。「そうか。それはよかった」と、心の中で呟いた。

「瀬介さんは?」

「楽しかったよ」

 普段、共々家ではやらないような事を、ショッピングモールでやって来た。買い物して、ゲームして、食事して。それは決してつまらないような時間ではなかった。朝早くやってきたのに、もう夜中になってしまっている。時間という物は、楽しい時だけは無性に早く流れてしまう。何とも憎い奴だ。

 こうして二人で帰るのも、あの時の楽しさを懐かしむと虚しい。また、もう一度行きたいと自然と思ってしまう。そして、俺は思わず「また行こうな」と、声に出していた。それは無意識に。倖も「えぇ」と、快く答えてくれるのだった。


 ◆◆◆


 ショッピングモールを出てからそろそろ三十分程は経っただろう。歩いてここまでやって来たけど、だいぶ帰ってきたような気がする。辺りが真っ暗だから、何とも言えないけれど、でもところどころ暗くても見慣れた所が幾つか見受けられる。あと、十五分もすれば家に着くだろう。俺はそう予測を立てていた。果たしてこれがあっているかどうかはさておき、俺と倖はここまで他愛もない話を広げていた。

 住宅街の一角。十字路となる場所が俺の視界に入ってきた。無論、倖にも見えているだろう。車も通らなければ、人気もない。だから、逆に恐かった。

 十字路に電灯が照らされていて、何もない、筈だった。

 それは一度味わった感覚。そこに何も居ない筈なのに、気配だけがそこにある。刹那、何かを見た気がした。そして、その次の瞬間には、刀の刃が俺を手にかけようとしていた。身体を反らせて、刀の攻撃を交わす。俺はそのまま刀を持つ手を掴みにいく。明らかにある肌としての感触を認識し、掴んで道端へと投げ飛ばした。

 豪快に飛ばされ、家の塀に激突する。それは背中からいっただろう。全身に強打といったところだろう。塀から土埃が巻き上がり、そこからムクっと(シルエット)が立ちあがった。

 影には、細長い俺を襲った刀もあった。やがて、土埃が微風に乗って、ここから去っていく。そして姿を現す。あの時、俺達を襲った人物と同じ人物が。白い嗤う仮面に、刀を持つ。その奇妙な姿を誰もが記憶しているだろう。

 倖は戦慄を覚え、その場に腰が抜けてしまい座りこんでしまった。俺は肩を貸して、道端に誘導する。「ここで待ってて」と言いつけておいて、俺は仮面の者と対峙する。

「ソノムスメヲワタセ」

 刀の先をこちらに向ける。仮面から発せられる声が、俺の耳に鼓膜を刺激する。俺は不敵な笑みを浮かべた。嗤う仮面に負けじと浮かべた笑顔は、相手にとって不快だったようだ。刀を振る。その刀の動きに覇気、否殺気が感じられた。

「何処のどいつか知らない奴に、うちの女中は渡せないな」

 嘲笑する俺を見透かして、倖を見る仮面の者。仮面をつけているから相好はわからない。でも、確実にこの者は倖を殺す気だろう。それだけは断言出来た。

「ジョチュウ……。ケッキョク、ドウグアツカイカ」

 道具扱い……。その言葉が何かの衝撃(ショック)を倖に与えたのだろうか。倖は突然仮面の者から目を逸らした。そして一人怯えている。仔犬のように。いやそれ以上に。まるで雷に怯える子供のように。全身を戦慄で震わせる。俺はそれを一瞥して、腕に力を込める。

 鬼の腕と化した両腕を持って、俺は仮面の者と間合いを詰めた。仮面の者は身構える。精神と戦意を集中させる。瞳を閉じて、呼吸を整え、そして開く。それは刹那の出来事。

 仮面の者は、向かってくる俺を飛び越え、真っ先に倖を刀の餌食にしようとする。その事などとうに予測出来ている。踵を返して、手を先回りさせる。上から落ちてきた仮面の者をガッシリと掴む。そして、絞め殺そうとする。だが、強固な術式を身体に編み込んでいる。身体が否応なしにそれを拒絶する。身の危険を感じたからだ。

 仮面の者は緩んでしまった手から逃れるように、身体を動かす。まるで這い蹲る格好で、地面に着地すると、まるで短距離走選手の如く軽快なスタートを切った。刀を確りと持ち、倖めがけて走っていく。

