あなたでよかった
「あ、そうだ。この前は、ありがとうね」
「いえいえ。たいしたことはしていませんから」
「うーうん。私、ルクスがいなかったら、クレイアさんとこうやって、普通に話せてなかったと思うから。だから、本当に、ありがとう」
「そうですか。それはよかった」
それにしても、ルクスのチンチラは、本当に触り心地がいい。あれ、結局、なんて名前だっけ。ま、いっか。
「そういえばルクス、その怪我どうしたの?」
「それは、できれば、聞かないでほしいんですが」
「ふーん。それで、どうしたの?」
「……あの、僕の声、聞こえてます?」
「できれば、なんでしょ? 私、聞きたくて聞きたくて、我慢できないもん。――それで、なんで?」
というのも、左手はぐるぐる巻き、右足はギプスで、右手に松葉杖。頭にも包帯、右目に眼帯、頬にはガーゼという有様なのだ。これをスルーしろというほうが無理だろう。
「――実は、革命教を潰そうと考えていまして」
「は? え、なんで?」
革命教の教祖サマが一体、何を言い出すのか。
「革命教は、もともと、血の皇帝に反発する勢力の集まりでした。――それが、アイネ様の即位により、今、標的を変えようとしているんです」
つまり、ママを恨んでいた人々が、表向きは失踪中ということになっているママの代わりに、今度は、私を狙おうとしているというわけか。
「それって、もしかして、私のためにってこと?」
「まあ、そうと言えなくもない、と言いますか……」
そう言いながら、ルクスは、チンチラをせわしく触る。――触りすぎて、噛みつかれていたが、ルクスは無反応だった。
「なんでそんなに無茶したの? 私、革命教どうこうよりも、ルクスが怪我してるほうが嫌。言っておくけど、私、怒ってるから」
「えっと、それは、その……。今後は、善処します」
「――あ、もしかして、ママのこととか、誘拐したこととか、私に怪我させたこととか、まだ気にしてる?」
「え。……あー、それも、なくはないですが」
「それなら、気にしなくていいよ。謝ってくれたし」
「ああ、はい。そうでしょうね。……変なところだけ鈍感というか。ここまで来ると、イラッとしますね」
「ん? 私、何か悪いことした?」
「現在進行系でね」
何してたっけ。ルクスって基本、何しても怒らないからなあ。ちょっと、最近、扱いがぞんざいになってたかも。
「ごめんごめん、何したか分かんないけど。私の顔に免じて許して、ね?」
「はあああぁ……」
「そんなに!? 私、そこまで酷いことしてた!? え、ほんとに、ごめん。ルクス、何でも許してくれるから、気遣い足りてなかったかも。私、鈍感で全然、分かんないから、今、はっきり言って。はい、どうぞ」
「えっっっ。――そう来ましたか」
ルクスの手からチンチラが逃れると、それに続いて、動物たちが森へと帰っていく。急にどうしたのだろうと思いながら、なんとなく、視線で追っていると、
「僕は、アイネ様の方が心配ですけどね」
背後から発された声に、私は少しばかり驚きつつも、振り返る。
「なんのこと?」
「前より、隠しごとが得意になりましたね」
「そりゃ、皇帝やってれば色々あるって」
「何か、そうですね……。たとえば、お母様のことで、新たな事実を知った、とか」
――なぜそこまで分かるのだろうか。その鋭さは、まるで、クレイアみたいだ。やはり、血筋なのだろうか。
「過去に戻った彼女がその後どうなったかまでは、僕は知りませんが――」
「死んだんだって。過去に戻って、すぐに」
ルクスは動きを止め、私の横顔に釘付けになる。私は今、一体、どんな顔をしているのだろう。
「ところで、ルクスは、どうしてナーアのこととか、クレイアさんが想ってる人のこととか、あんなに色々知ってるの?」
「それは、ものにもよりますが、ほとんどは賢者である母から聞きました。まなさんが求めている証拠も、母の死後に引き継いだものです。置き手紙があったので、事情は把握しています。それ以外は、教国の力を駆使して調べたことですね」
「じゃあ、昔から知ってたんだ。色々」
「はい。あなたとまなさんに接点がなかったので、話す機会がなかっただけですよ」
「そっか」
――ずっと、私のママを、過去に戻そうと考えていたということだ。私とナーアと三人で笑い合っている間も。
「そんなに、寂しそうな顔をしないでください」
そう言って、ルクスの方が寂しい音をさせていた。励ましてあげないと可哀想なのに、その元気が湧いてこない。
「アイネ様、覚えていますか?」
どうやら、話を変えようとしているみたいだ。私はそんなルクスの無言の提案に、乗っかることにする。
「何を?」
「昔、僕がアイネ様を避けていたことを」
「んー……ああ、あったあった! あのときのルクス、今思うと、めちゃくちゃかわいかったなあ」
グサッ、と、何かが刺さる音が聞こえたような、聞こえなかったような。気のせいか。うん、きっと気のせいだ。
