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私とママ

 一段落して。


 やっと、ギルデのところに向かうことができる。呼び出されていることがずっと頭の片隅にあって、モヤモヤしていたのだ。いつもと違って、ノックしてすぐに返事があったので、面食らった。


 部屋には、クレイアがいて、真っ白な本を抱えていた。ギルデは、それと同じに見える、真っ白な本を机の上に広げていた。真っ白な装丁(そうてい)の、分厚い本だ。前に、ノックなしで部屋に入ったとき、ちらりとだけ見た本。これを隠すために、いつも、鍵を開けるのに時間がかかっていたのだろう。


 ギルデは、何も語ろうとはしなかった。別に、私が即位のあいさつを勝手に変えたことについて話したかったわけではないらしい。


 となると、やはり、この間の切れ端のことだろう。コートのポケットに手を入れ、そこに入れたままの切れ端をそっと撫でる。


「ねえ、ギルデ、クレイアさん。――ママってさ、もう、亡くなってるの?」


 重苦しい空気を破って、私からそう切り出した。


 嫌になるほど、気持ちは落ち着いていた。二人が何も語らずとも、きっとそうなのだと、悟っていた。紙きれを見たからじゃない。ずっと前から、なんとなく、そうなのだろうと思う自分がいた。


 そんな自分を、ずっと、否定し続けてきた。けれど、月日を経るごとに積もっていく違和感は、いつしか、認めざるを得ない大きさになっていた。


「ママは、過去に行ったんだって、ルクスが言ってた。過去で、何かあったの?」


 ギルデは、私が部屋に入ってから一度も、私と目を合わせようとしない。


「……僕からは、何も」

「しっかりしなさいよ。アイネの父親はあんたでしょ」

「だが、それでまた、アイネが、あんな風に傷つくことになったら――」

「甘えてんじゃないわよ。こうして呼びつけて、期待だけさせておいて、何も話さないつもり? アイネは分かってるわよ。怖くても、ちゃんと向き合おうとしてる。話せないのは、あんたが怖いだけでしょ」


 クレイアは、失望したような瞳でギルデを責め、白い本を抱いたまま、私に向かって歩いてくる。


「あんたが話さないなら、あたしが話すだけよ」


 少しずつ、ゆっくりと、向かってくる。それが、あえて遅く歩いているのだと、私には分かった。


 どちらが話すかは、この際、私にとっては重要じゃない。


 けれど、ギルデの情けない姿は、見たくない。


「――分かった。僕が話そう」

「はあ。最初からそう言いなさいよ。ほんとあんたって、昔っから根が小心者よね」

「うぐっ……」


 クレイアに試されたと感じたのか、ギルデは情けない音で鳴いていた。ちょっと、情けないけれど、まあ、よしとしよう。


 ギルデは本を持って私の前まで歩いてくると、深呼吸をした。


「マナ様は過去に戻り、その先で、命を落とした。戻ってすぐ。八年前のことだ。――僕とマナ様は、過去に戻る前、魔力を受け渡しするために、一時的に、魔力の共有をしたんだ」


 魔力の共有といえば、例えるなら、結婚指輪のようなもので、結婚するときに相手と結ぶ、糸のようなものだ。それを、魔法を使うための道具として利用してしまうあたり、さすがママ、といったところ。


「そして、その糸は、すぐに、切れた」


 本来、その糸は、両者の同意がない限りは切れない。


 だが、その糸の片端が切れたとき。つまり、片方が命を落としたとき。


 それは相手にも伝わり、もう片方の端を握っている人は、それを、いつでも自由に切ることができるようになる。


「どうして、八年もの間、黙ってたの?」

「……言えなかった。どうしても、言えなかったんだ。あのとき。マナ様を失ったアイネは、まるで、人形みたいだった。感情のない瞳で、ただ毎日、机に向かうだけで、それ以外の何にも興味を示そうとしなかった」


