新皇帝 榎下愛音
血を飲むのは抵抗があったが、致し方ないことと割り切り、杯を少し傾け、ころころと、舌で転がす。――何これ、めちゃくちゃ美味いんだけど。
ぐいっと、お行儀悪く飲み干すと、儀式の関係者たちが、クスリと笑った。
「よし。これで、女王の資格は得られた。あとは、明日の蜂歌祭だけだが――大丈夫かい? 酔ったりしてないかな?」
「んー、らいひょーふにゃのら!」
「へろっへろじゃないか!?」
「おしゃけ、おいひー。もっと、のみたーい」
部屋を抜け出し、走ってベルの音のもとへと向かう。驚くベルをよそに、カプリと、首筋に噛みつく。
「いやーん、ボク、襲われてるうー」
「もきゅもきゅ、もっと、飲みたあい。もっと、もっとぉ……」
「あらら。アイネは、お酒に弱いタイプだったかあ」
コツコツと、足音が聞こえる。――この音は!
「にゃーあ!」
「にゃー……って、うっわ、死ぬほど面倒くさそう。あたしは逃げるわ。あとはよろしく、ルクス」
「え、ちょ、まっ、ナーアの、裏切り者!!」
「あえぇ……? にゃーあが、りゅくしゅになっちゃった。まいっか」
むぎゅいと、私はりゅくしゅに抱きつく。ほんとは、にゃーあがよかったけど、まあ、にゃんでもいいやあ。
「よくないです、よくないですよアイネ様。こんな、はしたないことをされては! 早く、僕から離れてください! 僕の理性が残っているうちに!」
「やーあ」
「嫌、じゃなくて……!!」
「にゃでてー、ぎゅってしてー」
頭をすりすり、胸元に押しつけると、ルクスはすごく躊躇ってから、かなり遠慮がちに、私を抱きしめて、頭を撫でてくれた。そういえば。
「きのー、寝てるときも、こーしてた?」
「して……ましたけど」
「んー……えへへ。りゅくしゅの手、安心する」
「ヤバいヤバい色々とヤバい。ああ、あああああ……。アハ、まあ、いいか、アハ、アハハハハ。いっそこのまま持ち帰ってぐふっ!?」
ありぇえ? りゅくしゅが、いなくなっちゃった。りゅくしゅうー? どこおー?
「サイッテー」
「あっぶなっ! そもそも、ナーアが逃げるからこんなことに……、と、とりあえず、あとは任せましたよ!」
「にゃーあ? あ、にゃーあだ! にゃーあー!」
「うっ、くっつかれるのは、苦手なんですよ……」
ぴと。――ああ、にゃーあだ。かわいいにゃーあだ。あったかあい。
「にゃーあ、しゅきい……」
「好……っ!? あ、あたしも、別に? 嫌い、じゃないですけど」
「うん、ずっと友だち」
「は、はい、もちろん……!」
タタタッと、足音が聞こえる。はっ、この音は!
「ろろー! ぴたっ」
「……アイネ、どうしたの」
「ろろ、しゅきぃ」
「どうしたの」
「ずっと友だちぃ」
「どうしたの」
「ロロがっ、混乱しすぎて、どうしたの、しか言えなくなってるっ」
ベルが楽しそうに笑っている。なんだか、いい気分だ。
「ちょっとアイネ。あたしのことが好きなんじゃなかったの?」
「にゃーあ、しゅき」
「違う。アイネは、ロロが、好き」
「ろろもしゅきぃ」
「二股するつもり?」
「あなたじゃ、ロロには、勝てない。足元にも及ばない」
「おっとお、これは面白そうだねぇ。じゃあ一旦、アイネはルクスに任せて」
なんだか、眠くなってきた。もういいや、寝ちゃお。
「おやしゅみ」
「えええ、結局僕なんですか……。――ちなみに、僕は、その、どうですか? 好きですか?」
「んー……ねむぅー……」
――目覚めたときには、なんの記憶もなかった。が、皇帝規則に、「公の場でお酒を飲まないこと」という内容を示す文言が、追加されていた。
ついでに、ギルデが死にそうな顔で、「あの男だけは、認めないからな。……なんで、あいつそっくりの男なんて、クソ、朽ち果てろ」とかなんとか言っていた。
それに対してステアが、「まあ、彼氏は父親に似るって言うから」なんて返して、ギルデにバッチリダメージを与えていた。
ギルデは、「僕じゃなくてあいつに似るのかいやだあぁぁ……!!」なんて、断末魔を上げていた。
ルクス関連であることは間違いないが、別にそういう関係ではないし。本当に、何があったんだろうか……。
***
いよいよ、蜂歌祭だ。人前に出るということもあって、いつもより、いっそう、時間をかけて準備をしていく。
が、ロロがなぜか、ぷくーっと膨れていた。でも、聞くと面倒なことになりそうだったので、何も聞かなかった。
当初は、ノア城の屋上で歌う予定だったが、それだと、見えづらいのではと思い、二階のバルコニーから歌うことにした。
バルコニーに出ると、ペンライトを持っている人、すでに踊っている人、子どもからお年寄りまで、様々な人が集まっていた。――あれ、私って、アイドルだっけ?
