腹が減っては
私は、ルクスのことを、誤解していたのかもしれない。
――この子、めちゃくちゃ腹黒い! いつからこんな子になっちゃったの? 私、こんな風に育てた覚えないけど? あ、育ててなかったわ! だからか!
「冷たい手ですね。車でお越しになったのですよね?」
「うん。車はあったかかったんだけど、今日は緊張してたから……」
「へえ――?」
――今、絶対、私、余計なこと言った! 私の馬鹿! よーし、こうなったら……。
「ルクスこそ、寒い中待ってたわりに、熱いんだけど?」
「アイネ様の手を温めるために、保温しておきました」
そう言って、ルクスは反対のポケットから、カイロを取り出し、見せつけるようにしてシャカシャカと振る。
「あ、ズルい! 絶対、そっちのほうが温かいじゃん!」
「まあ、手を握るのが目的ですから、これはあげられません。もちろん、離してもあげられませんが」
特大のカウンターを食らった。
――そうして遊ばれている間に、無事、橋を渡りきり、ヘントセレナに到着した。さすがに、ここからは手を繋いでいると邪魔だったので、力ずくで引き剥がした。
「いつでも引き剥がすことができたのに、そうしなかったんですね?」
なんて言われて、何も言い返せなかったのは、言うまでもない。私の悔しそうな顔を見て、ルクスは楽しげに笑う。そりゃ楽しいだろうねっ!
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
異様に温まった片手で、バスケットを持つ他方を温める。話すのに邪魔だと気づき、マフラーを少しずらす。本題とは、私とルクスのことではなく、ココロプカのことだ。
「ココロプカの詳細については、調べましたか?」
「うん。普通に、調べたよ」
ルクスのことを考えている間に、いつの間にかばっちり調べきっていて、内容まで頭に入っていた、とは言わない。もともと、知っているモンスターであったことを考慮しても、これ以上ないくらいに下調べは済んでいる。
「決して叶うことのない、幸せな記憶を見せるモンスターでしょ?」
「さすがアイネ様、よく勉強されていますね」
「その人が想像できる範囲の夢しか見られないとか、過去の夢に取り込まれると幼い姿になるとか、叶いうる未来しか見せないとか、色々あるみたいだね。ずっとヘントセレナの中だけのモンスターだったけど、大陸沈没をきっかけに、水が得意な個体だけが生き残って、ついに、海を渡り始めた、って考えられてるとか」
「はい、その通りです。だからこそ、手を繋いでいてほしいんですよ」
「――ママとパパの記憶に、私が取り込まれるかもしれないから?」
「はい」
幸せな記憶とはいえ、大概の人はすぐに、それが夢であると気がつく。
――だが、ごくまれに、夢から帰って来られなくなる者がいるそうだ。
私も、身に覚えがありすぎて、さすがに大丈夫、とは言いきれない。手を繋いでいたからといって、同じ夢に入れるかどうかは分からないが。
「私よりもルクスは、大丈夫なの?」
ルクスは、私よりも幼い頃に、両親を亡くしているはずだ。クレイアの姉でもある彼の母親は、賢者と呼ばれる魔族だったという話は聞いたが、父親の話や詳しい事情は聞いたことがない。
「――大丈夫ですよ」
まったくもって、大丈夫ではなさそうな返答に、私は思わず、ルクスの手を取る。
「気を使わせてしまいましたね」
「ううん。私も不安だったの。――ほんとだよ!? 別に、手、繋ぎたいとか、そういう気持ちはいっっっさい、ないから! さ、早く調べて、対策考えよう?」
「なるほど。アイネ様は僕と手を繋ぐと、安心するんですね? 嬉しいなあ」
「なんでそうなるのよっ!? ちーがーう!」
「何も違わないでしょう。さ、行きますよー」
おのれルクスめ……。一人だけ楽しそうにしおって……!
「ところで、そのバスケットはなんですか?」
ルクスが不思議そうに見つめているのは、今朝、ステアが渡してくれたお弁当だ。
「お弁当。ステアさん、えっと、お母さんが作ってくれたの」
ステア、では通じないかと思い直し、言い直して伝える。
「なるほど。つまり、そこには僕の分もある、というわけですね?」
正直、ステアは、私とルクスが二人で食べるように持たせてくれたのだと思う。だが、そう言われると認めたくない。
「いやあ、私一人でも、全っ然、余裕で食べきれるけど?」
「――ココロプカの捕獲は、昼食を済ませてからにしましょうか」
「いやいや、別に後でも……」
あ、待って、ヤバい。お腹鳴りそう。ここで鳴ったら、めちゃくちゃ恥ずかしいぞ、私。そんな目に遭うくらいなら、食べておいた方がいいんじゃないか。うん、きっとそうだ。本能に従おう。
「やっぱり、先、ご飯でも、いい?」
「ええ、もちろん」
適当なベンチに腰かけて、ステアさんのサンドイッチを食べる。パクパクと、飛びつくようにして食べていたからか、ルクスがずっと、私を見てくるのが少し、いや、かなり、鬱陶しい。
「どうしてそんなに見てくるのよ。鬱陶しいんだけど」
「ああ、すみません。あまりにも、美味しそうに食べるので、つい」
「そりゃあ、ステアさんのご飯は世界一だから」
「そうですね」
――お腹が満たされて、気持ちもちょっとだけ、落ち着いた。食べれば落ち着くなんて、我ながら単純だ。ステアには、それが分かっていたのだろう。