 あの頃のことは、よく、覚えていない。ただ、世界がモノクロで、耳障りな音が聞こえ続けていて、ママとの約束だけが、頭の中で何度も繰り返されていた。



 ――ママが行方不明になったと聞いて、約束を破られたのだと知って、初めは、本当に何もできなかった。動けなかった。


 物心ついた頃。今になって思えば、ママは、私を、()けていたと思う。


 きっと、私を見ていると、亡くなったパパのことや、私をその手にかけようとしたことを思い出すから。


 そんなこと、気づくはずもなく。私は毎日、広いお城で、ママの姿を捜して走り回っていた。


 そしてママは、五歳の私を人質として、他国に送った。そこでの暮らしに不自由はなかったが、それから、再び、ママと会えるまでに、三年かかった。


 三年間、毎日、ママと会える日だけを待ち望んで、見当違いの努力をして。ママには何か事情があって、私がいい子にしていれば、いつかきっと迎えに来てくれると、本当に、信じていた。実際は、私を遠ざけていただけだったのに。


 そんな、三年間の努力とは無縁だが、七歳のとき。再び、ママは私の前に現れた。私の前に現れて、たくさん、愛してくれた。それまで寂しかった時間のことなんて忘れてしまうくらいに、私を抱きしめて、叱って、たくさんの思い出をくれた。


 それでも、ママといられたのは、たったの数ヶ月。ずっと一緒にいるという約束を守る気は、ちゃんとあったのだと思う。けれど、ルクスが過去に戻してしまった。そして、戻った先で、亡くなってしまった。


 そんなこととは知らずに、ただ、『裏切られた』と、そう感じていた。そして私は、何もかも、信じられなくなった。


「それでも、少しずつ、笑顔を取り戻してくれて。いつしか、健気(けなげ)に、マナ様の帰りを、待つようになっていて」


 ステアもギルデも、ベルもロロも、みんなが、毎日、何の反応もない私に、話しかけてくれて。


 本当に、少しずつだった。


 それこそ、みんなを信じるのに、八年の月日を費やした。何より、ママの帰りを信じることが、一番、つらかった。


 信じたい気持ちと、信じられるわけがないという気持ち。信じなければならない。信じたくない。信じることが愛だ。信じてもどうせまた、裏切られる。愛なんて、信じたい。真っ直ぐな愛を、信じない。


 (あい)反する気持ちが、ずっと、渦巻いていた。けれど、どうしても、信じたくて。私は、自分にそう思いこませた。勉強なんていう、得体の知れないものに集中することで、すべてを忘れたかった。


 そうでないと、本当に、死んでしまいそうだったから。


 そんな事情をすべて知っているギルデが、私に本当のことを話せなかったのは、仕方がないと、分かってはいた。


「……いや、そんなのは、言い訳だ。僕は、アイネに、マナ様はもう戻って来ないと告げるのが、怖かったんだ。アイネの笑顔が再び失われるのが、とても怖くて。ただ、勇気が出せなかった。本当に、すまない」


 自分から聞いておいたくせに、また、ほとんど、頭に入ってこなかった。しっかり、しないと。


「ありがとう、正直に言ってくれて。それに、八年前の私じゃあ、受け止めきれなかったと思うから。ギルデが言わなかったのは、正しかったと思う。――でも、そっか。ママはもう、戻ってこないんだね」


 手招きされて、机の前まで行くと、ギルデは引き出しを指差す。


「マナ様が、自分に何かあったときにだけ開けられるよう、魔法をかけておいたそうだ。僕は一度も開けたことがない。分かっていても、確かめるのが怖くてね。今日からこの机は、アイネの机だ。好きなときに開けるといい」


