アイネ様!
行きと同様、一人で城に帰り、こっそり自室に戻る。疲れているはずなのに、いや、疲れすぎているからか、まったく、眠くならなかった。
――時計の針が、時を刻む音だけが聞こえる。
ママは、もう、いない。私のママは、もう、どこにもいない。どれだけ、私が立派になろうとも、どんなに悪いことをしていようとも。褒めてくれない。叱ってくれない。
ママを捜して、世界中を駆け回った。
ママに会いたくて、褒めてほしくて、皇帝を目指した。
ママの帰りを、いつまでだって、待つつもりだった。
ママの部屋は、まだ八年前のまま、残してある。いつ帰ってきてもいいように、毎日、掃除だけして。
でも、ママはもう、帰ってこない。二度と、帰ってくることはない。
パパのことを、たくさん話してくれるという約束も。次に帰ってきたときは、今度こそ、ずっと一緒にいてくれるという約束も。
それらが果たされる日は、永遠に、来ない。
八年間。ずっと、信じ続けてきた。何度も疑って、けれど、どうしても、信じたかったから、信じていた。いつかまた、会える日が来ることを。
周りのすべてが、信じられなかった。信じていたものに裏切られるのが怖くて、何もかも、受け入れられなくなりそうだった。
それでも、ママは、どこかで生きていてくれると。それだけは、信じていた。
――信じていたのに。
「ぅぁあああああああっ――!!!!」
机の上のものを、雑に床へと払い落とす。
本のつまった本棚を、殴りつけて倒す。
頭を強く抱えて、うずくまる。
なんで。なんで。なんで。
私がいて、みんながいて、こんなにも、世界は平和になって。
私は、今、こんなにも幸せで。みんな、こんなにも笑顔で。
私は皇帝になって、ママはただ、そこに座っているだけでいいのに。
――なんで、ママだけが、ここにいられないの?
一番頑張ったママが、なんで、ここにいないの?
一番、幸せでいてほしかったのに。
どうしてママは、あんなにも強かったママが、過去に戻って、たった一人で死んじゃったの?
「なんでッ――!!!!」
どうしようもなく、腹が立った。
怒りをぶつける先がなかった。
本気でぶつけてしまったら、世界なんて簡単に壊せてしまいそうだった。
真実を知りたいと願ったのは、私だった。
いっそ、知らないままでいればよかった。
傷つくだけと分かっていたのに。
それでも、知りたかった。真実を。
――だから、どうしようもなかったのだ。
***
クレイアと冬の間にと約束したのに。――現在。
「アイネ様! ヘントセレナが連日の豪雨の影響で大変な被害を被っております! いかがいたしましょう!」
「アイネ様! ヘントセレナでココロプカが大量発生したとのこと! それも、進化して海を泳ぐようになったとか! いかがいたしましょう!」
「アイネ様! ヘントセレナの民たちを不憫に思った本大陸の住人たちが、デモを起こしています! いかがいたしましょう!」
とりあえず。ヘントセレナの王、つまり、クロスタが、いかに無能かということだけは、よーく分かった。
――余計な仕事増やすんじゃねえクソスタ!!
「てめえの国はてめえでなんとかしろって伝えといて」
「はっ、承知しました!」
「アイネ様――」
この数日の間に、名前を呼ばれるのがすっかり、嫌になってしまった。もううんざりだ。うんざりすぎる。
「今度はヘントセレナがどうしたって?」
「いえ、ヘントセレナではなく……。タルカ様より、言伝を授かっております」
「何?」
「では、んん。――ルクスと仲直りしたなら、ぼくがスパイする必要なくないですか、陛下? あと、ルクスとやらを一発、殴らせていただきたく存じます――とのことです」
「あー……うん、無視でいいや」
「はっ、承知しました!」
優しさなんて、あっという間に尽きた。なぜママがあんなにも笑顔でいられたのか、さっぱり、分からない。しかも、その上で、私とロロとも遊ぶとか、超人すぎる。
あああああもう、嫌!!
