クレイアのお墓
セトラヒドナにあったのは、クレイアのお墓だった。
「マナがずっと、セトラヒドナを取り返そうとしてたのは、これがあるからよ」
そう言いながら、クレイアはペットボトルの水で雑巾を濡らし、お墓を拭いていく。何か、なにか、言わなければ。
「私も、ママのために、ルクスから取り返そうって思ってたんだけど、そっか、クレイアさんの、お墓が――」
「落ち着いて、深呼吸」
クレイアの声に従い、息を吐けるだけ吐き出して、大きく吸う。何度か繰り返すうちに、少しだけ、落ち着いた。
「……マナが、過去に戻ったことは知ってるわよね?」
「うん」
「誰かが過去に戻ったりして、未来が変わると、そこから世界が分岐するの。パラレルワールドってやつね」
「つまり、えっと。……ごめん、ちょっと待って。全然、のみこめてない」
「いきなりそんなこと言われても、驚くわよね」
クレイアが待ってくれるから。私も、なんとか、のみこむ。
「――つまり、ママが過去に戻ったとしても、私たちのいる世界を変えることはできないってこと?」
「ええ、それが、マナの出した結論よ。あたしも同じ考え。起きてしまったことは、変えられない。なかったことにはできない。時を戻しても、別の世界でやり直すことができるだけ。――あるいは、まったく違う世界で、まったく別の悲劇を生み出す可能性だってある」
「ってことは、ママが繋いだのは、過去と未来っていうより、二つの並行世界ってこと?」
「そう。時間軸が違うから、過去と未来ってことになるけれど、マナが戻った過去は、別の世界の過去なの」
すっかりきれいになったお墓を前に、クレイアは言った。
「あたしは、マナが戻った、八年前の過去の世界の、マナ・クレイアなの。――マナが戻ったおかげでできた世界の、とも言えるわね」
……えっ。
「じゃ、じゃあ、クレイアさんは、過去から来たってこと?」
「そうなるわね。前に、あたしの免許証を見せたと思うけれど、本当はあれより、八歳若いのよ」
「ってことは――クレイアさん、まだ二十四歳なの!?」
「ちょっ……声に出すなって言ったじゃない、馬鹿!」
「へにゃあっ! いや、いやいや、全然若いじゃん。私と八つしか変わらないじゃん。ほんとに姉妹じゃん」
「まあ、あたしの弟も、あたしの八個下だから」
どうりで、若く見えるはずだ。いやまあ、八年経っても、そんなに変わらなさそうな気もするが。
「とにかく、この世界のマナ・クレイアは、死んだのよ。今まで、マナやあかりのことを、はっきり話せなかったのは、そのせい。あたしは確かに、マナとあかりと、友だちだったけれど、あたしの知ってる二人には、子どもはいなかったし、そもそも、二人は別れたままだった。お互い、想い合ってるのは、誰の目から見ても、明らかだったけれど」
だから、あのとき、私なんて知らないと、そう言ったのか。私なんていない方がよかった、なんて言ったのも、彼女は私がいない世界を知っているからだったのだ。そちらのほうが、二人とも、幸せになれたのだろうか。
「――そっか。クレイアさんが知ってるママたちは、私のママじゃないんだね」
「ええ。……でも、あたしには、マナの日記がある。その内容は、全部、一言一句、句読点の位置まで正確に、暗記してる。だから、知ってることもあるの」
「一言一句――!?」
クレイアは、驚く私をよそに、いつも通りの調子で続ける。
「でも、あたしが知ってるのは、マナの想いと、そこで起こった事実だけ。実際に会ったこともなければ、まして、話したことすらない。いわば、知ってるだけの他人よ」
色々と、腑に落ちた。まだ分からないことはあるけれど。
「クレイアさんは、なんのために、ここに来たの?」
「前にも話したと思うけれど、一つは、ハイガルを殺した犯人を見つけるため。それから、石蛇の眼や、ハニーナの蜜を集めてたのは――」
「ゴールスファ病を治すため、でしょ?」
「――ええ」
「ルクスがね。感染源は、魔族じゃないかって。魔族は、感染しても、症状が出ないだけで、感染した魔族からなら、空気感染でゴールスファに広める可能性はあるって」
「……そう。そうよね」
クレイアは、眉間にシワを寄せて、何かを考えこんでいるようだった。
「とにかく。あとは、イノノンの牙さえあれば、薬が作れるわ。アイネはもう帰っていいわよ。あとは、あたしがやっておくから」
「――それで?」
「それでって?」
「他にも、目的があるんでしょ? 一番の、目的が。なんのために、未来に来てまで薬を作ろうって思ったの? 私のため、とか言わないよね?」
赤い瞳が鋭く光る。白い髪が、風になびく。かつて見たことがないほどに、彼女は真剣だった。
「あんたのためでもあるわ。けれど、正確には違う。――マナのためよ」
「ママのため?」
「あの子以上に、私を想ってくれる人はいないから」
思わず、見とれてしまうほどに、その真剣な眼差しが、美しかった。
「それから、あかりのためでもあるわ。マナのことを、一番、大切にしてくれるから」
クレイアに大切にされて、きっとあっちの世界のママは、幸せだっただろう。
「でも、そんな二人の子どもを、二人以上に大切にしたいって思うのは、普通のことでしょ? だから、アイネを助けたいっていうのは、半分、本当」
――私は、今、この人に、本当に、大切にされている。
私が欲しかった感情じゃないけれど、この世界で一番、彼女に愛されているのは、私なんだ。
そう思えることが、すごく、嬉しい。
「もう半分は、マナのこと。私がここに来た一番の目的は、過去に戻ったマナを、助けること。この世界のマナじゃないけれど、化けて出たら怖いでしょ? 大きな穴から白い手を、にょきって伸ばして、奈落に連れ込もうとしたりして」
「ぷっ、なにそれー」
つまり、そういうことなのだろう。
「そっか。――クレイアさんは、もうすぐ、過去に行っちゃうんだね」
「ええ。そうなったら、きっと、もう、会えないと思うわ」
あのとき。クレイアに想いを打ち明けたとき、本当のことを言われていたら。きっと私は、クレイアが大切な人たちを追い求めるように、ずっと、クレイアを求め続けていただろう。
だから、整理がつくまで、何も言わずにいてくれたのだ。
「そこまで、考えてくれてたんだ。あのとき」
「……すごく、わがままだけど。私は、アイネには、私みたいな思いをしてほしくない。勝手で悪いけれど」
「うん。分かってる。クレイアさんは、すっごく、優しいから」
彼女は、特に真剣な話をするとき、自分を、私、と呼ぶ。だから、今の彼女の言葉を疑うことはしない。そんなことを知らなくても、今の彼女が嘘をついていないことくらい、誰にだって分かる。
「過去に戻るって、どうやってやるの?」
「――その前にね。アイネには、ギルデが持ってるマナの日記を読んでほしいの。卑怯かもしれないけれど、きっと、私が何をしようとしてるのか、分かるはずだから」
「うん、分かった。……私からも、一つ、お願いしていい?」
たまにはいいだろうと、クレイアにおねだりしてみる。彼女はにっこり笑って、頷いた。
「ええ、もちろん」
「私、すっごく忙しいけど。イノノン退治、一緒に行かせてくれない?」
「冬の間しか、できないのよ」
「うん、分かってる。だから、ギリギリまで、待ってて」
「……仕方ないわね。早めに連絡しなさいよ」
「うん、約束!」
また次の約束ができることが、何よりも嬉しかった。




