小さな違和感
帰るなり、入り口に立ちはだかっていたマナに、抱き上げられて、視線の高さを合わせられる。
「あの青髪と、何してたんですか」
「何って、ちょっと大切な話をしてたのよ」
「まなさんのオムライス、コーンが入っていましたよね。誰が食べたと思っているんですか」
「あかりが食べたんじゃないの?」
「まなさんの食べかけを、彼に食べさせるとお思いですか?」
「あら、マナが食べてくれたの? えらいじゃない。よしよし」
頭を撫でると、マナは嬉しそうに顔を緩ませる。
「私の部屋に行きましょう。そこでいちゃいちゃしてくれるなら、許します」
「はいはい。このまま持ち帰ってちょうだい」
嬉々として私を部屋に連れ込んだマナは、私を膝に乗せ、ぎゅっと抱きしめる。それからは、無言だ。何があったか説明しろと催促しているのだろう。
「かくかくしかじかで――」
「なるほど、かくかくしかじかなんですか。私のまなさんといちゃいちゃしやがって……」
「あはは、あたしはマナのものじゃないわよ。それで聞きたいんだけど、何か、違和感を感じるようなことはなかった?」
「そんなに否定しなくてもいいのにっ。――そうですね。あ、そういえば」
マナは思い出したように声を上げ、私を膝からおろすと、引き出しから、真っ白な装丁の本を取り出す。
「日記が、破れているんです」
桃髪の少女は、破れた白紙のページを、そっとなぞる。破れている以外は普通だ。
「あんた、結構雑なところがあるわよね」
「うきゅっ……。そ、そんなことは、あるかもしれなくもなくもないですが――これは、絶対に、おかしいです。この日記は、とっても、大切なものなんです。ページが破れるような扱いはしていません。断言できます。この私が、こんなにも大切な本を破くとでもお思いですか?」
「あんたにそう言われると、気になってくるわね」
私は、真っ白な日記を、持ち主の手から大切に受け取り、虫眼鏡でその断面をじっくり観察する。そのページには、何も書かれてはいなかった。
「見た感じ、普通に落として破れたみたいな感じだけど」
「ありえません。すべてにおいて完璧であるこの私が、誤って落とすなんてこと、あるはずがありません。――それに、切れ端が見つからなくて」
私も手伝って、再度、切れ端を探すが、やはり、見当たらない。マナが魔法で家具をすべて浮かせても、透視しても、見つからない。捜索は諦めて、他に違和感がないかと、探してみるが、特に見当たらない。
たまに脱線したり、話し込んだり、じゃれ合ったり。あかりに「仲良しだねえ」と嫉妬されたり。そうこうしているうちに、だんだん、時間がなくなってきた。
「うーん、そうね……。じゃあ、願いを使ってみる?」
「そんなに大事なものを、こんなことに使うんですか?」
「あたしとあんたがそろって、おかしいって結論に達してるのに、何も思い浮かばないなんてわりと異常でしょ。早いに越したことはないわ。こういうのって、いつ記憶が補正されるとも知れないし」
「それはそうですが、本当に、いいんですか?」
「……一応、確認してくるわ」
「えー。私を置いて、行ってしまうんですか?」
「あはは、大げさね。何か分かったらすぐに戻るわよ」
寂しがるマナがかわいらしくて、つい、笑顔になってしまう。笑いごとではないと、いつも怒られるのだが。
部屋を出ると、すぐそこで、あかりが待ち構えていた。
「どうかしたの?」
「その願い、ほんとに使うの?」
「なんで?」
「いや、やっぱり、なんでもない」
待っていたわりに、あかりはすぐに部屋へと戻っていった。
「――変なの。いつもだけど」
青髪の彼のもとに向かい、事情を説明する。ランプのことは、本当に、忘れてしまったみたいだ。
「まながいいと思うなら、それが正解だろ」
確認しろと言っていたわりに、返ってきたのはそんな返事だった。だが、そんな返事だからこそ、安心できた。
「ありがと。それじゃあ、呼ぶわね」
ランプに火をつけ、呪文を唱える。
「プリハディート。ランプの魔人さん、来てください」
――風もないのに、ひとりでに火が消えた。立ち上る煙がもくもくと膨れ上がり、そこに人影が現れる。下半身が煙でできた、オシャレでカッコいい魔人さんだ。
「あらヤダー! アナタ、すんっっっごくかわいいじゃなーい」
なんだか、愉快な魔人さんだ。両手を顎の下でちょっと傾けて組んでいる。そしてそのまま、ずいずいっと、私に近づいてきた。アメジストの目がキラキラしている。輝きすぎて眩しい。
「あらあらあらあんらあ……! お人形さんみたい! かんわいいわあー」
「おい、そんなに近づいて、オレのまなを困らせるな。困らせてもいいが、その困り顔がオレにも見えるようにしろ」
「は、馬鹿じゃないの? そもそも、あんた見え――」
「いやーん! 怒った顔もかわいいわあ!」
「オレにも見せろ」
誰か、誰か、たすけてー……。
「あいさつが遅れてごめんなさい。アタシは、ジェニファー。ジェニファーちゃんって呼んで」
「あたしはマナ・クレイアよ」
「それじゃあ、まなチャン。早速だけど、アナタの願いを、教えてもらおうかしら?」
早速も早速。本当に早速だ。彼女が何者であるかすら、私は知らない。
「あたしの願いは、マナの日記をもとに戻すことよ。叶えてくれる?」
