私が生きている理由
ルクスが何を言っているのか、理解できなかった。理解できない事実に出会うのは、これで、何度目だろうか。
「それって、ママが私を道連れにしようとしたって話?」
「えっ。それは、存じませんでした」
――そうだ。ギルデが言っていたじゃないか。このことは、自分とクレイアしか知らないと。
「そっかそっか。あ、でも、それはもういいの。ママが私のこと、すっごく大好きだったってことくらい、よく知ってるから」
「そう、ですか」
本当は、今でも、傷口は塞がっていない。耳が聞こえなくなったあのときからずっと、この弱い心から、赤い液は流れ続けている。この傷は、きっと、一生、塞がることはないのだろう。
それでも、その傷口は、日に日に、少しずつ、小さくなっている。今日みたいに、広がることもあるけれど。
「ごめんね、話、遮っちゃって。それで、私が殺されそうになったって、どういうこと?」
不自然に明るくなりすぎないように。どれだけ怯えているか、気づかれないように。自然に尋ねる。平然の音を真似る。
「アイネ様は、かつて、世界に、勇者と魔王が存在したことはご存知ですか?」
「うん、それくらいは知ってる。お互いに殺し合う運命にあるってこととか、お互いにしかお互いを殺せないってこととかは」
パパが偽勇者と呼ばれている関係で、調べられる限りのことは調べた。とはいえ、歴史の開示がなされれば、より正確なことが分かるだろう。
そうでなくとも、私には、ママの日記がある。そこにすべて書いてあるはずだ。まだ、そんなに読めていないけれど。
「原則として、勇者と魔王は、一人ずつしか、世界に存在できない。というのは?」
「それは、知らなかった」
「万が一、勇者や魔王が二人以上になった場合、どちらかが死ぬことは」
「……それも、知らない」
その瞬間、思考がかつてないほどの速度で回る。
勇者と魔王が一人ずつしか存在できないという原則。
私が誕生した頃の、魔王の崩御および、代替わり。
同時期のクレイアの死。
この三つの事実から導き出される結論。
「もしかして――。でも、クレイアさんは、魔王の子どもだし……そっか、クレイアさんには姉弟――弟がいるんだ」
私が誕生した頃に、クレイアの父が亡くなり、弟が魔王に即位した。
そしてクレイアは。
「クレイアさんは、新しい魔王になった弟さんに殺されたんだ。本当の、勇者だったから」
パパは、そういう意味で、偽物だったのだろう。
そして、そのとき、新しい勇者が、誕生していたから。
「――私が、勇者として、この世に生まれてきたから」
私の勘と、クレイアに関する事実のすべてが、その真実を裏づけていた。
クレイアは、私の代わりに、死んだのだと。
「マナ・クレイアは、自分の死期を悟っていました。――同時に、自分が助かる方法も知っていた」
「助かる方法?」
「あなたを犠牲にすることです。どちらか一人しか生きられないなら、片方を犠牲にすればいい」
それが可能であったことは、この夢が証明している。
クレイアは賢い。それに気づかなかったはずがない。
「しかし、現実には、彼女は最期に、願いの魔法を使いました」
「クレイアさんの、願い」
「――アイネ様を、守ることです。心当たりがあるのではありませんか?」
ある光景を思い出した。
私が初めて、人を殺めたときのこと。今まで、よく、思い出せなかったけれど。
私は少年を、触れただけで、倒した。無我夢中で飛びついていただけなのに、彼は手の中で、炭になっていた。
「じゃあ、私が、やった、あの子は」
「――封印されていた最後の魔王。彼女の弟です。そして、彼の封印を解いたのは、アイネ様、あなたなんですよ」
封印。
「私が、ママを捜して、立ち入り禁止の場所に入ったから?」
「そう。魔王を封印する際、アイネ様のご両親は、あなたの存在を封印の鍵とした。いつか、あなたが成長して、魔王を倒せるようになったとき、自らの力で封印を解けるようにと」
寒気がする。私は、本当に、何も知らなかったのだと。どれだけ、守られてきたのかと。そう思うだけで、ゾッとする。ここに来なければ、知ることもなかったのだ。それが、どれほど恐ろしいことか。
「でも、ルクスは、なんでそんなこと知ってるの?」
「――どうしてだと思いますか?」
