信じないワケ
何も言わず、ずっとそこにいてくれるクレイアに、私はしばしの躊躇いの後、重い口を開く。
「さっきの人、ステアさんって言うんだけど、七歳のときから、私を育ててくれた人なの」
「アイネのこと、すごく、心配してたわね」
「……分かってる。心配させちゃいけないって」
昔から、私は悪い子だった。勉強が嫌いで逃げ出したり、お城で走り回ったり、つまみ食いをしたり。いつも、人に迷惑ばかりかけていた。
「たいして悪いことしてないじゃない」
「そんなことない。私のせいで、ママは、いなくなっちゃったんだから」
「どういうこと?」
「――私のママ、八年前にいなくなっちゃったの。ギルデは、ママは死んでないって、絶対にどこかで生きてるって、そう言うけど。じゃあ、どこに行ったのかって聞いても、答えてくれなくて」
「そう――」
少しだけはぐらかすようにして、そう答えた。なんとなく、話しづらくて。
クレイアの短い相づちには、予想していたような、私に対する同情が、ほとんど含まれていなかった。それよりも、何か、私の考えの及ばないところに思考を巡らせているような感じだった。
「はっきり聞くけど。クレイアさんって、私のママとパパのこと、知ってるよね」
「どうしてそう思ったの?」
見た目に動揺はほとんど見えないが、かすかな呼吸や鼓動の音の変化から、私は動揺の音を捉えた。
「私の名前、最初から知ってたでしょ」
「上手く誤魔化したつもりだったんだけど、気づいてたのね」
ネットカフェで出会ったとき、彼女は私の名前を呼びそうになった。私は有名人だが、一般には顔が知られていない。情報を規制しているから。髪色と瞳の色が同じなだけで、名前を呼びかけたりはしない。
もちろん、有名人のママと顔立ちが似ているとはよく言われるが、それにしたって、よほどママに近しくない限り、確信にまでは至らないはずだ。
「それに、私がお城で暮らしてることも知ってた。何も言ってないのに」
「口が滑ったのは認めるわ」
テントに入るとき、靴のことを指摘するのに、わざわざ、城を例えに出した。
「でも、一番、分かりやすかったのは、私に対する態度。初対面とは思えないくらい、距離感が近かったから。だから、多分だけど、私のこと、知ってるんでしょ?」
「そうやって、人の顔色ばっかり気にしてる自分が、嫌いなのね」
――質問に対する返答の代わりに、構えていないところを言い当てられて、私は思わず、クレイアの顔を見る。
「大丈夫よ。あたしがそうだったもの。安心しなさい。社会に出てから、人心掌握がしやすくなるから。今、悩んでる分、将来は明るいわよ」
「黒い……って、誤魔化されませんよ!」
「あ、敬語に戻った」
指摘されて、自分の話し方がブレブレなことに気がつく。だが、騙されはしない。
「教えてください、ママとパパのこと、知ってるなら。さっき、ママのこと、知らないフリしてたけど。本当は何か、知ってるんですよね?」
クレイアは露骨に困った顔を浮かべた。その真意を、探るようにして考えていると、彼女はその表情のままで、ため息をついた。
「確かにあたしは、あんたの両親のことはそれなりに知ってるつもりよ。それに、ステアさんはともかく、ギルデのことも、少しは知ってるわ」
「じゃあ……!」
「でも。だからこそ、なんでギルデがあんたに話さないのかも、分かるのよ。だから、すっごく、悩んでる」
一瞬、抱いた期待は、すぐに薄れた。けれど、悩んでくれている、と知れただけでも、少し嬉しい。何か事情があることくらいは、私だって知っているから。
だから、ステアやギルデには、聞けないのだ。
「お母さんとお父さんのこと、二人からなんて聞いてる?」
「ママは、すごい人だったって。親衛隊とかファンがつくような人で、二人も大好きだったって。実際、ママのことは歴史の本によく載ってるから、表面のことはだいたい分かってるつもり」
「お父さんは?」
「ギルデが、私のパパは嫌なやつだった、ってよく言ってる。家事は完璧だし、優しくて気も利くし、悪口も滅多に言わない――って、ママが言ってたんだって」
「あははっ。ギルデがそんなこと言うなんて意外だと思ったら、そういうことね」
クレイアの楽しそうな笑顔に、胸が締めつけられるような心地がする。きっと、私の知らないママたちのことを知っている彼女に、私は、嫉妬している。
「クレイアさんって、ママたちの、何だったの? 免許証、ママと同じ生年月日だったし、名前も一緒だし。双子、とか?」
「マナと――あんたのお母さんとあたしが、似てるように見える?」
「全然」
「でしょ? 偶然よ偶然。たまたま、生年月日と名前が同じだったの。それだけよ」
はぐらかされた。
「……もうっ! なんで教えてくれないのっ」
頬をぷくーっと膨らませると、
「十五歳にもなって人前でその顔をするのはやめた方がいいわよ」
アイネショーック……!!