 ――今は、見たくないな。


「それから、この本もあげよう」


 そう言って、ギルデは大切そうに、その表紙を撫でる。


「前に破れたやつ?」

「それは、この本じゃない。まなさんが持っているほうだ。ほかの荷物はアイネに預けていたけれど、これだけは、そういうわけにもいかなくてね」


 だから、ギルデが持っていたのか、などと考えながら、私はギルデの本を受け取る。


「この本、何が書いてあるの?」

「――その本は、マナ様の日記だ」

「ママの……!?」

「アイネの知りたいことは、その中に全部、書いてある。ただ、過去に戻ったことや、それ以降のことについては、載っていない」

「あたしの本には書いてあるわよ。破れたのは最後のページね。ついこの間、ギルデにはすべて、話したわ」


 それまで沈黙を保っていたクレイアが告げる。


「ギルデ、席を外してくれるかしら?」


 わざわざ、ギルデを追い出してまで、一体、何が始まるのだろうか。


「アイネ。一緒に、トレリアン――今の、セトラヒドナに行ってもらえないかしら?」

「え、そんなこと? 別にいいけど……」

「ありがと。ルクスとナーアにも、ロロとベルにも、ギルデやステアさんにも、内緒よ。二人だけの秘密。わかった?」

「その言い方はさあ――ずるい! かわいすぎるもん! ああ、キュン死しそ。何がなんでも絶対、言わない。アイネ、ヤクソク、マモル」

「……ごめんなさい」

「え? あ、ち、違うの! そういう意味じゃないから! 尊すぎてしんどいって意味だから! 気にしないで! むしろもっとやって!」

「そう? なら、いいんだけど」

「――本当に、大丈夫だよ。クレイアさん」


 大好きなクレイアと一緒なのに、どこか、上の空だった。しっかりしないと。クレイアは、鋭いから。


「クレイアさんは、優しい。だから、大好き。家族みたいに、愛してる。しっかりものの妹、みたいな。いや、それだとロロと被るな。ちょっと抜けてる姉? 今度はベルと被るし。まあ、私、両親も二人ずついるから、別に何が何人いたっていいんだけど――」

「いいえ、ただの、近所のおばさんよ」

「なんでそういうこと言うのよっ」


 少し笑ったら、少しだけ、気持ちが落ち着いてきた。


「――どうしても、そこで話したいことがあるの。気づかれたくないから、現地集合でいいかしら?」


 場所を選ぶような話なのだろうか。気軽な話でないことだけは確実だ。


「うん、分かった」

「じゃあ、少し待ってくれる? あと、新幹線の時間、調べるから、スマホ貸して?」


 そっか。クレイアは、スマホを持ってないんだっけ。


「……てか、今から?」

「三時間もあれば着くでしょ。到着したら知らせるわ。あんたが走れば一瞬だろうし、駅で落ち合いましょう」

「あの、クレイアさん? 私、今日、皇帝になったばっかりなんだけど……。めちゃんこ疲れてるんだけど……?」

「ええ。明日から忙しくなるでしょ? 人気者のアイネを借りられるのは、今日しかないもの」

「――クレイアさんって、人たらしなんだね」

「なんでそう思ったのか分からないけれど、自覚がないのが悪いって、よく言われるわ」


 新手の悪女だ。小悪魔だ。しかも、めちゃくちゃかわいい上に、おねだり上手とか。体が、勝手にっ。クレイアの、ために、動いてしまう……! もう、どうにでもなれ!


「一人で行くのはいいけど、さらわれたりしないでね? てか、一人で大丈夫? 迷子になったりしない?」

「そのときは、助けに来て?」

「ううー……絶対に、助ける! だから、ぎゅーってしていい?」

「お好きにどうぞ」


 あはぁ……ちっこい、やわこい、ほかほかだあ。はー、幸せ。


「あっ、もう出ないと間に合わないわね。早く離れてくれる?」

「急に塩!」


 渋々、手放すと、クレイアは振り返りもせず、駆けていく。――そして、帰ってきた。


「スマホ返すの忘れてたわ。新幹線の時間、スクショしておいたから。それじゃ」


 ……ちょっとだけ、期待してしまった。くっ、(もてあそ)ばれているのか、これは。


「あ、言うの忘れてたわ。――また、あとでね」


 はうっ。


「うん、またあとで!」


 ……もおおおっ! ほんっとーに、クレイアさんなんだから!

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