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絶好調

「アイネ様、ヘントセレナの――」

「地盤が緩んできた話なら、こっちから業者に委託(いたく)しておいた」

「は、はっ! ありがとうございます!」


 あの日以来、ルクスの言葉と、心臓の鼓動が、片時も離れることなくずっと、耳の奥に響いている。


「アイネさ――」

「ヘントセレナが本大陸に近づいてる話なら、エリザクラにお願いしてある。橋の歪みは点検させておくから」

「おお……ありがとうございます!」


 ――好きですよ、アイネ様。十年前から、ずっと。


 十年って。出会ってすぐじゃん。まだ、五歳か六歳のときってことでしょ? 全っ然気づかなかった。


「ア――」

「お詫びとかいらないって、クロスタに伝えておいて。あと、謝る暇があるなら働けって伝えておいて」

「――はい! 承知しました!」


 一度も、そういう目で見たことはなかった。万が一、くっつくとしても、相手はナーアだろうと思いこんでいた。まあ、ナーアにその気がないのは、明らかだったから、大変そうだなあとは思っていたが。


 いや。本当は、ずっと前から気づいていたのかもしれない。あんなに近くでなくても、ずっと、聞こえていたはずだ。


 もしかしたら、無意識のうちに、気づかないふりをしていたのかもしれない。今までどおりの関係が、心地よすぎて、変えたくなかっただけだったのかもしれない。


「次の反乱は南の方で起こりそうだから、ワールスとノアの兵を使うかもしれないって、ウーラちゃんに伝えておいて」

「はい、承知しました」


 私は今、ルクスを、どう思っているんだろう。


 今までなら、逃げていた。全部、壊して。何もかも、なかったことにして。きっと、いつかは忘れるだろうと、時が経つのを待って。


 あるいは、好きの意味に気づかなかったふりをしていたかもしれない。


 ああ、考えるほどに、分からなくなっていく。近すぎて、聞こえない。


「それから、ヘントセレナから海に逃げたモンスターの件だけど。休憩のあとに見てくるから」

「はっ。では、外出の手続きをいたします」

「――それと」


 私の返事を待つタルカが、首を傾げる。


「多分セトラヒドナの教皇も向かってると思うから一報入れておいて」


 早口に、そう言いきる。待ち合わせしていたわけでもないのに、一週間前の約束があるから、必ず会える、という確信があった。


「はい、承知しました」


 公務が一段落して、ようやく一人になり、私は背にもたれかかる。そして、深いため息が出た。自然に漏れたものにしては大きなため息で、自分でも驚いた。


 顔が熱い。息が苦しい。鼓動がおかしくなっている。このまま、死ぬんじゃないかと、そう思うほどに苦しくて、思わず、顔を両手で覆った。


 あの後。


『ごめん、早く、返事しなきゃだけど、今は、ちょっと、よく分からなくて。適当に返事したくないから、ちょっと、考えさせて』

『分かりました。それじゃあ、いつまで待てばいいですか?』

『いつまで……!? え、えーっと……一週間くらい?』

『長いですね』

『うっ』

『まあ、いいですよ。では、一週間後に。場所はヘントセレナで。期待せずに待ってますよ』


 ――ああ、あんなこと、言わなければよかった。そうすれば、ずっと、先延ばしにして、のらりくらりとかわせたかもしれないのに。


「……ううん、逃げちゃダメだよ、私」


 今、逃げたら、クレイアとの思い出を、(けが)すことになる。一体、私は彼女から、何を学んだんだ。


 向き合おう、とことん。考えて、悩み抜いて、答えを出そう。


「アイネ」

「はあ……」

「アイネ?」

「ううぅうぅ……」

「――アイネ」


 ギルデの手が肩に置かれて、すぐそこにいることに、やっと、気がつく。耳が聞こえないわけでもないのに、気づかなかった。


「大丈夫かい? 休憩の時間だけど」

「――うん。分かった」


 顔が真っ赤になっているのが分かって、手が離せない。


「ご飯だよ、アイネ? 大好きなご飯が食べられるんだよ、アイネ? 本当に、大丈夫かい、アイネ?」

「分かってるって。後で行くから」

「それなら、いいけれど……」


 ギルデが去り、しばらくしてから、扉がノックされる。ノックすら聞こえなかった先ほどに比べれば、少しはましになっているのかもしれないが、まだ、少し待ってほしい。そんな願いも虚しく、私の返事を待たずして、扉は開かれた。


