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イノノンの牙

「昔ね、マナと約束したの。冬になったら、イノノン狩りに行きましょうって」

「舌、噛まないように気をつけてね」


 イノノンの背中に乗ったまま話そうとするクレイアに、そう声をかけておく。


「マナとの約束は、破っちゃったから。アイネとこうして来られたのが嬉し――痛」

「言ってるそばから舌噛んでるし! もうちょっとまともにシリアスできないの!?」


 イノノンは、十本の足を、動かしづらそうに前後させていたが、ほとんど、進んではいなかった。クモなんて、八本足であんなに速く動くのに。イノシシに似て、体が大きすぎるのだろうか。


「もう。倒していいなら簡単なのに。この時代のイノノンって、絶滅危惧種指定されてるから、面倒なのよね」

「あのね、クレイアさん。それ、危害を加えるだけでも、立派な犯罪だよ?」

「知ってるわよ。――ねえ、アイネ。あたし、もう疲れたから、素手でこの牙、折ってくれない? 痛覚はないし、生えてても変なところに刺さるだけだし、虫歯になるし。伸びてると逆に可哀想なのよね」

「最初からそのつもり」


 懸命に十本の手足を動かし、ひこひこと前に進むイノノンから、二本の牙を、へし折る。ついでに、クレイアが持っていた石で、断面の形を整えておく。


「ごめんね、怖がらせちゃって。もう行っていいよ」


 ――クレイアが時間をかけていたため、私の周りには、色々な動物たちが集まってきていた。私が自然の中でのんびりしていると、いつもこうなる。


「動物女帝ね」

「ま、悪い気はしないけど。よーしよしよし」


 ふわふわの毛並みを順に撫でていく。粒ぞろいの精鋭たちがそろっているようだ。うむ、撫で心地よし。


「クレイアさんも、触る?」

「あたしは、いいわ」


 と言いつつ、撫でたそうにしている。分かりやすい。慣れておらず、触るのが怖いのだろう。


「はい、動物たち、整列!」


 動物たちは、するすると一列に並ぶ。リスやスズメなどの小さいものから、クマやキリンなんて大きい――え、キリン!? いやあ、さすがに初めて見た――まで、本当に色々集まっていた。


「この中で一番、触り心地のよいものから、クレイアさんに撫でてもらえます。自信があるやつ、かかってこい!」


 何匹かが、私の顔に貼りついてくる。熱心なアピール、大いに結構。でも、くすぐったっ、ちょ、やめ、やめてっ、みみ、耳はダメだって!


「あひゃひゃひゃっ、くすぐったいって! やめやめ、やめえい! 分かった分かった。えーと……お前じゃ!」


 選ばれたのは、チンチラ選手。このモフ心地は、最高の一言に尽きる。


「はい、クレイアさん。撫でてみて」

「いや、あたしは……」

「――チンチラくんが、撫でてほしそうに、こちらを見ている」

「なんのナレーションよっ。分かった、分かったわよ!」


 ずいずいっと差し出すと、クレイアは、そろーっと指を伸ばし、つん、と、チンチラの毛並みに触れる。


 つん、つんつん。


 そわぁーっ。


 なでなで……。


 ――すっかり、(とりこ)になったみたいだ。


「でも、自然の動物って、普通、毛がゴワゴワしてたりするんだけど、やけに毛並みがいいような――」

「アイネ様ーっ!」


 遠くから、私の名前を呼ぶ声がする。最近、アイネ様と呼ばれるだけで身構えるようになってしまい、名前に対してだけ、前より耳が敏感になった。


 呼ばれたことに気づいている以上、行ってあげてもいいのだが、クレイアを動物たちの中に残していくのは、少し、可哀想だ。次は俺じゃ、撫でろ、撫でろ、おらー、と足元にすり寄られるだけで、すでに、オロオロしているのに。


「踏みそうで怖いわね……」

「大丈夫大丈夫。絶対に踏めないから」


 そうこうしているうちに、少しずつ、声が近づいてくる。私が手を振ると、声の主は、驚いた顔をして、戸惑いながら振り返してきた。私が気づいていないとでも、思っていたのだろう。


 ――てか、めちゃくちゃ怪我してるじゃん。ボッコボコじゃん。


「あら、ルクス。いい感じにやられてるわね、どうしたの?」

「やられていることには、触れないでいただきたく。それより、こっちがどうしたの、ですよ。なぜここにいるんですか?」

「一狩りしてたのよ。イノノンの牙集め。これで、素材は全部集まったわ。教国の研究所を好きに使っていいって約束、忘れてないわよね?」

「はい、もちろんです。僕よりもまなさんのほうが、よっぽどよい研究者ですから。――それはいいんですが、その、うちのアイ……んん。チンチラを見かけませんでしたか?」

「それって、この子のこと?」


 クレイアにモフられて、気持ちよさそうにしているチンチラに、ルクスはやっと気がついたらしい。


「ああ、こんなところにいたんですね! もう、とっても捜し――げふぉっ」


 ルクスの顔面に、チンチラの華麗な後ろ回し蹴りが決まった。


「相変わらずのツン具合ですねぇ、よしよし」

「ルクス、チンチラ飼ってたんだ。かわいいね、お名前は?」

「あー、えっと、すみません。僕、これから用事が……」

「――アイネ」


 ビクッと、ルクスの肩が震える。すごく動揺しているみたいだが、急にどうしたのだろうか。


「何、クレイアさん?」

「うーうん、呼んだだけ」


 ああ、なんという、破壊力。かわいさの暴力だ。いっそ、クレイアのためなら死んでもいい気がしてきた。末期。


「あー、あたし、すぐにでも研究に取りかかりたいから、先に行くわ」

「じゃあ、私もついて――」

「せっかくルクスに会えたんだから、ゆっくり話してきなさい。この先、皇帝と教皇として会う機会はあっても、友だちとしてってなると、あんまり話せなくなっちゃうかもしれないから」

「うーん……それもそうだね。分かった」

「そういうことだから。頼んだわよ、ルクス」


 なぜか、ルクスに私を任せたクレイアを見送りつつ、一番近くにいたリスを撫でる。


「それにしても、すごく囲まれてますね」

「昔から、動物には謎に好かれるんだよね。同類だと思われてるのかな?」

「アイネ様の優しい人柄が、呼び寄せるのではありませんか?」

「私は、みんなが言うほど優しくないよ。帝国の統治が嫌になって、暴言吐きまくって、三日で脱走してきちゃったし」

「おやおや、脱走中でしたか。それはそれは。でも、偶然、会えてよかったです」

「なんで?」

「――会いたかったからですよ。あなたに」

「ふーん……?」


 理由になってなくない? とは言わなかったけど。

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