水中戦
エイミーに気づいた瞬間、私も全速力で逃げる。ナーアとはぐれないよう、ナーアの腕をがっちりつかみ、片手で水をかく。
が、そんなのでエイミーから逃げられるはずもなく。
「おっそーい。遊んでくれてるの? あはははははっ」
「……ナメてんじゃないわよ」
「待って、ナーア! これ、誘導されて――かはっ」
不意をつき、エイミーのひれが私の腹を強く打ちつける。水の中だというのに、威力は凄まじく、口から声の代わりに、空気の塊が逃げていった。
「誘導――。なるほど、そういうことですか」
「チッ、余計なこと言いやがって」
上手く方向転換しようとするナーアだったが、エイミーのひれさばきに押されて、かわしているだけで追い込まれてしまう。
「くっ……速い」
何度目かのひれアタック。慢心からか、わずかに隙を見せたエイミーのひれを、ナーアを離した両手でがっしり掴む。そして、
「えいっ!」
ぶん投げる。ナーアと目配せをして、泳いで必死に逃げる。もちろん、これがたいした時間稼ぎにすらならないことは、分かっている。
目的は、先ほど、ちらりと視界に入った、リュックの回収だ。
「おりゃりゃりゃりゃ!」
無我夢中で泳ぎ、なんとか、リュックをつかんだ――瞬間、背後から肩を叩かれる。
「わあっ!?」
思わず、リュックをぶん回して、顔面を殴りつけてしまった。エイミーに直撃。
女の子の顔に、手加減無しで振り切ってしまったあ……!
言い訳をするなら、音が聞こえないこの状態に、私はまだ慣れていない。今まで、背後の気配に気づかなかったことなど、ほとんどなかったため、ギルデのときもそうだったが、つい、驚きすぎてしまうのだ。
「あ、ご、ごめん。大丈夫だった……?」
リュックをその場に捨てて、エイミーのもとに駆けつけると、エイミーは赤くなった頬を擦りながら、ギロッと、私を睨みつけた。
「ああ、水の中で威力が弱まってたみたいだね、よかった!」
「よくねえよ! 全然、弱くねえし! もっと手加減しろよ!」
なんか、怒ってるっぽい。何言ってるかは聞こえないけど。
「そんなに痛かった? 地上でやってたら、たぶん、首の骨いっちゃってたと思うけど」
「痛いに決まってるだろ! 見ろ、この顔! 真っ赤になってるだろ!」
怒りながら、自分の顔を指さしている。この程度で痛いわけない、ナメるな、って言いたいのかな? あんまり心配すると、かえって怒るかも。
「じゃあ、よかった……?」
「何がだよ!? ――クソッ、こうなったら」
エイミーは、私から少し離れると、喉元に手を当て――口をパクパクさせ始めた。これは、歌ってる、のかな?
てか、エイミーちゃんの歌とか、普通に聞きたいんだけど。今だけ、耳、聞こえるようにならないかなあ……。
「くっ、なんですか、この歌は……」
いいなナーア――なんて思いながら振り返ると、彼女は、苦しそうに耳を抑えながら、その手に握った赤い閃光玉を、石に打ちつけていた。ただ、水の中なので、上手く割れないみたいだ。
「この、アホルクス……。割り方も考えなさいよ……!!」
何ごとか呟いているナーアから視線を外し、ちらと、エイミーを振り返ると、歌に集中していて、私の様子には気づいていなさそうだった。
その隙に、ナーアから閃光玉を受け取り、素手で破壊する。――瞬間、周囲が一瞬、真っ赤な光に包まれた。
「うわ、まぶしっ!」
「なんだよこれ……! つーか、お前、なんでわたしの歌が効かないんだよ! 耳聞こえてないのか!?」
「やっと、止んでくれましたか――」
表情の緩んだナーアに手を引かれて、私たちは逃げる。彼女のつらそうな表情から察するに、先ほどの歌は、精神攻撃か何かだったのかもしれない。
――と、急にナーアが動きを止め、また耳を塞ぐ。
振り返ると、エイミーがまた、歌い始めたようだ。今度は、歌ったり歌わなかったりしながら、追いかけても来ているみたいだ。器用なことをする。