「おっ、皇女様の初お披露目でみんな、テンション上がりまくりですなあ」
なんて言ってくるのは、ベルだ。今は、ドラゴンの姿になって、子どもたちと遊んでやっている。なぜ、ベルがここにいるのかと言えば、至極簡単なことで、一種の、「帝国コワクナイヨ」アピールだ。もちろん、護衛という意味もあるが。
ちなみに、バルコニーに出た瞬間から、私は皇女様モードだ。内心はともかく、集まってくれたみんなに、手を振っている。
手を振るだけで、キャーッ! と、黄色い歓声が飛んでくる。なにこれ、めちゃくちゃ楽しい。
「ふっふっふ。僕が、密かに集めておいたんだ。――そう! マナ様親衛隊に次ぐ、アイネ親衛隊をね!」
何言ってんのギルデ。どうせみんなには聞こえないからって、ふざけすぎじゃない?
「マナ様が結婚したときや、皇帝になったとき、はたまた、消息を絶ったとき。僕は、親衛隊が減るかと思っていた。――しかし! マナ活に真摯に取り組んできた諸君は、憎しみと愛おしさとの葛藤の末、くじけなかった!!」
いや、結婚と大量殺戮と失踪までしておいてファンが減らないのは、おかしくない? さすがママって感じだな。
「その上! マナ様の子どもの親衛隊になりたいとの申し出が殺到したんだ!」
怖っ。いや、本人の知らないところでそういうことするのやめてくれない? 身に覚えのない嫉妬とか買いそうだから。
ていうか、いつまでおてて振ってればいいの? さすがにちょっと、疲れてきたんだけど。まあ、適当に様子を見て――もうそろそろ、いいかな。
私が手を下ろし、呼吸を整え始めると、しんと、静まり返った。
――さあ、蜂歌祭を始めよう。
***
ジョオウ ノ ケンリ ガ アリマセン。
――なんて、ハニーナに刺されるなんてこともなく。無事に、蜂歌祭を終えた。
「榎下愛皇帝陛下より代理を賜った、ギルデルド・マッドスタの名のもとに、本日より、榎下愛音を正式に、新皇帝に任命する!」
観衆がわっと、湧いた。これだけの期待が私の両肩に乗っているのかと思うと、ぞっとする。
――だが、心地よい重荷だ。
「本日より、新皇帝の座を受け継ぐこととなりました、榎下愛音です」
間のとり方から、抑揚のつけ方まで、徹底的に勉強し、暗記してきた、当たり障りのないあいさつ。
それを、記憶の彼方に、追いやる。
「皆さんから見て、母は、完璧な皇帝だったのだと思います」
「……けれど、母も、皆さんと同じように、悩み、苦しみ、ときには、大きな誤ちをおかしてきました。普通の人間です。ただ、一人で何でもやりすぎたんだと思います」
「だから、もちろん、私も、普通の人間です。そして私は、母とは違い、一人で何でもできるような、知恵も力もありません。魔法を使うことすらできません」
「――だから、皆さんの力が、必要です。私は、そういう、国と国民の方々との距離が、近い国を目指します。至らぬところもあるでしょうが、精一杯、頑張ります」
「帝国建国以来の八年間のような、残虐で、非道で、凄惨な歴史が、二度と、繰り返されることのないよう、血の皇帝に代わり、必ずや、平和な時代を築いてみせます」
「だから、みなさん」
「私と一緒に、歩いてくれますか!!」
――おおおおお!
うーん、いい返事だね。これ、やってみたかったんだあ。
「ありがとう! がんばります!」
――おおおおお!!!!
うわあ、心地よすぎる……。爽、快。
ドレスを翻して戻れば、ギルデがにっこり笑って待ち構えていた。怒って、る? いや、怒って、ない?
「アイネ。後で話がある」
うーんと、これは。怒ってるけど、怒ってない、みたいな。
音だけでは、よく分からない。初めてのパターンだ。まあ、後で、とのことなので、今は、気にしないようにしよう。
***
現在、ハニーナとの話し合いが行われていた。三百年分の蜜が作れたかどうか、味はどうか、そして、今後のセキュリティはどうするか、など。
――それよりも、何よりも、なんと言っても、味! どうしても味見したくて、頼み込んだというのが、正直なところだ。さっそく、職権濫用している。
スプーンでとろっとろの蜜をすくう。つやつやで濃厚な、たっぷりの黄金の蜜。
「いっただっきまーす!」
ぱくっと、一口で食べる。――瞬間、全身に衝撃が走った。
「う、うみゃいいっ! ほっぺ落ちそうー!」
「これなら、すぐに植物の味も元に戻りますよ!」
「ほんとですか!? やったあ!! ……もう一口、いいですか?」
「ふふっ、どうぞ」
「ありがとう!」
もし、ママの歌で蜜を作っていたら、きっと、もっと凄いものができていたのだろう。
――ああ、食べてみたかったなあ。




