言いそびれて
エリザクラ、という言葉を初めて聞いたのは、エイミーからだった。分からないことを分からないままにしておけない性分の私は、そのとき、帰ってすぐに調べた。
エリザクラというのは、クラゲ型モンスターの名前で、クラゲベスたちの親玉のことを指して言うらしい。
モンスターたちの中には、親玉――その種族を取りまとめる存在がおり、対話が可能だ。ハニーナもその一つで、ハチプーたちを取りまとめている。
つまり、人魚の国は、エリザクラの中――大きなクラゲの中に存在していたのだ。海の中で呼吸できたのも、エリザクラのおかげなのだろう。
「会いにいくのは簡単だけど、人魚たちとは色々あったからなあ……」
騙されて誘い込まれたり、追いかけられて締めつけられたり、世界に毒をまくと宣言されたり。正直、あまり気乗りはしない。
「でも、クレイアさんのためなら。頑張れるよね、アイネ」
足はすっかり、もとに戻っている。ロアーナのもとまで走っていけたのだ。一ヶ月の静養で、体力は落ちているが、大丈夫。
「――行こう」
***
とはいえ、私一人でどうにかできない、というのは、嫌になるくらい、思い知らされていた。誰かを頼らなければならない。だが、私は静養中ということになっており、部屋から勝手に出ることを禁じられている。
「誰を頼ろう……」
ギルデは論外。ベルとロロも、やめたほうがいいだろう。ステアになんか頼った日には、頭が小さくなってしまう。ロアーナも協力してくれそうにない。
「ってなると――」
いくつか選択肢はあるが、ここは、私の心に従おう。
というわけで。再び私は、革命教の本拠地、セトラヒドナに来ていた。つまり、ルクスとナーアを頼ることにした。定期的に会ってあげないと、ナーアがものすごく、寂しがるだろうし。
――何より、覚えていてほしいから。
セトラヒドナは、かつて、城郭都市であり、国となった今も、城郭はそのまま残されている。入り口は一つだけで、検問がある。
また、命を狙われたりするんだろうかと、内心ヒヤヒヤしていたが、そんなことはなかった。ルクスがちゃんと言って聞かせてくれたらしい。
「猊下がお迎えに上がりますので、簡素なもので申し訳ございませんが、しばし、こちらのお席にお座りになってお待ちください」
――耳聞こえないって、最初に言っておけばよかった。言うタイミング、逃しちゃった。
「お気遣い、ありがとうございます」
手振りで椅子に案内されたので、お礼を言って座る。私が遠慮してしまうと、立場的に、かえって気を使わせることになるので、なんでもかんでもお礼を言って、ありがたく受け取っておく。
しかし、ルクスの国とはいえ、私は皇帝であり、相手は他国だ。お行儀よくしていなければならない。カチッと、スイッチを切り替えれば、それ相応の振る舞いができるよう、訓練は受けている。だが、心構えのほうは、気を抜いていると、すぐにバレてしまう。
客室などはないようで、門内に設けられた簡素な空間に、門番と二人きりだ。話す必要はないとはいえ、おそらく、向こうから話題を振ってくる。
「私のような一門番が謝罪してどうこうなるものではありませんが、先日は、私の仲間が数々の無礼を働いてしまい、大変、申し訳ございませんでした」
何を言われているのかは、下げられた頭と、直前の表情、状況から推測すれば、だいたい分かる。
「いえ、まったく気にしておりません。ですから、顔を上げてください」
座っている私よりも低く下げられた頭に、誠意を感じた。まあ、見せかけだけ、なんてこともありえなくはないが、なんとなく、そう思ったのだ。いつも頼りきりの音でさえ、聞こえないけれど。
恐る恐る、といった様子で顔を上げる門番に、私はにっこりと微笑みかける。食らえ、出血大サービス、皇女スマイル!