「かわいいけど。お母さんに似て」
――ああ、そうだよね。私のママ譲りのかわいさは、おいそれと人に見せていいものじゃないよね。ふふん。
「チョロいわね」
「チョロくない!」
クレイアはまた、あははと笑う。だが、教えたくなさそうなので、無理に聞くことはできない。みんな、私に意地悪しているわけではないのだろうから。
「それよりも。行ってこなくて、いいの?」
クレイアの指差す先には、ステアがいた。私のことを捜している様子だ。
「うげっ……」
「安心しなさい。見てるから」
「逆に安心できない!」
声で居場所がバレそうになり、私は今さら、口を手で塞ぐ。出て行って、謝ればいいだけの話なのだが、その、だけ、がことさらに難しいのだ。
「……私ね、ステアさんやギルデに、愛されてないんじゃないかって、すごく、不安なんだ」
「そうなの?」
そんなふうには見えないのだと思う。私が二人に対して素直になれないのが、この子どもっぽい不安のせいだなんて。
「二人が愛してるのは、私のママで、私じゃないんだよ。私がママの娘だから、愛してるフリをしてるだけに決まってる」
別に、ギルデとステアが、私の本当の両親でないことを気にしたことは、一度もない。昔も今も。二人が気にしているから、変に意識してしまうだけで。
「じゃあ、どうしてそう思うの?」
「……だって、私が誰かに愛されるわけがないもん」
泣きそうで、震えそうな声を抑えながら、私は続ける。
「約束、したの。ママと。絶対に帰ってくるって。ずっと、一緒にいるって。――でも、私が、悪い子だから、いつまでも、ママは帰ってこない。だから、もっと、もっともっともっと、頑張らないと。ママが帰ってきてくれるくらいに頑張らないと、ママにも、ギルデにもステアさんにも、誰からも、愛されるわけがない」
「本当に、馬鹿ね――」
クレイアは、ため息混じりにそう告げる。その一言に含まれる感情は、すごく優しくて、温かい音だった。
「それに、二人とも、私と話してるときより、ママの話をしてるときの方が、楽しそうだし」
「それは、きっとあんたが――まあ、それはいいわ。じゃあ聞くけど。あんたは、どうしたら、自分が愛されてるって思えるの? 帰ってこないまあまはともかく、あんなに心配してくれてるギルデやステアさんに、これ以上、どうしてほしいのよ」
「……分かんない」
考えたこともなかった。愛されている基準なんて。ステアもギルデも、他の親と同じように私に接しようとしてくれていた。私が小さい頃は特に。――ママパパって呼べとか言われるのは、普通に鬱陶しいけど。
「ステアさんとギルデのことは、好き?」
「……分かんない。つっけんどんな態度取っちゃうし」
「つっけんどんね――。まあ、思ったより、大丈夫そうね。えいっ」
と、クレイアは急に、私を押して、遊具の陰から追い出した。
「あ、アイネ、こんなところにいたの!?」
さらに、自分から追い出しておきながら、わざと居場所を知らせるようにして、大声を出した。
「ちょっ……クレイアさんの、馬鹿!!」
しかし、後に続く自分の声の方が、よっぽど大きかった。