「……アイネ、大丈夫?」

「耳、真っ赤」


 入ってきたのは、ベルとロロだった。私を心配してくれたらしい。


「うん、大丈夫」

「体調悪い? ボクからギルデに相談してみようか?」

「……熱い」


 ロロが、私の額に手を合わせる。ひんやりと、冷たくて、気持ちいい。


「大丈夫だって。これは、そういうやつじゃないから」

「でも、調子がいいアイネなんて、絶対、変だよ!」

「ロロも同意」

「大丈夫大丈夫。まだ時間かかるから、後でね」


 ――はあ、本当に、どうしよう。


 気がつくと、休憩の時間が終わっていた。


 ヘントセレナまで、走って行ければ一番速いのだが、皇帝になってからは、本当に急ぎの用件以外、車が出ることになっている。今回も例外ではない。


「アイネさん。はい、これ」


 出立前、ステアが私にバスケットを渡してきた。


「ご飯、用意してくれたの?」

「ええ。あ、でも、残してもいいから」

「ううん、絶対、食べてくる。ありがとう」

「――頑張って」


 ステアは、何かを察していたのかもしれない。目立つところで何かをするタイプではないが、静かに見守ってくれている安心感が、ずっとあった。彼女だけは、味方でいてくれるという自信が。


「うん、行ってきます!」




 ――車で数時間の道のりが、とても早く感じられた。一応、まだ未成年だということもあり、運転手とは別に、ギルデがついてきている。


 目的地であるヘントセレナと本大陸の間には、大きな湖があるのだが、その二つの陸を繋ぐ橋の前で、車を降りる。


「護衛とか言ってついてこなくていいから。私の方が、ギルデよりも強いんだし」

「いや、そういうわけには――」

「大丈夫ですよ。こちらで手配させてもらいましたから」


 その声に、私は体を硬直させる。その声は、いやにはっきりと、耳に届いた。


 ちらとだけ確認すると、その背後には、護衛らしき人たちが幾人(いくにん)か控えている。真っ白なローブに描かれた悪趣味な紋章は、ママが過去に戻ったときの様子を表しているらしい。


「――これはこれは、ルクス教皇。ご無沙汰しております」

「はい。お久しぶりです」

「お気遣いはありがたいのですが、甘えてしまうわけにはいきませんので」

「それでは、せっかく用意させていただいた護衛が無意味になってしまいます。ぜひ、甘えてください」

「では、帰りまでお待ちしております」

「いえ。帰りもこちらで送っていきますから。ご安心ください」

「……分かりました。それでは、くれぐれも、うちの娘を、よろしくお願いします。くれぐれも、ですよ」


 少し、いや、だいぶ機嫌の悪そうなギルデが去ったのをしっかりと見届けてから、ルクスは背後の者たちに声をかける。


「みなさん、ありがとうございました。もう帰っていただいて構いませんよ」

「はい」

「……え?」


 護衛らしき人たちは、本当に、らしい、だけだったようで、(きびす)を返した。二人きりにしないでと念じてみても、戻ってくる気配は、当然、ない。


「さて」


 振り向くルクスと、ここへ来て初めて、目が合う。人払いを済ませているのか、ここには二人きりだ。


 ――今日が約束の一週間後。返事をするときが来た。


「ルクス。あのね、私――」

「ああ、それは後で聞きます」

「うえぇええっ!? なんで!?」

「なんでって。こっちは一週間も待たされたんですよ?」

「しっかり根に持ってるしっ。いや、普通、待たされた分、早く聞きたいんじゃないの?」

「僕も、最初はそのつもりでしたよ。――ただ、アイネ様を見ていたら、なんだか、聞きたくなくなってしまって」

「は、どゆこと?」

「一週間ずっと、起きてから寝るまで、僕のことで悩んでくれていたのかなあと思ったら、想像していた以上にとっても、嬉しくて。むしろ、もうちょっと、そのままでいてほしいなあ、なんて」

「そっ、そんなに考えてない!」


 嘘です。めちゃくちゃしっかり考えちゃってました。しかもそれに、今気づきました、ちくせう。


「それに、集中できないときのほうが、アイネ様はポテンシャルが引き出されるみたいですし」

「うっ。否定は、できない……」


 ここ一週間、一度も忙しいと感じることがなかった。自分で言うのもなんだが、すごく優秀だったと思う。


「では、手を繋いでいきましょうか」

「な、え、ん、な、なんでっ?」

「僕はよわっちいので、これくらい近づいていないと、何かあったときにアイネ様を守れませんから」

「じゃあ、仕方ない、か……」


 てか、もしかして、私の言った言葉を一言一句、覚えていたりするんだろうか。私のこと、好きすぎじゃない?


 考えごとに気を取られていると、不意に、ルクスが私の手をとった。私が冷え切っているからか、すごく、温かい手だ。


 ――そして、繋いだ手を、そのまま、自分のポケットに入れた。


「ちょっ、な、ぁっ……!!」

「寒そうだったので」


 爽やかな笑顔ではあったが、色白の顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。それが、なんだか、かわいらしくさえ思えて、先の動揺なんてまったく忘れて、笑ってしまった。

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