人魚の歴史
目覚めるとそこは、青みがかった石造りの、とてもきれいな天井だった。寝ている場所は、とても大きい、貝がらの上みたいだ。なんだか、真珠になった気分。
「いい目覚め――」
「お前、のんきすぎるだろ……。何日もぐーすかぴーぴー、気持ちよさそうに寝やがって」
傍らには、ピンクのひれの、めちゃくちゃかわいい少女――エイミーがいた。
「どのくらい寝てた?」
「三日」
エイミーは、指を三本出す。三秒、三分、三時間――いや、三日だな、この顔は。
「そっかあ。でも、エイミーちゃんのせいだよねえ?」
「うっ、そ、それは……」
めちゃくちゃ気まずそうな顔をしている。やっぱり、悪い子じゃなさそうだ。だいぶ痛かったけど。
「あのね。実は、言っておきたいことが二つ、あるんだけど」
「おい、めちゃくちゃ腹鳴ってるぞ」
「実は、死にそうにお腹空いてるんだよね、今」
「言われなくても分かってるっつーの! すっげー鳴ってるから! 聞こえてねーのか!?」
「でね、もう一つなんだけど。――私、今、耳が聞こえないの。ちょっと、色々あって」
ぴたと、エイミーの動きが固まる。
「……それは、その、悪かったな。って言っても、聞こえないのか。ちょっと待ってろ」
エイミーはどこからか、お絵かきボードを持ってくる。ダイバーなども使っている、磁石で文字が書けるものだ。
「ねえ、それ! どうやって手に入れたの!? 人魚の国でも作れるの!?」
人魚の文明が気になり、食い気味に尋ねると、エイミーは何かを書いていた手を止めて、後ろのレバーを動かしてそれまでの文字を消すと、「ウザい」と、大きく書いて、私に見せてきた。
「あははっ! ウザいって言われた! ウケる」
「なんでそこで笑うんだよ……」
呆れた表情で、エイミーはため息をつく。それから、何かを書いて、また見せてくるので、読み上げる。
「悪かった。やりすぎた……って、あ、怪我の話? 別に、全然、気にしてないよ。いや、ま、八つ当たりにしても、ちょっとやりすぎだなあとは思ったけど、あれでも手加減してくれてたんでしょ? てか、やっぱり、エイミーちゃん優しいねえ?」
「だから、うぜーんだよ! しかも、読み上げるな! わたしが助けたのは、前に助けられた恩があったからだ――って、聞こえないんだった……」
怒っててもかわいいなあ。なんでも許せるなあ。めちゃんこかわいいもん。お持ち帰りしたいくらい。
「そういえば、ナーアはどうしたの?」
「ナーア――ああ、連れのことか。それなら」
……書くのに時間がかかっているみたいだ。私は、この待っている時間も好きだけど、相手に書かせていると思うと、少し、申し訳なくも思う。ナーアの姿が見えないのは心配だが、私がこうして普通に生きているのだから、危害は加えられていないはずだ。
「えーっと? 前にわたしを縛り上げやがったやつと似た声の、緑髪の男が来て、女を連れて逃げてった。――ああ、ルクスが助けてくれたんだ。よかったあ」
「よかったって……今の状況、分かってねーのかよ」
「ごめん、なんて?」
また、エイミーはため息をつき、きれいな髪を雑にかきむしり、書きなぐる。
「オマエ、ヒトジチ、ニンゲン、マゾク、ホロボス――なんか宇宙人みたいだね」
「ちゃんと書くのがめんどくさかったんだよ!」
「でも、なんでそんなに滅ぼしたいの?」
私の問いかけに、エイミーは顔色を変える。それは、おぞましいくらいの、憎悪の表情だった。背筋が凍る。
エイミーは本を一冊、私に差し出す。私は速読で、それをめくって読んでいく。……水の抵抗で、パラパラとは、めくりづらい。
「読めてるのかそれ……」
「私、たくさん本を読まなきゃいけなかったから、読むのは速いんだよねえ。――私の返事、合ってる?」
特になんの反応もないということは、多分、合っていたのだろう。最後のページまでさらさらと読み終えて、私はエイミーに本を返す。彼女は、いぶかしむような表情で私をじろじろ見ていた。
「だいたい分かった。――うちの母が、大変、ご迷惑をおかけし、申しわけございませんでしたッ!!」
私は、ゴンっと、石に頭をぶつけて、土下座をする。
「え、母? ってことは、お前――」
ことのあらすじはこうだ。
――かつて、私のママがクラゲベスを倒しすぎたせいで、海の生態系が不安定になった。それを、新たなクラゲベスたちを生み出すことにより保とうとしたエリザクラは、力を使い果たした。
エリザクラは、北の大地、ヘントセレナを飲み込むことで、内部にいる人々から魔力を少しずつ吸いとり、回復しようとして、自身の中に大陸ごと取り込んだ。
