時を渡る旅人
あっという間に、クレイアが薬を完成させて、私がそれを服用し、効果まで立証された。これで、ゴールスファ病は、世界から完全に消えたそうだ。……材料のことを考えると、口に入れるのはかなり、躊躇われたが。
ちなみに、本当は過去で一例だけ、治験を行ったとか。ただ、副反応がかなり酷かったらしく、細かい調整のために、多少、材料の配合を変えた部分があるのだそうだ。特に、歌声から作られる蜜であるボイスネクターは、やはり、質の悪い蜜でないと無理だという結論に達したらしい。
「クレイアさん、本当に、過去に行っちゃうんだよね」
「ええ。もともと、そのつもりだったから」
「また、会えたりする?」
「……まあまの日記、読んだわよね。ギルデのじゃなくて、私が持ってた方も」
「うん。ちゃんと全部、覚えてるよ。さすがに、一言一句暗記するのは、無理だったけど」
「過去に薬を持って行って、病気は治すつもりだけれど。心までは、あたしがどこまで救ってあげられるか、分からないし。正直、どうなるか分からないわね」
「そうだよね。うん、分かってる」
寂しくなるけれど、彼女は、旅人なのだ。それも、過去から来た、時を渡る旅人。自由な彼女を縛ることはできない。思えば、いつも振り回されてばかりだった。
「はあ、アイネには振り回されてばかりだったわね」
「は? それはこっちのセリフなんですけどお?」
「あら、言うようになったじゃない」
「まあねえ」
結局、いつも、クレイアのペースだ。褒められると嬉しくなってしまうので、仕方ないのだが。
「それから、これ。時計塔の鍵。私は行ったことないからよく分かんないけど、そこからしか戻れないんでしょ?」
「ええ、そこが一番、天界に近いところだから。ありがと」
二対の鍵を渡すと、クレイアはそれを大切そうに受け取った。
「それから、ママの日記も返さなきゃだよね」
「ええ。その日記には、別の世界のことが書いてあるから、置いていけないの。万が一、どこかに残ったりしたら大変だから」
「うん、分かってるよ。見せてくれて、ありがとう」
「……本当はね。あたしが持ってる日記は、見せるつもりはなかったの。でも、ルクスに頭突きしてるアイネを見てたら、大丈夫だって、思ったのよ」
「そうだったんだ。結構痛かったけど、頭突きしてよかった」
「された方は、たまったものじゃなかったでしょうけどね。脳震盪起こして、治療室に運ばれてたし」
真っ白な日記を、クレイアに差し出すと、彼女はそれを、大切そうに両手で受け取り、カバンに入れる。
「それじゃあ、そろそろ――」
「あ、待って!」
ものすごい早足で立ち去ろうとするクレイアを引き止め、私はその腕をつかむ。クレイアは一瞬、驚いた顔をしたが、すぐにいつも通りのかわいい顔で、いや、めちゃくちゃかわいい顔で、私を見つめ返してきた。
「もう一つ、渡すものがあるの」
「鍵と日記だけだと思ったけれど?」
「ううん。もう一つ。三つあったほうが、なんとなく、キリがいいでしょ」
「そうかしら? それで、何をくれるつもりなの?」
深呼吸をして、私は、クレイアの手をとる。そして、唱える。
「私の願いを、クレイアさんに、返します。私の願いは、クレイアさんの願いが叶うこと。私を、その願いで、二度も助けてくれたクレイアさんを、今度は私が、助けたい」
体から、何か、熱いものが、クレイアの手へと流れていく。辺りをやわらかい風が包み込み、願いが受け渡される。
「……大切な願いなのに、いいの?」
「うん。それにクレイアさん、私を助けるために、また願いを使ったかもしれないなあと思って」
「まあ、少しだけ」
「ん? んんん?? そんな話、聞いてませんけど???? 少しってどのくらい?」
「過去と繋がる通路を作るのに、代償がちょこーっと、増える、かも、しれない。かもよ、かも。あたしもよく分かってなくて」
「ちょっ……! 馬鹿! なんで言わないのよ!? あっぶなあ……!」
「ごめんなさーい」
「それ、謝る気、アリマス?」
「まあまあ、許しなさいよ」
「なんで上からなの……? てか、また私のためだったりしないでしょうね?」
「あたしのために決まってるでしょ。アイネのために何かしたところで、あたしになんの得もないじゃない」
――本当に、ブレない人だ。聞かないでおいてあげよう。
「ありがと、アイネ。何があっても、アイネなら絶対、大丈夫だから。頑張るのよ」
「うん。ありがとう、クレイアさん! クレイアさんも、頑張ってね!」
見送りには、私以外のみんなも来ていた。みんなで手を振り、姿が見えなくなるまで、クレイアを見送った。
きっと、彼女なら、ママを救ってくれるだろうと、信じて。
「さて、帰りますか」
「……もー、泣いて、いーよ」
と言って、私の頭に手を乗せたのは、ロロだった。
「頑張った頑張った」
と言って、私を抱きしめてくれたのは、ベルだった。
「泣かっ、ないもん……っ」
と言っている側から、私の両目は、涙を零していく。大粒の涙が、次々に、頬を伝っていく。
「うあああん――!!」
「寂しーね」
「よしよし」
もう二度と、会えない。いくら、過去と今が繋がっているとしても、いつでも会いに行けるような、そんな距離ではない。そもそも彼女は、この世界の人ではないのだから。会いに行ってはならないのだ。