「アイネ様――どちらへ?」
「はあ? 脱走するに決まってるでしょ? もう、嫌なの。うんざりなの。甘えてんじゃないわよ! 少しは自分で考えたら!? 魔法使えるんだから、たいていのことはどうにかできるでしょ!? 自分たちでどうにかしなさいよおっ!!」
たった数日で、何も悪くない、宰相のロアーナにブチギレて、私はクレイアのテントへと向かった。
「まあ、三日持っただけ、たいしたものじゃない」
「たった三日でこれとか、ほんと、しんどすぎるんだけど……。ママ、よく何も言わずにできてたなって、ママの凄さを改めて実感した」
「マナと後継のギルデが国を甘やかしたせいで、アイネにしわ寄せが来てるのよ」
「そういうことだよね、うん。なんとなく悟ってた。これ、全部、ママのせいだなって。ママしか治められない国だなって」
これでは、なんのために帝国内部に王国を配置しているのやら。特にクロスタ。なんであれで王様をやれてるのか、マジで分かんない。
「予想以上に甘ったれてたわ。これは、根本から改革しなきゃダメだ」
「頑張って」
「他人事だなあ……。でも嬉しい。しゅきぃ。がんばるー」
「はいはい」
いつものように話しているうちに、私とクレイアは、セトラヒドナ周辺にたどり着く。イノノンは、どこにでも湧くモンスターだが、セトラヒドナの周辺はモンスターがうじゃうじゃいるため、狩りには最適だ。
「イノノンは、暑い時期は体毛がツンツンしてて危ないんだけど、寒くなると、フカフカになるの。防寒着なんかに使われてることもあるわ」
「なるほど、それで冬なんだ」
「そう。毛が生え変わらないうちにと思って」
「でも、ま、完全に皇帝の忙しさ、ナメてたよね。全部終わらせて、と思ってたんだけど、絶対に無理だなって」
「手を抜くのも仕事のうちよ。まあ、今は、ギルデも手伝ってくれるでしょうし、ある程度は大丈夫でしょ」
「ね! そうだよね!」
もう、ヤケクソだ。知らない知らない。私だって、クレイアさんと青春したいんだからいいでしょ。え? 皇帝になりたいって言ったのは私ですけど? 何か?
そして、私も、もう、十六になった。
「ねえ、クレイアさん。私って、感染してると思う?」
その上、本来なら不要である、女王の要件まで満たすことになった。感染源があるというのなら、きっと、感染している。
「してるでしょうね。あたし、わけあって、マナから感染してる血液をもらったの。だから、感染源うんぬんは関係なく、どっちにしろ、あたしがうつしてる可能性が高いわね」
「クレイア菌もらえるの嬉しい」
「うわあ、あかりみたいなこと言い始めたわね……」
クレイアさんがドン引きしている。でも、本心だもん。
「すぐには死なないから、大丈夫よ。じわりじわりと死んでくやつだから」
「でも死ぬよね」
「死なないように薬を作るんでしょ」
「でも治験とかされてないやつだよね。それとも、過去で試したりした?」
「いいえ。アイネを実験台にして、本命のマナを助けるつもりだけれど?」
「血も涙もないこと言い出したよこの人!」
とはいえ、クレイアがそんなことをするはずがない。治験していなくとも、十分に安全ではあるのだろう。多分。
「だって、マナの作った通路だと、飛べる時間軸が確定してるでしょ? だから、アイネが十六になる前に色々準備しなきゃ、って考えてたら、あんまり時間なくて。あたしが戻ろうって決意したのがそもそも遅かったのもあるし。ひとまず――突貫工事で理論だけ構築して、思考実験した結果、最終的に過去で作ることにしたってわけ」
「いや、ただの間に合わせじゃん!? 急に不安! 不安なんだけどクレイアさん!」
「大丈夫。先に、あたしの腕に打つから。まあ、それで何かあったら――潔く、私と散って?」
「いい笑顔で言わないで!」
「あはは、アイネの反応は面白いわね。大丈夫よ、嘘だから」
え、嘘なの? どこからどこまでが??
――なんて思っていると、目の前に、十本も足の生えた、全体的に動きの遅いイノシシ型モンスターが現れた。
「あ、イノノン発見! とりゃあっ!」
クレイアは、イノノンの背中に飛び乗ると、片手に収まるような普通の石で、
「ていっ、ていていっ!」
と、ぶっとい牙を叩き、ちまちまと削り始めた。
「いや、原始人なの!? 道具くらい用意しておきなさいよ!」
「昔、愛用してたナイフがあったんだけど、壊れちゃって。お金なんかも、こっちの世界に持ってくると大変なことになっちゃうから、何も用意できなかったの」
「でも、お金、稼いでたよね?」
「そんなの、全部、酒につぎ込んだわ。未来のお酒を味わいたくて」
「え、全部!?」
まだ姫だったとき、地位を利用してクレイアの薬の値段を調べ、ざっと計算してみたが――そんなに簡単に使いきれるような額ではなかったはずだ。
「お札をドラム缶に敷き詰めて、お金風呂、なんていうのもやったわね。お酒でひたひたにしたかったけど、さすがにやめたわ。酔いそうだったから」
「うん、知ってたけど、馬鹿なの? てか、そもそも、クレイアさんって、お酒、のめるの?」
「のめるわよ、失礼ね。ちょっとのむとすぐに眠くなって、次の日吐くだけよ」
「それをのめないって言うのよ!!」
この人は、一人でどうやって生きてきたのだろうか。本当に、心配になってしまう。まあ、そんなところがかわいいのだが。