 倖は戦慄に気圧され、悲鳴が口から出てこなかった。ただそこにじっと鎮座して、その場から動こうとしない。つまるところ、避ける事を考えていなかった。まさかの失態に、俺は歯を食い縛った。

 ちっ、と舌打ちをした瞬間には、翻した足を素早く動かして仮面の者の後を追う。

 背中を捉えた。手を伸ばせば届く。刀だって奪い取る事が出来る。だが、間に合いそうにない。

「舐めんなよ!」

 全身全霊の血を騒がせる。筋肉の限界突破。人間が持つ運動能力の異常向上。一瞬に込めて仮面の者を取り押さえにいく。

 手を伸ばして、掴もうとする。また術式に拒絶されるかもしれないが、この状況下でそんな優著な事を言っている場合でもない。無理にでも掴んでみせる。

 掴みかかろうとした刹那、突然視界から背中が消えて、腰の抜けた倖が俺の視界に入る。足を止める。

 後ろにドサっと何かが着地した。そして俺は一瞬にして状況を悟る。背後を取られた。背中に縦筋の傷をつけられる。衣服などそんなもの何の防具にもならない。刀の刃はそんな容易い防具をいとも簡単に斬り裂き、そのうちにある俺の身体自身を斬った。

 上から下に一筋斬って、仮面の者は一旦下がる。俺の攻撃を予知したからだ。俺は腕を振りまわしたが、それは不発となった。

 背中に気を配る。傷は深くないものの、あまり放っておくわけにもいかない。傷の痛みで、思考が乱れる。痛覚によって、脳髄に身の危険を知らせる。自分はそれ以前に身の危険を感じているというのに、何と邪魔な痛覚だろうか。いっその事、排除してしまいたいとも思った。だが、鬼血のお陰で皮膚の修復がもう始まっているにも関わらず、こちらも術式を編み込んでいるのだろうか。治癒の妨害が入っている事は、自分の身体故によくわかった。

 別段この程度なら問題はない。この術式は、一種の呪いと考えても大丈夫だろう。毒同様、微量なら身体で処理出来る。ただそれが大量となると大変な事に発展し兼ねない。呪いを持ち過ぎると、身を壊してしまう。

「迂闊に行動もとれない、か」

 ただ無闇に飛びこめばいい、というわけにもいかない。さて、どうする。相手は刀を持っているから、道具という有利なものがあるのに対して、俺は腕だ。自分自身の身体が道具な故に、身体と道具が一体。これでは仮面の者とは相違が生まれてしまう。身体が道具な俺には圧倒的に不利だ。

 公平(フェア)じゃない。いや、仮面の者に公平を求める事が果たして出来るだろうか。いや、出来ないだろう。

「あんた、誰だよ」

 俺の問いに、仮面の者は当然のように答えなかった。毅然とした構えで立ち尽くす。刀を振る。血を振り拭ったのだろう。地面に飛び散る紅い血。闇夜に溶け込んでしまって、その斑点までは見えなかった。

 仮面の者が、こちらを見据える。そして、静かに答えた。

「ムスメヲコロスタメニキタ」

「簡潔な返事をありがとう」

 実にわかりやすい返事だ。返事に関しては満点をあげたいくらいなのだけれど、それでも、その物騒な物を持って、仮面を被って、などと酷い減点対象を仮面の者は持っている。あっという間に零点に減点だ。

「いやー!」

 倖のか細い悲鳴があがる。自分を殺す者、と仮面の者は名乗ったのだ。戦慄に気圧されている倖にとって、それは恐ろしい物以外、それに勝る物はあるだろうか。殺しに来た。それがいかなる恐怖なのか……、わからない。

「なら、俺は正反対な属性(ジャンル)の人間だな。俺は、倖を守る者だな」

 状況は半分飲み込めていない。何故、倖がこの場において殺されないといけないのか。何故、仮面の者は倖を狙うのか。だが、ハッキリと言える事はある。仮面の者が倖を襲おうとしている。俺はそれを無碍に見殺しにするような非人道的な事は、一切合財出来ない。いや、そもそもそういった事とは金輪際縁を断ち切っている。

「マモルモノ。バカバカシイ」

 仮面の者は刀を構え直す。俺の返事を訊いて、倖に加えて俺さえも殺す対象となったのだろう。いや、元々なっていたかもしれない。それが早かれ遅かれ、結局はこうなっていただろう。