今度は、私がナーアを引っ張って、泳ぐ。閃光玉を放った以上、あまりこの場から離れたくはないのだが。
「今度は逃さない……!!」
後ろから迫ってくるエイミーがどこにいるかは、振り返らないと分からない。だが、何度も振り返っていれば、間違いなく、速度は落ちる。
ナーアは、意識を失う寸前で、背後を確認する力も残っていなさそうだ。そんなナーアを、前に抱き抱え、足だけで泳ぐ。
――実際、水中でナーアを連れて攻撃をかわし続けるのは、かなり厳しい。どのみち、ナーアがいてもいなくても、陸のようには動けない上、ひれアタックはかなりの威力だ。そう何度も食らって、無事でいられるようなものではない。
入水時のダメージもあり、全身はじくじくと痛み、内臓はひっくり返りそうだ。ただ、それを表に出さないようにして、エイミーにプレッシャーをかけているだけで。全然、平気じゃない。
それでも、逃げなくては。泳ぎの苦手なルクスができる限り近くに来られるように。
「ぐぁっ!?」
――背中に打撃を受け、体の力が抜けそうになる。が、ナーアを離すわけにはいかない。
「観念したらどうだっ!」
「ぐっ――!」
三発目は、足への打撃だ。勢いが殺しきれず、水中で回る。抗う力は、ほとんど、残っていない。
「やっと静かに――」
「でも、負けるかぁっ!!」
「ちょぉっ!? まだ動けるのかよ……!」
「気合じゃおらあああっ!!」
言葉のわりに、体がイメージについて来られず、鈍い動きしかできない。いや、ほとんど泳げていないのかもしれない。
それでも、最後まで、あがいてみせる。
「私は、次期皇帝、榎下愛音! こんなところで、くじけるわけにはいかないの! ナーアは、私が守る!」
最終試験に合格したのだ。あとは、時間の問題。私は、皇帝になるのだから。
――パパを殺して、私も殺そうとした、ママのために?
「いい加減、降参しろよ!」
分からない。何も聞こえない。聞きたくない。私は、なんのために、ここまで来たのだろう。どうして、皇帝になるのだろう。
ナーアを抱く、腕の力にだけ意識を集中させて、猛攻撃に、耐える。
ママもパパも、私を助けてはくれない。
――考えちゃダメだ。今はただ、腕の中のナーアと、クレイアのあの顔を見るために、頑張る。
意識が飛びかけては、痛みで目が覚めるの繰り返し。クレイアは、私なら大丈夫だと言ってくれたけど、
「なんで、抵抗しないんだよ――」
ぴたりと、攻撃が止む。さすがのエイミーも、体力の限界なのだろうか。頭が、クラクラする。
「クレイアさんでも、間違えることって、あるんだね。――私には、エイミーちゃんを傷つけるなんて、できないよ。だって、エイミーちゃんが本当に悪い人魚だとは、思えないもん。だから、クレイアさん。私は、エイミーちゃんには、勝てない」
すっかり、攻撃の手が止まった。新たな痛みが増えない代わりに、視界が真っ暗になり、意識が遠のいていく。
「ナーア。少しは、動けるようになった? 少しでも動けるなら、私を置いて、逃げて」
「――」
「私は、もう、動けそうにないから。――逃げて。逃げて、クレイアさんを、元に戻して」
「そんなこと、できない」
「お願い、約束して。絶対だよ」
「だから、できないって、言ってるじゃない……!」
ナーアはきっと、「できない」なんて、言っているんだろう。でも、私には聞こえないから、気づかないふりをする。
すごくずるいけれど、きっとナーアは、私との約束は、破らない。
「ごめんね、こんな言い方して。クレイアさんに、よろしく」
「嫌。絶対に、嫌!」
――最後の力を振り絞り、私はナーアを、投げ飛ばす。どれほど遠くに投げられただろうか。笑っちゃうくらい、飛んでいないかもしれない。
「アイネ――!!」
それでも、少しでも、遠くに。私は、クレイアを助けることはできなかったけど、ナーアになら、この願いを託せるから。
「なんなんだよ……クソッ」
もう何も、分からない。