「なるほど、ね……。できる限りやってはみるけれど、叶えきれる保証はないわ」
「どういうこと?」
「アタシの力はね、願いの魔法ほど強くはないのよ。人が思いつくような望みなら、たいていは叶えられる。けれど、たまに、その願いが、とんでもない願いに繋がってるときがあるの」
「あたしの願いが、それってこと?」
「ええ、そうよ。――アタシには、分かるの。これは、ただ、破れた日記をもとに戻すだけの願いじゃない、ってね」
やはり、これで合っているみたいだ。
「お願い。足りなかったら、あたしの願いを使ってもいいから、ちゃんと、戻して」
「ええ、分かったわ。まなチャンの願い、このアタシ、ジェニファーがしっかり聞き届けたわよ。それじゃ、いくわよーん!」
――瞬間、脳に、膨大な量の情報が流れ込んでくる。気を失いそうなほどの情報に、一時、意識を手放しかける。
『クレイアさん』
『クレイアさん?』
『クレイアさんの、馬鹿!』
『クレイアさん!』
『クレイアさんの願いは、叶った?』
『クレイアさんに、褒めてほしかった』
『もおおっ! クレイアさんったら!』
『ごめんなさい、クレイアさん』
『クレイアさんは、私がいらないんだ』
『クレイアさん、大丈夫!?』
『クレイアさんは、私が絶対に戻すから』
『会いたいよ、クレイアさん――』
『クレイアさん』
『クレイアさん……』
『クレイアさんんぅ……っ!!」』
『私は、クレイアさんのことが、好きです』
『――だから、いつか、聞かせてね。クレイアさんがつらいときは、私が一緒に泣いてあげるから。約束』
「アイネ――」
なぜ、こんなにも大切なことを、忘れていたのだろう。
アイネはきっと、願いの魔法を使ったのだ。だが、なんと願ったか。どこにいたか。どんな想いだったのか。それが分からない。
――すぐに、この世界は消える。私が元に戻してほしいと願ったから。
その前に。考えなくては。
私は、缶詰で薬の研究をしていた。だから、ルクスと二人で話していたのが、最後に見たアイネの姿だ。あのときは、まだ、大丈夫そうに見えた。
もちろん、一週間、毎日、悶えていたルクスの様子を見ていれば、何があったかは、容易に想像がついた。――その日に脱いだアイネの香りがついている服を、洗濯もせずハンガーに干して、毎日、幸せそうに嗅いでいるのは、さすがにどうかと思ったが。
「そういえば、ルクス、ココロプカの様子を見に行く、なんて言ってたかしら。やけにルンルンしてると思ったら、急に真顔になったりして」
そこで何かあったのだとすれば。
――ルクスが何かした可能性は、十分に、ある。
ルクスは私のことで、マナを恨んでいた。アイネに対しても、何かしらの感情があってもおかしくはない。
アイネを気絶させて、一緒に湖に沈んだ、なんてこと、あり得るだろうか。
――いや、あり得る。アイネは恐らく、願いを使って、自分の存在を、消したのだ。私の願いによって、それは取り消しとなり、彼女には願いが再び戻ることとなる。同じことが繰り返される前に、止めなくては。
「ひとまず、ヘントセレナに向かって、それから――」
「まな」
集中していて、視野が狭くなっていた。
――その一言で、私の名前を呼ぶ彼の声は、もう二度と聞けないのだと、気がついてしまった。
「俺がいなくても、大丈夫そうか?」
そうだ。私だけじゃない。今、この瞬間、みんなが、記憶を取り戻している。そして、これまでに犠牲になった人たちは、みんな、消えてしまう。
「……やっぱり、ちょこっとだけ力が足りないわ。まなチャン、願いの力、少し使うわよ!」
それでも、マナは、ここに来ない。きっと、最後に、私に会いたいだろうに。あかりと私と、三人でいたいと、そう、誰よりも強く、願っているだろうに。
ならば私は、その想いを、尊重しよう。
みんなが生きているこの世界より、アイネを守ってあげたいから。
「ええ、遠慮なく使いなさい!」
――そして。
目の前の青髪の彼に向き合う。
ためらっている時間は、ない。
「私ね、すっごく、大好きだった。ハイガルのこと。亡くなって、八年経った今でも、心の底から、大好き」
ハイガルは、驚いた顔をして、私の告白を聞いていた。私の声が届いたことが、すごく嬉しかった。こうして伝えられただけで、私は、幸せだ。
「――ありがとう。だが、オレのことは、忘れてほしい。オレにとらわれるな。オレのために、自分を犠牲にしないでくれ。頼む」
それが、あなたの望みなら。
「分かった。――絶対に、忘れないから。約束するわ」
「……はははっ」
「ちょっと、なんで笑うのよ?」
「かわいいからだ」
頭に乗せられた手の温かさが、消えていく。
大丈夫。幸せな夢だったと思えばいいだけだ。アイネの前で、みっともなく泣くなんてこと、あの子の前でだけは、絶対に、したくない。
「約束。俺はちゃんと、覚えてるからな」
――はて、何の話だろうかと思ったが、それを尋ねることは、叶わなかった。
「……さあ。アイネとルクスを、助けに行きましょう」
すべてが元に戻った世界で、小さく呟く。
もう、この世界には、マナも、あかりも、ハイガルも、いない。いつもそうだ。私の大切な人たちは、みんな私の前からいなくなっていく。
だから。――今度こそ、絶対に、助けてみせる。