「ありがとうございます。本っ当に、ありがとうございます……っ。私たちが憎んでいるのは、この国をこんなふうにした前皇帝であり、あなたは、何も関係ないというのに……っ」
あらら、泣き出しちゃった。ま、気持ちは分かるけどね。
――もし、相手がママだったら、こう穏便には済んでいなかった。そもそも、喧嘩を吹っかけた時点で、国ごと滅んでいてもおかしくはない。
きっと、彼も、大切な誰かを奪われたのだろう。ママの子どもである私に、ママの代わりに復讐したいと、そう思ったことだって、何度もあったことだろう。
それでも、彼は今、真っ当に生きている。それは、すごく、すごいことだ。
頭を撫でてやりたいところだが、萎縮して泣けなくなってしまったら悪いので、ハンカチを差し出すだけに留めておく。
私も、ルクスと話す覚悟を、決めなくては。歩いてくるルクスの姿を視界に入れ、真っ直ぐに見つめる。
「お待たせして、申し訳――アイネ様、僕の大切なシレルフをいじめたのですか?」
ルクスのことだから、こんな真面目な顔をしていても、私をからかうようなことを言っているに、違いない。となると、私が取るべき態度は――沈黙して、シレルフとやらに話させることだ。
「違います、猊下。皇帝陛下は、私たちの罪を、お許しになられたのです」
「なるほど、そういうわけでしたか。勘違いしてしまって、申し訳ございません。――それでは、参りましょうか」
ルクスと二人きりになったため、やっと、打ち明けられる。あの状況で、耳が聞こえない、なんて、とてもじゃないが、言い出せなかった。もし、会話の推測が的外れなものだったとしたら、すごく申し訳ない。
「ルクス。私、今、耳が聞こえないんだ。なんにも、少しも、聞こえないの」
「……なんの冗談ですか?」
「本当だよ。全部、推測で話してるだけで、本当に何も聞こえてないの。今なら、どんな悪口言われても気づかないし、背後から忍び寄られたりしても分からない」
城までの長い道のりを、ルクスと歩いていく。ルクスは、まだ、私の話を疑っているらしく。
「アイネ様。髪の毛にゴミがついていますよ」
何やら話しかけているようだが、ちっとも分からない。
「お取りしてもよろしいでしょうか? 無言は肯定と捉えますが」
本当に分からないから、とりあえず、首を傾げておこう。
「では、失礼します」
――突然、ルクスの手が近づいてくる。思わず、数歩、後ずさりするが、ルクスも同じ歩数だけ私に歩み寄ってくる。
いつの間に、こんなに背が伸びたんだろう、全然、気づかなかった。
きゅっと、片目をつぶり、もう片目を細めて様子をうかがうと、彼は、私の髪にかけた手を、すっと、下に引いた。それから、私の目の前に指を差し出す。そこには、白い小さなホコリがついていた。
「取れましたよ」
「あ、ありがとう」
しれっと、私の髪についていたホコリを、自分のポケットに滑りこませたような気がしたのだが――え、怖、見間違いだよね、ねえ。あ、あれかな。後でゴミ箱に捨てるとかかな。
「しかし、本当に聞こえていないみたいですね」
今度はなんだろう。ルクスがじっと、私を見つめてくる。
「声が届かないのに、愛を囁いても仕方ないですね。きっと、あなたは、そういうところは察してくれませんから」
本当に、なんなんだろうか。急に残念そうな顔をされても、対応に困るのだが。とはいえ、手話などは、読むことも話すこともできないし、歩きながらだと、紙を通しての会話も難しい。
「いや、届かないからこそ、今伝えておくべきなのでは? 今なら言いたい放題ですし」
え、なんて言ってるの? めちゃくちゃ気になるんだけど。てか、気になるから、話さないでほしいんだけど。私の悪口とか言ってないよね?
すると、ルクスはピタッと立ち止まる。私が少し進んだ位置で立ち止まると、ルクスは近くの露店から、紙を一枚と、ペンを借りて、すらすらと、何かを書き綴り、私に手渡す。
「不安がらせてしまったみたいですね。配慮が足りず、申し訳ございませんでした」
と、書いてあった。
「どうせ、私の悪口でも言ってたんでしょ? いいもん、別に。ナーアに愚痴ってやる」
へへん、ざまあみろ。ルクスなんて、ナーアにしっかり怒られてしまえ。
なんて考えながら、ルクスの真っ赤な瞳の様子をうかがっていると――ふっ、と、突然、吹き出した。そして、笑い始めた。
「あはっ、あは、あははははっ!」
「ちょっ、何がおかしいのよ!?」
「いや、なんでもありません。すみません……ふふっ」
笑いながら、ルクスは歩いていく。答えてくれていないような気がするが、答えられてもどうせ聞こえない。ま、なんでもいっか。
「本当に、かわいい人ですね、君は」
「んー、なんてー? なんにも聞こえませんけどー?」
聞こえない耳を差し出すと、ルクスはまた、笑った。一体、どんな悪口を言っているのやら。