ようやく、本題だ。進化したココロプカを、研究用に何匹か捕まえるのが今回の目的。別に、ギルドに依頼を出してもいいのだが、現地調査も兼ねて、ということに表向きはなっている。
本当は、ルクスがここに来るような気がしたからだけど。そういえば、連絡先、交換してないな。知ってればちゃんと待ち合わせできるのに。
ともかく、今回は、その辺にいるココロプカではなく、湖に飛び込もうとする個体だけを、捕まえればいい。
ココロプカは箱型モンスターであり、その箱の中の煙を浴びると、私たちは夢を見ることになる。しかし、ココロプカは自ら開くことがないので、基本的には安全だ。
ちなみに、ルクスはお弁当を食べ終わり、立ち上がるなり、私の手を握ってきた。こうしていると、安心するのは事実だが、正直、今は邪魔でしかない。
「ねえ。私と手繋いでたら、魔法使えないでしょ?」
「そうですね」
「……離す?」
「そんな言い方をされて離せるとでも?」
「そんな言い方って何」
「とても、名残惜しそうでした。可哀想なくらいに」
「そんな言い方してないっ!」
昔は、手を繋ぐくらいなんともなかったのに、今は、どうしてこうも、心臓が騒がしいのだろう。いや、答え自体は、何も言わずとも相手に伝わってしまうくらいには、分かりきっているのだが。
とはいえ、手を繋ぎ、魔法が使えなかったとしても、ココロプカは、夢を見せる以外は攻撃性のないモンスターなので、あっさりと捕まえられる。
邪魔は邪魔なのだが、はっきり言うと、ルクスが傷つきそうだし、べ、別に、名残惜しくはないけど、えっと、そう、寒いから! ルクスの手、あったかいし。
「何匹くらい捕まえる?」
「そうですね。あまり、数が多くないモンスターですから、三匹程度に抑えておきましょう」
「じゃあ、あと一匹だね」
私とルクス、一匹ずつ片手に抱えている。ココロプカの大きさは、ルクスの顔より大きいくらいだ。残る一体を捕まえるために、さりげなく手を離そうとすると、ルクスはぎゅっと力を込めてきた。
「もうっ、しつこいっ」
「そう言われましても。アイネ様を守れないのが怖いので」
「一旦、離してよ。魔法で収納して、それからもう一匹捕まえればいいじゃん」
「そう言って、繋いでくれなくなると困りますから」
「繋いであげるってば。私、約束は守るから」
「片時も離したくないので、無理ですね」
「重い! 愛が重いっ!」
「やっぱり二匹だけでいいような気がしてきました」
「どのみち手、離すんだから、さっさとしなさいよっ」
そんな押し問答を繰り広げていると、私とルクスの手から、ココロプカが滑り落ち――床に当たった衝撃で、開いた。
そこから、白い煙が立ち上り、マズい、と思ったときにはもう遅く――。
***
ゆっくりと目を開く。
目の前には、女性と男性が一人ずついた。ルクスと同じ、緑髪に赤い瞳の女性と、もう片方は、銀髪に青い瞳を持つ、細身の男性だ。
「お母さん、お父さん」
歩いて行こうとするルクスの手を、思わず、強く握る。はっとした様子で、ルクスは私を振り向く。
「これは夢だよ、ルクス」
「――はい。分かっています」
そう言いつつも、彼の瞳には、ありありと、渇望の色が浮かんでいた。あの光景を求めているのだ。
私は彼の手を引いて、その場から遠ざかろうとする。ここにいるのは、危険だ。私以上に、彼が。
「どうしたの、そんな顔して?」
しかし、私は足を止めてしまった。あまりにも、彼女が本物そっくりで、目をそらすことができなかった。振り返った先にいたのは――クレイアだったから。
「れな。ルクスが会話に入れてほしそうにしてるわよ」
「およよ。気づかなくてごめんねえ、ルクスちゃん。さあっ、お母さんの膝に、おいでー!」
ぽんぽんと、膝が叩かれる。
直後、がくんと、急に腕が重くなった。見ると、ルクスの体が私より小さく縮んでいた。これは――、
「ココロプカ症の、初期症状――」
「心構えは、しているつもりだったんですが。これは……」
ぽんぽんと、膝が叩かれる度に、ルクスがそわそわと動く。そうして、心が弱るほどに、体が少しずつ、小さくなっていく。
「ダメだよ。私の膝で我慢して」
私は床に座り込んで、膝の上にルクスをのせ、後ろから抱きしめる。すでに、クレイアよりも、小さい。
――しかし、ルクスの両親か。昔、写真を見たくらいだが、一体、どんな人たちなのだろう。
「残念、振られたみたいね」
「うぅー……ルクスに振られたぁ。悲ピ。シニャック、なんとかしてぇー?」
「うん、そうだね。振られたね」
「え、あの、聞こえてるるる?」
「うん、そうだね。ドンマイ」
「な、なんとか、して、くれたりとか」
「うん、そうだね。がんばれ」
「シニャックが、塩だあああっ! まなちゃあぁあ!」
「日頃の行いね」
なんというか、愉快なお母さんだな――。
「悪いわね。うちのれな、頭おかしくて」
「まーた、クレイアさんは、身も蓋もないことを」
「……あたし、あんたとどこかで会ったかしら?」
そう言われて、これが夢であることを思い出す。ココロプカが見せる夢は、見る者の理想ではあるのだが、そこには、一つだけ条件がある。
ココロプカは、過去の選択により、叶いうる未来しか見せないのだ。