「こう見えて、昔から人見知りなんですよ、僕」
「うん、知ってるけど?」
「――知ってましたか」
「だから、王様やってるって聞いたときは、ほんっとーにびっくりした! めっちゃ人と話すけど、大丈夫!? って」
「まあ、大丈夫かどうかと言われると、大丈夫じゃなかったですね。緊張しすぎて、特に、最初のほうは、本っっっ当に、嫌でした」
「それでも、ママを過去に送りたかったんだ」
「――はい。後悔はしていません。理由は逆恨みのようなものですし、決して、褒められた行為ではないと自覚はしていますが」
「ルクスが納得してるならいいよ。別に、ママを殺したわけじゃないんだから」
仕方ない。そういうものなのだ。視点を変えるだけで、同じ出来事なのに、どちらかが悪くなる。そういう、考えても答えの出ない話なのだ。
それでも、私の中で、結論は出ている。これ以上、考える必要はない。
「あの頃の僕は、いつも、ナーアの陰に隠れて、守ってもらうばかりでした。そんな自分が、嫌いだったんです。父も母も失って。誰かに縋ることでしか生きられない、弱い自分が」
「まー、確かに、ルクスは、よわっちいからね」
「はっきり言いますねぇ」
「だって、力比べしたら、絶対に私が勝つもん」
「それはアイネ様が、怪力の持ち主なだけでは?」
「ま、私、すごいから。ふふん」
私がそう言うと、ルクスは、愉快そうにクスクスと笑った。ルクスクス……言いたかっただけですすみません。
「でも、ルクスは、すごいよ。あなたの親を過去に飛ばしました、なんて、私ならお墓に入るギリギリまで、絶対に言えない」
「その説は本当に、すみませんでした」
「幼馴染の記憶を消して利用するなんてゲスいことできないし、思いつきもしないし」
「……すみません」
「一人で国を築くなんて、もっと無理。今でさえ、てんやわんやなのに」
「それは、褒めてますか?」
「それを誰にも自慢もしないなんて、一番無理」
「あ、褒めてますね。ありがとうございます」
ルクスは、昔から、私にはできないことが、たくさんできた。
「私、ずっと、ルクスが羨ましかった。ルクスみたいに色々、割り切れるようになりたかったし、頭もよくなりたかった。何より、もっと、謙虚で、おしとやかで、素敵な人に産まれたかった! そしたら、もっと楽に皇帝になれてたのに!」
私ほど、皇帝に向かない存在は、多分、いないんじゃないかと思うくらいに、城での生活に慣れるのは大変だった。
「僕だって、アイネ様を尊敬してますよ。ずっと、昔から。誰にでも優しくて、みんなに頼られて。明るくて、誰からも愛されて。――アイネ様は、とても素敵ですよ。昔からずっと」
きれいな赤い瞳が、柔らかい眼差しを向けてくる。それが、いつもの目と違って見えて、思わず、見とれてしまった。
なんだか、今日のルクスは変だ。
「……からかってる?」
「それは、聞いて確かめてください。しっかりとね」
いつかのように、抱き寄せられる。慌てて離れようとすると、さらに力を込めて、ルクスは私の耳を、自身の胸にくっつけるようにして、しっかりと頭を抱いた。その体温が、やけに高くて、熱い。
嫌というほど、ルクスの心音が、はっきりと、聞こえてくる。内側で感じる私の心音より、ずっと、速い。これは――。
「好きですよ、アイネ様。十年前から、ずっと」
耳元で囁かれたその言葉が、鼓膜を震わせる。
「ぇ、ぁ……」
頭の中がぐちゃぐちゃで、上手く言葉が出てこない。慣れ親しんだ自分とルクスから発せられる、息遣いが、心臓が、声が、今までに聞いたことのない響きで。とびきりに、大きな音で。
「だから、悲しいときは、泣いてほしい」
分からない。ルクスの想いが。一体、何が本当で、何が嘘なのか。
「つらいときは、話を聞かせてほしい」
ただ、その中に、嘘の響きは一片たりとも、混じっていなかった。
同じことを彼女に思ったばかりだったから、まるで、自分のことみたいに、その想いが分かる。
「寂しいときは、ずっと、傍にいさせてほしい」
その指が、私の頬を拭うから、自分が泣いているのだと気がつく。
――空っぽだった。
日々の忙しさに、かえって感謝してしまうくらいに。心にぽっかりと、穴が空いたみたいで。
城にも、部屋にも、机一つにも、思い出が多すぎて。これまでの八年だって、ママはそこにいなかったのに。
もう、ママの幸せを願うことすら、できないからだろうか。
何も、返してあげられなかったからだろうか。
それとも、これまでの努力が、報われないような気がしたからか。
分からない。分からないけれど、もう二度と会えないのだと、強く、実感した。
信じたくない現実が、無理やり、私の目をこじ開け、耳を侵し、口を塞ぐようだった。
「ありがとう、ルクス。……本当に、ありがとう」
きっと、ここにいたのがルクスだったから、私は素直に泣けたのだろう。
――でも、もう、耐えられないかもしれない。