そこにママが来て、エリザクラは半殺しにされた。当然、内部に位置している人魚の国も影響を受け、一時期、魔力不足による深刻な飢餓に悩まされた。
「母に代わり、次期皇帝である榎下愛音が、お詫びいたします」
「コウ、テイ……」
「あ、そういえば。私、こう見えても、次期皇帝なの。次期ってついてるけど、あとは引き継ぎの儀式だけみたいな感じで、実質、もう皇帝みたいなものだったり。試験も受かったし」
「え、わたし、皇帝をさらってきちゃったのか……? もしかして、思ってる以上に、やべーことしたんじゃ……」
エイミーが、本気でやばい、という顔をしている。やはり、知らなかったか。
「……ま、なんとかなるって!」
「なんともならねーだろ!!」
「私も説明してあげるから、大丈夫大丈夫」
ちなみに、ママの話ですべてではない。人魚たちが人間や魔族を恨む一番の理由は、ママではなかった。
「でも、知らなかった。人魚の声が、昔、悪用されてたなんて」
人魚の声には、様々な効果がある。歌い方によって、相手を苦しめることも、逆に、幸せな気持ちにすることもできるそうだ。
そして、数百年前。人間と魔族は、その声を、利用し、人魚たちを苦しめた。
「……最初は、ボードとか建築とかの技術とか、文化とか、水中で作るのが難しい物と交換って話だったんだ。って、聞こえないんだったな。――まあ、そのほうが都合がいいか」
人魚の声の研究が進み、人間や魔族の技術でも自在に操れるようになってきた頃。――海中である、実験が行われた。
「あいつらは、わたしたちの許可も得ずに、好き勝手、海の中に毒の声を振りまいてきやがった。仲間たちは、みんな死んでいった。――生き残ったのは、当時、一番幼かった、わたしだけだった。人魚の国に代々伝わる、たった一つの、不老不死の秘薬を飲まされたんだ。一度でもすべての人魚がいなくなってしまったら、後世に歴史を語り継いでいく存在がいなくなるから」
エイミーの口の動きが止まったところで、私は話し始める。
「……私がこうして謝ったところで、どうにもならないのは分かってる。それでも、私たちのゴキブリご先祖野郎どもが、こんなことをしたってこと、絶対に、後世には伝えていくから。二度と、みんなが忘れないように」
いたって真剣なつもりだったのだが、なぜか、エイミーは吹き出した。
「そんな真面目な顔で、ゴキブリご先祖野郎どもとか言うな! あは、おかしっ、あはっ、あははっ!」
「なんでそんなに笑ってるの……?」
「引くな! お前のせいだよ! 普通、そんなこと言わねーだろ! ふざける場面じゃねーし! わたしくらいだよ、この状況で笑ってくれるの!」
「もう! 私、今、すごく真面目に話してたのに!」
真面目の意味分かってる? と書かれたボードを消して、エイミーはまた何かを綴り始めた。今度は長くなりそうだ。
「ふんふふーん――」
私は、半ば無意識に、鼻歌を歌いながら待つ。エイミーは、楽しそうに体を揺らす。自分の音は聞こえないけれど、聞こえなくても正確に歌えるくらいには、技術を磨いてきたつもりだ。
やがて、ボードが差し出される。エイミーがぱくぱくと口を動かしているのは、きっと、これを読んでいるのだろう。
小さなボードにびっしりと、文字が書かれていた。
「また、あの悲劇が繰り返されるのが恐ろしくて、わたしたちは、隠れ暮らしてきました。そして、人魚の声を求めるあなたに、危害を加え、人類を滅ぼそうとしました。――でも、あなたは、そんなことをする人ではないと、信じることにしました。本当に、許されないことをしたと思っています。人魚の国の女王、エイミー・エリザクラが、国を代表して、お詫び申し上げます。――まあ、こんなちゃっちいボードで謝られても、許せないとは思うけどさ」
「えっ! エイミーちゃん、女王なの!? こんなにちっちゃくてかわいいのに!? てか、エリザクラって、どういうこと!?」
「だああっ! さっき不老不死になったって説明したのに、聞こえてねーからめんどい! てか、そもそも」
なんで聞こえなくなったんだ? と、ボードには書かれている。
誰にも話せなかった。
みんな、ママとパパを知っていて、大好きだから。真実を知れば、きっと、私と同じように、傷つくだろうから。
一人で向き合い続ければ、心がすり減って、いつか、なくなってしまうと思った。昔、ママがいなくなったばかりの頃みたいに。
だから、一人は怖かった。
けれど、エイミーになら、話しても、いいのかもしれない。彼女は、他人だから。
「すっごく重い話なんだけど、聞いてくれる?」
「当たり前だろ。わたしだってクソ重い話、読んでもらったんだから」
聞こえなかったけれど、話を聞いてくれるのだと感じて、私は深呼吸をした。