それが、世の摂理というやつで、それは、本来、感情だけで乗り越えていいようなものではないから。
ひとしきり泣いて、少しだけ、気持ちが落ち着いてきた頃、ギルデがニコニコ笑顔でやってくる。
「さあ、アイネちゃん。お仕事の時間だね! パパとお仕事しようか!」
「アイネさん、疲れたときは、ママが膝枕してあげるわ」
「ワーウレシイナー。アリガトー、ママ、パパ」
「だから、ギルデと呼びなさいと……あれ?」
「ちゃんとステアさんって、呼ん……え?」
ギルデとステアは、相変わらずだ。なんだかうるさくなりそうだったので、二人からさりげなく離れ、ナーアと話していますアピールをする。
「なああ!」
「なぜ、アイネは、いつも、困ったら私のところに来るんですか?」
「だって、ナーアが一番、安心するんだもん」
「チッ、このタラシめ」
「うりうりー、ほんとは嬉しいくせにい」
ほっぺを両手で挟んで、むにゅむにゅしてやる。嫌そうな顔をしつつも、抵抗しないので、好き放題やらせてもらっている。
「……私より、あっちをなんとかしては?」
ナーアの言うあっちとは、緑髪の男のことだ。優しいナーアが言及してくれたのが聞こえたらしく、そば耳を立てている。
「あっちって?」
「え、だから、ルク――」
「あっち、って??」
「……なんでもないです」
最近、ルクスちゃんねるの配信はやめたらしい。実はこれでも、楽しみにしていたのだが、本格的に、革命教を小さくする方に動いているそうだ。
ちなみに、つい先日、ルクスは王様も教祖もやめて、今は完全にニートになっている。私は、動画配信でなら、そこそこ稼げそうな気がしているが、簡単には、教えてあげない。
「許してあげないんですか?」
「うん。許さないよ?」
「え、でも、その、すき、なんですよね? お互いに。私には、よく、分かりませんが」
「その、すき、の言い方、かわいいな。ま、私とナーアだって両想いだけど、喧嘩するときもあるでしょ?」
「確かにそうですね」
「やだ、ナーアちゃんったら、両想いだなんて照れるわあ」
「鬱陶し……」
ちょっと調子に乗るとこれだ。でもかわいいからいいや。
「だとしても、さすがに、可哀想ではありませんか?」
私としては、もっと反省してろ、という感じなのだが、ナーアにここまで言われては、仕方ない。
「ナーアがそこまで言うなら。……ルクス、こっちにいらっしゃい」
「しゅたっ」
飛んできた。速い。気持ち悪い。
「それで? どうするか、決まった?」
「付き合ってください、アイネ様。そして、そのまま結婚しましょう。ずっと、僕の傍にいてくださるのですよね?」
「はあ……。なーんか、気乗りしないんだよねえ」
「エッ」
「あのときのトキメキが消えちゃったっていうかさあ。なんか、ルクスよりいい人なんて、他にもたくさんいるよなあって思い始めたっていうか」
「エッッッ」
「この間お見合いした人も、めちゃくちゃイケメンで、低くて、しっとりした声でさあ。すっごくドキドキしたっていうかあ……!」
「エエエッッッ。で、でも、知ってますよ! アイネ様が、僕の声聞きたさに、ルクスちゃんねるを見ていたってことは!」
「ぬわっ!? な、なな、なんで知ってるのよ!?」
「ナーアから聞きました」
「ちょっと、ナーア――って、いないし!!」
ナーアが聞き上手過ぎて、ついつい、なんでもかんでも、話してしまうのだ。だが、ナーアはナーアで、二ヶ月経ったら忘れてしまうからと、日記をつけ、大切なことは毎日、読み返しているらしい。まさかそんなところに罠があるとは。
「それで、どうしますか?」
「……なんか、ムカつくからさ。やっぱり、もうちょっと、ちゃんと言ってよ」
「分かりました。それでは、セッティングしておきます」
「ん。それとさ、いつまで、アイネ様、って呼ぶの?」
「アイネ様はアイネ様ですから」
「いや、別に。ナーアも最近、アイネって呼ぶしなあって」
「ああ、勘違いされているみたいですが、僕はアイネ様と呼びたいからアイネ様とお呼びして、こうして敬語を使っているのですよ」
「どういうこと?」
「そうですね。――あなたの永遠の椅子になりたい、と言えば、伝わりますか?」
「うわキモ、マジでキモ」
「でへへ」
――本当にこいつでいいの、アイネ? もうちょっと考えたほうがよくない?
――んー、でも、好きなんだよねえ。声とか、声とか、声とかさあ。
――声フェチか。じゃあ仕方ない。
「私、ずっと待ってるから。待たせすぎないでね」
「ええ、もちろん」
ふんわり笑うと、ルクスは私の頭を撫でた。この笑顔とか、手の感触とか、私のことが変態的に好きなところとか。なんでも言い合えるところとか。やっぱり、どれだけ考えてみても、彼しかいないのだ。
私も大概、馬鹿だ。
「ひゅーひゅー、お熱いねぇ」
「あちち」
「パパは断じて認めない!」
「パパのことは、ママがなんとかするから、安心して」
「ちょっと、ステア!?」
本当に、まったく。
「もう! 早く帰るよ! ナーアも、そろそろ出てきて!」
「はーい」
ルクスの手を引っ張り、彼の驚いた顔を拝む。ビクッと震える心臓の鼓動に、心地よさを感じつつ、彼と手を繋ぐ。
そして、大好きなみんなの住む、大きな家へと足を進めた。