おそらく、今、ルクスが話したことは、ママの日記にしか書いていないことだ。ママの日記をルクスが見たとは考えにくい。ママが見せるはずがないから。
おそらく、すべてを知っていたのは、ギルデと、彼から話を聞いているであろう、クレイアだけだ。ママは、私が封印を解いたことまではきっと、知らないから。
だから、ルクスも知っているはずがない。
でも、世界のすべてを見通す賢者ならば、知っていただろうか。
――いや、本当に、すべてを知っていたのは。
「……もしかして、ルクスも、夢、なの?」
ルクスはそっと、優しい笑みを浮かべた。
「よく分かりましたね」
「だって、これは、私の夢だから。いくら、実現する可能性がある未来だって言っても、どうしても、私の記憶が作用する。――今までの話は全部、物心つく前も含めた、私の記憶だもん。だから、私が一番知りたいことは、あなたは知らないんでしょ?」
観念したように、また違った笑みを見せると、ルクスが手を差し出してくる。
「僕がなぜ、あなたのお母様を過去に送ったのか。それは、僕本人の口から聞いてください。あなたの夢の中では、再現しきれませんから」
差し出された手をとると、景色が回り始める。
「アイネちゃん」
最後に、パパが話しかけてきた。
あれ、そういえば。私はルクスの母親の、見た目しか知らない。話し方や声、性格までは知らない。
それなのに、一体、なぜ――。
「ベルに、よろしくね」
その言葉を最後に、世界は急速に遠のいた。
***
「あーあ。アイネっち、あたしが何言ってもへーきそうだったなー。つまんないの」
緑髪を指先でいじりながら、女は口を尖らせる。
「全然、平気じゃなかったと思いますよ」
黒い瞳に琥珀色の水面を映し、男は紅茶を啜る。
「あら、どうしてそう思うのん?」
「見ていれば分かりますよ。大切な僕のムスメなんですから」
「ふーん。――犯罪者は、永遠に牢獄に入ってろよ」
飄々としていた女は、声色にドロドロとした、こっくりと濃い憎しみをこめて、言い放つ。
「それは、自分が一番、よく分かってます」
男は、再び、紅茶を啜った。
***
夢から覚めた直後、喉の違和感とともに、頭が血液でパンパンになっているのを感じる。息が、苦しい。頭がどくどくしている。視界がちらつく。
苦しさに耐えながら目を開けると――眼前に、ルクスの顔があった。彼の赤い瞳には、私の苦しそうな顔がはっきりと映っていたが、私が目覚めたことには気づいていないようだった。
「っ……」
ルクスの脇腹の辺りを軽く叩く。ゆっくりと、事情を聞いてやりたいところだが――喉を強く絞めつけられすぎて、声が出せない。
これくらいの力、簡単に引きはがせる。さすがの私も、もう学んだ。だからこそ、ルクスの意思で、引いてほしかった。
「あなたさえ、いなければ……。あなたさえいなければ、お母さんは、死ななかった!」
「皇帝は、マナ・クレイアを、助けてはくれなかった。あなたが、彼女を殺したせいで、お母さんは、お母さんは……っ」
「お母さんは、最愛の妹の死に耐えることができずに、自殺したんだッ!!」
全身が凍てついたように固まる。柔らかい喉だけが、押しつぶされて、声を奪われていく。
それが、ママを過去に送った理由なのだろう。私が勇者として生まれたせいで、クレイアが死んだ。だから、私を産んだママのことを恨んでいる。
きっと、それだけじゃない。勇者と魔王は、時代が変わってもずっと、同じ関係を続けてきた。そこには、何かしらの運命的な力が働いている。
だから、あんなにも強いママが、クレイアを助けられなかった。きっと、仲良しで、すごくお互いを大切にしていただろうに。それだけでも、ママを恨む理由にはきっと、足りてしまうのだ。
ルクスが、こんなにも苦しんでいたことすら、私は知らなかった。
きっと、彼の心も、私の心も、同じくらい、傷ついている。
分かり合うことは、できないのかもしれない。もう、昔のように笑い合ったりできないかもしれない。
いっそ、このまま、殺されてしまおうか。二人とも、地獄の中で、永遠に苦しみ続けようか。
私は、クレイアを奪った罪で。
彼は、ママを一人にした罪で。
それでもいいから、最後に一つだけ、聞かせてほしい。
――どうして、私を好きだなんて言ったの?




