静かな世界
試験は、合格だった。だが、素直には喜べなかった。
話を聞いて思った。クレイアがあんなことを言うわけだと。
私さえ、いなければ。
――ともあれ、試験に合格した私には、人生初と言っても過言ではない、まとまった休みが与えられ、その最初の日に、急きょ、医師の診断を受けることになった。
聴力というものは、一ヶ月で固定してしまうらしい。つまり、一ヶ月、このままだったら、私は一生、何も聞こえないままになってしまう。
遅くとも、二週間以内に治らなければ、完治する見込みは薄いそうだ。難しい言葉がたくさん書かれた診断書を、私はぼんやりと眺めていた。
「原因に心当たりは?」
「……彼女の父親の、死の真相について、打ち明けたんだ。そのとき、めまいを起こして、倒れた」
「それで間違いないでしょう。しかし、まだ十五の子どもに、聴力を奪うほどのストレスを与えるなんて、あなたは一体、何を考えていたんですか」
「本当に、その通りだ。まだ話すべきじゃなかった。いくら、彼女が知りたがっていたとはいえ、その判断は、もっと、慎重にするべきだった」
何を話しているのか分からない。退屈だ。口の動きから読み取ろうとしてみるが――全然、分からない。
ただ、ギルデの表情から、私に対して申し訳ないと思っているであろうことは、容易く察せられる。ギルデの性格を考えれば、触れないであげるのが、一番いいだろう。
「アイネの耳は、治りそうかい」
「なんとも言えません。統計から考えると、完治する確率は、三分の一と言ったところですが、事情が事情ですし、詳しいことは分からないので、なんとも。――治るか治らないかは、本人の気持ち次第でしょう。お父様の死を乗り越えられれば、聴力も治るかと思われます」
こういう退屈なときは、いつも、動物たちの声を盗み聞きしていたのだが、本当に何も聞こえない。つまらない。
「分かった。診てくれてありがとう。よろしく頼む。――アイネ、終わったよ」
――てか、私が聞こえないって知ってて話してるの、酷くない? いやまあ、耳が聞こえない、って状態に慣れてないのもあるんだろうけどさ。
「――ああ、そうか、聞こえないんだったね」
肩に手を置かれて、私は少し驚きながらも、ギルデを振り向く。
「終わった?」
彼は恐らく、「ああ」と言って、頷いた。
「先生、ありがとうございました」
頭を下げる私に、先生はノートとペンを渡す。ノートを開けてみろ、という指示を受けて、一ページ目をめくると、「アイネ様用」と書かれていた。
「もらっていいの?」
「もちろん」
なんと言ったかは分からないが、肯定を示す、優しい笑顔だ。
「――ありがとう!」
早速、私はノートをギルデに渡す。
「てか、私が耳聞こえないって言ってるのに、二人だけ話して、ズルくない? すっごく暇だったんだけど」
自分の声も聞こえないが、話し方はそう簡単に忘れない、と思う。不満を込めてそう告げると、二人は苦笑した。それから、ギルデはノートに何かを書きつけ、見せながら、話してくれた。
「すまないね。家に帰ろうか」
***
帰宅しても、私は静養を命じられていた。おそらく、明日から、一日のほとんどをベッド上で過ごすことになるだろう。
「つまんない。あー、つまんない」
退屈すぎて、考えごとしかすることがない。
仕方ないので、以前、クレイアに考えるよう言われていた、「今まで脱走しても何も起こらなかった理由」という宿題について、考えていた。
とはいえ、そんなの、今にして思えば、考えるまでもない。――これまでは、ギルデがずっと、守っていてくれたのだ。私にパパのことを隠していたように。
一体、私はどれだけ、甘やかされていたのだろうか。
「はあぁ、つまんないなあ……」
暇と死んでいるが同じだと言っていたベルの言葉が、よくわかる。――それと同時に、ベルの呪いや、パパの死の真相まで思い出してしまった。
なんだか全部が嫌になって、私はベッドにもぐる。何も聞こえない中、視界まで塞いでしまうと、本当の意味で、真っ暗になる。無限にも思える静寂が、大きな不安となって、私の心をかきむしる。
「アイネ、だいじょーぶ?」
「――本当に聞こえてないみたいだね」
「脅かしてみる?」
「んー。そういうのって、よくない気がするから、やめておこう」
「はーい」
ここから出たら、外には誰もいないんじゃないか。そんな恐怖に支配される。
いてもたってもいられなくなり、私はガバっと、起き上がる。――すると、そこには、緑と黄色の、真ん丸な瞳が二つずつあった。
「ロロ、ベル――。いつからいたの?」
「来たばかり。アイネを脅かそーとしてやめたとこ」
「逆にこっちが驚いたよー。そんなに慌てて、どうしたの?」
聞いたはいいものの、何を言っているのか分からない二人を、ひょいひょい、と手招きして、ベッドに呼ぶ。それから、二人まとめて、ぎゅっと、抱きしめる。
「外に出たら、誰もいないんじゃないかって、すっごく、不安だった」
「……まったく。アイネは寂しがり屋なんだから」
「さみしんぼアイネちゃん」
何やら二人で話しているみたいだ。
「ま、ロロだって、ナーアがいたとき、ぷくーって膨れてたけどね。つまんないーって」
「ベル様も言ってた。いいないいなーって」
「暗殺計画まで立ててたロロと一緒にされたくないなあ。ほんっと、アイネのこと、大好きだよねぇ」
「アイネが悪い。タラシ」
「やーい、ヒトタラシー」
なんとなく、からかわれているような気がするが、それでもいい。一人でいるより、ずっとマシだ。
それでも、二人に真実を話すことはできない。だからと言って、ギルデと話す気にもなれない。
――クレイアに、会いたい。
そんな風に思ってしまうのは、二人に対して、失礼だろうか。
「でもどーせ、アイネが会いたいのは、白いおねーさん」
「そりゃ、まなはアイネの特別だからねえ。ボクたちじゃ勝てないよ」
「むすーっ」
なぜか、ロロが膨れている。一体、何を話しているのか分からないが、かわいいので頬をつついておく。
「やられたー」
「――よおし! アイネのために、まなをもとに戻す方法を考えよう!」
「二人で?」
「ううん、みんなで! ボク、ルクスたちを脅迫……お願いしてみるよ!」
「ロロは、どーすればいー?」
「ギルデとステアさんも、きっと、まなをもとに戻そうとしてるはずだから、そのお手伝いを任せた!」
「ん、分かった」
「アイネには内緒にしておこう。きっと、驚くから!」
「ん、分かった!」
話がまとまったらしく、二人は私のノートに何やら書きつけると、颯爽と去っていった。一体、何をするつもりなのだろうか。ひとまず、ノートを見てみよう。
「まずは、ロロからだね。えーと――何書けばいいか分かんないけど、おだいじに。……あはは、ロロらしい。次は――おお」
ノートをめくると、そこには、クロスワードやナンプレ、なぞなぞや迷路、パズル、塗り絵、いや多いな。とにかく、一瞬でたくさん、遊ぶものを置いていってくれた。
「さて、それじゃあ、やりますか」
静養しろと言われて、大人しくなんてしていられない。寂しいなら、クレイアをもとに戻せばいいのだ。
――ここから先は、本当に、誰にも守ってもらえない。私だけの戦いだ。
「でも、どうしたらいいんだろう」
うーんと考えてみて、ある、仮説を思いついた。
「あのクレイアさんが、何も考えてないわけなくない?」