 殺気が一層強くなる。だが、それに気圧される俺ではない。

「シ。ソレガオマエニトッテイチバンマトモナジョウタイダ」

 仮面の者は刀を持って駆け出した。間合いを一挙に詰め、俺の心臓めがけて刀を突き出す。二度も同じ手には引っかからない。俺は飛び上がり、股下に仮面の者の頭を捉える。そして、重力に身を任せて落ちて行き、相手の身体をそのまま腕を使って地面に叩きつけた。腕の圧力に、アスファルトが耐え兼ねて歪む、凹む、抉れる。大きな地響きとともに、仮面の者は仰向けにアスファルトに埋まってしまった。

 身体中は変なふうに圧し曲がっている。複雑骨折というレベルではないだろう。それ以上のものが、仮面の者に襲いかかっているに違いない。それは生命活動など、維持できぬ程に破壊し尽くされた事を揶揄する。

 まるで、新聞紙で叩かれたゴキブリのように、ぺしゃんこに這い蹲っていた。

 仮面が割れる。それはあっさりと。そして、露わとなった本当の相好。


 ――それは人のようで人ではない感じがした。どこか、変に違和感を抱かせるような雰囲気を持つ、歪な相好だった。


 腕を元に戻す。そして、軽く探りをいれてみた。すると、胸辺りから一枚の、それは免許書のような小さなカードが出てきた。薄暗い中、それに視線をやると、名前と認識用のID番号が書かれてある。そして、研究員らしき記述も。どこどこの大学を卒業。○○を研究。などといった、簡易的なプロフィール付きだ。

 それを拝借して、俺は道端にいる倖に近寄った。倖は未だに震えていた。

「もう、大丈夫だから、帰ろうか」

 そう優しく声をかける。倖は小首を少しだけ縦に振って、俺の肩を借りながら立ちあがった。

 この場をさっさと去る。あれだけ轟々とやってしまったので、辺りで騒ぎになるのも時間の問題だ。こういった厄介事は警察に任せて、俺達はとっとと舞台を降りるとしよう。家までもうすぐだ。

 ゆっくりとした足取りで向かう二人の背中には、既に野次馬が少しずつ出来ていた。


 ◇◇◇


「朝ですよ、瀬介さん」

 まるで小鳥の囀りのように、耳にそっと入ってくる倖の声。今まで外の生きる目覚ましで起きていたのに、最近では倖の声で起きる事が多くなっていた。

 倖は朝餉を運んでいるところだった。御盆に載った朝餉を、和卓に並べていく。いつもの侍女としての姿。これといって変哲もない。

 掛け布団を退かして、上半身を起こす。背伸びをして全身に「起きろ!」と指示をする。一通り背伸びをして、俺は和卓に朝餉を並べる倖に視線を向けた。

「おはよう、倖」

「おはようございます」

 倖は相好を綻ばせながら、俺に挨拶をする。俺もその綻ぶ相好にこっちも自然と相好が綻んでしまった。

「にゃんだい、にゃんだい。朝から二人ともいちゃいちゃだにゃ」

 縁側で寝転んでいた毬が、目線だけをこちらに向けて一言愚痴った。

「最近、急に仲良くなりよって。吾輩寂しいにゃ」

 俺は布団から抜け出すと、縁側で寝ていた毬を胸に抱えて和卓の自分の席に座った。

「なんだ? 焼き餅でも妬いているのか? お前」

「さぁ、どうかにゃ。おまいさんの想像に任せる」

 なら、寂しいって事でいいだろう。

 毬が四本足で立ちあがり、部屋にあがるとすぐに倖の許へと向かった。早速朝飯を強請るのだろう。倖は「はいはい」と御飯を盆から取り出し、毬に与えた。


 楽しそうだった。何の柵もない、偽りのしようがない、その解放された笑顔。ここ最近になって見せてくれるようなになった倖の笑顔。俺の相好が自然と綻んでしまう。

 こうした光景がいつまでも続いて欲しいと願ってしまうのは、愚かだろうか。大馬鹿者だろうか。

 でも、そんな風に蔑まされても、貶されても、この思いは変わる事も揺るぐ事もない。

 俺は、倖の笑顔が好きだった。その笑顔が崩れるのなら、俺は――。

茸雑炊ネタは、レストラン“ガスト”からなんですが、あれ結構美味しいんですよね。何気なく選んで、食べてみたら意外と。興味あったらどうぞ~。

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